おやまさま
何かが目の前でヒラヒラと動いている。指?
「みややまさーん、見えてますかー?」
声がする方に目を向けるとナース服を着た女がいた。俺は横になっているらしい。つまり、病院?
「あれ?宮山さん、起きてます?! ここどこだかわかります?!」
「びょう…いん…?」
看護師は何かを早口で言った後、部屋を飛び出して行った。部屋の感じを眺めるに、やはりここは病院で、どうやら個室らしい。窓はカーテンが閉まっているので時間はよく分からないが…えっと…これは、どういう状況だろう。
しばらくすると看護師が医者を連れて戻ってきた。医者は沢山の質問を俺に浴びせてきたが、俺はほとんどの質問に答えられなかった。
名前、年齢、住所、今日の日付、家族のこと…そんなもの入院前に聞かれても全部答えられない。医者は事故の一時的なショックで記憶が混乱しているのかもしれないと言った。俺は三日前に事故にあい、それから眠ったままだったらしい。
「怪我というほどの怪我はないんですよ。ちょっとした打ち身と擦り傷、あとたんこぶですね。あまりにも目を覚まさないので詳しく検査もしましたけど、特に何もなかったです。体調に問題がないなら今すぐ退院してもらってもいいぐらいなんですが、まぁもう夜ですし、詳しくは明日ということで。」
医者はそんな事を言って病室を出て行った。残された俺はへー今、夜なんだと思った。事故とは一体なんなのか。俺が車を運転したのは夢なのか、どこからどこまでが本当なのか。色々考えたいのに、横の看護師がうるさくて集中できない。何がそんなに嬉しいんだ…?と思いながら再び眠りについた。
次に目が覚めると同じ病室だった。そことここは繫がっているらしい。朝から医者がきて具合はどうかと聞いた後、やや複雑な顔をしながら「警察が来ている」と言った。
「けい、さつ?」
「まぁ向こうも仕事ですから…」
医者はそんな事をいいながら退室し、入れ替わりに男が二人入ってきた。警察手帳を見せてきて刑事だと言う。刑事は眼鏡の男についてあらゆる質問をしてきた。どこで会ったのか、どんな服を着ていたのか、どんな会話をしたのか、その時どう思ったのか…
あのメガネとドライブしたのも繋がっているんだなあと思いながら、覚えていることを淡々と話した。初対面で送れというから車で送った。ホームセンターに駐車したのは向こうの指示。メガネを待っている間に買い物しようと外に出たら車を盗られた。追いかけようとしたらコケて?気を失った…わりと単純な話だ。だが刑事はしつこかった。それもその筈で、メガネは女を一人殺して逃亡中らしい。
「今もですか?」
「ええ。なのでなんとしても早く捕まえなきゃならんのです。何か言ってませんでしたか?どこそこに行きたいとか、なにそれがしたいとか。」
「いや…駅に行きたいとしか。」
「そうですか…」
刑事はがっかりしながら帰って言った。なんとなく申し訳ない気分になった。
「あの…次は甥っ子さん来られてますけど、大丈夫ですか?お会いになられますか?」
顔をのぞかせた看護師の言葉に刑事の余韻はすぐに吹っ飛んだ。
「甥っ子…?」
「ええ、覚えてらっしゃらないかもしれませんが…他に近しいご親族の方はいらっしゃらないので。もしご気分が優れないようなら…」
「あ、いえ!会います!」
慌ててベットに座り直して、再びドアが開くのを待つ。ドキドキする。一人で生まれてきたような気がしていたが、俺にも身内がいるらしい。
軽いノックと共に入ってきたのはやけに若い男だった。日焼けした顔と短い髪、農作業を抜けてきたような格好…
「大丈夫ですか、叔父さん。」
男が発した低い声に違和感がある。こいつはもっと甲高い声じゃなかったかな?背ももっと小さくて。
「大きく…なった?」
「そうてすかね…今、二十歳ですけど。」
「小学生くらいじゃなかった?」
「まあ…十年くらい前は。」
しばらく無言で見つめ合う。こいつはアレだ、宿に一番近い家に住んでる小僧だ。いや二十歳は小僧じゃないか。それにしても身内だったのか…そうなの?
「叔父さん、記憶が混乱してるってのは医者から聞いてます。とりあえず退院しませんか?ここじゃ思い出せるもんも思い出せないでしょう?」
そういうもんかなぁと思いながら俺は同意した。甥っ子は俺に袋を渡し着替えててくれと言って部屋を出て行った。袋の中身は真っ白なTシャツとハーフパンツだった。なんでこんな白いん?と思いながら着ていた病院着を脱いで着替える。体に異常がないのは医者と一緒に確認している。やや頭がぼぅっとしているが、それはいつもの事かもしれない。
靴をあちこち探してから、ベットの脇にある黒いサンダルが自分の物だと思い出した。そういえば庭のサンダルで出かけたんだった。間抜けな格好だ。
しばらく待つとサインだけしてくれと甥っ子が戻ってきた。了承してペンを握るが、自分の名前がわからない。困って甥を見ると、甥は黙って書類の上を指さした。
そこには「宮山太郎 三十歳 男性」と書いてあった。
みややまたろう?宮山はともかく太郎って昔話じゃないんだから…てか三十歳?若くもないな…いや若いのか?
