生卵を持つ少女
誰かの声が聞こえて俺は目を覚ました。相変わらずの場所、相変わらずの畳の部屋。天気は曇り。
ノロノロと立ち上がり玄関を開けると、ランドセルを背負った女の子が立っていた。
「いらっしゃい。」
「どうも…あなた、ここの人ですか?」
「そうですが…」
何故か小学生に上目遣いに睨めつけられている。俺なにもしてないのに。首を傾げながらさっきまで自分が寝ていた所に案内する。少女は俺と一定の距離を保ちながら畳に座った。あ、座布団と思ったが下手に動くと叫ばれそうなので、俺は大人しく部屋の隅に正座した。茶でも飲むかと聞く前に少女が先に口を開いた。
「ここ、女性従業員はいないんてすか?」
言い方にかなりトゲがある。
「いないてすね…」
「なら私が宿泊する間、あなた出ていってもらえますか?」
少女はニコリともせずそう言った。
「出てけと言われましても…僕はここの管理人ですので。」
何より出ていく先がない。
「管理人業務の一環としてです。宿泊者を守るために必要であれば、あなたはそうすべきては?」
一歩も引く気はないという態度に内心頭を抱えた。だいたいどこで寝ろっていうんだ。庭か?
「守るって…あなた何に狙われてるんです? 俺は死人に手は出しませんよ?」
「信用できません。」
ピシャリと言い放たれ、俺は庭を眺めた。土の上で寝るの嫌だなぁ…布団引いてみようかな、汚れたって次の客がくれば元通りになるだろうし。
「…わかりました。そこまでおっしゃるのなら…」
俺の言葉を遮って少女は怒り始めた。
「なんですか人聞きの悪い。まるで私が無理矢理追い出したようではありませんか。」
無理矢理追い出してんだよ、バーカ!
「施設管理人を施設から追い出すっていうのはそれなりに無理難題ですよ。ご自覚ください。」
「あなたこそ男性は生まれながらにして加害者だという自覚を持ちなさい!」
すごい暴論だ。
「…男は全員加害者ですか? 何もしてなくても?」
「ええ。」
きっぱりと肯定されて俺は一気に会話する気力が失せた。話にならない。
「…そうですか。では心ゆくまでここにひとりでご滞在下さい。」
そう言って立ち上がると少女はビクリと身をすくめた。なるほど男に暴力をふるわれたことがあるのだろう。なんなら男に殺されたのかもしれない。それ自体は同情するが、だからって加害者じゃない俺を加害していい理由にはならないはずだ。
「そっちに台所があるので食事はご自身でどうぞ。もっとも死人は腹減りませんけどね。」
「そういう言い方が、脅しなんです。大体なんで私が貴方の分まで作らなきゃならないの?」
「いや、俺のはいらないです」
「田舎みたいだけど出前ぐらいあるてしょう? 電話どこ? いくらでも奢ってあげるわよ。」
「いや電話も出前もないですよ。ここは…」
「無いわけないじゃない! ここ日本でしょ? 今どき電話もネットもないなんてありえないてしょ!?」
どんどん声が大きくなる少女に合わせて俺も怒鳴った。
「ここはあの世です!」
少女は一瞬俺を睨んだがすぐに俯いてしまった。
「ここはあの世なので…あなたを加害する人はいません。あなたはあなたの望むことができます。あなたがしたいことってなんてすか?」
少女は答えず長い沈黙が落ちた。俺はそれを見ながら自分が言ったことについて考えていた。本当にここは客である死人の要望が叶うだけの場所なんだろうか。闇落ちは本人が望んだのか? なんせ俺も誰かに説明された訳じゃないから適当に喋ってんだよな。
「男は…生まれながらに神様からちんちんという武器を与えられています。」
「はい!?」
予想の斜め上からの少女の言葉に俺は混乱した。何の話?
「女は、神様から生卵のような体を与えられました。それを誰にも割られないように生きていくべしと。罰ゲームのようなものてすね。」
俺は言葉の続きを待ったが、少女はまた俯いて喋らなくなった。え? なんなの?
