距離と焦燥と恋慕 03
姉が戻ってこないので、ニャーさんとお土産の焼き菓子の封を開けて食べる。
「史緒はねー赤沼の兄貴のお気に入りなの」
「それは知ってます」
「でもねー命の恩人だから借りを返すまで殺さないのよ。ロマンよね」
「あの状況で馬鹿かと思ったがな」
苦虫をつぶしたような赤沼さんの言葉。
助けられた本人にとっても複雑な思い出なのだろう。
「それは姉が凄くお人よしだと思いますが赤沼さんも同じかと。あなたの実力なら姉なんて2秒とかからずでしょうに」
姉のお人よし度は午前中に自分を殺しに来た殺人鬼に午後にはお茶をおごって貰うほど強力な効果がある。
『史緒には負けた、殺る気が削げる。その才能に脱帽』
そういったのは……あれ、ハルキという男の人だ。
「どうした?」
「いえ、少し。姉の過去に呆れてただけです」
嘘をついて、しばし思い出したことを掘り返す。
……そうだ、姉を殺しにきた人だ。ハルキさんって。
その中で一番史緒姉と親しかった人。
どちらかといえば篠原さんと似た立場の人だった。
姉や私の良きアドバイザー。
「文?」
ニャーさんに声をかけられたが、もう少し思い出してみる。
大丈夫だ、こっちには洗脳の鍵がかかっていない。
会わなくなったのは……姉の失踪よりもっと後だ。
中学の入学式に迎えに来てもらった記憶が残っている。
『史緒の代わりにはならないけど、もうちょっとだけ見守らせてな』
『……史緒お姉ちゃんは?』
『さあ、ただオレのことは忘れて生きてるはずだ』
『史緒お姉ちゃん、ハルキさんのこと大好きっていってたよ。抱きつくぐらい。でもろりこんって』
『あはは。否定できねー。でも忘れて、いや忘れさせた』
彼の特技はいったいなんだったか。
パリンと何かが割れた音で意識が表側に引き戻された。
まずい、湯飲み落とした。
「ごめんなさい、ちょっと」
「いいよ、薄い湯のみ茶碗だからちょっと割れやすいのよね。それより大丈夫?真っ青よ」
「大丈夫です。ちょっと思い出したらふるえが」
姉が思い出さないのはどうやら私と同じ理由と別の原因のようだ。
彼女は存在さえもわからないようにしていたし、嘘を言っているようにも見えなかった。
でも足取りはつかめた。
「文、おまたせ。どうかした?」
「ううん。ただ湯のみ茶碗落としちゃって、これから片付けるところ」
いつもどおりの顔で姉にそう返事をして、散った欠片を拾い集める。
悔しいけど、やっぱり姉といると厄介事の固く縛られた紐のような出来事を解くきっかけがわかる。
この後沙門さんのところに行くと姉が話したら、ニャーさんが付いていくと身を乗り出した。
「どうせこの時間からってことは店のほうでしょ?久しぶりに顔だすわー」
「それは沙門も喜ぶ」
お店って……沙門さん他にも仕事しているのだろうか。
私はてっきりAIの営業でいろんな場所を転々しているのかと。
「ニア、お前は行くな」
「なんで。まだ私若いのよ。赤沼の兄貴。どこぞの誰かと違って枯れてないの」
「……表に出るか」
兄弟弟子コンビが騒いでいる間に師匠もといニャーさんのお父さんは黙ったお茶を史緒姉から受けとって飲んでいる。
姉も姉で勝手を知ってお茶いれてリラックスしてるし。
「史緒姉、沙門さんって何やってるの?」
「ホストクラブのオーナー」
「……今すごく納得した。元ホストってそういうことか」
「商才はあったからね。私が転がり込んでいたときの資金とコネで2年前に開店して、そこそこ稼いでる。忙しいときは私も黒子で手伝いに行ったわ」
ちなみに開店時からのお得意様と姉はニャーさんのことを指でしめした。
「っていうか、そんな店に連れて行こうとしないでよ姉」
「店で働いてる男性の紹介から依頼なのよ、次のAIの仕事。沙門が受けるかどうか社長判断に委ねるって話したからまだ仮だけどね」
「その待ち合わせ場所が沙門さんのお店と」
「そういうこと」
姉はにっこりと笑って私の頬に指でくるくると二重丸を書く。
ガキか、姉よ。
結局ニャーさんは赤沼さんの一撃をくらって気絶したので同行しない。
夕方だからこそ人気の多い歓楽街。
姉に手を引かれて、その街の中を進んでいく。
「史緒ちゃーん、よってかないー?」
「ごめんなさい今日は仕事なので」
どうしてか、姉に声をかけるのは水商売の女性ばかり。
「何でさ」
「姉に聞くな。あー……沙門の愛人さんとは何故か仲良くなってね」
言葉を濁したあたり、そのつながりなのだろう。
通りに面した、ある店で姉は立ち止まった。
「ここ」
「クラブ……」
恋文と漢字が二文字。こいぶみ、と読むのだろう。
「ああ、史緒姐さん。」
扉から出てきた女性が声をかけてきた。
黒服の女性が姉の姿を見て駆け寄ってくる。
地味な和風顔の女性だ。
でも、年齢は姉とそう変わらない大学生ぐらいに見える。
