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勇敢な者たち

 マイカは立ち尽くしていた。

 自分がどこにいるかわからないから。倒れる青年を前にして、何をどうしたらいいか分からない。

 スマートフォンが繋がらないだけなら、自宅に飛び込んで固定電話で救急車を呼べばいい。だがそんな当然の事が出来ないでいた。なにしろ十年住んだ自宅がないのだからどうしょうもない。

 異常事態が重なり、マイカはただ狼狽うろたえていた。


 周りを見渡す。人影も人家もない。集落を囲んでいた山もない。

 霞むほど離れた先に、頂上が輝く山があるくらいだ。

 

 周りを見回してもしかたない。マイカはここがどこかを判断するまえに、倒れる青年を観察した。


 赤紫の花を付けるホタルブクロの押し倒して横になる青年の白いシャツは、血に染まり銀色の髪は泥で汚れている。

 それなのに、美しいと思った。

 泥で汚れ傷を負った人を美しいと思う――。

 マイカは自分の酷薄さを嫌悪し、かぶりを振って青年の身を案じて様子を見る。

 

 いつのまにか息が整ったのか、青年の苦しそうな呼吸音が収まっていた。


「……こ、ここはどこだ?」

 傷つき倒れていた青年が、右手をついて立ち上がる。


 マイカはその声にときめいた。

 低く男らしいのに透き通ったような声質だ。

 役者なのだろうか? 

 だが傷は本物のようなので、映画の撮影ということはなさそうだ。


 左手のスマートフォンをしまい、右手の移植ゴテを投げ捨てて、起き上がろうとする青年に手を貸した。


「こ、ここは?」

 美しい青年は質問を重ねてきた。苦しげな顔が悩ましい……。


「わ、わたしのお花畑でしゅ!」

 でしゅ……って。

 一瞬でマイカの顔が真っ赤になった。今まで経験したことのない血圧上昇。立ったまま夢でも見そうな悪酔いにも似た目眩。


 初めての会話で失敗するなんて、まさに乙女! と、好意的に、この人は解釈してくれるだろうか。

 マイカは恥ずかしさから叫びたい気持ちで一杯だった。しかし怪我人を前で大声を出したら、怯えさせてしまうと必死に堪えた。

 そもそも叫んだら印象が最悪になってしまう。


「……と、とにかく止血を」

 気持ちを他に向けよう。

 マイカはタオルを取り出して、中ほどを固く縛って玉を作る。その玉を青年の左脇下に差し込み、肩上部へ引っ張り上げるようにして縛った。タオルの縛った玉が脇の下の動脈を抑え、少しだけ出血の勢いが収まる。


「いや、待て……」

 青年は手当てを受けながら力なく呟く。錯乱しているのかもしれない。


「ま、待てじゃないでですよ! こんなに血が……」

 マイカは怪我を見て怯えたりはしない。農作業や花の仕事をしてると、ある程度の裂傷には慣れてしまう。手の止血ならば何度も経験していた。


 だが青年は「止血を待て」と言ったわけではなかった。

 赤みを帯びた瞳でマイカを見据えた。綺麗で異質な瞳に射抜かれたマイカは動けない。


「ハナバタケ? ハナの畑だと? なんだそれは……」

 外国の人だから、花という単語が分からないのだろうか? それとも畑が分からないのだろうか?


「花を育てる。花の畑ですけど……」

 マイカはそうとしか答えられない。

 青年は揺ら揺らと立ち上がり、マイカの手から離れる。「まだ動かないで」と手を伸ばしたが、そこは年頃で乙女なマイカ。緊急を要する手当てでもないのに、青年の身体に触れるのは気恥ずかしい。


「あ、でもお庭みたいに綺麗にしたり、散策したり出来るように道作ったり……。今はバラが綺麗なんですよ。アーチとパーゴラについたバラも、そっちの生垣にしたバラは特に大輪の花が咲くんです。ポーチのあるプレイキャビンと、ブドウの絡みついたパーゴラ、それからお茶を飲めるあの六角形のガゼボはおじいちゃんが作ってくれたんです。バラが絡みついてるあのパーゴラは、お父さんが作ってくれたんです。パーゴラだけ形が変ですよね? お父さんあんまり大工仕事上手じゃなくて……て、何言ってるのわたしーっ!」


