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バッテリー

 目が覚めると夏だった。真っ青な空、入道雲。夏は人気あるなぁと思いながら待っていると、玄関から声がかかった。

「こんちわー」

 戸を開けると真っ黒に日焼けした坊主の少年が立っていた。

「いらっしゃい」

「あーどうも…ここでいいんすかねぇ…」

 坊主の少年はなにやら困った顔をしている。正しく迷子っぽい。俺は営業用スマイルを浮かべ少年を中に通した。白の開襟シャツに黒のスラックス、きっとどこかの高校の夏服だろう。さしづめ高校球児というところか。

 球児は困った顔で家の中を見渡しながら、俺が差し出した麦茶を飲んだ。

「ここ、宿なんすか?テレビとかあります?」

「テレビはないです。」

「えっと、今夏ですよね?高校野球の結果とか、知りません?」

 知らないっすーと答えたくなったが、我慢して大人の言葉で返す。

「ちょっとわからないですね。」

「そっすか。」

 球児は相変わらず浮かない顔をしてキョロキョロしている。いくら見渡してもここでは高校野球の結果はわからない。なぜならここは切り離された場所だからだ。

「俺…っていうか、俺の仲間がたぶん甲子園出てて、どうしても、結果を知りたいんですけど…」

 そんな懇願するような目で見てもダメだ。だって本当に俺は知らないんだから。知る方法すらわからない。

「そうですか。ただここは時間が曖昧なところなので、今がいつの夏かもわからないです。」

「そこを、何とかならないですか?」

「ならないっす…」

 俺の言葉に球児はガックリと肩を落とした。気の毒だがしょうがない。恨むなら神様を恨んでほしい。俺は会った事ないけど。

「俺の高校…久しぶりの甲子園出場なんですよ。もう何十年ぶりって単位で。最近はいっつも県三位だったんです。甲子園は一位二位の高校が交代で出てて。でもいつかは、いつかは出れる!って信じて歴代やってきたんすけどねー…どうなったんでしょう…」

 いやそこまで言われると俺も気になってきたけど、本当にわからんのよ。

「一個下にいいピッチャーが入って、そいつ中学まではソフトボールしかやってなかったらしいんですけど、なんか爺さんに『男なら高校は硬式野球だろ』って言われて野球部入って来たやつで、ほんと変な奴だったんですよ。体も小さくてヒョロヒョロで。でも一年で二十センチ背が伸びて、筋肉もついたらいつの間にかすごい雰囲気のあるピッチャーになってたんすよ。俺、いつの間にか背抜かれてたし。」

 球児は当時を思い出しているのか屈託のない顔で笑った。

「別にそいつに引っ張られたって訳じゃないとは思うんすけど、なんかチームも強くなって、俺が高二の夏は惜しくも二位で行けなかったけど来年は行けそうって空気になってたんですよ。でも俺、高二の冬に病気になっちゃって。俺それまで全部の体調不良は寝たら治ると思ってたんですけど、寝ても寝ても全然治らなかったんです。で、なんか入院することになって、しかも全然退院できなくて、結局そのまま…」

 球児は遠い目をして窓の外を見た。俺は、空が青くて良かったななどと思った。

「三年の先輩が引退してから、俺副キャプテンに選ばれたんすよ。キャプテンは俺の幼なじみがなって、指名された時は悔しかったけど、まああいつの方が真面目だし、頭も良かったから仕方ないかなーって…俺本当に気になるんす!気になって気になって成仏できないっすよ!頼みますよお兄さん、あいつらがどうなったか教えてください!俺、このままじゃ死んでも死にきれません!!」

 もはや俺だって知りてーわ。どうなったんだよその高校。

「えっと、甲子園に出場はしたんだよね?」

「詳しくはわかんないっす…したって聞いた気はするんですけど…俺、たぶん予選中に死んでるんで。」

 わからんのかいっ!

