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空気人形

 まるで私という空気人形から空気が抜けていくようだった。

 床に不自然な体制で倒れこんだが、もう指一本も動かせない。シューという音を聞きながらただ体から血が漏れ出るのを感じるしかなかった。

 やっと終わる、このくだらない人生が。

 もう目は霞んで床しか見えない。遺書はあえて書かなかった。そんなものがなくてもこの部屋を見ればわかるだろう。

 男、金。ああくだらない。別れを告げたい人すらいないこんな人生。

 やっと終わる。




 目が覚めたら私は森の中にいた。

 あまりにも突拍子がなくてしばらく呆然とする。これは夢か?それとも天国か?

 自分の体を確認するとちゃんと足はあった。ただ服装が着たことがない真っ白なワンピースだった。これは新手の白装束なのか。

 混乱したまま頭を掻いて毛の長さに驚く。長い。ここ数年はずっと短かったはずなのに肩下まで伸びている。やはりここは天国なのか。いやちょっと図々しいかな。地獄かもしれない。

 体のどこにも怪我がない事を確かめながら立ち上がる。周りには見たことあるようなないような気がする木が沢山生えていた。どうやら緩い坂になっているようで地面は茶色く所々落ち葉の吹き溜まりがある。日本ではどこにでもあるような山の中っぽい。

 日本? いや異世界とかもあり?

 思いついて一人で笑ってしまった。死んで異世界に行くのはもはやテンプレの一つだ。ただどんな世界に飛ばされようと、私が大活躍する未来なんてないと思うけど。

 なんだかやけくそ気味に半笑いのまま山を下る。すると数分もしない内にコンクリートで舗装された道に出た。道路標識も見慣れたもので、どうみても現代日本だ。

「なあんだ」

 一人呟いてそのまま舗装された道を下る。空はよく晴れていて蝉の声がした。どうやら夏らしい。私が自殺を図ったのは冬だったはずなので、あれから半年以上経ってるのだろうか。しかしなぜ一人で山の中で寝てた?

 考えられるのは記憶喪失か・・・それともこれはただのちょっとリアルな夢なのかもしれない。むかし朝起きたつもりで夢の中で出かける準備をしていたことがある。目が覚めてまた準備しないといけないのかと愕然としたものだ。

 そんな事を考えながら歩いていると木々が途切れて見晴らしのいい場所に出た。山を四方に囲まれた場所で一面に田んぼが広がっていた。稲穂が生い茂っていてよく手入れされている。つまり誰かが近くに住んでいるのだろう。だが見渡す限り人影はない。

 蝉の声が急に大きくなったような気がして少し身震いした。ホラー展開は嫌だ。それなら不審者扱いされた方がいい。


 周りをキョロキョロしながら一番近くに見える家へと歩を進めた。家の中から血だらけの鎌をもった殺人鬼が出てきたらどうしよう。悲鳴を上げて逃げるしかできない。夢だったら目覚めれば逃げられるけど、そういう異世界だったらどうしよう。嫌だなあ、普通に死んだ方がマシだなぁ。

「おい」

 くだらないことを考えながら歩いていると急に声をかけられた。思わず悲鳴を上げてその拍子によろけて地面に座り込んでしまった。

「あ、ごめん・・・」

 思ったより普通に謝られたので声を方を見ると、普通の男の子が立っていた。高校生ぐらいか? ちょっと怒ったような顔でこちらを見ている。私は慌てて立ち上がり姿勢を正した。

「・・・どうも」

 笑顔で何か言おうと思ったが、なにも出てこなかったので取り合えず挨拶してみた。こういう時愛想よく笑えない自分が嫌になる。絶対に今顔が引き攣っているに違いない。男の子はイライラした様子で言った。

「あんたミヤさんとこの客だろ? こんなとこで何してんだよ。」

 みやさん? こんな所?