 青年の後ろで、マイカはあっちこっちを指さして、自慢の庭を説明し始めた。だがすぐに浮かれた自分の姿に気が付いて、恥ずかしさから顔を隠してうずくまった。


 変な子と思われただろうか? いくら花が女の子らしい趣味とはいえ、あまり興奮して引かれるかもしれない。

 嫌だな、嫌われたら……。

 マイカはそんな事を考える自分の姿を客観的に考えて、また顔を赤くして小さく丸まった。


 そんな乙女のマイカに気がつかず、青年は広がる花畑を見回して呟く。


「これが花か……」

 

「え? はい? デ、ディス イズ ア フラワーです」

 マイカは屈んだまま頭を上げ、日本語混じりの英語で返事した。

 青年が外国人だからと安易に英語を使ってみた。発音はあまりよくない。いや、かなり悪い。


 ていうか中学生か!? わたし! とマイカは頭を抱えた。


 マイカの拙い英語を聞いて笑い出したのだろうか。青年は顔を抑えて、肩を震わせている。

 笑うことないのに。と、不満げにマイカは立ち上がって拗ねたように口元を歪めた。

 だが、彼はマイカの英語を笑っていたわけではない。

 

「これが花か! この美しくて色鮮やかで、香り高い! これが伝説に聞く花か! じゃあ俺は死んだのか? それとも幻覚でも見ているのか?」

 青年は顔を押さえていた右手を横に払い、咲き誇る花畑をぐるぐると見回す。

 銀髪に白い肌、そして赤い目。怖気さそう笑顔だ。

 

 そんな浮世離れした青年の姿と動きに見惚れて目を離せない。心を抜き取られてしまったかのうだ。

 飛び出しそうな心を抑えるように、両手を握って強く引き寄せる。


 青年が踊るように回ると、てんてんと左腕から血が落ちる。彼の真っ赤な血がレンガの小路に染みていく。

 息を止めてマイカは青年の踊りを見つめていた。


「そうか! それじゃあ、キミは天使か! それとも女神か?」

 青年は芯が入ったようにまっすぐ立って回転を止めると、真顔になって問いかけた。

 

「そ、そんな! 天使だなんて……。え? わたしが? 天使とか女神とかに見える? うっそ!」

 綺麗で優雅な青年に、天使か女神かと賞賛されて、マイカは大いに舞い上がった。

 紅潮する頬に手を当て、マイカは俯いてしまう。


「その様子じゃあ、きっと人間なんだろうな。なかなか愛嬌のある顔だ。……そうか。それならキミは早く隠れた方がいい」

 青年は少し残念そうに。だが、納得した様子で、隠れろ。と促してきた。

 愛嬌のある顔? 隠れろ?


 顔が面白いから隠れていろという意味だろうか? 

 マイカは首を傾げる。


「……俺を追いかけている奴らに見つかっても、俺の事は何も知らないといえ。手当ての礼をしたいが……それもできそうにない。せめて恩人であるキミに迷惑はかけたくない」


「何を言ってるんですか?」

 さらに首を傾げるマイカ。その疑問に答えたのは青年ではなかった。


「アウラの坊ちゃんが言ってるのは、我々の事だ」

 マイカの背後から、低い声が投げかけられた。

 青年は咄嗟に飛び出ると、マイカの背に回って庇い立つ。

 振り返るマイカ。青年が睨みつける草むらから、人影がいくつも並び立ちあがる。

 

「……くっ。すまない。迷惑をかけてしまったようだ」

「え? なんなんですか? これ?」

 草むらに立つ人影は、みな手にナイフを持っていた。いや、ナイフなどという矮小な物ではない。

 剣だ。

 人の腕の長さほどある立派な剣。現代日本では凡そお目にかからない物品だ。


 剣を持ち灰色の服を着た男たちは、身構えてジリジリと迫ってくる。


「……アウラの坊ちゃん。その恩人とやらに迷惑をかけたくないというのなら、ここは諦めるべきではないのかね?」

 先頭の大男が、青年にアウラを呼び、ニヤリと笑う。


 コイツ……。なんかムカつく。

 マイカは不思議な感覚を覚えた。

 大男や灰色の服を着た男たちが嫌な雰囲気を纏って迫ってくる。不快感がマイカの額を突く。

 不快感は六つ。男たちは五人。もう一つの不快感がどこからか飛んできて、全部で六つの刺激がマイカの額を啄く。

 

 なんだろう? この感覚?

