万緑叢中紅一点
(ちょ、ま……でへへうひゃらひゃひゃぁーう……髪撫で……なでられておふぅ)
つい先ほどまで、死んでいくミツバチたちに哀れみを向けていたマイカだったが、白髪赤眼の美しい青年に抱き寄せられ、あまつさえ髪を撫でられて、すっかり気が動転してした。
「どっひゃい!」
変な掛け声とともに跳ね上がり、レンガの小路に正座する。
「はは……」
マイカの奇行を見て、乾いた笑みを浮かべる青年。驚いているようにも、微笑ましくも見てくれているように思える笑顔だ。
白髪という異様さを打ち消すため、努めて笑っているようにも思える。
彼は正座するマイカの前に跪き、両手をそっと手に取った。
手を握られ、マイカの顔が紅潮する。
「俺の名前はアウラツム・リリウム。そこの街を拝領したばかりの新米領主だ。アウラと呼んでくれ」
笑顔で自己紹介をする青年。
マイカは青年の名前に、聞き覚えがあった。
「え? リリウム……アウラツム? それって、もしかして」
ラテン語だ。ヤマユリの学名に間違いない。
「流石、花の姫様だ」
アウラは感心して首肯く。
「貴族の名前は、みな伝説にある花の名前から名付けられている。それから、姫様。キミの名前は?」
問われたが、マイカは緊張して口が上手く開けない。
アウラは優しく微笑んで待ってくれている。
目の前にある笑顔をずっと見ていたい。でも待ってくれる優しさに応える為、マイカは力を振り絞って名前を叫ぶ。
「青城! 青城マイカです! マイカ。……マイカ! …………マイカ!! って呼んでください!」
なんて自己主張が激しいんだろうか? 何度、自分の名前を叫んだのか。動転しているマイカには分からない。
「あのあの、ここどこなんです? 私、自宅の庭にいたはずなのに、気がついたらここにいて」
マイカは勢いで質問をし、名前を連呼した事をごまかした。
「どこと言われても……。俺の領地……プテリディジェノンの南としかいいようがないが」
プテリディジェノン? 聞きなれない言葉に、マイカは首を捻った。
貴族とか、名前が花から取られているとか、伝説の花とか意味が分からない。
実は、もしかしたら……という可能性も脳裏にあるが、まだ口に出来ない。
「あの、私の住んでた国は、日本っていうんですが、ご存知ですか? 英語でジャパン」
日本の比較的、地球世界では有名だ。世界のどこにあるなどは知られてないかもしれないが、様々な理由で名前だけは知れ渡っている。
「ああ、そうか。キミはニホンから来たのか」
日本という単語が通じた! それに日本語も通じている。
よかった、異世界とかじゃない。
異世界に飛ばされたとかのでは? 異世界に迷い込んだのでは? そんなありえない心配が杞憂に終わり、マイカはここが地球だと確信した。
「やはり、キミは花と勇敢な騎士たちのお姫様だね。ガラスの女王と同じ世界から来たとは」
「はい? 今……なんと?」
……嫌な予感がする。
マイカは引きつった笑みで聞きなおす。汗が吹き出るのを感じる。少し身体も震える。
「ニホンから来たんだよね? ガラスの女王というのがこちらにいるんだが、彼女もそのチキュウというところのニホンという国から来たと聞いている」
地球というところ……。ここに不穏な意味を感じる。アウラは優しい笑顔で答えてくれているが、それがまた困る。
マイカは震える声で問いかける。
「あのー……。具体的に、ニホンへは飛行機に乗って何時間くらい?」
「え? ひ、ひこうき? いや、ニホンって異世界なんだろ? 乗り物で行けるのかい?」
「ああっ!」
決定的な単語を聞いてしまい、マイカは頭を抱えた。
「異世界って言われちゃったよ! どうしよう私!」
マイカの急な反応を見て、アウラも不味いと思ったのか、彼の顔から笑みが消える。
「ほら、あの山。あそこの頂上が光っているだろ?」
アウラの指差す方向を見ると、遠くに望む山があった。確かに山頂がきらきらと光り輝いている。
「あの場所には、ガラスの女王が住んでいる。千年ほど前、マイカと同じように異世界からやってきたと言われている。ガラスの女王は、辛うじて異世界への門を開けると聞く。相談すれば帰れる手もあるかもしれないから、安心して」
「本当?」
マイカは泣き顔で、アウラに確かめた。
「ああ、本当だよ。キミは恩人だし、出来る限り俺は力を貸すよ」
アウラはギュッと手を握りしめてくれた。怪我をしてるのに、マイカを気にかけてくれる。
マイカは素直にそれが嬉しかった。
「ガラスの女王は、ガラスで多くの花々を作って人間たちに授けてくれた。ガラスの美しさと相まって、当時は珍重されたそうだ。もちろん、ガラスだから香りも無かったがね」
ゴールドコインの花を撫で、アウラは微笑んだ。
この人は花に優しくしてくれる。
「ガラスの女王が、ガラスの花を作って広めてくれた御陰で、異世界に花があると知れ渡っている。だから、俺たちの名前も、あやかって花の名を授かっている。こうして実物を見るのは初めてだけどね」
アウラが立ち上がり、うずくまっていたマイカに手を差し出す。
手を取り、立ち上がろうとしたその時!
