灯りの下の約束
初めまして。
三軒長屋 与太郎です。
ゆっくりと物語の中の世界を、楽しんで頂けると幸いです。
寒くないと言えば噓になるな。
そもそも今夜は雪が降っているし、アスファルトに触れる肉球から、湿っぽい冷たさが耳先まで響き、ピクピクと、自分の意思とは関係なく動いてしまう。
夜の闇に紛れるのにもってこいの黒い毛並みも、ちらつく雪のせいで台無し。
白い小さなまだら模様になって、僕の存在を浮かす。
昼間、せっかく綺麗に整えたのに……また後で毛づくろいしなくちゃならない。
総合的に見て、あんまり良い夜じゃないな——
ジャラジャラと金属の音がして、僕は肝を冷やす。
ただでさえ寒いのに、迷惑な話だ……と、眉間に皺を寄せる。
僕はそれが、犬の散歩の音に聞こえたから。
この辺りに棲む大きな犬。不細工に頬の肉をたらし、おまけに涎も垂らし、人間に鎖で繋がれているくせに、偉そうに吠えてくる。
僕はあいつが嫌いだ。あいつを連れている人間も嫌いだ。
わざわざ大層な鎖を用意して、騒々しい音を立てるのも、「やめんさい」と言葉を吐きながらも、ギリギリまで鎖を緩める神経も。
そもそも匂いが嫌いだ。あのけばけばしく不躾な匂い。
確かに、性格やら態度やらとはマッチしているけど、周りの迷惑など考えない、周りの意思など汲み取らない……そういった思考が透けて見えるあの匂いが。
今夜の鎖の音は、〝そいつら〟ではなかった。
ぽつりと立つ街灯の下、ぽつりと立つ人間の女。
その手元に抱えられているバッグについた鎖が、女が動くたびにジャラジャラと音を立てていたのだ。
僕はホッと胸を撫で下ろす。
思えば、いつもの鎖の音よりも、随分可愛らしい音だった。
僕が少し、敏感になり過ぎていたんだな……と。
ただ、これはチャンスだ。
全身に散りばめられた雪を払うチャンス。冷えた身体を温めなおす、絶好のチャンス。
大抵の人間は、僕を見ると撫でずにはいられない。これは遺伝子レベルで組み込まれた定めに近しい現象だから。
静かに近づき、女の足首に擦り寄る。
よりによって革のブーツ。キンキンに冷えているし、湿っている。ゴツゴツとしたベルトのパーツも相まって、肌触りは最悪だ。
それでも、ここは我慢。
すると……ほら、女がしゃがんだ。
僕は、先ほどまで届かなかった、ブーツの上の太ももを手に入れる。ほどよい弾力と、脈打つ温かさ。
僕は、人間の身体のパーツで、ここが一番好きだ。
ちゃんと爪も隠せるタイプの女。香りもほのか。
気に入った。
僕は、あわよくばしゃがんだ女の太ももの上に飛び乗ろうと、女の顔を伺う。
女は、泣いていた。
僕に負けず劣らずな大きな目から、涙とやらを溢している。
うねうねと捻じれた髪には、雪が付着して、重たそうに湿っている。
随分と長い時間、ここに立っていたのだろう。
それにしても綺麗な顔だ。
僕には劣るが、さぞ撫でられ上手であろう。
それなのに、なにを泣くことがあるのか——
まあ、そんなことはどうだって良い。
僕は知っている。これは『OK』に等しいサインだ。
寂しい人間は、僕を抱きたがる。お互いにちょうど良いってことだ。
僕は、女の太ももの上に飛び乗る。
女は、僕が座りやすいようにと、ぎゅっと両膝をくっつける。
控えめに撫でる女の指の感触を愉しみ、喉を鳴らす。
一転、良い夜だ。
不意に、女が話しかけてくる。
「君は良いね。強くて、逞しくって、おまけに優しくて、可愛くて、愛されて」
「そうだね」と返す。
「それに比べて私は、捨てられたことを認められなくて、ずっとここから動けない。
もう随分と時間が経つから、捨てられたんだって頭では分かっているのに、心が粘るんだ。
〝まだ分からない〟って……あの人も、あの人の気持ちも、まだ戻ってくるかもしれないって……」
僕は呆れたね。
やっぱり人間ってやつは傲慢だ。頭で分かっているのなら、それが真実さ。
それに、僕に相談するのも良くない。
僕は君の言葉が分かるけど、君は僕の言葉が分からないんだろう? 人間がたまに馬鹿にしたように真似してくる『にゃ~』としか、聞き取れないんだろう?