 私は引き攣った笑みを張り付けたままフリーズした。ダメだ、わからないことが多すぎてなにを言えばいいのかもわからない。

 男の子は相変わらずちょっと怒った表情のまま私の背後を指さした。

「あっちだよ。」

「あっち。」

 おうむ返しに答えて後ろを振り返る。男の子が指さした方向には山の中腹に大きな家の屋根が見えた。あれがミヤさんの家だろうか。しかしミヤさんって誰だろう。

 男の子の方へ向き直ると、彼はすでに私に背を向けて歩き始めていた。まくったTシャツから見える日に焼けた腕はどう見ても健康的な若者で、どうみても不審者は私の方だった。男の子はそのまま私が目指していた民家の中に入っていった。取り付く島などなかった。

 仕方なく男の子が指さした家へと向かう。先程の場所からは見えなかったが、どうやらあの家が二番目に近い家のようだ。他の家となると遥か彼方の方に家っぽいものが見えるが、遠すぎて確認しに行くのも面倒だ。

「なにやってんだろ」

 思わず愚痴が零れる。歩く度揺れる髪が首筋に当たるとどうしてもあの日のことを思い出す。あの日私は薬と酒で酩酊状態になった後、自分の首を包丁で切った。あの感覚が夢だとはとても思えない。ならばやはりこれは死にかけの私が見ている夢なのか。

 道は途中からコンクリートの舗装がなくなった。きっと私道に入ったのだろう。遠くに川のせせらぎが聞こえる。目指す家は近づくと木に遮られて屋根しか見えない。だがホテルや旅館のようには見えなかった。どう見ても田舎の民家だ。

 車の轍が残る道を登り家の前に立つ。引き戸の大きな玄関だ。戸は締まっているが横には大きな看板がかかっていた。1m以上あるその板には墨で「半死半生の宿」と書かれてあった。半死半生ということは死にかけということだろうか。死にかけという事はまだ生きてるということだろうか。死んだと思うんだけどなぁ。

 玄関脇のガラス戸は開いていた。恐る恐る中を覗き込むと縁側の奥には畳の部屋があり男が一人大の字で寝ていた。横にはクラシックな扇風機が首を振っている。人の家を覗き込む罪悪感ですぐに私は首を引っ込めた。

 他人の家だ。すごく他人の家だ。

 しばらく玄関前をウロウロと歩いてみたがなんのいいアイデアも思いつかなった。他に行く当てもないんだから、どう考えてもあの男を起こして声をかけないと始まらない。でも別に何も始めたくはない。

 ウロウロしている内に男が目覚めないかと思ったが、全く目覚める様子はなかった。仕方なく覚悟を決めて縁側に座ってみる。男は普通のおじさんに見えた。黒く短い髪、太めの眉毛、少し焼けた肌、白の開襟シャツ。目をつぶっているのでよくわからないが三十歳くらいだろうか。

 わざとらしく咳ばらいをしてみたが起きる気配はない。私はため息をつきながら少しだけ男に近づいた。

 どうせこれ、夢だし。

 多少びっくりしてたり怖い思いしたとしても、夢だし。

「あの~・・・ミヤ、さん?」

 反応はまったくない。規則正しい呼吸も乱れない。仕方なくもう少しにじり寄り、男の顔を覗き込んだ。よく眠っている。どこを叩いて起こすべきか。顔?腕?肩?

 右手をウロウロさせていると急に男が目を開いた。声も出せずに仰け反ると、男も無言のまま跳ね起きて後ずさりしていた。しばらく無言で見つめ合う。

「えっと、あの、私、客で・・・!」

 と思わず口走った後に、私、客だったっけと考えてしまった。客になったつもりはないけれどなんかそんな流れっぽいし・・・

「―――ああ! 客ね! 客! いらっしゃい!」

 男は妙に大きな声で言った。さっきまでよく寝ていたくせに元気な人だ。つられて私の声も大きくなった。

「宿! 宿なんですよね、ここ!」

「そうそう! 宿!」

 私たちはへらりと笑いあったあと無言になった。お互いテンパってることだけはわかる。それ以外はなにもわからない。視線をさ迷わせながらどうしたものかと考えていると、男は立ち上がった。

「えっと、ご飯とか食べる? お腹空いてる? いま何時?」

「え? わかんないけど、食べます。」

 まったくお腹など空いてなかったが取り合えず話を合わせる。男は頷くと部屋を出て行った。左と前にはふすまで仕切られた畳の部屋が並んでおり、右手には土間と板間があった。あちこちの窓があけ放されているようでときどき涼しい風が吹いた。いい感じの田舎の家といった様子だ。

 男はすぐに二匹の魚を持って戻ってきた。まだざるの中でぴちぴちと跳ねる魚を私の前に置いて、男はまた部屋を出て行く。畳に濡れたものを置くなんて、と呆れながら私はざるを覗き込んだ。なんの魚かはわからないが美味しそうだ。とりあえず一匹掴んで背中にかぶりつく。硬い。でもこれが新鮮ってことなんだろう。最初はビチビチ跳ねていた魚もすぐに大人しくなった。はらわた辺りが柔らかくて美味い。昔は苦手で残してたものだけど、大人になったということだろうか。