アネさんですか史緒姉。
「仕事でね。元気でやってる?」
「元気ですよー性分にも合ってますし!あ、お連れさんは……」
「うちの妹。沙門は来てるかしら」
「今、朝礼終わったばかりですから。そっか、妹さんかぁ美人さんじゃないですか、お肌すべすべー」
何か無言を通したほうがいい気がして、頭を下げるだけにとどめておく。
中にとおされると、さすがに男性ばかりだが女性もちらほらといる。
「史緒姐さん、お疲れ様です」
「どうも、アキラさん。依頼主に会う前に話を聞きたくてね沙門とあなたと一緒でいいかな?」
「もちろんです」
仕事の話している間私はどうしてればいいんでしょうか史緒姉。
「文はそこらで目の保養でもしておいて。沙門がすぐ来るから」
「お嬢さんようこそ恋文へ。フロアマネージャーのアキラと申します」
「ご丁寧に」
頭を軽く下げる。
美……形というよりは美中年に近いかな。
美少年が年をとって美青年になるのかわからない以上に美形がかっこいい中年になるかわからないから、彼はそういう点ではうまくいったタイプなのだろう。
ホストスマイルというよりは沙門さんと同じ警戒心を解く笑顔だ。
「かわいいでしょ」
「可愛いというよりは美少女という単語のほうが似合う女性だと思います。AIの新しいメンバーですか?」
「いいえ、私の妹なの」
アキラさんの表情が一瞬こわばった。
似てねえと思ったな。私と姉の顔は母似と父似で違うから、一目だけでは姉妹だと気づかれないことがほとんどだ。
「これは失礼。なら、トオルと一緒に」
アキラさんはトオルと男性の名を呼ぶ。
「はいはい。トオルです……って史緒の姐さんだおひさしぶり」
……上手く男装しているけど、この人女性だ。
「史緒さんの妹さんの文さん。私とオーナーと史緒さんが話している間お相手を。」
「姐さんの妹ということは未成年っと。わかりました。文さんどうぞこちらへ」
女性に手を引かれて姉と別れる。
「カウンターがいいかな?オレ、トオルですよろしく」
「文です。……女性ですよね?」
「そうそう。ここ従業員に女もいるから、雇ってもらえてさ」
サバサバした対応を見せるトオルさんは私をカウンター席に座らせて、自分はカウンターの中に入る。
どうやらバーテンダーとして雇われているようだ。
「ノンアルコールカクテルでいい?」
「お願いします」
下手に男の人に相手させるよりいいってことかな。
開店したばかりだというのに、仕事帰りの女性が入店してホストに出迎えられている。
基準はわからないがはやっているようだ。
「どうぞ。サマーデライトです」
一口飲むとわかる、不思議な味の炭酸カクテル。
飲みなれていないからだな不思議に思うのは。
ライム……となんだろう。
「ライムジュースとグレナデンシロップですよ。それに少しシュガーシロップも」
「普通のジュースではどちらも使われない素材ですね」
「せっかくこういう場所に来たからには外側だけでも味わっていって。お酒は二十歳を過ぎてから」
それを言う時の仕草は妙に女の人を誘惑する指の動きだった。
もてるだろうな、彼。と思ったが後で女性だったことを思い出して自己嫌悪に陥った。
「トオルさん、キッスオブファイアとムーンライトを3番テーブルに」
「わかりました」
トオルさんの仕事と店の観察を交互に見ながら進める。
方針なのだろう。ホスト同士が呼び合うときはさん付けを忘れない。
聞いたら、仕事中も呼び捨てが許されるのはオーナーとマネージャーだけだそうだ。
「それでもオーナーはさん付けだな。仕事中は」
「まじめだな」
「というより、部下に対して不敬を働くやつはまともな仕事ができないってことらしいよ」
経営上の理念か。
「トオルさん、その子は?」
「史緒姐さんの妹さん。あいさつだけにしておくのがいいかと」
「こんばんわ」
さっきから、隅に座っているのに妙に男性が話しかけてくる。
仕事しようよ、と思ったがカクテルを取りにきたりで入れ替わりで顔を覗きにきている。
「いいよな、美少女」
「それは本日5回目です」
トオルさんも苦笑いだ。
「もてるね」
「黙っていれば伝説がありますので」
ん、男性のお客さんが案内をされて入ってきた。
薄暗いから見づらいけど、どこかで見たような顔だな。
「AIのお客だ。とうとう国家議員を相手か」
「史緒姉……本当に5年間何やってたんだ」
こんなむちゃくちゃあってたまるか、とカクテルに目を落とす。
「でも、皆さん男性が来店したのに変に思われないんですね」
「あー、来るからな。フロアマネージャーがその手の相手が得意でさ。今でも週に何度かはマネージャー指名で来る。こっちの業界では有名な話だから、客もこっちも驚かない」
なるほど歓楽街の常識ってやつか。
それから再び観察して、自分の中のイメージの差異を修正していく。
