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裏庭の花畑

 あなたの足元は何色ですか?


 コンクリートとアスファルトばかり見ている都市生活の人は、灰色と言うだろうか。

 学校の校庭でスポーツに励む学生なら、きっと茶色と言うだろう。

 毎日、畑仕事をする人は、黒色や茶色と言うだろうか? 

 もしかしたら育て上げた作物の色を言うかもしれない。

 

 ――あなたの足元は何色ですか?


 裏庭で花を育てる青城あおきマイカが問われれば、きっと悩んで迷う事だろう。

 春先にはアンダープランツとして植えてあるパンジーが、様々な色で咲き乱れ、とても一つの色を指し示す事などできない。


 冬になれば、最近植えたクリスマスローズの濃い緑と黄緑や小豆色など、様々な色が裏山側の落葉樹の下に広がる。


 斜面に植えた芝桜は、まだ大地を覆うほど増えていないし、雑草化している帰化植物のナガミヒナゲシの花は可愛いが、残念ながら裏庭から排除している。

 土の流失を防ぐ為のレンガの赤い色。その隙間にポツポツと植えた玉龍。黒土や鹿沼土の明るい茶色。腐葉土の複雑な色。霜よけの藁やムシロは薄藁色。水路の色は瓶覗かめのぞき色。

 雨が降れば濁った水が流れる場所もあるし、どんどん水がはける黒い土や砂地もある。

 

 マイカは片田舎のお屋敷のような日本家屋に住んでいる。屋根だけみれば、お城のようだ。

 お屋敷に住んでいるから、お嬢様というわけではない。実家は地方の山合いにある農家で、十年前に高速道路の立ち退きで引っ越した。お屋敷はその時の保証金で立てたら家で、これがまたやはり田んぼと畑の真ん中だ。

 緑に囲まれ、高い白壁に囲まれた家。

 正面は祖父の趣味で日本庭園。裏山へと続く広い裏庭は、マイカの花畑。


 お嬢様というわけではないが、趣味を満喫できる毎日。

 大好きな花に囲まれて、マイカは幸せだった。 


 乾いた土の香りが好き。花の香りが好き。水を撒くと舞い上がる湿った土の香りが好き。咲き乱れる花が好き。風に乗って、さようならと去っていく花びらが好き。舞い落ちてくる木の葉が好き。木枯らしで、枯葉が小人たちのように踊るのが好き。冬は顔が寒いけど、背中を温めてくれる焚き火が好き。降り積もって花畑を隠してしまう雪も好き。


 みんな好き。


 だけど、高校に入学してもう六月になるというのに、マイカはクラスに馴染めないでいた。

 学力的には無理はないが、家族にうながされて望まぬ進学科を選んだ事がいけなかったのだろうか。

 マイカは思い悩む。

 

「花には話しかけられるのに……」

 きっと、自分の性格がいけないのだろう。クラスのみんなに、問題なんて何もない。

 繊細で気候に敏感だけど、マイカの手に答えてくれる草花たち。

 言葉は通じるけど、確固たる自我を持つクラスメイトたち。

 

「わたしって社会性ないのかなぁ」

 錯綜するバラのツルを眺めて、人の錯綜する関係を思い描く。

 大輪の花を咲かせる場所もあれば、トゲとツルが渦巻く場所もある。綺麗だと迂闊に手を伸ばせば、裏のトゲで痛い目に合うし、ツルが巻き、トゲが溢れる場所は見てるだけでゾッとする。

 

「今年はバラジャム作るために無農薬にしてみようかな? でも毛虫取るの大変だし、冬に薬つかっちゃったし……」

 人間社会に当てはめて考える事が嫌になり、マイカはバラの育て方に逃避してみた。

 ロシアンティーは好きじゃないけど、母の友人たちに振る舞えば喜んでくれるだろう。だけど、毛虫を一匹ずつ取るのは大変だ。そもそもバラジャム用のバラでもない。

 

 思い悩むマイカの前に、迷い飛ぶハチが現れた。

 マイカは女の子だが、ハチを怖いとは思わない。可愛い友達みたいなものだ。不意に顔の前を飛んでも驚いたりしない。

 ハチは挨拶でもするようにマイカの回りと飛ぶと、バラの花の中へ潜り込んでいった。


 山の麓の美術館から貰ったミツバチたちの巣が、花畑の片隅に立てられた小屋の中にある。

 解体される建物の擬宝珠ギボシの裏に作られた、抱える程の大きなミツバチの巣を、美術館の人たちに頼み込んでもらってきたものだ。擬宝珠とは、お寺や武道館の天辺にある丸い形の物だ。