 正直万年県三位が突然甲子園で優勝したとは思えんが、出場したってだけでもロマンだろうが。こいつも成仏できるってもんだろーが。

「出場…できてるといいですね…」

「………」

 俺のくだらない慰めに球児は俯いた。ああ、俺は役に立たない。神様も役に立たない。

「あの、たぶん勝っても負けても、お墓に結果教えてくれるんじゃないですかね…」

「それ、どうやったら聞けるんですか?」

「すみません。わかりません…」

 球児は再び俯いてしまった。すまん、役に立たずですまん。

 「みんな…いい奴だった。最高の奴らだった。結果さえ、結果さえ教えてくれたら、納得できるんです…」

 おい、神様だか仏様だか知らんけどでてこいや!純真な少年が苦しんでるだろ!

「あの…」

 なんとか言葉を捻り出そうとした矢先、玄関の戸が開く音がした。

「すみませーん。」

 新たな男の声が聞こえる。俺が立ち上がるより前に、球児が跳ねるように立ち上がって玄関へと向かった。

「タケ!」

「おーやっぱりここにいたのか。探したぞ。」

 少年たちは玄関先で再開を喜んでいた。タケと言われた少年も坊主で日に焼けている。どうみても野球部同士の再会だった。

「あ、来てくれました!こいつ、さっき話したキャプテンです!」

 球児はニコニコとして俺に訪問者を紹介してくれた。俺も愛想よく笑おうとして顔が引きつった。ここにいるということは…

「別にお前を追いかけて着たわけじゃねーよ?」

「何いってんだよ、お…」

 球児はなにかを言いかけて気がついてしまったらしかった。

「え…?」

「まあそういうこと。すみませーん、俺もお邪魔してもいいですか?」

 キャプテンは愛想よく俺にそう言った。なるほどしっかりしていてキャプテンっぽい。

 俺は快諾して麦茶を二杯用意した。キャプテンは礼儀正しく飲み干した後、副キャプテンに向き直った。畳の部屋であぐらをかいて膝を詰めている様は、まるで小さなおっさんたちだ。もっともこの二人がおっさんになることはなさそうだけど。

「あんな、落ち着いて聞いてくれな…」

「無理だよ。あの後どうなった?甲子園出場は!?」

「…出場は、決まったよ。」

「やったー!!!!」

 球児は両手を突き上げて畳へとひっくり返った。

「やった!やっとだぞ!やっと!四十年の悲願が!先輩たちの夢が!俺達の手で!」

 球児は手足をバタバタさせて喜んでいる。キャプテンはそれをなんとも言えない顔で見ていた。

「あ、すまん。行ったのはお前だちで、俺は関係ないか。いや、関係なくねーよ。俺だって一緒に頑張ったし。あ、あれ?ひょっとしてベンチに俺の写真飾ったりしてくれた?写真の持ち込みってできるんだっけ?あ、できなくても俺は怒ってねーよ?もう、甲子園出場って聞けただけでも嬉しーから。」

 キャプテンが耐えきれなくなったように言葉を遮った。

『ごめん!ツヨシ、俺、実際に出場したかは見てないんだわ。ってか、たぶん、辞退したと、思う。』

「…辞退?なんで?」

「甲子園に向かう途中、部員が乗ったバスがトラックに追突された。俺はそれで死んだし、たぶん、他にも怪我人とかいっぱいでたと思う。だから、普通に甲子園に出場したとは思えない。」

「は?……なんだよそれ…」

「ごめん」

「いや、お前に謝られても…」

 球児は困ったようにあぐらをかきなおした。しばらく沈黙が流れる。息を殺して話を聞いていた俺はこっそり息を吐いた。ドラマチックが致死量だ。

「まあでもさ!もともと負け戦は決まってたんだよ。エースが直前で怪我しやがってさ。」

「エース?」

「期待の二年生エースピッチャーだよ。あいつ、直前で右腕折りやがった。チャリでコケたとか言ってさ。」

「は?あいつサウスポーだろ?」

「利き腕じゃなくったって骨折れてたら投げねーよ。…それでも投げろっていう三年はいたけどな。だって、俺らは最初で最後じゃん。俺はキャプテンだから止めたけど、本当は俺だって引きずってでも投げさせたかったよ。でも監督に、あいつはきっとプロになるから、将来があるからって頭下げられてさ…将来なら俺らにもあるっつーの。あ、ないか。俺らにはなかったな。」

