春陽の候
春陽の候(しゅんようのこう)と読みます。ラブコメの予定が…。
川島佳代、24歳。中堅企業の事務職をして2年と5日。定時も過ぎたので帰り支度をしていると後ろから声を掛けられた。
「川島さん、明日の夜暇?合コンの人数足りなくて。」
そう言ってきたのは同期入社で営業の中川さん。細身のスーツを着こなす色白美人さん。だけど、とても気さくで話しやすい人。こうしてたまに出会いの場を提供してくれる。困っているなら協力してあげたい。でも、参加するにはひとつ譲れないことがある。
「どこのお店?」
「先月オープンした駅前のイタリアン」
すかさず返ってきた店を思い出す。会社とは駅を挟んで反対側に出来たイタリアンレストラン。外装も白壁に赤レンガと少し大きめの窓。ホームから窓越しに見える店内は暖かな笑顔であふれていたのを思い出す。
「そこなら行こうかなぁ。」
「川島、普通そこは男の事を聞くんだぞ。」
参加を中川さんに伝えると、偶然通りかかった同期入社で中川さんと同じ営業の菊池くんにからかわれてしまった。それと同時に周囲にいる同僚達がくすくすと笑い出す。
「どうせ私は色気よりも食い気ですよ。」
周囲に聞こえるようにいじけてみせる。そうすればまた同僚たちはくすくすと笑ってくれた。むっとした表情を作り周囲を見ていると、同僚達はごめんごめんと笑いながら飴やチョコを次々とくれた。
明日のおやつが出来たと喜んでいると、大きな手が伸びてきて半分菊池くんに強奪されてしまった。取り返そうとするが、180cmの菊池くんと156cmの私では敵うはずがない。周囲から見れば私は猫じゃらしに遊ばれる子猫だろう。
ジャンプでもしようと少し屈んだ所で、中川さんの鉄拳が菊池くんのわき腹にヒットした。その拍子に握り締められていたお菓子たちが床に散らばる。
「じゃぁ明日18時に会社前ね。」
それだけ言うと中川さんは菊池くんの腕をつかみ営業の方へと去っていった。
中川さんも合コンなんてしないでさっさと菊池くんとくっつけばいいのに。
そう思いながら二人を見送ったのは私だけじゃないはずだ。
翌日の金曜日。乾杯の合図で始まった4対4の合コンは終盤に差し掛かり、コース料理もデザートのジェラートが配られていた。料理はどれも出来たてて美味しかった。男性陣も気さくで紳士な人たちばかりで終始和やかな雰囲気が漂っていた。
「この後二人で飲み直さない?」
幹事が会計をいるのを店の前でぼんやり待っていると声を掛けられた。声を掛けてきたのはパスタを食べていた頃話していた…上田さん?食べる歩きが趣味らしくお互い行った店の話で盛り上がった記憶がある。だけど…
「ごめんなさい。明日用事があって。」
明日はどうしてもはずせない用事がある。明日がなければ誘いにでも乗っていたのに。
「そっか…じゃぁまた機会があればよろしく。」
もう少し誘われるかと思ったが案外あっさり終わってしまった。
「はい。誘って頂いてありがとうございました。」
少しだけ残念に思いながらも優しい人でよかったとほっとしながら歩き始めた集団の後について駅へと向かった。
翌朝、洗濯と掃除を手早く済ますと、電車で30分揺られ、駅前の坂道を15分ほど上りきった所にある和菓子屋さんへと来ていた。
純和風の店構えは趣があり創業150年の歴史を感じる。よもぎもちが名物で午前中にはいつも売り切れるんだとこの近所に住む友人が言っていた。なのに休日にもかかわらず、表の木戸は硬く閉められていた。
「どうして…」
毎年四月の第一土曜日に私は必ずここへやってくる。店主のおじさんもそれを知っていて、よく来たねと毎年喜んで迎えてくれるのに、今年はどうして店は閉まっているのだろう。嫌な考えが浮び慌ててかき消す。
「佳代さんですか?」
不意に後ろから名前を呼ばれる。振り返れば袴姿の男性がスーパーのビニール袋を片手に持ちこちらへ向かってきた。近くまで来た男性は以外に若く30前後だろうと勝手に想像する。
「そうですが…あなたは?」
袴姿にビニール袋というミスマッチな組み合わせに怪しみながらも返事をする。
「決して怪しいものではなくて、見ての通りここの神主です。」
そういって神主と名乗る男性は店の脇にある石段を指差した。数十段はありそうな石段をたどり見上げると鳥居が目に入った。そう言えばこの地域で初詣といえばここだと友人が言っていたことを思い出す。紅葉でも確か有名だったとぼんやり思い出していると神主さんは続けて話しかけてきた。
「あなたにお渡したいものがあってうちの社務所まで来ていただけますか?」
それだけ言うと私の返事も待たずに石段を上り始める。神主さんなら大丈夫だろうと後について石段を上りはじめた。