 食べ終わった頃に庭の方から炭の匂いがしてきた。覗きにいくと男が七輪で炭をおこしていた。

「なにしてるの?」

「俺は焼こうかと思って・・・美味しかった?」

「なにが?」

「魚」

「どうして私がもう食べたってわかるの?」

「そりゃ・・・服についてるから。」

 男が私の胸元を指さす。白かったワンピースが黒と赤でまだらに汚れていた。これだから白い服は苦手だ。

「汚しちゃった・・・」

 手でゴシゴシと汚れを拭うと、手も汚れていたらしくもっと汚くなってしまった。あーあ・・・

 膝を抱えてしょんぼりしながら男が七輪を仰ぐうちわを見ていると眠くなってきた。

「眠い?」

 タイミングよく聞かれ無言で頷く。さっき起きたばかりの筈だけどやたらと眠い。疲れてるんだろうか。いや、夢の中で眠いって言うのもどうなんだろう。

「向こうの部屋に布団敷いてあるから眠るといいよ。ここは宿なんだから。」

 そっか。宿なんだから眠ってっもいいのか。私はふらふらと立ち上がると家の中に入った。ふすまは全て開け放されていると思っていたが、一つだけ締まっている部屋があった。開けると暗がりの中に布団がしいてある。私は考えるのをやめて布団の中に潜り込んだ。

 ただ、眠い。



 目覚めは最悪だった。これはあれだ・・・二日酔いと一緒だ。頭痛、吐き気、もう二度と飲みませんという決意・・・あれ、昨日そんなに飲んだっけ?

 しばらく暗闇の中でうなっていたが、水が飲みたくなりふすまを開けた。明るい光にクラクラする。これは昼だ。夕方じゃないだけラッキーか。

 痛い頭を抱えながらふらふらと明るい方にでると男がいた。誰だコイツ。

「水、飲む?」

 なんだ神か。とりあえず渡された水を一気飲みした。甘くて冷たくて美味しかった。

「生き返る~!」

 と噛みしめた所で少し思い出した。あれ、私死んでなかったっけ?

「それは良かった。なんか食べる?」

 そう言われて私は男の顔を見た。やけに目の奇麗な男だ。前は寝ていたので気が付かなかったけど。

「・・・好みじゃないな。」

「誰が俺を食べろゆうてん。」

 男はハハっと笑うとどこかへ行ってしまった。唐突な関西弁に脳がバグる。いや、関西弁っぽく聞こえても簡単に判断してはいけない。昔九州の人を関西人だと決めつけてひどく怒られたことがある。彼らにとって出身を間違われるのはとても腹ただしいことらしい。いやそんな昔のことはどうでもいい。ここはどこだ。あいつは誰だ。私は一体ここでなにをしているんだ?

 畳にだらしなく座っている自分の体を見下ろす。真っ白なワンピースを着ている。二の腕太いからノースリーブなんて絶対自分では選ばないはずなんだけど・・・あ、そうか。これ白装束なんだっけ。

 男はコップに新しい水を入れて戻って来た。渡されたそれを今度はゆっくりと飲む。美味しい、生き返りそうだ。

「あの、私、死んでますよね?」

 男はにやにやしながら頷いた。

「せやね」

「ここ、天国ですか?」 

「ブサイクしかおらんでスマンな。」

 相変わらずニヤニヤしていうので俯いてしまった。いきなり見た目のことを言うのは失礼だ。私だって普段は心で思うだけで口には出さない。ただ、今は、死んでるので・・・

「すみません・・・」

 うな垂れて謝ると男は笑った。

「ここはね、あの世とこの世の間。迷子になった人が来る所。別名迷子センター。」

 口調が元に戻っている。

「・・・宿じゃなかったです?」

「半分この世にあるからね、そっちでは宿ってことになってる。」

「はあ・・・」

 淀みない説明が逆に頭に入ってこない。この人は何度も同じ説明をしてきたんだろうな。

「まあ泊れる迷子センターって感じだから。何日居ても構わないよ。」

 あたまがぼんやりして上手く考えがまとまらない。

 宿、迷子、知らない男。

「おにーさんは、だれ?」

「おにーさんはここの管理人。」

 うん、聞かなくても知ってた。本当に知りたいのはそれじゃなくって・・・

「えっと、私はなんでここにいるの? いつまで? 何のために? 半分生きてるってこれ夢? どうやったら目が覚めるの? また生きて苦しい思いするぐらいなら別に死んでいいんだけど。」