 そう言ってははっと笑う顔は見ていられなかった。

「…それでも…県大会は勝ったんだよな。」

「ん?まあな。一位にはなったよ。」

「良かったなじゃん。これで万年三位は終わったんだから。」

 球児はそう言うとキャプテンに微笑みかけた。

「まあ…そうだな。」

「うん。甲子園出場…は、したかわかんないけど『最後に勝てない高校』の汚名は返上したわけだし、良かったんじゃない?」

「本気?」

「うん。だって甲子園に行くっていう俺等の夢は叶ったじゃん。厳密にいうと俺は叶えてないけど、お前が叶えてくれたんなら、叶ったも同然じゃね?」

 微笑む球児とは対象的にキャプテンは泣きそうな顔をしている。

「違うだろ…俺は…勝ちたかったんだよ…勝って、お前に俺等が勝ったって見せたかったかったんだよ…」

「俺だって見たかったさー」

「違うんだ…監督は、来年入ってくるバッターに期待してたんだ。俺らじゃなく、俺らには、今年しかなかったのに…」

「あーなんかそれ知ってる。リトルリーグで三つ下にめちゃくちゃ上手い子がいるって話だろ?」

「それ。打率五割だってさ。中学生とはいえ笑っちゃう数字だろ。」

「その子がうちの高校入ってくれるならそりゃ来年期待しちゃうよなー」

「だからって今の俺らを蔑ろにしていい訳ねーし…なんか…あいつの骨折も嘘だとかいう噂もあったし。」

「考え過ぎじゃね?流石にそんな嘘つかんでしょ。甲子園は何回行ってもいいんだし。」

「うん、俺もそう思ったけど…◯◯とか◯◯がさ、あいつに嘘つくなって殴りかかったりして、無茶苦茶部内が荒れたんだよ。俺はキャプテンだから一応止めたけど、俺だって本当は殴りたかったよ。」