運動不足の私では少しきつい石段をなんとか上りきり、本殿の横にある建物へと招かれた。すこしここでお待ちくださいと通されたのは年季のはいったちゃぶ台とテレビが置かれた6畳ほどの和室だった。仕方なく鞄を下ろしコートを脱いで座布団に座る。しばらくして、お盆の上にお茶と茶菓子を乗せて神主さんは現れた。
「どうぞ。」
そういって出されたのは桜餅だった。それも関東では定番のクレープのような生地であんこを包んだ桜餅ではなく、関西で定番の道明寺粉を使ったピンク色のおはぎのような桜餅だった。
「えっと…」
意味を量りかねて、神主さんに答えを求める。
「この桜餅が佳代さんにお渡ししたいものです。」
さらに混乱する私に、苦笑いしながらもすんなりと答えてくれた。
「今日の昼過ぎに店の前に来る奈々と言う女の子に桜餅を食べさせてやって欲しいと、下の店主に頼まれていました。」
「おじさんが?」
優しく笑うおじさんの顔を思い出す。
初めて私が和菓子屋を訪れたのは5年前の大学2年生に上がる春休みのちょうどこの時期だった。近所に住む友人宅からの帰り道、何気なく私の目にはいったのは和菓子屋のガラスケースに綺麗に2つ並べれていた桜餅だった。関西から出てきた私にとってとても懐かしく馴染み深いつぶつぶの桜餅がそこには売られていた。もちろんその隣にはしっかりと関東風の桜餅も並べられてたが、私は迷わず関西風の桜餅を注文していた。そのときのおじさんの驚いた顔は今でも忘れられない。久しぶりに出くわした故郷の味に嬉しくって浮かれているとおじさんは、ここで食べて行くかいとお茶を出してくれた。優しそうなおじさんの笑顔につられその日は暗くなるまでおじさんと話してしまった。それから一年に一度だけ桜餅を買いに、おじさんと話をする為に4月の第一土曜日は和菓子屋と訪れるようになっていた。
神主さんは店主のおじさんから聞いたこれまでのことを話してくれた。
「その桜餅を作ったのは気まぐれだったそうです。」
初めて私が訪れた日、おじさんはたまたま知り合いから貰った道明寺粉ではじめて関西風の桜餅を作った。量も少なかったので作ったのは4つほど、2つは奥さんとおじさんが食べ、残りの2つを関東風の桜餅と並べて売り出した。しかし売れるのは関東風ばかりで、やっぱりかと思っていたところに私が飛び込んできたのだと言う。嬉しそうに桜餅を見つめる私の顔を見て、思わずお茶を出していたらしい。また来年も食べに来ますと言う言葉を信じて、ためしに翌年作ってみるとまた私がやって来て美味しそうに桜餅を頬張る姿が今でも忘れなれないと笑ってたそうだ。
「1年に1度だけ4月の第1土曜日に並ぶ関西風の桜餅が美味しいとここ数年噂になっていたんですよ。他の日にも出して欲しいと常連さんが何度言っても店主は作ろうとしなかった。頑固な人ですよね。」
1年に1度だけど私にはとても大切な時間だった。まるで、故郷に帰ったかのようなゆったりと流れる時間をおじさんも大切にしていてくれたみたいで嬉しかった。
懐かしそうに話す神主さんの表情を見て、先ほどの嫌な想像を思い出す。
「お店はどうして閉まっているのですか?おじさんは今どちらに?」
否定して欲しくって、神主さんをすがるような思いで見つめる。神主さんは私から視線を外し、桜餅を見つめる表情は少し暗い。
「お店は昨年の5月に暖簾を下ろされました。」
その言葉は聞きたくなかった。何も言わない私の目を見て神主さんはゆっくりと口を開く。
「店主が脳梗塞で倒れられたんです。」
「うそ…。」
「嘘ではありません。」
ありえない、だっておじさんは私の父と同じ年で57歳になるはず…それに去年会ったときは元気いっぱいだった。
「じゃぁこの桜餅はどうしたんですか?」
はっと思い出したのは、先ほど見た袴姿の神主さんとその手にもったスーパーのビニール袋。しかし、売り物にしては形は歪でとても美味しそうには見えない代物だった。
涙をこらえるのに必死な私をみて神主さんは優しく微笑んだ。
「不恰好ですまない。と店主から言付けを頼まれました。」
そういうと桜餅の乗った皿を私の前に近づけた。
「店主は今リハビリに励んでいます。幸い後遺症も軽くゆっくりであれば普通に生活できるそうです。」
その言葉に私はほっとした。我慢していた涙がこぼれだす。涙を手で拭きながら、ゆっくりと優しく話す神主さんの言葉に耳を傾ける。
目も前には歪な形の桜餅。私のために半年前から練習してやっとここまで作れるようになったそうだ。
「ここまでこれたのは佳代さんのおかげだと奥さんがおっしゃってました。」
おじさんの隣でやさしく笑うおばさんの顔を思い出す。そっと桜餅を手に取り、かぶりつく。ゆっくり確かめるように味わう。
「美味しい。」
形は確かに不恰好だか、味はおじさんの笑顔に良く似た優しい味だった。懐かしい故郷の味がした。いつもは二口で食べてしまうが今日はゆっくりと時間をかけて味わう。
