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迷子の迷子の

 

 ワンッ!


 どこかで犬が鳴いたような気がして目が覚めた。この辺で犬飼ってる人いたっけ…しかも大型犬…?

 欠伸しながら体を起こすと、庭にデカいゴールデンレトリバーがいた。しっぽを振って笑っている。

 わー、でかーい。

 とりあえず縁側まで出ると、犬も笑顔で近寄ってきた。周りに飼い主らしい人間はいない。手を顔の前に出しても嫌がらなかったので、そのまま頭を撫でてみた。嬉しそうにしている。どう見ても飼い犬…いやゴールデンの野犬なんているわけないからそりゃそうか。迷子? そこまで考えてやっとここがどこだか思い出した。

 ひょっとしてこの犬、死んでるのか?

 ナデナデを止めると犬はちょっと不満そうな顔をした。かわいい。死んでるようには見えない。

 犬は俺の手にグリグリと顔を押し付けてきた。まるでもっと撫でろと言っているようだ。かわいい。それに温かい。

 しばらく撫で回すと犬はやっと満足したのか、俺の足に頭を乗せてまどろみ始めた。かわいい上に甘ったれたやつだ。きっとものすごく可愛がられてきたのだろう。

 問題は生きてるかどうかだ。

 今にも寝そうな犬の頭をずらして俺は立ち上がりった。犬は不満そうな顔をしたが、眠かったのかそのまま寝始めた。季節はたぶん秋、時間は午前中。散歩の最中に迷子になった可能性はなくはない。

 台所に行ってなにか犬用の食料が増えてないかを確認する。大きな骨やドッグフードでもあればわかりやすかったのだが、どこにもそんなものはなかった。ということはあの犬は客ではない可能性がある。もしくはお腹が空かないタイプか。

 考えながら家の前の道まで出てみた。犬を探す人影はなく、誰かを呼ぶ声も聞こえない。本当に? あいつ死んでんの?

 後ろからの気配に振り返ると、犬が笑顔で駆け寄ってきた。思わずしゃがみ込んで撫で回す。

「おまえ、迷子だろ。飼い主探しに行こうな。」

 無意識にリードを持とうとしてそもそもリードしていないことに気がついた。首輪はしている。赤い首輪がよく似合っている。よく見ると小さくnikoと書いてあった。

「行くぞ、ニコ。」

 犬はしっぽをふってついてきた。


 山を降りると一面に耕作放棄地が広がっている。ここは四方を山に囲まれた小さな集落跡だ。昔はそれなりに人がいたようだが、今となっては山奥過ぎて誰も住んでいない。そばを流れる細い川に沿って下流に進むとそれなりに人が増えるが、その先は俺も見たことがない。

 俺と犬はとりあえず人家がある下流の方へと向かった。比較的近くにある一軒家は確か小さな男の子とその両親が住んでいたはずだ。犬は飼ってなかったと思う。犬は時々俺を見上げながらご機嫌に歩いている。草の匂いを嗅ぎ飛んできた虫に耳をパタパタさせる様はなかなか愛らしい。

 そう思ってみていたのに、犬は突然踏ん張りだした。まさかとは思ったがこちらには成すすべもない。犬は立派な糞を道端にした後、とびきりの笑顔で俺を見上げた。うん、これはあれだな。命の証だな。くっせえし。

 どうしようもないのでそのまま通り過ぎようとすると、犬は不思議そうな顔で糞を振り返りながらついてきた。わかるよ。お前の飼い主はお前の糞が大好きでいつも喜んで拾ってくれたんだろ。大事に袋に入れて家まで持ち帰ってくれたんだろ。ようするにお前には良い飼い主がいるってことだよな。俺は飼い主じゃないし手ぶらだから触りたくないよ。この辺に人はこないはずだから大丈夫だろ。

 少し歩くとぽつんと一軒家がでてきた。この家の周りは手入れされた畑や田んぼがある。この規模で農業が成り立つとは思えないが、変わり者の兼業農家なんだろうか。家の前を通り過ぎても人影はなかった。少し迷って犬を見たが犬は家など気にせず、ずんずんと川下に向かっていったので俺も後をついていくことにした。

 犬の揺れる尻尾を見ているのは楽しい。ぼんやりと歩いていると遠くの方に人影や車が走っていくのが見えた。

 ここは、たぶん、この世だ。

 振り返れるとただの寂れた山の中の風景があった。あのおかしな宿も見えない。なぜか泣きたくなった。

 生きている者が、俺以外にもいる。

 それはなんと恐ろしいことだろう。

 立ちすくむ俺を尻目に犬はどんどん歩いていく。生者の町に向かって。

 どくどくと心臓が波打ち、俺は道にしゃがみ込んだ。

 ちょっとこれは、シンドイかもしれない。

「あかんかも…」

 唇をかみながら上目遣いに犬を探す。なんと犬は道の遙か先を歩いていた。

「薄情もんがぁ…」

 俺は呻きつつ立ち上がった。犬の姿はもうぼやけてはっきりと見えない。なんてやつだ。ってか何しに来たんだアイツ。

 未練たらしく犬の方を眺めていたが、遠くの車のクラクションで我に返った。クラクションをならされた人は振り返って車の中の人となにかを話している。急に怖くなって俺は踵を返した。

 はやく、はやく帰らなくてはいけない。ここは生者の町だ。生きている人間がたくさんいる。俺は帰らなくてはいけない、あの、半死半生の宿へ。死人しかこない、あの時空の歪んだクソみたいな場所へ。一人ぼっちの俺の宿へ。

 いつの間にか小走りなっていたがすぐ息がきれてスピードが落ちた。俺は一体今いくつなんだろう。この肉体は若いのか。たぶん若くも年寄でもない。では顔は?イケメンか?髪がふさふさなのは知っているが、顔のことはわからない。あの宿には鏡がない。

 へろへろになりながら一軒家を通り過ぎ、やっと宿がある山の麓まできた。たかが数キロの移動なのにこんなにも疲れるということは、かなりの老体なのかもしれない。手や腕の感じだとそこまでではないのだけれど、もうダメなのかもしれない。

 てかほんともう、ヤダ。

 肩で息をしながら宿の縁側へ倒れ込んだ。疲れた。本当に疲れた。それなのに太陽の位置はまだ高く、大して時間が経っていないことを伝えてくる。たぶん時間にしたら一時間とかだったんだろう。けれど俺からしたらさっきまでここで犬を撫で回していたのが遠い昔に思える。ああ疲れた。

 目を瞑ると気持ちのいい秋風が吹いてきた。もうこのまま眠ってしまおうか。でも、眠る前にはいってらっしゃいを言わなきゃ…でも誰に…?

 あの犬は無事飼い主のところへ帰れただろうか。可愛かったな…たぶんあれは生きてたよな…なんでこんなとこに来たんだろ……ああ、それが迷子か。

 そこまで考えて俺は目を開けた。風は止んでいて何の物音もしない。

 迷子なのは、俺か?

 しかしなぜか急に眠くなって俺は再び目を瞑った。寝てしまおう、考えたってしょうがない。


 ここは半死半生の宿。迷子たちがくるところ。









 



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