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距離と焦燥と恋慕 05

 ミスったよ、ああもう。

 私は真っ暗闇の殺人現場の中で目の下にクマを浮かべて座っていた男の顔を見て肩を落とした。

 最悪ではなかったのは彼が知り合いだったということだろうか。

 不健康そうな顔をしているが、目だけはギロリとよく動く。

「別の男の名を呼ぶとはいい度胸だな、文」

「それ以上いわないでよ、私自分で思っているより小向さんの考えが読めずに泣きそうなんだから。ここじゃないならあっちの屋上だ。ああもう赤っ恥」

 知り合いの男性の横で頭を抱えてしゃがみこんでうめく。

「でも文、お前ここの記憶は親父殿に無くされたんじゃないのか?」

「無理やりこじ開けた。ちょっと休憩してから行かなきゃ。あああああもう、気が抜けた」

「……」

 男性はジッポライターでタバコに火をつけると、そのまま消していたロウソクに灯りをともしていく。

 ぼんやりした光でも目にきつく、少しだけ目を瞬いて慣れようとこころみる。

 花と多少のお供えがぼんやりと明るくなった血が染み付いた床に置かれていた。

「今日、ハルキの命日って知ってた?」

「知らないよ。ってかなんでいるの、トセ」

「命日だからな。ハルキは文争奪の敵の仲でも保護者として好敵手として認めていた男だった。男には謎の友情が芽生えることがある。覚えておけ」

 トセのタバコの煙を吸いそうになって、距離を置いた。

 彼のタバコは市販のものではなく葉っぱが特殊なのだ。

 こんなコンディション最悪なのに加えて、立地条件もやばいのに吸ったらバッドトリップする。

「文」

「何よ」

「さらっていいな」

 ここ数ヶ月平和ボケしていたことを痛感する。

 そうだった、私のストーカーやファンで生き残ってる奴は一筋縄でいかない。

 トセと呼んでいる麻薬中毒者も例外ではなかった。

 仄明るいそこで伸びてくる腕を間一髪で避ける。

 蹴ったロウソクの明かりは消えて、再び暗闇に部屋が沈む。

 入り口を彼に押さえられているということは、逃げ場がないと同意義だ。

「小向がずいぶんと裏で工作していてな。お前の戻ってきた姉に手をだそうとした他のやつはなぜか事故で骨折ったりするし。ずいぶんと優しい目をするようになったな」

「自覚はないけどね」

 ジリジリと移動する。

 タバコの火があるから、彼の場所がわかるのはいい。

「勿体無いということ。行くぞ文」

「知らない、行かない。馬鹿じゃない」

 トセのタバコの火が床に落ちる。

 迂回するように移動しようとしたが肩に腕を回されるように捕獲された。

「遅い」

「トセが人外に早いだけだ。離せ馬鹿」

「やだな」

 煙の匂いが嫌だったのでもがく。

 薬関係や消毒薬の匂いは好きになれない。

「大丈夫だ。すぐに良くなる」

「気づいたときには立派な薬中になるなんてまっぴら御免だ。離せトセ、私は小向に会いに行くんだ。彼に会わなければならないし探さなければならない」

 それが彼の癇に障ったようだった。

 私を拘束したまま彼はタバコに火をつけてこちらの口に持ってくる。

 吸わされまいと抵抗する。

「オレだけ見て、オレだけ感じて、オレだけに溺れろ。お前の頭の中はオレだけがいればいい」

「い、やっ!」

 男女差には勝てず、彼の大きな手に顔半分を覆われるように口を塞がれる。

 その手にはタバコ。息を吸えば自動的に煙も吸うことになる。

 思わず暗闇に関わらず目をつぶった。

 吸引は嫌だ、私はクスリと一般的に言われるものは大嫌いだ。

 気が遠くなる。


 目が覚めると、青空が見えた。

 綺麗な青と微妙なコントラストの白に目を奪われる。

 しばらく見とれてしまって、どうして自分がここにいるのか考えなかったぐらい。

「そうだ、トセ」

 頭を上げると、そこは中学不登校時代に散々入り浸っていた屋上だった。

 初めて、小向先輩と会った場所でもある。

 気を失っている間になぜか目的地についていた。

「起きたかい文」

 重い扉が開いた音で振り向くと、手にコンビニ袋を提げた小向先輩がいた。

 家出して行方不明とは思えないほどのいつもどおり。

「……やっぱりここだった。探し間違えた」

「ここが候補に挙がってたなら何であそこにいたんだい」

「だって、人が入った形跡あったし、自暴自棄に小向さんがなってたらあそこに行くかなって思ったんです」

「蓋を開けるとオニが出るのはさすが文としかいえないね。まあ俺も確かに行ったから間違いではない」

 彼がアイスティーの缶を開けて渡してくれる。

 それを受け取って、口をつけてから思った。

「小梅先生あたりだ」

「え、小梅ちゃんがどうしたの?」

「いいえ、別に」

 年の功の発言にはかなわないということ。

 隣で小向先輩は缶コーヒーを開けてから、オヤツらしい菓子パンの封を開ける。

「美味しいけどカロリーが気になるよね」

「……トセは?」

「指弾打ち込んで逃げてきたから知らない。とりあえず煙吸わせた分は殴っておいた」

 視線は合わせない。

「何で行方不明になったんですか。馬鹿ですか。副会長心配して私の教室に来て待ってました」

「ちょっとへこんでた。それぐらいいじゃないか」

「捜索願だされていいじゃないかとは言えないと」

 彼がゲとあせった表情をしてから顔を手で覆うのを横目で見る。

 少しだけおかしかったので、声をかみ殺しながら笑った。

 馬鹿みたい。

「いいんです、会えましたから」

 彼のほうを向いた。

「小向さん、こっち向いて。もう怒ってませんから」

「……いや、それはわかってるけど」

 なかなか彼が私のほうを向いてくれないので、強制的に向かせた。

 手を伸ばして彼の頬を両手でこちら側に寄せる。

「あ、文?」

「ありがとう、小向」

 お礼の言葉を述べた。

 彼の顔が赤いけれど気にしない。

「でもね、ハルキさんのことはもういいの。ちゃんと思い出せたから。全部じゃないけれど思い出せたから。だから、あなたはあなたでいいんだよ。私は昔のあなたが好きだもん」

