一ノ二.降誕祭二
「ふぁー、今日もよく働いたー」
「細かい作業って肩凝るものね。お疲れさま」
「じゃ、わたしはこの辺で。オルリア、また明日ね」
神殿では住み込みで働いている人が多く、オルリアも例に洩れない。
けれどわたしは終業後は自宅に戻ることにしている―――というよりも、戻らないわけにはいかない。
異世界の事情なんか全く知らず、わたしが普通のバイトしていると思っている家族が、日本でご飯を作って待っていてくれるから。
人目がないのを確認し、こっそりと神殿の裏口から中庭に出る。
薄暗くなった裏庭を横切り、そそくさと離れの倉庫へ向かうわたしは、不意に背後から羽交い締めにされた。口も覆われてしまい、声も出ない。
そのまま茂みに連れ込まれ、後ろから抱き込まれるように引き倒される。
「んむー!!!」
「―――隙だらけですよ、里緒」
耳元で甘くぞくりとする艶のある声を出すのは、よく知る相手―――ファレスだ。
「もう、こういうことしないでってば! 心臓保たないから!」
「静かに。声を出すと誰かに気付かれてしまいますよ?」
うぅ、それは怖い。
すっかりアイドル状態のファレスと親密だとバレてしまうと、神殿の女性たちに何を言われるか……。
仕方なく小声でファレスを罵る。
「ファレスが悪いんでしょ!」
「こうでもしないと、あなたとの時間が作れないですからね」
肩に顎を乗せたファレスが、きゅっとお腹に回した腕を強める。
「里緒はいつも良い匂いがします。それに温かくて柔らかい……あぁ、食べてしまいたい」
さっきとは違った意味で背筋がぞくりとするんですが!!!
「―――ねえ、これってセクハラだと思うんだけど」
「せくはら……? それは何です?」
「あー、sexual harassment」
「……つまり、性的な嫌がらせだと?」
ファレスの声が低くなった。機嫌を損ねたらしい。
「里緒は私に触れられるのが嫌なんですか?」
「えっ―――あ、イヤっていうか、日本人はあんまりスキンシップが得意じゃないの。相手がファレスだろうと誰だろうと、相手が家族や恋人でない限りは戸惑うものなの!」
「私は里緒の恋人候補です。それでもダメなのですか?」
「―――候補でも普通はしない……と思う」
「では私は普通でなくて構いません」
「いやいやいや、そういう問題じゃなくて―――」
「そういう問題です―――少し、静かにしませんか。ほら、月が綺麗ですよ」
「え、あ、ホントだ」
見上げると、正面には三つの月が並んで昇っていた。
この世界に来た時には驚いたが、見慣れてしまえば美しさが三倍なだけ。
「月って良いよね。日によって形を変えて、静かなのに、眩しいくらいに輝いて。なんか、ちょっとファレスに似てるかも」
「え?」
「イメージ的にさ。髪が月で、瞳は夜空みたいでしょ。それに普段は冷静だし、存在感もあってどこに居ても目立ってる」
「そんな事……ないです。買いかぶり過ぎですよ。私は―――」
「?」
言葉を濁らすファレスを不思議に思い、背後の彼を振り返ろうと首を捻る―――と、鼻先が触れ合う距離に顔があった!
「あ―――ご、ごめん!」
何を謝ってるんだか分からないけど、とにかく慌てて顔を戻す―――と、頬に温かく柔らかな感触が落ちた。
「なっ!?」
「―――これくらいはウトゥヌ神も許してくれるでしょう?」
「そ、それは許すだろうけどっ―――!」
って、知らないけどさ!
この世界でもほっぺにチューは挨拶レベルなんだよね……?
わたしには一大事件だけどね!!