腹を叩くような轟音とともに、草原の真ん中へ雷が落ちた。
せっかく手を握ったのに、マイカは慌てて手を離して頭を抱え、またも屈み込む。
「ははっ。なんだか、姫様が子犬みたいだな」
雷に怯えて丸まるマイカを見て、アウラは少年のように笑った。
本当に良く笑う人だ。笑顔だけで毎日を過ごしてしまうのでは? 涙目でアウラを見上げ、マイカは不満と微笑ましさを彼から見出す。
笑われて怒っていいのか。それとも、笑われて嬉しいのか。自分でも良く分からない。
「お兄様。こちらにおいででしたか?」
雷が落ちた場所に、一人の女性が立っていた。
焼け焦げた草原の中心で、燻る煙を払ってこちらに歩いてくる。薄紅色の鎧甲冑に身を包み、くるぶしまで隠す重厚なスカートを、ブーツで蹴りながら進んでくる。
よく見れば、肩や爪先が帯電しているようで、紫電が時より爆ぜている。
「あれ? 雷……当たったの?」
「いや、彼女が雷なんだ」
マイカの疑問に、アウラは笑顔で答える。どういう意味なのかと、マイカは訪ねたかったが、先に雷の女性が口を開いた。
「お兄様。今度はこのような幼い娘に手を出しておられるのですか?」
雷の中から現れた女性は、アウラを兄と呼んだ。
よく見ると、髪の色などは違うが、凛々しさと美しさはアウラにそっくりだ。だが、色のないアウラと違い、金色の髪に碧の瞳という色合いを持っているので、アウラのような神秘的な美しさはない。だが、充分に魅力的な女性である。
「またお前はそういう事を言う……。紹介しよう、マイカ。こいつは俺の妹のルベルムだ。今の言葉は訂正しておけよ」
「はじめまして。可愛いお嬢さん。私はルベルム・リリウム。」
ルベルム。確か、オトメユリの事だ。
「は、はい! はじめまして! マイカです!」
シャンと足を揃え、マイカは鯱張って返事をした。
「この応急処置はあなたが?」
アウラに抱きつくように寄り添い、傷ついた左腕に手を翳して、ルベルムは小首を傾げて訊ねた。
「え? は、はい。えっと、大丈夫ですか? それで平気ですか? あまり慣れないもので」
「充分ですよ。出血が抑えられたので体力の低下も少ないようですし」
傷の上に翳すルベルムの手に電光が走った。見慣れぬ文字のような物がリング状に回ると、アウラの左腕にぱっくりと開いていた悲惨な傷が閉じていく。
血で汚れた皮膚はそのままだが、肌に傷跡らしきものは見えなくなっている。
「わあ、魔法みたいだぁ……」
映画か漫画の中でしか見たことない光景に、マイカは素直に驚いた。
「ありがとう。助かったよ」
アウラは左手の感覚を確かめ、妹に礼を言った。
「お兄様に傷跡が残れば、領内と王都のご婦人方が泣き暮れるでしょうしね」
「ルベルは、またそれを言う。マイカが勘違いするだろう?」
困ったような笑顔で、妹の戯言を受け流す。
「それで。こちらのお嬢さんは、どのような理由でここに?」
一転、ルベルムは厳しい視線をマイカに向ける。
マイカは鋭い視線を浴び、息を飲んで硬直した。
「そう、責めないでくれ。彼女は恩人なんだ」
視線の間に、アウラが庇うように割って入る。
「いえ……先週の見回りの時には、このような植物園はありま……せん、で? え? 嘘! これ花っ!」
ルベルムは問い詰めるつもりで、花畑を指差した。だが、伝説に聞く花が満ち溢れていると気が付いて、思わず問い詰める言葉を乱した。
二人を置いて駆け出し花畑まで走ると、信じられないという表情で花を見て回っている。
「ああ、そうだよ、ルベル。マイカはこの花たちの姫様さ」
アウラがマイカを称えるが、そんな声も耳に入っていないのか、ルベルムは興奮した様子でバラを眺めている。
手折ったりする様子は見せないが、手を出して怪我をしないかとマイカは気が気ではない。
「うっそ! マジで! ヤベーじゃん! これっ! 世界の法則が乱れちまうんじゃね!?」
貴婦人か騎士かというルベルムの様子が急変し、まるで嗜虐に喜ぶ女丈夫のような姿を現した。
心なしか笑みが凶悪に見える。
「おい、ルベル。地が出てるぞ」
アウラは努めて笑顔で諌める。
「……あ、うん。ごほん」
改まったルベルムは、軽い咳払いでごまかす。
「あー、お兄様。これはどういうことなのでしょうか?」
可愛らしく赤面するルベルムは、顔をそむけながら説明を求めた。
アウラはそんな妹に、マイカへ向ける笑みとは違う悪戯地味た笑顔で答えた。
「マイカが花を携えて、来てくれたんだよ。この花のない俺たちの世界に」