 

 初めての経験に、マイカは戸惑った。

 その姿を顧みて白い青年はマイカが怯えているのだと思ったらしい。優しく微笑んで、怯えさせないように静かに語りかける。


「すまない。天使のキミ。悪いが下がってていてくれないか?」

 男たちと対峙して、毅然としている青年。庇い立つ腕からはまだ出血が止まっていない。

 まさか、この身体で戦うのだろうか?


 実はすごい強いとか……。

 マイカは青年の横顔を見上げて心躍らせる。この人の背中にいると安心できる。彼が剣を持った暴漢たちを、素手で次から次へとなぎ払う姿を夢想してみた。


「俺はこのとおり、降参する。だから、この方には危害を加えないでくれ」

 観念した。と、青年は両手を上げた。

 暴漢たちの雰囲気が少し変わる。マイカの額を啄くような悪意が、逸れたように思えた。

 

「今からそちらに行く。だから彼女には手を出さないでくれ」

 青年は抵抗する素振りすら見せない。本当に抵抗するつもりはないようだ。


 少し残念。マイカはちょっと思ったが、それ以上に嬉しかった。


 戦って助けてくれるより、マイカの身を気遣ってくれる。その背中が、とても暖かく見えた。


 だからマイカは剣を持った男たちを睨めつけて、あんたたちなんか――


 ここからいなくなれ!


 念じた。強く、悪意を込めて念じた。


 異変は同時に起こった。


「な! なんだ!」

 空気を震わす音が沸き立つように巻き起こった。男たちは周囲を見渡し、音の正体を探る。

 まるでマイカの悪意に応じ、空気が唸り声が上げたようだった。


「な、なにかしたのか? キミ?」

 青年も何が起こったか分からない。だが咄嗟に、マイカを庇うように抱き寄せた。


「うっひゃぁっー!」

 マイカは変な声を上げた。暴漢たちへの悪意はどこかに飛び去り、青年の硬い胸板にドギマギした。

 途端に空気を震わす音が霧散する。


 周囲を警戒していた男たちの悪意がマイカへと向けられた。


「あの女! 危険だ! 油断するな! 必要ならば排除しろっ!」

 大男の命令が飛ぶ。四人の男たちが左右に展開した。


「まずい!」

 青年はマイカの手を引いて駆け出した。


「え? なに?」

 マイカは何が起きたのか分からない。青年の胸板に意識が集中していて、男たちの行動に気が付いていなかった。

 乙女である。と、いいたいがちょっと舞い上がりすぎである。


 青年はひとまず花畑の中へ。小路を駆け、視界を遮るパーゴラへとマイカを連れて行く。


 パーゴラとはツル植物を巻きつけて育てるため、簡素に材木を組み上げた棚である。元々はブドウ棚を差す物だったが、現在はツル植物で日陰を作ったり、バラや藤の花を楽しむ為に利用される。


 青年がマイカを連れ込んだのは、バラのパーゴラだ。

 暴漢が追いかけてくる時でなければ、とてもロマンチックなのに!

 などとマイカは、勘違いはなはだしい妄想を膨らませている。

 剣を持った男たちが迫ってきているというのに、なかなか余裕がある少女だ。


 青年はそんなマイカの様子に気がつかず、パーゴラに置いてあったスコップを拾い上げた。

 片手では扱いにくいだろう。そもそも武器には向いていない。


 スコップを構える青年を警戒しつつ、一人の男が正面に立つ。


 三人の襲撃者は回り込む為、パーゴラに蔓延るバラを剣でなぎ払った。


「……っ! あいた! イタタタタ!」

 一人の男には、払ったバラのツルが伸し掛って絡みつく。


「……? おう! イテッ! なんだこりゃ!」

 一人の男はパーゴラの側面から入ろうとして、バラのツルに絡まった。前に進むも引くも出来ない。


「あご、おごごご!」

 三人目は悲惨だ。リーフ状に円を組ませたバラが、頭からすっぽりと入って顔に引っかかっている。流血が激しく、バラに触る事すら出来ずうずくまっている。 

 

