足元の色
――あなたの足元は何色ですか?
マイカは真っ暗な空間の中で、優しい問いかけを耳にした。
聞き覚えのない声だ。
マイカは暗闇から声の主を探す。
――あなたの足元は何色ですか?
再び問われて、マイカは声の主を探す事を諦める。そして足元に視線をうつした。
真っ暗だ。
暗闇の中では、せっかくの花畑も色がない。
裏庭に街灯を増やそうか。ソーラー街灯だけでは物足りない。
そんな事を考えていると、自分が立っているのか横になっているのか分からなくなってくる。
闇の中では平衡感覚を失う。体がぐらついて、倒れてしまいそうになる。
倒れまいと地面に手を伸ばしたとき、マイカの脳裏にパンジーのイメージが浮かんだ。
咲き誇る色とりどりのパンジーたち。
マイカが小学生の頃、初めて植えた花はパンジーだった。
ポット入りで八十円。既に咲いている花で、寄せ植え用に母が買ったものだった。
それを一株分けてもらい、造成中だった裏庭の一角に植えた。
パンジーの面倒をみるマイカの姿を見て、気を良くした祖父が裏庭を孫娘用に造成してくれた。以来、裏庭はマイカの花畑だ。
脳裏に浮かんだのイメージ通り、パンジーたちが姿を現し足元に咲き乱れた。倒れずにすんだマイカは、咲き誇るパンジーを見渡した。
オレンジ、紫、赤、青紫、白青、スミレ色。一つの色を選べない花々たち。
色とりどりの中、立ち尽くすマイカに声が降る。
――わたしの足元は無色透明。
*
「気がついたか!」
目を開いたマイカの顔前に、アウラの美しい顔があった。切迫した様子で、笑顔がない。
「は、はい!」
アウラの腕の中で返事をした。
肩を竦めて両手を胸に寄せ、アウラの手に支えられて小さくなる。
「よかった。恩人にもしものことがあったら、俺は……」
よほど心配しているのか、アウラの微笑が消え去っている。
そういえば、私はどうしたのだろうか?
アウラの腕の中、夢見心地で考える。
そういえば、砦の前で……。
ルベルムさんに驚いた馬の上でバランスを崩して……。あ、アウラさんの腕の中!
正気を取り戻したマイカは、真っ赤になってアウラの腕から逃れた。
「あ、あのごめんなさい! ごめんなさい!」
「なんで謝る。謝罪するのはこちらのほうだ」
マイカの無事を見て、安心したアウラが頭をさげる。そして彼が目線を横に逸らすと、その先に正座したルベルムがいた。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」
ルベルムは光を失った瞳で、抑揚のない謝罪の言葉を並べている。
誰に向かって……といった様子ではない。硬直して自動的に誤っている。
マイカは彼女の異様な雰囲気に驚いた。そして、周囲も異様な空気に包まれていることに気がついた。
護衛の人たちが怯えて、視線をアウラから逸していた。馬も離れた位置で、怯えた様子だ。
畏怖の対象。それを探すとアウラに集まる。
銀髪赤目で華奢なアウラを、ルベルムと屈強な者たちは畏れている。
だが、アウラは得意のアルカイクスマイルを浮かべ、溢れる周囲の畏怖を否定しているかのように立っている。
「あの通り、ルベルも反省している。許して上げてくれないか?」
気を失っている間に、何があったのだろうか?
