ガラスの女王のお膝元
ルベルムは、兄のマイカに対する表現を聞いて絶句した。
隣で聞いているマイカも、恥ずかしさで身が細る思いだ。
しばし、無言でルベルムはマイカを見つめた。そしてアウラの笑顔に、呆れ顔を向けた。
「……はあ、まったく。お兄様は相変わらず歯の浮くような事を」
深い溜息一つ付き、ルベルムは気を取り直した。
「マイカさんへのお礼はつきませんし、花への興味も溢れるばかりですが……。お兄様を襲った賊たちを、既に捉えております。ただちに砦へ引っ立てて、たっぷりと念入りに問いただし、雇い主の名を吐かせてご覧にいれましょう」
アウラのアルカニイクスマイルに対して、ルベルムは嗜虐を含めた優美な笑みを見せた。
その笑みに、マイカは思わず引き攣り、小さく悲鳴を上げたほどだった。
妹の残虐な笑みを前にしても、アウラは優しい笑みを解かない。
「ルベル。彼らは解き放ってやれ」
「……はい? 正気ですか? お兄様。彼らは、お兄様の護衛を……エイクとマーサスを殺したのですよ。楽に殺してやれと言うならば、まだ理解もできますが」
承服しかねると、ルベルムは口元を歪める。その変貌にも、マイカは身を竦めた。
ルベルムは怖い人だ。
彼女の目に隙は無く、いつでもだれでも好きな時に殺してやると言わんばかりの輝きを放っている。言動からも、その心構えが伺える。
アウラに似て美しいだけに、怖気を誘う。
ルベルムの残忍さを前にしても、アウラは笑みを絶やさない。納得してくれと頼みかける。
「エイクとマーサスの事は悔やみ着きれないし、彼らを殺した奴らには怒りもある。だが俺に考えがあるんだ」
悲しい笑みとでも言うのだろうか。
わかってくれと、瞳でも訴える。その目を見詰め、ルベルムは観念したと頭を振った。
「……お兄様がそうおっしゃるならば構いませんが」
不承不承、ルベルムは頷き、電撃を放つ指を中空で横に払った。
指を追いかけるように電撃が複雑に走り、一繋がりの文字を描く。まるでネオンサインのようだ。
文字を空に引きながら、ルベルムは草原の中へと移動していく。
そして先ほど彼女が姿を現し、丸く焦がした草の上に立つ。
「では、お兄様の要望通り、賊は解き放ってきます。迎えの者たちがこちらに向かっているのでしばらくお待ちください」
話ながら書いた電撃の文字が、端から消えていく。
全ての文字が消えると同時に、ルベルムは雷に包まれてその場から姿消した。
電撃を放射して消え去るので、草原には焼けた後が残る。近くに居れば、感電するかもしれない。室内で使われたら大惨事だろう。
「……すごい。ルベルムさんって魔法使いなんですね?」
マイカはルベルムを称えながらも、見え隠れする彼女の性格に小さく身を震わせた。それに気がついたのか、アウラは大丈夫だと言って微笑みかける。
「あれでもルベルは分別を持っている。俺の頼みは聞いてくれるし、あれでも優しいところが……まあまああるんだ」
アウラでも庇いきれないところがあるのだろうか。言葉の端に、ルベルムの手の負えなさが感じられた。
「あ、そうだ」
マイカは身を挺して守ってくれたミツバチを思い出した。
夜も近いせいか、ほとんどのミツバチは巣に帰っている。パーゴラの付近には、戦い力尽きたハチたちが、何十匹も転がっていた。
ミツバチたちを埋めるため、穴を掘り始めると、ミツバチたちはマイカの意思を汲み取ったのか、仲間の遺骸を集めて穴の回りに置いていく。
マイカは不思議だと思いながらも、ミツバチたちの行為に違和感を感じなかった。まるで彼らが自分の一部になったような――そんな錯覚すら覚える。
身体の外に、新しい身体の器官できた。そんな感じだ。