 青年は一瞥しただけ。だが対峙していた襲撃者は仲間の姿に驚いて動きが止まっていた。

 状況の判断が出来ていた青年の動きは速い。

 

 仲間の様子を見て固まっていた男の顔を、スコップの腹で思いっきり殴り飛ばした。

 嫌な音が響く。

 暴漢はレンガの小路に転がって、顔を抑えて逃げ出していった。


「な、なにをした! 小娘!」

 遅れてきた大男は、驚愕の声で叫んだ。

 青年がマイカの前に庇い立つ。


「おい、キミ。今のうちに逃げるんだ」

「……ラが」

「……? おい、キミ?」

「……ラが、綺麗に」

 マイカの様子がおかしい。


「……逃げ……あの? 聴いてるのか?」

 青年は、俯向き呟くマイカに気圧されている。


「バラが! 綺麗に咲いたのにぃっ!!」

 マイカの悪意が爆発した。

 黒い唸る影がマイカの背後に広がり、翼のように左右へと広がった。


 幾千、幾万というミツバチたちが、マイカの悪意に応じて空気を震わせ舞い広がる。

 バラに捕まった暴漢たちも、大男も、顔を殴られ逃げていく男も、ミツバチの黒い波に巻き込まれた。


「うひゃぁぁぁっ」

 大男ですら情けない声を上げ、黒い波から逃げ出していく。バラに絡まった男たちなどは、声も出せず転がるように逃げていく。

 

「パーゴラのバラが落ちたら巻き付くまで時間がかかるのっ! 許さないんだから!」

 マイカの激高に反応するように、ミツバチたちは命を掛けた針を暴漢に突き刺す。


 情けない悲鳴が花畑に響き渡る。青年もスコップを持ったまま呆然と、その光景を見ることしか出来ない。


 冷静さを失っていたマイカだったが、暴漢に払い落とされ、地面で藻掻くミツバチを見て急に意識が覚めた。

 ミツバチは針で刺したら最後、毒針ごと毒嚢まで取れてしまう。周辺の筋肉組織もだ。その筋肉組織と毒嚢が毒を送り込み続ける。これは刺された方には災難だが、ハチは肉体の一部を失うという最終手段だ。


 マイカの悪意は消え失せ、ミツバチたちへの憐憫が湧き上がる。

 

 ふっと羽音が少し弱まり、ハチたちの黒い影が散って広がる。

 襲撃から解放された男たちは、この隙にと無様に逃げ去っていく。


 

「……あ」

 マイカは頭の中で、ぼんやりとだが……。死んでいくミツバチの数がわかったような気がした。

 不思議な感覚だ。

 まるでハチたちと、意識が繋がっているような、拡散するような、膨張するような感覚と知覚。


 様子がおかしいと気がついた青年が、震えるマイカに近寄る。


 ――それを狙う一人の男。


 最初から草むらに隠れて、機を狙い弓を構えていた男が青年に目掛けて矢を放つ。


「あんぎゃぁああああっ!」

 絶叫が響いた後に、外れた矢が青年の頭上を掠めてパーゴラの柱に突き刺さった。


 草むらに隠れていた男が、顔を抑えて転がり出てきた。


 一際大きいハチが一匹、弓を持った男の上を周回していた。

 再び刺された男は、この世のものとは思えない悲鳴を上げ、弓を放りだして逃げていく。


 残された青年はスコップを投げ捨て、怯えるマイカの肩を抱き寄せた。

 さっきまで真っ赤になっていたマイカの顔は、蒼白となっている。

 

「ああ、キミは……」

 切り裂かれながらも、二人を守ったバラたち。

 その身を引き裂きながらも、暴漢たちを撃退したハチたち。

 

 土の上に散らばる勇猛果敢な騎士たちを見渡し、青年はマイカの髪をそっと撫でた。


「咲き誇る花と勇敢な騎士たちの……お姫様なんだね」



この小説の舞台である花の無い世界というのは前から用意してあったものです。

しかし、花がないということは植生がどうのとかいう以前に、ほとんどの作物が無いという事なので扱い難くてずっと保留してました。


異世界の設定に一応の解決が見えたので、花好きの女の子を送り込んでみました。


……青年の名前がちゃんとまだ出てきませんね。

次にはきっと。


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