少女の沈黙は長く、俺は途中で考えるのを止めた。喉が渇いた気がするが急に立ち上がるとまたこの子を怯えさすだろう。それは俺の本意ではない。
「私がやりたいことは…閻魔様に札束を叩きつけることでした。でもどうやらそれは無理なようですね。」
長い長い沈黙の後、少女はそう言って寂しげに笑った。なかなか過激なことを仰る。
「そうですね。生前のお金を持ってこられた人は見たことないですね。」
「それだけが私の生き甲斐だったのに。」
寂しげに笑う顔はかなり年配のようにも見えた。俺はなるべくゆっくりとその場を離れ、台所で茶を入れて戻った、この人にはやっぱり緑茶だろう。
少女を小さな声で礼を言うと湯呑みを手に取った。もうおばあちゃんにしか見えない。
「男は…攻めるということを精神と肉体に刻み込まれ、女は受け入れるということを刻み込まれました。生き物として必要だったのかもしれませんが、私にはそれが苦痛だった。」
「そうですか。」
俺はぼんやりと相槌をうちながら、こっからエロい話にならないかなと考えていた。
「私は…自分が動物であることを否定したかった。」
「なるほど。」
「でも同時にあらゆるものに勝ちたいという欲も持っていた。馬鹿よね。今の社会は結局男が決めたルールで動いてるんだから、最終的にはだいたい体力勝負になるのよ。そうなったら勝てっこない。」
「そうですか。」
「ええ、ほんとに…無駄なことね。千年後の人類もそうなのかしら?」
「どうでしょうねぇ。」
「そうだとしたら私…もう人間には生まれたくないわ。動物もイヤ。植物がいいわね。大きな木になって、鳥が私の肩で羽を休めるの。動物にも涼しい木陰を提供するわ。フフッ…素敵じゃない?」
「そうですね。」
大木になって人間に薪にされるのはいいのかな。それとも人間がいない世界を想像しているのか。
沈黙が長いなと思い、少女の方に目をやるとそこには誰もいなかった。
「えっ!?」
思わず声をあげて立ち上がる。少女の姿はどこにもなかった。
「はやっ!」
念の為あたりをウロウロして姿を探したが、やはり居なくなっていた。何故だろう、急に消えられると少し寂しい。
湯呑みを追加してすっかりぬるくなった緑茶を飲む。ここにくる奴らは何故こうも会話ができないのばかりなのか。閻魔様に札束を叩きつける話は興味あったのに。
おそらく迫害された少女が大人になってそれを見返す為に金持ちになったんだろう。だが孤独な老後の果てにここに迷いこんだのか。うん、こんなこと本人に直接言ったら殴られてたな。あの人は俺と会話しなくて良かった。
畳に横になり一瞬だけ目を閉じるつもりがどうやら寝てしまっていたようだった。
夢の中で俺は女だった。突然押し倒され殴られた。夢なので痛くも怖くも無かったが、馬乗りになってきた男の顔が目に焼きついた。どこにでもいるような顔、こちらを見てるのに何も見ていない顔。まるで自分が丸太になったような気分だった。
男が去った後、地面に踏まれた生卵を見つけた。なるほど、壊れた生卵は二度と元には戻らない。なのにこの殻を抱いて一生人に頭を下げ続けなくてはいけないらしい。俺のせいじゃないのに。
目が覚めると最悪の気分だった。これがあの人の記憶なのかどうかは知らないが、とにかく最悪だ。一生生卵を抱えながら生きるのは確かに罰ゲームだ。腹立たしい。
「ムカつくわ。」
俺は苛々しながら台所へ向かった。冷蔵庫を開けて生卵を取り出す。この冷えた卵がいつのものなのか、果たしてニワトリのものなのか、俺は知らない。
だが、食う。
フライパンを火にかけて温めながら、ボウルに卵を割入れた。
ひとつ、ふたつ、みっつ。
箸でそれらをかき混ぜる。それはもうぐしゃぐしゃに。原型など残らないように。
べつに腹など減っていない。だが俺はこれを食わねばならぬ。
熱したフライパンに油を引いて卵を流し込む。なかの卵をかき混ぜる俺は、きっと鬼の形相をしているだろう。
食い終わった後にいってらっしゃいを言ってやる。
ここは半死半生の宿。迷子たちがくるところ。