「殴ってどーすんの?怪我だから出ないんだろ?」

「んーそうじゃなくて…」

 キャプテンは頭をガシガシかきながら立ち上がって縁側の方に行ってしまった。球児は一瞬俺の方を見て困ったように笑うと、すぐに追いかけて縁側に並んで腰掛けた。

「なによタケちゃーん。どうしたのよー。」

「勝ちたかったんだよ!俺等は!ずっとお前と一緒にやってきた奴らは!みんな心底勝ちたかったんだよ!それなのに、あいつら…」

「あーなるほどねー…確かにお前らが甲子園で勝ってくれたら無茶苦茶嬉しかったと思うよ。でもそこは生きてる人間が優先じゃなーい?」

「うるせー!!俺は勝ちたかったんだよ!」

 キャプテンが泣いている。だが球児は困ったように笑っていた。

「ありがとよ。お前はほんと俺のこと大好きだよな。」

「うるせー…殺すぞ…」

「もう死んでるから無理ですー。」

 球児は茶化すように言った後、今度は泣きそうな顔で笑った。

「ありがとな。あと、ごめんな。でも俺べつに誰も何も恨んでないから。病気に原因はあっても、意味なんかないって医者も言ってたし。」

「…お前、風邪もひいたことなかったのにな。」

「いやあるよ、失礼だな。毎回一晩で治っただけだよ。」

「バカの証明みたいなエピソードだな。」

「なんでだよ。」

 二人がぎこちなく笑ったのを見て、俺はほっと胸を撫で下ろした。この二人が喧嘩しだしたら俺も泣く。

「俺はさー…怒ってるからちょっと愚痴ってもいい?」

「ん?いいよー。」

「あいつ本当は大した怪我じゃなくて、投げようと思えば投げられる、だけど監督が大事をとって投げさせなかったっていう話があるんだわ。」

「んー、とりあえず聞くわ。」

「◯◯が知り合いから聞いたとか言ってさ、一部の三年がキレて監督に聞きに行ったんだよ。俺達は最初で最後の甲子園だし、お前の件もあるし。そしたら監督にそうとう酷いこと言われたらしくて。」

「なんて?」

「わかんね。その話するとみんな泣いちゃって言わないの。まあ、でも、なんとなく俺は察しはつくけど。」

 球児は困ったように空を見上げた。空は相変わらず青い。

「別に…俺、監督に嫌われてなかったと思うけど。」

「好かれてたよお前は。監督、お前の葬式で無茶苦茶泣いてたよ。ちょっと意外だったわ。」

「そうなの?」

「うん。…他にもなんか泣いてる人多かったわ。やっぱ人気者はちげーな。」

「へー、俺人気あったんだ。もっと早くに言ってくれりゃよかったのに。」

「おう。俺のじーさんまで泣いてたぞ。」

「お前のじーさん?なんで?ほぼ喋ったことないだろ?」

「あっちはたまに試合見に来てたからな。一方的に子供の頃からずっと知ってんだよ。孫の世代が先に死ぬのはたまらんってさ。…あー、悪いことしたな。俺まで先に死んじゃった。」

「あらら…まあ、仕方ないよ。」

「まあな…事故だし。」

 俺からは逆光になっているので気が付かなかったが、徐々に二人の体が光り始めていた。坊主のよく似た背格好の二人なので、もはやどっちがどっちかわからない。

「うーん、とりあえず俺的には母校が甲子園出場決めてくれて嬉しいよ。もうそれだけで十分だわ。」

「俺としては不完全燃焼だけどな。」

「えっとなんだっけ?追突されたの?野球部のバスが?」

「そう。後ろから。だから、後ろの方に座ってた三年は…」

「マジかよ。じゃあ待ってたら他にも誰か来るってこと?」

「かもなー。俺は気がついたら目の前に変な柄の布があってさ、なんだコレ、あーバスの座席かー、事故ったのかーが最後の記憶だからよくわかんないけど。」

「キツイな。さすがに何人もここに来たら俺は耐えられんぞ。」

「俺もだよ。…いや、いっそのことみんな集めて野球する?」

「ごめん、ちょっとマジで無理…」

「ごめん」

 一人は気まずそうにうつむき、一人はしばらく空を眺めていた。

「…野球だったらさー」

「ん?」

「野球だったら、お前と二人でいいよ。」

「いや、二人じゃ野球になんねーし。」

「じゃなくてさ、昔はキャッチボールだけでも楽しかったじゃん。もうそういうシンプルなのに戻りたいのよ俺は。」

「うーん、俺は野球がしたいんだけど…ああ、アレか。お前俺を独占したいのか。だったら可愛い女の子にでも生まれてくれよ。」

「そういう話じゃねーし…もういいや。お前、次は弟として生まれてこいよ。お兄様と呼べ。」

「弟ねぇ…まあお前妹可愛がってたし別にいいけど。」

「いーのかよ。」

「別にいいよ。また会おうぜ。」

「…おう。」


 少年たちは笑いながら光り輝いて消えた。眩しい。これが青春の光というやつか。

「いってらっしゃーい…」

 俺は間抜けな声で呟いた。空は以前として嘘みたいに青い。空が青くてよかった。こんな所にひとりで取り残されて、もう全部が夏の夢みたいだ。

「うらやましいな…」

 俺の言葉は誰の耳にも届かない。


 ここは半死半生の宿、迷子たちがくるところ。







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