「ホストクラブってもっとやかましいイメージがありましたけどそうでもない」
「店ごと違うからね。ここはターゲット層が高めだし、会話目的の女性がほとんど。オーナーがそういうコンセプトでホスト集めたし、会話ができるなら女も店に雇い入れてる。今日は静かに飲みたいって客はカウンター席を指定するから」
ってことは価格設定は高めか。
カクテルもノンアルコールがよく出ているみたいだし、お酒が飲めない女性も来店しているのだろう。
カクテルが作られていくのは魔法の液体ができるみたいで美しいし面白い。
「さすがにトップホストの誕生日にもなるとそれなりに騒がしいし、オーナーの誕生日なんてそこらの水商売の女性がバカバカ注文してって困るけどな」
「忙しいんですね」
くすくす笑いながら、想像してしまった。
沙門さんのお仕事姿ってどんなかんじなんだろう。
「噂をすれば、だ」
トオルさんが目線でそちらを見るように促す。
振り向けば、姉が沙門さんとアキラさんと共に先ほどきたお客さんを見送っていくところだった。
姉は男性と握手を交わしていた。
行動から予想するにおそらく姉は仕事を請けたのだろう。
アキラさんと姉が話している間に沙門さんが私に気づいてカウンターにやってくる。
「お久しぶり、文ちゃん。ずる休みだって?悪い子だな」
「気分転換です。相変わらずのスーツですね。何着持ってるんですか」
「いっぱい。トオルさん、オレに水割りくれる?」
「わかりました」
沙門さんが私の横に座る。
「……」
「何?黙って。惚れ直した?」
「こういうところにいるとホストですね」
「いや、じゃあいつもはどう見えてるんだ」
「史緒姉の刷り込み済みのコガモ」
トオルさんがボトルを落としそうになりながらも笑いを堪えた。
傍にいた女性客とその相手をしていたホストも体を震わせている。
「トオルさんー、早くー」
「す、すいません。文の発言がツボにはいって」
こほんと咳払いをした沙門さんが私のカクテルに手を伸ばし、口をつける。
「サマーデライトか」
「最後の一口が……」
「オレの作る前にコンクラーベ作ってあげて」
新しいカクテルの名前がでる。
それが作られている間に沙門さんが私の頬をそっとなでてきた。
彼のほうに視線をむける。
「史緒が相談乗ってくれって。お姉ちゃんはどうせ役にたたないもんって拗ねてたぞ」
「気づくのにどうして発言で台無しにするかな姉は」
しかし、変態同士でもしかしたら回答が得られるかもしれない。
「私のことが好きらしい先輩の行動がまったく持って読めません」
「……話してごらん」
私はぽつぽつと球技大会からの一連の話をした。
一緒に聞いていたトオルさんのほうが顔を青ざめていた。
「以上です」
「……文って史緒以上に罪な女だよな。相手を陥れることにいたっては。自重で相手が潰れるのは確かに何もしてないのに、か。」
「自分を譲る気はありませんから」
ベリーとオレンジのカクテルを口にしてのどを潤す。
「まずな、いじめっ子をどうしたほうがいいな。きっとその先輩は文にちょっかいだしてる人間が学校にいると思ってなかったから、昨日の文の発言でやっと気づいたと思う」
「どうって」
「やめさせる方法は様々だ。」
アドバイスをいくつかもらってから、沙門さんは私と目線を合わせた。
「文が彼のことをどうしたいか。もう一度よく考えてごらん。答えはきっと胸の中にあるし、それを見つけないとその子死ぬよ」
「……死にますか」
「うん。だから死なせたくなかったらよーく考えてな。いつでも電話して。ヤッてる時は無理だけど」
「そんなときに出られても逆にこっちが困ります」
「文が望むなら手ほどきするから」
何のだ。姉にいいつけるぞサチリアジス。
「間に合わないことなんて何一つないんだ。人生、命をかけたりおとしたりしてまで求めることなんてなにもない。それに気づいてくれたらいいな、文」
私もそう思ったのだが、きっと沙門さんのニュアンスと私のニュアンスって違うんだろうな。
帰りの車で姉に聞いてみた。
「どうして沙門さんは姉をひろったの?」
「さーて、何でだろう。本人は仏門的に未練があったからっていってたけど」
「……襲われなかった?」
姉の貞操を気遣ったわけではないがきいてみた。
「ないない。沙門の趣味じゃなかったんじゃないかしら。でも雑食というか節操が無いというかいろんな女性は連れ込んでいた」
そこに解を求めるのならば、沙門さんは姉のことが好きなのだろう。
軽口ではなく、もっと深い意味で。
「姉も罪な女だ」
「何それ、沙門にいわれたの?」
「べつにー」
気づいてないのは当人だけか。
でもそれって、きっと私にも当てはまる。
自覚しようと思った日
でも自覚するってわからんと悩んだ日
ヒントを手に入れ気分転換して
舞台は学校に戻りますが……ねぇ