 擬宝珠そのものまで巣ごと貰い、祖父に作ってもらった小屋に収めた。

 今では擬宝珠からはみ出るほど巣が大きくなった。そこに住むミツバチたちは、花畑の受粉に活躍してもらう大切な仲間だ。


「バラのハチミツ……。ダメだ。あればツボミから取ったミツからじゃないと……。って、それは高級品? ていうか、もういろんな花のミツが混じってて関係ないか!」

 独り言を叫ぶマイカ。

 そこへミツバチが、「どうしたの?」と問いかけるように、バラの花から顔だした。


「あ、ごめんね。驚かせた? いいのよ、ゆっくりミツを取ってね」

 マイカが小指でハチの頭をそっと撫でると、ミツバチは「なんだよ、また独り言か」という態度で次の花へと飛んでいった。


「やっばいなー。花とハチに話しかけるとか終わってるじゃん……」

 自己嫌悪。

 不思議ちゃんとかないわー、とマイカは腕を組む。


『……!』


 声が聞こえた。

 大型スピーカーに触れた時のような、マイカの身体をざわざわと振動させる声が。


 マイカは移植ゴテを胸に抱き寄せて身を竦めた。


「……だ、だれかいるの?」


 蒸し暑さとまとわりつくような梅雨特有の湿気が、まるで視線のように感じられた。

 誰かが花畑に迷い込んだのでは? と、視線に怯えながら周囲を見渡す。


 もう声は聞こえない。

 だが、聞き覚えのある羽音が聞こえてきた。


「……スズメバチ?」

 独特の羽音を立て、一匹のオオスズメバチが、マイカの頭を飛び越えていった。

 花畑のミツバチはニホンミツバチだ。数匹のオオスズメバチなら撃退できるが、大群で襲われたら全滅しないまでも被害を受ける。かといって、撃退するにはスズメバチ用の殺虫剤は強力すぎる。

 他の昆虫にも、薬害が出る恐れもがある。もちろんニホンミツバチにもだ。 


 などとハチを心配していたマイカだったが、今はそれどころではない。

 

 さっき聞こえた声の主はどこにいるのか?

 マイカはプラスチック製の移植ゴテを、剣のように構えてバラのツルの向こうを探る。


「……あれ?」

 家を囲む白壁が見えない。


「あれれ?」

 壁を壊したのだろうか? でも家族からそんな予定は聞いていないし、壊しているような音もなかった。

 自宅の庭で、記憶違いなどあるだろうか。

 まさか、学校へ行ってる間に、暴走車が飛び込んで塀を壊したのか。


 マイカは様子を探るべく、バラ園を迂回して塀のあるべき場所へと走った。

 バラ園と池、そして夏にテッポウユリを植える予定で掘り返した場所を走り抜けた。

 果たして、ホタルフクロの群生する向こうに異変があった。


「……誰か倒れてる!」

 塀のあるべきところに、一人の青年が血だらけで倒れていた。

 

「うそ! まさか、この人がぶつかって壊したの!」

 車やバイクがある様子はない。だからといって、人間がぶつかったくらいで塀が壊れるとは思えない。

 塀の喪失は信じられないが、目の前に怪我をしている人がいるのは確かだ。


 慌てて駆け寄り、うつ伏せに青年の背に手をあてた。

 冷たくはない。体温は充分ある。

 でも、腕の傷は大きい。深さはわからないけど、左肩からまで肘まで傷が斜めに走っている。

 全力疾走でもしたように息が荒いので、衰弱しきっているということはないだろう。出血も多いが、溢れるほどではない。


「大丈夫ですか!」

 揺すっては危険と思い、青年の頬に手を添えた。


 ――綺麗。


 花以外を……いや、男の人を綺麗と思ったのは初めてだった。

 マイカは胸に、今まで感じたことのない動悸を覚えた。


 銀色の髪。胸が高鳴る。

 白磁のような肌。胸が絞られる。

 シャープで面長な整った顔。胸が熱くなる。

 優美で強さ溢れる目元。胸が焦げる。

 

 苦しむ彼の口元が、マイカの母性をくすぐる。追いかけるように胸が締め付けられる。


 ――助けなきゃ!


 怪我人を助ける義務感ではなく、彼を助けたいと思う衝動が胸の内から突き上がる。


 マイカは救急車を呼ぶ為、スマートフォンをスカートのポケットから取り出した。


「うそっ! なんで! 圏外!?」

 山合いの田舎とはいえ、そこそこの集落である。携帯電話の基地局が、裏山の頂上に設置されいて感度良好の場所だ。


「なんでよ!」

 動揺するマイカは裏山を見上げ、そして絶句した。


「……山、無い」

 小さい頃、何度も登った山がない。

 見渡せば、二〇メートルほど離れた場所になる自宅も無い。

 畑も水田もない。

 集落を周りを囲む山も無い。

 

 花畑は全てあるが、それ以外は何もない。見たこともない風景が、周囲に広がっていた。 


 見渡す限りの草原。頬を撫でる風には湿り気が無く、爽やかだ。とても六月の空気じゃない。


 青城 マイカはこの日……。


 大好きな花が一輪も無い異世界。

 ファーンオリーに迷い込んだ。


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