 怖くて危なくて臆病で、本当は自分の欲望があるのに私の意志を尊重してくれた。

 それが、私が彼といる理由。

 自分でも思うエゴイストさに、彼だけは付き合ってくれていた。

 私が、周りの欲望に付き合っている中で、ただ一人だけ。

 我慢強くて寂しがりやさんの彼。

「私、好きですよ。小向のこと」

 はっきりと伝えて、彼の額に自分の額をくっつける。

 こうやって、私の考えている漠然とした答えが彼に伝わればいいのに。

「付き合うつもりはないですけど、好きです」

「……そこは前の句なしで言ってよ。本当に文は」

 動く唇が近い。吐息が熱を帯びていた。

「それが、私ですから。……心配しました、事件か何かに巻き込まれたのかと」

「ごめん」

「自分の世界を大事にしてください。粗末にする人は嫌いです」

「うん。後でみんなに謝るよ。だから文も許して」

「死なないで。私、もう忘れないし忘れないようにするし忘れさせられないようにしますから」

「―――――――わかった」

 その言葉に安心して力を抜いて離れようとすると、小向先輩が私の体を抱きしめる。

 顔は肩口にあたり、その分体が密着する。

 彼の心臓の音がとくとくとよく聞こえた。

「ちょっとだけこのままでいさせてよ文。これ以上は今日は望まないから」

 明日以降は望むかもしれないかというツッコミを抑えた。

 嬉しそうに微笑んで目を閉じる彼を見るとその言葉もどこかに消えてしまう。

 お互いの飲み物がぬるくなるまで、しばらく私たちはそうしていた。

 人を好きになるって、何も付き合うだけが好きの表現じゃない。

 慕うからこそ、縮めるべきではない距離もある。

 焦燥に駆られる感情もある。

 私は、両親の姿を見て、死んだ初恋の人を思って繰り返すものかと決意した。

 小向先輩は、きっとお姉さんの死を思い出すのだろう。

 零の距離はお互いを傷つけて、時に想い人を死に至らしめる。

 それだけは嫌だった。


 翌日、昇降口でバカバカと叩かれている小向先輩を目撃する。

 上級生下級生見境なく心配したという声と共に。

 その一言一言に律儀に返す彼の言葉だけが人ごみにまぎれて聞こえた。

「会田」

「ああ副会長先輩、昨日はどうも。いちよう見つけてきました」

「聞いたよ。色々大変だったようでごめん」

「いえ、付き合いも長いので。それに一回目は結果から見ればはずしましたし」

 どうして私あの屋上思いつかなかったんだろうな。

「文」

 声をかけられて、人をかきわけて小向先輩が私の前にたつ。

「……何か」

「あのさ、もう俺から文に付き合ってって言わないから」

「そりゃまたなんででしょうか」

「だって、文困らせたくないもん。その代わり」

 彼が二人きりのように私を抱きしめる。

「俺、文が付き合ってって言えるようになるまで待つ。気長に待つ。それでもスキンシップは適度にするし、好き好きは絶対言う」

 周りが固まった。

 それ、逆効果だ。なんて発言も聞こえた。

「わかりました。適度なら構いません」

 私の発言にええええと周囲が叫んだが無視。

「うん。文もその気になったら俺に告白してくれな。二十四時間いつでも受け付ける。もちろんデートも」

「その気になったら。とりあえずこの前の報酬のデートがまだですが、夏休み皆で海か山行きませんか?姉のカケに勝ったのでアシはあります」

 先輩はその提案にこころよく乗ってくれた。

「じゃあその計画に誘いたい人間は考えておいて。場所の計画はいくつか考えておくよ」

「わかりました。また放課後誘ってください。たまに答えます」

 私は離れてから頭を下げて、階段をあがって自分のクラスに向かう。

「いいのかよ晋作」

「いいんだよ。今は」

 その発言を聞いて私は振り返って声を投げる。

「まあ今の好きが告白レベルになるのはそうとう長い目で見るつもりですよね、小向さん」

「いいんだ、文俺のこと好きだもんな」

「好きですけど?それが何か?」

 返事が返ってこないのでそのまま階段を上がりきる。

 それを隣でたまたま聞いていた花岡があきれた様につぶやいた。

「会田さん、会長さんのこと好き……?」

「好きよ?彼のことを嫌いなんていったことたぶん無いし」

「うー……?」

「花岡のことも好きよ?でも付き合ってなんていわないでしょう?」

「ラブじゃなくてライク?」

 花岡の導き出した答えにちょっと違うと答えて教室に入る。

 ただ、ちょっとだけ普通と違うだけだ。

 私だって人を好きになる。

距離と焦燥と恋慕 おしまい


曖昧に考えているむこうにある答え


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