それでは、僕には返す言葉がないじゃないか。
君たち人間は、そうやって僕を苦しめていることも知らない。
だから、傲慢なんだ。
でも、今夜は気分が良い。
それが君のお陰であることもまた、確かな真実だ。
だから特別に僕の中の答えを返してあげよう。
「君は捨てられたんじゃない。
君は、一人になっただけ……自由になっただけさ。
それなのに、こんな街灯の下に立ち尽くしてたって、ちっとも愉しくないじゃないか。
灯りに照らされるのは楽だけど、目立つってのは良いことばかりじゃない。
暗闇から見る灯りは、さぞ綺麗に見えるけれど、本当の宝物ってのは、暗闇の中にあるのさ。
だから、恐れずに暗闇を進みなさい。
大丈夫。僕が認めてあげる。
君は撫でるのが上手だし、それに、撫でられるのも上手なはずさ。
そんなに、綺麗なんだから」
最後に大サービスだ。
僕は、自分の頬を擦りつけて、女の涙を拭ってやる。
せっかく雪が払われて乾いた身体が、また違う水分で湿る。
それでも良い。そんな日があっても良いさ。
どうせ『にゃ~』としか、伝わってはいないだろうけど。
僕は、女の太ももから飛び降りて、また歩き始める。
自分の涙を、自分の手で拭わせるわけにはいかない——
僕なりの美学さ。
後ろで女が歩き始める音がする。
追ってきているのではない。反対方向だ。
チャラチャラと、鎖の音も少し軽くなった気がする。
まさか、僕の言葉が伝わったのか……それでも、歩き出すってのは良いことさ。
不意に、女から声が飛ぶ。
「またね!」
僕は立ち止まる。
ああ、人間の言葉の中でも、好きな響きだ。
僕は振り返る。
優しい人間にしか、口にできない言葉だ。
僕は女の顔を見つめる。
やっぱり、街灯の灯りに頼らずとも、十分に綺麗な人だ。
願わくば、僕も君と再会したい。
それは……傲慢だな。
僕は女に言葉を返す。
「戻ってくるなよ」
そして、また歩き出す。
女も、歩き出す。
背中合わせに、離れていく。
お互いに、今夜は良い夜だった……と。
完。
お読みいただき、ありがとうございました。
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【※この先は、作者による作品解説です。
自己解析・自己考察を含みます。
読後の余韻を大切にされたい方は、ここで読むのをお止めください】
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まず忠告として、今作の読者解説は毒なので、飲みたくない方は、どうかここで引き返してください。
作者としても、幸せな解釈のままで問題ないですし、むしろ嬉しいくらいです。
逆に私の毒を飲み込んでくださる方は、飲み干した後に、どうかもう一度読んでみてあげて下さい。
毒には毒なりの、旨味もあるので。
まず率直に、今作は黒猫と人間の物語ではなく、人間と人間の行きずりの話です。
黒猫=男は、香水のキツイ派手な女や、強さの滲む女よりも、すでにそこで萎れている女の方が、〝持って帰りやすい〟ってわけです。
作中で「どうせ『にゃ~』としか、聞き取れないんだろう?」と言っているのは、失恋してすぐの女性に一生懸命アドバイスをしたり、励ましたりしても、『〝言い寄っている〟としか感じないんだろう?』という感情の比喩です。
それでも、今夜は気分が良いから、普段なら使わないリップサービスを〝してあげている〟のです。
黒猫の発するキザな台詞たちは、すべて口説き文句であり、そもそもに、今夜が満足いけばそれで良い。
ただし、『自分の涙を、自分の手で拭わせるわけにはいかない——』、この美学だけは本意であり、一夜を共にして別れる頃には、なにくされなく、背中を押してやるのです。
例え女が「またね」と言っても、「もう戻ってくるなよ」と……。