ミツバチたち一匹一匹が、拡張された自分の身体。ミツバチたちの総数も感覚的に分かる。
飛んでいる位置や、今現在の行動などもぼんやりとだが分かる。
アウラも片手で手伝おうとしたが、ハチたちの作業に遮られて見守ることしかできなかった。
集められたミツバチたちの遺骸を埋め終えた頃、武装した一団が、馬に乗って草原の向こうから駆けてきた。
先ほどの襲撃者の仲間かと思ったが、アウラが手を上げて合図しているので、ルベルムの言っていた迎えだろう。
男たちは馬から降り立ち、マイカに警戒の目を向けたが、アウラの説明の説明を受けてすぐさま対応を改めた。
「アウラツム様の恩人に、嫌疑の目を向け、もうしわけございません」
男たちは主人の恩人への非礼を詫びた。
事情がわからないならば当然ですよねとマイカが理解を示す。
恐縮ですと改まる男たちに、アウラは微笑んで見せた。
「このように事情も察してくれる聡明なお人だ。丁重にもてなしてくれ」
アウラは誰に対しても、微笑みを絶やさない人だ。神秘性があるので、下手をすれば畏怖を与えかねないのに、親しみやすい笑顔と物腰が板についている。生来の気質なのだろうか?
マイカはそんな事を思いつつ、アウラの笑顔に見とれてしまう。
「さて、マイカ。キミには是非、麓の我が邸宅に来て欲しいんだ。お礼や今後の事に相談したりしなければならないからね」
一瞬、マイカは悩んだが、ここに宿泊するわけにはいかない。プレイキャビンで雨風くらいはしのげるだろうが、ベッドも食料もない。
「はい、同行させて……もらえますか?」
ここは好意に甘えさせてもらうしかない。どこか分からない場所で、装備も食料もなく一人夜を明かすなど狂気の沙汰だ。
「もちろん、喜んで。ところで、キミは馬は扱えるかい?」
「え? あ、はい。平気です」
はみの構造が少し違うだけで、馬具にも馬にも違いはない。これなら乗りこなせるだろう。
マイカは田舎育ちで、馬に慣れ親しんでいて良かったと心から思った。馬に乗れないからと、アウラの馬に同乗させてもらったら……。
想像するだけで顔が赤くなる。
馬上で密着したら心臓が持たなかったかもしれない。
武装した男たちが前後左右に付き、アウラとマイカの馬は、並んで中央を進む。
「あの……。アウラさん。さっき言っていたガラスの女王って……」
「ああ、帰る為の手段を聞きたいんだね。ガラスの女王はあの山の頂上にいるんだが、数ヵ月単位で眠りについているんだ。今も寝ていると思うから、すぐに帰る方法を聞くわけにはいかない……。すまない。こればかりはどうにもならないんだ。本当にすまない」
「そ、そんな! 謝らないでください。アウラさんは悪くないです!」
マイカは馬上で手綱を離し、両手を振るなど危険な行為をしてまで、アウラの謝罪に慌ててフォローを入れた。
「そういってもらうと助かる。恩人のためになんでもするといいながら、不甲斐ないと思わないでくれ」
「そんな事、思いませんから……。きっと、たぶん、その……いろいろご迷惑おかけすると思うし」
マイカは、なんとなくだが数ヵ月はお世話にならなくてはならないと、漠然ながら考えていた。
その間、アウラにどんな迷惑をかけるだろうか? そう思うと気が気ではない。
もしもアウラの世話になるならば、掃除洗濯でもなんでもしなくてはと覚悟に似た想定をしている。
「ガラスの女王について少し説明しておこう。彼女は千年ほど前に、このファーンオリーに迷い込んだ女性だ。今となっては姿を知る者は少ない。ほとんど伝説だが実在している。彼女は異世界の知識をもたらし、ガラスを生み出す力で様々な恩恵を我々に与えてくれた」
「ガラスを生み出す?」
