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灯りの下の約束

掲載日:2026/01/23


【固定】

始めまして、三軒長屋サンゲンナガヤ 与太郎ヨタロウです。

ゆっくりと物語の中の世界を、楽しんで頂けると幸いです。



挿絵(By みてみん)



 寒くないと言えば噓になるな。

そもそも今夜は雪が降っているし、アスファルトに触れる肉球から、湿っぽい冷たさが耳先まで響き、ピクピクと、自分の意思とは関係なく動いてしまう。

夜の闇に紛れるのにもってこいの黒い毛並みも、ちらつく雪のせいで台無し。

白い小さなまだら模様になって、僕の存在を浮かす。

昼間、せっかく綺麗に整えたのに……また後で毛づくろいしなくちゃならない。

総合的に見て、あんまり良い夜じゃないな。


 ジャラジャラと金属の音がして、僕は肝を冷やす。

ただでさえ寒いのに、迷惑な話だ……と、眉間に皺を寄せる。

僕はそれが、犬の散歩の音に聞こえたから。

この辺りに棲む大きな犬。

不細工に頬の肉をたらし、おまけに涎も垂らし、人間に鎖で繋がれているくせに、偉そうに吠えてくる。

僕はあいつが嫌いだ。

あいつを連れている人間も嫌いだ。

わざわざ大層な鎖を用意して、騒々しい音を立てるのも。

「やめんさい」と言葉を吐きながらも、ギリギリまで鎖を緩める神経も。

そもそも匂いが嫌いだ。

あのけばけばしく不躾な匂い。

確かに、性格やら態度やらとはマッチしているけど、周りの迷惑など考えない、周りの意思など汲み取らない、そういった思考が透けて見えるあの匂いが。


 今夜の鎖の音は、“そいつら”ではなかった。

ぽつりと立つ街灯の下、ぽつりと立つ人間の女。

その手元に抱えられているバッグについた鎖が、女が動くたびにジャラジャラと音を立てていたのだ。

僕はホッと胸を撫で下ろす。

思えば、いつもの鎖の音よりも、随分可愛らしい音だった。

僕が少し、敏感になり過ぎていたんだな……と。


ただ、これはチャンスだ。

全身に散りばめられた雪を払うチャンス。

冷えた身体を温めなおす絶好のチャンス。

大抵の人間は、僕を見ると撫でずにはいられない。

これは遺伝子レベルで組み込まれた定めに近しい現象だから。

静かに近づき、女の足首に擦り寄る。


よりによって革のブーツ。

キンキンに冷えているし、湿っている。

ゴツゴツとしたベルトのパーツも相まって、肌触りは最悪だ。

それでも、ここは我慢。

すると……ほら、女がしゃがんだ。

僕は、先ほどまで届かなかった、ブーツの上の太ももを手に入れる。

程よい弾力と、脈打つ温かさ。

僕は、人間の身体のパーツで、ここが一番好きだ。

ちゃんと爪も隠せるタイプの女。

香りもほのか。

気に入った。

僕は、あわよくばしゃがんだ女の太ももの上に飛び乗ろうと、女の顔を伺う。


 女は、泣いていた。

僕に負けず劣らずな大きな目から、涙とやらを溢している。

うねうねと捻じれた髪には、雪が付着して、重たそうに湿っている。

随分と長い時間、ここに立っていたのだろう。

それにしても綺麗な顔だ。

僕には劣るが、さぞ撫でられ上手であろう。

それなのに、何を泣くことがあるのか。


まあ、そんなことはどうだって良い。

僕は知っている。

これはOKに等しいサインだ。

寂しい人間は、僕を抱きたがる。

お互いにちょうど良いってことだ。

僕は、女の太ももの上に飛び乗る。

女は、僕が座りやすいようにと、ぎゅっと両膝をくっつける。

控えめに撫でる女の指の感触を愉しみ、喉を鳴らす。

一転、良い夜だ。


 不意に、女が話しかけてくる。

「君は良いね。強くて、逞しくって、おまけに優しくて、可愛くて、愛されて」

「そうだね」と返す。

「それに比べて私は、捨てられたことを認められなくて、ずっとここから動けない。もう随分と時間が経つから、捨てられたんだって頭では分かっているのに、心が粘るんだ。まだ分からないって……あの人の気持ちも、まだ戻ってくるかもしれないって……」


僕は呆れたね。

やっぱり人間って奴は傲慢だ。

頭で分かっているなら、それが真実さ。

それに、僕に相談するのも良くない。

僕は君の言葉が分かるけど、君は僕の言葉が分からないんだろう?

人間がたまに馬鹿にしたように真似してくる、「にゃ~」としか、聞き取れないんだろう?

それでは、僕には返す言葉が無いじゃないか。

君たち人間は、そうやって僕を苦しめていることも知らない。

だから、傲慢なんだ。


でも、今夜は気分が良い。

それが君のおかげであることもまた、確かな真実だ。

だから特別に僕の中の答えを返してあげよう。

「君は捨てられたんじゃない。

君は、一人になっただけ……自由になっただけさ。

それなのに、こんな街灯の下に立ち尽くしてたって、ちっとも愉しくないじゃないか。

灯りに照らされるのは楽だけど、目立つってのは良いことばかりじゃない。

暗闇から見る灯りは、さぞ綺麗に見えるけど、本当の宝物ってのは、暗闇の中にあるのさ。

だから、恐れずに暗闇を進みなさい。

大丈夫。

僕が認めてあげる。

君は撫でるのが上手だし、それに、撫でられるのも上手なはずさ。

そんなに、綺麗なんだから」


最後に大サービスだ。

僕は、自分の頬を擦りつけて、女の涙を拭ってやる。

せっかく雪が払われて乾いた身体が、また違う水分で湿る。

それでも良い。

そんな日があっても良いさ。

どうせ、「にゃ~」としか、伝わってはいないだろうけど。


 僕は、女の太ももから飛び降り、また歩き始める。

自分の涙を、自分の手で拭わせるわけにはいかない——

僕なりの美学さ。

後ろで女が歩き始める音がする。

追ってきているのではない。

反対方向だ。

チャラチャラと、鎖の音も少し軽くなった気がする。

まさか、僕の言葉が伝わったのか、それでも、歩き出すってのは良いことさ。


不意に、女から声が飛ぶ。

「またね!」


僕は立ち止まる。

ああ、人間の言葉の中でも、好きな響きだ。


僕は振り返る。

優しい人間にしか、口にできない言葉だ。


僕は女の顔を見つめる。

やっぱり、街灯の灯りに頼らずとも、十分に綺麗な人だ。

願わくば、僕も君と再会したい。

それは……傲慢だな。


僕は女に言葉を返す。

「戻ってくるなよ」

そして、また歩き出す。

女も、歩き出す。

背中合わせに、離れていく。

お互いに、今夜は良い夜だった……と。



【固定】

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