「どうぞ。」
神主さんがそっとティッシュを貸してくれた。きっと今の私は涙と鼻水で見れたものじゃないだろう。
「ありがとうございます。」
ありがたく受け取り、涙と鼻水をふき取る。ゆっくりと桜餅を食べている間、神主さんは何も言わず優しく微笑みながら向かいに座っていた。やっとのことで食べ終えた私は、鞄から財布を取り出す。
「お代を…。」
「店主からこれは売り物ではないから金は頂くなときつく言われてます。」
言葉を言い終わる前に断られてしまった。先ほどとは違い力強くこちらを見る神主さんにはいくら言っても受け取ってもらえないだろう。あることを思いつき、崩していた足を座りなおし神主さんに向き直る。
「では、ひとつお願いがあります。」
「お待たせしました。」
そう言って板の間の本殿に入って来た神主さんは最初に見た袴姿ではなく当たり前だが正装で現れた。
「よろしくお願いいたします。」
居住まいを正し頭を下げる。神主さんがこちらに一礼した後正面へ向き直る。一拍置いたのち本殿に神主さんの声が静かに響き渡る。その声は先ほどまで聞いていた暖かく優しいものではなく、どこまでも伸びやかで凛としたものだった。その声を聞きながら、おじさんの優しい笑顔を思い浮かべる。誰かの為に、こんなにも神に祈るのはきっと人生で最初で最後。だからどうか、神様よろしくお願いします。
「ありがとうございました。」
祈祷を終えて境内をふたり並んで歩く。お札は神主さんから渡してもらうことにした。
「来年もきっと食べれますよね?」
境内の片隅に1本だけ植えられた桜の木が目に入った。満開を迎えた桜は、時折吹く風で花びらを散らしとても綺麗だった。
「ええ。…来年と言わず来月いらして下さい。」
その言葉に思わず、神主さんを見上げると、カチリと目があった。その目には優しさではなく色気のようなものを感じドキドキしてしまった。
「店主の息子が修行を終えて、来月から店を再開させるそうなんです。だから…柏餅でも食べにいらして下さい。」
微笑みながらも真っ直ぐ見つめてくる神主さんの視線に耐えられず、私から視線を外してしまった。顔が赤くなるのを感じ、誤魔化すために下を向く。
「はい。そうさせて頂きます」
そのまま顔をあげることなく階段を早足で下りた。下りきったところで振り返れば澄み渡った青空を背景に神主さんがゆったりと立っていた。もう一度だけお辞儀をすると足早に駅へと向かった。
GW初日。電車30分ほど揺られ、駅から真っ直ぐ伸びる坂道を上ると和菓子屋さんが徐々に目に入ってきた。1カ月前の重く暗い姿とは違い、今日は木戸が取り外され短めの白い暖簾が春風に吹かれゆらゆらと揺れていた。そして、ガラス戸の向こうにはおじさんの姿が見えた。椅子に座り新聞を読みながら店番をしているようだった。ガラス戸を開け中に入れは、おじさんは優しく出迎えてくれた。桜餅が美味しかったと伝えれば、今度は顔をくしゃくしゃにして喜んでくれた。聞いていた通り動作はゆっくりだったが元気そうで安心した。店の奥から奥さんと息子さんが現れ、こちらが申し訳なくなるほどお礼を言われてしまった。神主さんと同じ年ぐらいの息子さんに柏餅を包んでもらい店を後にする。
深呼吸をしてからゆっくりと石段を上り始める。石段の両脇に植えられたもみじの若葉も1カ月前よりも生い茂り、その隙間からこぼれる日差しはキラキラと輝いていた。気持ちを落ち着かせるためにゆっくりと石段を上ったはずなのに、上まで来たときには少し息が切れていた。立ち止まって息を落ち着かせていると本殿の方から神主さんがやって来た。
「こんにちは。」
今日も袴姿だが、ビニール袋の代わりに竹箒を持っていた。
「こんにちは。」
神主さんに一歩近づき右手に持っていたビニール袋を真っ直ぐ目の前に掲げて見せる。不思議そうに首を傾ける姿は年上だけど可愛いと思ってしまった。
勇気をふり絞って神主さんに話しかける。
「あの、柏餅はお好きですか?」
その言葉を聞いたとたん神主さんの顔がぱっと笑顔になる。
「はい、好きです。…では、社務所で一緒に食べましょうか。」
そう言ってまたひとり社務所に向かって歩き出す神主さんの後を、慌てて追いかける。追い付き横に並べば、笑いかけてくれた。
春の日差しのように柔らかく暖かいその笑顔に、私の恋の芽はまた少し大きくなった。
最後まで読んで頂きありがとうございました。「桜」をテーマに書いたはずが「桜餅」がテーマになってしまいました。…花より団子なのは私です。関西で生まれ育った私にとって東京で初めて見た桜餅の衝撃が忘れられずこんな話になってしまいました。最後になりましたが、桜木琉歌様とても楽しい企画ありがとうございました。