「俺もよくは分からないが、ガラスでどんな形も作り出して、自在に操れたそうだ。今、彼女は眠りについているわけだが、夢で見たものがガラス細工となって麓に現れる。最近は板ガラスばかりでめったに花や異世界の代物は出てこないけど、数百年も昔は、いろいろな形の物が、ガラスになって山に溢れていたそうだよ。俺の領地では、そのガラスを採取することで成り立っている。重要な産業の一つだ」
「ガラスを収穫してるわけですね?」
「そうだ。キミ達の世界では違うようだが、ここではガラスは採取して加工している」
アウラが見やる山に、マイカも目を向けた。
懸垂曲線の単独巨峰で、どこか富士山を思わせる。流石に三千メートルはなさそうだが、登るとなれば本格的な装備が必要となるだろう。
山の頂上だけでなく、山のあちこちが光って見えるのは、ガラスが山に溢れているからだろうか。
もしもガラスだらけの山ならば、登頂の難易度も格段に上がるだろう。
ガラスの女王のところへ行くとなれば、相当骨が折れるに違いない。マイカはうんざりとした。
馬に乗って凡そ三十分。日が沈みかけて辺りが暗くなった頃、丘を降りた先に小さな町が見えてきた。
質素な家が立ち並び、煙突からは煙が出て、生活感のある暖かい光りが窓からもれている。
周囲には深い空掘があり、二箇所の入口には物々しい木造の砦が建てられていた。
「あれがプテリディジェノン。イワンクパーラ王国最北端の小さいが素晴らしい街さ」
誇らしげに指差すアウラ。確かに小さいが、暖かくて清潔で何より可愛らしい街並みが素敵だ。
マイカが笑顔で首肯くと、アウラはさらに美しい笑みを返してくれる。
思わずマイカは顔を俯け、彼の笑顔から逃げてしまう。
困ったと肩をすくめるアウラに、マイカは違うんですと言いたかったが、どういうわけか口篭ってしまう。
一旦、直視してしまうと、心を鷲掴みにされてしまう。アウラの笑みは武器だ。凶器だ。最終兵器だ。
マイカは目をなるべく合わせないようにして、アウラに続くよう馬を進めた。
だが、そんな気持ちを知ってか知らずか、アウラは馬を並べて進めようとする。
マイカは手綱を緩めて後ろに下がる。
アウラが更に下がる。
マイカが下がる。
アウラが下がる。
マイカが下がる。
アウラが下がる。
マイカの馬が困って、止まるの? 止まるの? 止まっちゃうの? と狼狽える。
「ええい! なにしてんだよ! この色ボケ兄貴っ!! 馬の上でやっちまう気か!!」
砦の見張り台から、怒鳴り声が降ってきた。
アウラの妹のルベルムだ。
砦の手すりを電撃を帯びた手で叩き焦がしている。
「……ルベル。俺に言うならまだしも……お前、恩人に、向かってなんて口をきくんだ」
「うっせんだーよ!! ちんたら馬を勧めやがって! 牛かよ! だったらその脚で歩けてんだよ!」
ルベルムは美しい顔を歪め、口汚く罵り、十メートルはある見張り台から飛び降りた。
分厚く長いスカートが広がり、埃を巻き上げながら静かに着地すると、護衛の乗る怯える馬の間を抜け突き進んできた。
マイカの馬も、ルベルムの形相と電撃に慄いた。
馬に乗れるとはいえ、マイカの技量は決して高くない。
「あ……」
あっけなく。決して馬が暴れたわけでもないのに、マイカは落馬した。
ちょっと筆が乗ってます。非常に珍しいです。
今のうちに書き進めます。
今回、ちょっと異世界ファーンオリーとガラスの女王のお話しが出ましたがまだまだ小出しです。
設定が多いので、本当に小出しになるかとは思いますがストーリー進行を優先させます。そのため分かりにくいところがあるかと思いますがご了承ください。
補足として
サフィレット王国となってますが、王様はいません。
ガラスの女王が象徴的な国家元首です。アウラが安易にマイカを姫と呼ぶのもそういった理由です。