固まっていると甥の咳払いが聞こえ、慌ててペンを走らせた。書き終えてから何度も見比べて字が間違ってないかを確認する。太郎の郎はこざとへんだな。朗じゃないな。太は太いでみややまは普通の…
「すみません、書類はまだあるんで。」
甥に急かされて何枚かの書類にサインした。宮山太郎、何度書いてもしっくりこなかった。
甥はテキパキと退院作業を進め、俺は促されるがままにあちこちお辞儀をして病院を出た。
「あの、お金とか…」
「僕が払いました。」
なんでこの甥はこんな取り付く島もないんだろう。てかよく見たらキレイな顔してんな。ニコリともしないけど。
駐車場に着くと白い軽自動車に乗るように言われた。
「あの、この車って…」
メガネに盗まれた車では?
「ああ、結局あのホームセンターから数キロ先のコンビニに乗り捨ててあったんですよ。指紋とったりとかはもう終わってるんで、このまま乗って帰って大丈夫です。」
「へーそうなんですか…」
なんと言っていいか分からず俺は助手席に乗り込んだ。
「あとこれ、事故した時に着てた服と持ってた財布です。」
また紙袋を渡された。
「あとシートベルトして下さい。」
慌ててシートベルトをすると車はするりと走り出した。車内から見えるものが何から何まで人工物って感じで面白い。お、公園に原色の遊具がある。ああいう真っ赤とか真っ黄色とか山の中じゃ見ないもんなー。
少しウキウキした気分になったが、運転席の男を見てあっという間に気持ちが萎んだ。なんでこいつはずっと怒ってるんだろうね。俺が入院してるのってそんなに腹立つことかね。あ、でも叔父の送り迎えとか面倒くさいか、そりゃそうか。
「ありがとねー、迎えに来てくれて。」
精一杯にこやかに言ってみたが、甥は無言でこちらを見ようともしなかった。無視かい!
「服も…買ってきてくれたんだよね。ありがとう、こっちの前の服はもう着れない感じ?」
「…破れてます。」
甥はボソッと返事した。良かった、どうやら会話はできるらしい。どの程度破れてるのかを確認しようと紙袋を広げると、奥に黒い財布があるのが見えた。皮の二つ折りの財布だ。中にはお札が数枚と小銭、そして運転免許証が入っていた。
免許本当に持ってたのかと思いながらじっくりと眺める。名前はさっき見たのと同じだ。顔写真は特に特徴のない男が写っていた。チラリと運転席の甥と見比べる。残念ながら甥の方が男前だ。
気がつけば車は民家しかない場所を走っていた。山がどんどん近づいている。そうか、あの川の下流に俺は行ったのか。全然見られなかったけど。
「ほんと、ごめんね色々…お金は後で返す…から…」
言いながら果たして自分はお金を持っているのだろうかと考えた。俺の記憶じゃ俺は霞を食って生きてるようなもんだったんだから、現金とは無縁ぽいけど。そういえばあの宿の固定資産税とかどうなっているんだろう。保険も入ってるかどうか怪しいな。その場合の入院費は実費だとして、一体いくらかかったのか、果たして払えるのか…
「貰ってるから大丈夫ですよ。」
甥が言った。
「貰ってるって、誰に?」
「ミヤヤマからです。そういうの含めたお金でしょう?」
甥は明らかに怒っている。だけど何故怒っているのか、俺にはさっぱりわからない。
その時甥の向こうに例のホームセンターが見えた。どこかで夢の続きを見ている気分だったが、どうやらこれは現実らしい。
「あのさ…俺、本当に記憶がなくて、いや正確に言うと夢みたいな記憶しかなくて、申し訳ないんだけど、色々教えてもらえると嬉しいんだけど…」
「別に知る必要ないですよ。」
俺の精一杯の下手にでたお願いはニベも無く断られた。だからなんでこいつはこうも冷たいのか。
しばらく黙っていると、車はどんどん山に近づいた。嬉しい。なぜだかわからないが、山に帰れることがとても嬉しい。こちらをジロジロ見てくる畑のジジババにも手を振りたいぐらいだ。
車は甥の家を通り過ぎ、山道を登った。懐かしの我が家。留守にしたのは三、四日らしいが柱にでも抱きつきたいぐらいだ。車は門を入り慣れた手つきで庭に停まった。たまらず車外に飛び出して深呼吸した。ああ、山の空気は落ち着く。
「それじゃ、帰りますんで。」
甥はそう言うなり出ていこうとするので慌てて引き留めた。
「あの、お茶とか出すんで!」
「いや僕も仕事あるんで。」
「そこをなんとか。ちょっとわからないことが多すぎるんで、色々教えて欲しい…」
「だからそういうのいらないって!」
甥の怒鳴り声に山がしんとなった。
「あなたはここで大人しくしてればいいんです!僕が全部なんとかするんで、引っ込んでて下さい!」
酷い言い様だ。敬語だからって許せる訳もない。
「あのさ、確かに全部忘れてる俺が悪いのかもしれないけどさ、そういう言い方はないんじゃない?俺だって忘れてるなりに何とかしようと思ってるんだからさ。この先ずっとお宅の世話になる訳にもいかないでしょ?」
「いや僕が一生お世話しますよ。」
あ? これは…プロポーズか?
「いやいや、そういう訳にもいかんでしょ。」
半笑いで言ったが甥は笑わなかった。
「大丈夫です。全部僕がやるんで、お願いだから、大人しくしてて下さい。おやまさま。」
甥は急にトーンダウンすると、ペコリと頭を下げて山を降りて行った。
で? おやまさまって、誰?




