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終戦記念日

 チリン♪

 鈴の音が聞こえたような気がして暗闇の中で目を覚ました。遠くに雨音らしきものが聞こえる。どうやら今は夜らしい。のそのそと布団から出て襖を開けた。

 いつもは四方開けっ放しな宿だが、今は全ての戸や窓が閉まっているようだ。珍しいと思いながらいくつかの襖を開け、庭に面したガラス戸を開けた。むわっとした空気と共に雨の匂いがした。こんな夜半に客とは珍しい。そう思った瞬間、全身の毛が逆立った。

 なにか、いる。

 それは庭の暗がりに立っていた。全身から暗闇を垂れ流している。どう考えても聖とは逆の性質を持つもの。

 俺は慌てて目を伏せた。アレと目を合わせてはいけない。ただ、見失うわけにもいかない。どうしよう。アレって客かな。マジで嫌なんだけど。

 それはしばらくするとよたよたとこちらに近づいてきた。よく見ると真っ白な足が二本あった。靴も靴下も履いてない。足があるってことは西洋式のお化けかな。ここにくる人間はぱっと見は死んでるようには見えない人達ばかりだが、今目の前にある灰色がかった足はどう見ても生きてるようには見えない。

 どうしたもんかと考えているうちにソレは五十センチの距離まで近づいてきた。手を伸ばせば触れる距離だ。俺は慌てて数メートル後退った。

「い、い、い、いらっ…しゃ、い…」

 壁に貼り付きながら辛うじてそう言うと、ソレはヌルリと宿の中に入ってきた。

 来んなやぁーと心の中で叫びつつ、ソレをよく見る。どうやら髪は長いらしい、どうやらゆったりとした服を着ているらしい。女の子だわーいとは全く思わなかった。

 女はガラス戸から一歩入った所から動かない。俺は目玉だけが忙しなく動く。ここからどうすりゃいいんだ?おもてなし?お茶でも出す?飲むのか?てか俺が美味しくいただかれるんじゃないのか?え、人食べる系?無理無理無理。俺悪霊退散できる系じゃないし。ってかなんでこんなとこで管理人してんのに不思議な力とか持ってないんだよ。誰だよ辞令出したやつ、適材適所って言葉を百回ぐらい…

 ドンッ

 俺の現実逃避的思考は物音一つで吹き飛んだ。女がその場に座り込む音だった。そして俺はうっかり女と目を合わせてしまった。女の顔は半分崩れていた。

 俺は壁に背を預けたままずるずるとへたりこんだ。無理だってー…俺医者じゃねーし…陰陽師とかでもねーし…勘弁してくれよ…

 しばらく何も動く気配がないので恐る恐る顔を上げてみる。女は俯いているようでただの黒いシルエットになっていた。よかった。あの血走った目が見えないのは助かる。

 少しだけ楽になってこっそりと息を吐いた。さて、問題はこれからだ。通常であれば朝日と共に消えてくれそうな見た目だが、この宿は通常の時間の流れをしていない。つまりアレが成仏だか闇堕ちだかをしてくれないと、この時間が永遠に続く可能がある。それは俺の精神が保たん。かといって俺に何ができる訳でも…チラリとソレを見ると、ソレもこちらを見ている気がして慌てて目を伏せた。怖い。全身に汗をかいているせいか、だんだん寒くなってきた。これが冷や汗ってやつか。ほんまに冷っこくなんねんなーなんでやねん、なにがやねん。

 気のせいか息もしにくくなってきた。これがパニック状態というやつか。いっそこのまま気を失って、目が覚めたら次の客がいるって風にはならないだろうかか。どうだろう、気絶ってどうすりゃいいんだろう。

 しばらく待ってみたが一向に気を失う気配はなく、少し頭も落ち着いてきた。アレがいつもの客と同じだとしたら、自分自身で道を見つけてもらうしかない。その為の手伝いをするのはやぶさかでないが…しゃべれんのか?アレ。

 思いきって話しかけようとして、慌てて口を閉じた。返事されたらどうすんだ。怖すぎるわ。

 しぱらく耳が痛いほどの沈黙に耐える。辛い。

「………い………………ぅ………」

 風の音のような、誰かの声のような音が聞こえた気がした。もしくは俺の幻聴かもしれない。わからない。

「……み…………ぅぅ…………」

 猫にしては怖すぎる。どうやら目の前の人が喋ってるっぽいが…みうってなんだ。

「水よ、ばーか。」

 突然はっきりした女の声にとび上がった。

「誰!?なに!?どこっ!?」

 辺りを見渡しても新たな人影はない。逃げ出す準備のためにそろそろと立ち上がる。もう勘弁してくれよ…

「水だってば。早く持ってきて!」

「はい!」

 ちょっと怒ったような女の声に、俺は転がるように台所に向かった。コップを引っ掴んで裏口から外に出る。裏庭には山からの湧き水が溜めてある小さな生簀がある。そこの水をすくった後、家の横を通って前庭へと走った。ソレは、縁側のそばに後ろ向きに座ったまま動いていなかった。

 息を整えてソレをよく見てみる。後ろから見ると体の半分が損傷しているのがよくわかった。事故か事件か…わからないが、気の毒なのは確かだ。

 俺は勇気を出して近づいた。

「水、置いておきますね。」

 そう言ってコップを縁側に置くと、ソレは突然すごい勢いで振り向き俺に飛びかかってきた。直視できない程に爛れた顔がドアップになる。思わず反射的に突き飛ばして、俺は庭に転がった。

「どいてろ、馬鹿!」

 また女の声が聞こえて、どうやら俺はそこで気を失ったらしい。目が覚めると晴れた夏の朝だった。蝉の声も聞こえる。あの黒い女は消えていた。

 狐につままれたような気分で辺りを見回す。縁側に空っぽのコップがあるだけで、それ以外はいつもの宿だ。いや、さすがに庭で目覚めたことはなかったからいつもどおりではないか。なんだか納得できないけど。

 チリン♪

 鈴の音が聞こえた方を見ると、小柄な黒猫が座っていた。ちょっと前に驚きすぎたせいか、もう何にも驚けない。

「…猫だ。」

 我ながら間抜けな独り言だ。猫は特に気にする様子もなく、後ろ足で顔を搔いている。つられて自分の顔をかき、なにやら手の平がじんじんと痛いことに気がついた。見ると短く赤い線がついている。

 これは、歯型だ。

 気がついた途端に真っ赤な激情が体の中に流れ込んできた。

 熱い!苦しい!痛い!悲しい!助けて!

 うずくまって息を吸おうともがくが、鼻や喉が痛くなるばかりでちっとも息が吸えない。苦しい、嫌だ。消して!この火を消して!息ができない!

 チリン

 どこかで聞いたような音がして、炎は消えた。火傷もしていない。ああ、そうか。そんな時期なのか。

 蝉の声が降りしきる中、俺は一人で少し湿った土の上にいた。いや、一人じゃないな。黒猫もいる。

「…きのう、喋ってなかった?」

 猫は何も答えなかった。

 もう一度自分の手の平を見る。大変申し訳ないことをした。アレは、あの人は、きっと長い長い間さ迷っていたのだろう。やっと宿まできたのに突き飛ばすなんて酷いことをしたもんだ。

 俺は地面に正座し指をついた。そして深く深く頭を下げる。

「長い間、お疲れ様でした。いってらっしゃいませ。」

 次は生きながら燃やされることのない平和な世の人生を。



 ここは半死半生の宿。迷子たちがくるところ。







また来月、お会いしましょう

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