訪ねてみたいが、怖い……というより、聞いては悪いような気がする。
「いえ、私の馬術が未熟だったせいもありますので……。ちょっとびっくりしただけです」
マイカはアウラたちの謝罪を受け入れた。
「よかった。本当にすまなかったよ。許してもらえて良かった。ルベル。もう、彼女を危険な目にあわせるなよ」
微笑のアウラが叱責すると、ルベルムの身体がビクリと震えた。
「ご、ごめんなさいごめんなさい……」
あの勇壮なルベルムが、見る影もない。
心配になって声をかけようとしたマイカは、自分の足元に花を見つけた。
パンジーだ。砦の門正面の硬い道に、マイカを中心として、色とりどりのパンジーが咲いている。
咲き誇るという程の数ではないが、ちょうどマイカの脚で一歩分の範囲。といったところか。
この世界に花はないと聞いたのに……。
「あれ? これって夢でみた……」
マイカがつぶやくと、アウラがやはりそうかと首肯いた。
「キミが気を失っている間に、その花が急に現れて咲いたんだ。急激に育ってね。ここに咲いている花は、夢で見た花に間違いはないかい?」
「はい。夢で見たのと同じ花……あの、その、ど、どういうことなんですか?」
異変に驚くマイカに、アウラは努めて優しく語る。
「おそらく、これは……。ガラスの女王と同じ力を、マイカ。キミが持っているということだ。ガラスの女王が夢に見たガラスを造り出すという話しはしたね? おそらくそれと同じだと……思う」
そう説明されても、マイカにはいまいちピンとこない。
気を失っている間の事なので、実感がないのもあるが、花が急に咲き出すなど信じられない光景だ。
植物とは手間のかかるものだ。種を蒔いて水をくれればいいというものではない。
ごく自然に山や森で植物たちが茂っているから、どこでも育つと考えがちだ。だが、それらは激しい競争と運の結晶だ。植物たちは、入り乱れて争い、奪い合って、時に譲り合い、そして耐え抜いて育っている。
人が、人にとって都合よく、そして望むように育て、咲かせるとなれば相当な労力が必要となる。
パンジーのようなアンダープランツとして優秀で、強い種とて例外ではない。
それがこうも簡単に、短時間で咲くなどありえない。とても受け入れられない。
植物は手軽に育ち、安易に茂り、簡単に咲く物ではない。
これが、こんな物が自分の力などと言われて、マイカは戸惑った。
「そんな……。な、なにかの間違いじゃないですか?」
「そうかもしれないが……」
アウラもマイカの戸惑いに気がついたのか、強く断定できず口ごもる。
「あ、あのー……お兄様」
正座していたルベルムが、気まずそうに手をあげた。
「どうした? ルベル」
「ガラスの女王と同じだとしても、問題はないと思います。この花が咲いたとき、マイカに向かって力が飛んできてました。多分、ガラスの女王の力です」
魔法使いであるルベルムは、ある程度、状況を理解しているようだ。
アウラは説明を続けろと促す。
「恐らく、ガラスの女王がマイカの存在に気が付いて、交信を試みたのかと思います。推測ですが、交信で共感した女王の能力が、マイカの夢と反応して実体化しただけで、基本的にはガラスの女王の力です」
「つまり?」
「ガラスの女王が力を送って、マイカが端末になった。ということです」
ルベルムは断言した。
「交信するつもりで送った力が強すぎ、結果として花を咲かせてしまったのか、それともそのつもりだったのかわかりませんが、マイカの力ではないと推察します」
「なるほど。あくまでガラスの女王自身の力というわけか」
アウラたちは合点がいっているようだが、マイカはさっぱり分からない。
わけがわからなすぎて、パンジーを掘り出し植え代えたい気分の方が強くなってきた。この世界の気候はわからないが、あきらかに日当たりが良すぎるし、土も悪い。季節も違うだろうし、ここに咲いていては踏まれて可哀想だ。
「あの、なにか土を入れても構わない器をお借りできませんか? 花を植え代えたいので」
意を決し、マイカは願い出た。腰に下げていた移植ゴテを取り出し、輝く目で構える。
「え? あ、ああ、誰か砦の瓶をいくつか持ってきてくれ」
アウラの指示を受け、護衛の男たちが砦の中に走り込む。
ルベルムは、マイペースなマイカを見て、正座しまま深い深い溜息を付いた。
「結構、剛毅というか、大物ですわ」