「いや、もう死んでるよ。」

「なんで?」

「なんでって・・・」

 男は呆れたように笑った。そりゃそうだ。私は自分で自分の首を切って死んだんだから、何でもクソもない。

「・・・すみません、混乱してるみたいです。」

「うん。混乱してる人しかここには来ないからね。」

 恐る恐る男の顔を見ると、ただ困ったような笑みを浮かべているだけで怒ってはいないようだった。良かった。

「すみません、私、頭悪くて。」

「・・・一つ言えることは、時間が解決することもあるってこと。ゆっくりするといいよ。」

 男はそう言うと空になったコップを片手に部屋を出て行った。開け放された縁側から庭が見える。低木の向こうには真っ青な空、蝉の声。夏だ。

 ふらふらと庭に出ると蝉の声は一層大きくなった。明るい。こんなに明るい空間の中に、染みの様に黒い私がいるのはなんでだろう。

 しばらく空を見上げて考えたが、わからなかったので縁側に横になって眠った。昔医者も言ってた、疲れてる時や考えてもよくわからない時は眠りなさいって。



 いい匂いで目が覚めるとちゃぶ台の上に食事があった。焼き魚と味噌汁、白いご飯、漬物。

「美味しそう」

「宿だからご飯もついてるよ。食べる?」

 男は笑顔でそう言って箸を渡してきた。受け取って手を合わせる。料理はどれも美味しかった。食べ終わると皿が下げられて遠くで洗う音が聞こえた。楽ちんだ。いつも私は気を遣って、先回りして、人の世話ばっかりしてたのに…待ってるだけってこんなに楽なんだな。

 手を拭きながら部屋に戻ってきた男が私を見てギョッとした。いつの間にか私は泣いていた。

「えっと…そんなに美味しかった?」

 私は黙って首を振る。そこまでじゃなかった。ただ、昔の自分を思い出して悲しかった。

「私、死ぬ程好きな男がいたんです。」

「彼氏?」

「バンドのボーカルやってて…彼女いっぱいいたのに、私はぜんぜん彼女にしてくれなかった。」

「へー…」

「メジャーデビューが決まって、最初の曲がちょっと売れて…500人入るホールが即日完売したんですよ。当日私の席は後ろの方で…泣いちゃった。この間まで近すぎて首痛いって思いながら最前列にいたのに。」

 それからそいつも他のメンバーもすごい調子乗っちゃって、なんか色々派手にやってたみたい。でも次のシングルはあんまり売れなくて、結局三年でメジャー契約打ち切り。バンドも喧嘩して解散。それでもね…私はあの人の歌が大好きだったから、ソロでも他のバンドでも歌い続けて欲しかったんだけど。

 自分の口から大きな溜息がでた。ここから先を言葉にするのは本当に憂鬱だ。

「…それでどうなったの?」

 男に促されて私は続きを話し始めた。

「奥さんの殺人未遂で捕まった。」

「えっと…その人結婚してたの?」

「本命はずっと昔から付き合ってる人だって噂あったけど、デビューしてすぐ結婚もしてたみたい。遊びまくってたくせにね。」

「それは、残念だね。」

「残念ってか…うん、それは別によかった。むしろ責任取れるなんてやるじゃんって思った。殺すのは違うと思うけど。」

「そうだね」

「とにかく顔が綺麗な人でさぁ…まぁ、顔だけじゃんって言われまくってたんだけど、声も良かったんだよね。歌下手だったけど。ノリのいい曲なら誤魔化せるんだけど、普通なテンポだとちょっとね…でも本人は難しい歌歌いたがるし、顔がいいから許されてるってのをわかってない感じでさ。インディーズ時代に出したバラードなんかギャグみたいだったよ。下手くそのクセに歌いあげててさ。」

 ふと視線を感じて男を見ると、男は苦笑していた。その顔で私は自分の顔が醜く歪んでいることに気がついた。

「…それでも好きだったんだよね?」

 男に聞かれて私は頷いた。たったこれだけのことでまた涙が溢れる。

 好きだった。殺すなら私を殺してくれればよかったのに。

「テレビのニュースで何回も映ってた。俯いて、髪の隙間からカメラ見てるの。ダッサいグレーのトレーナー着てさ。容疑者容疑者って。何回もデビュー曲が流れて。キラキラしてた頃のあの人が映って…なんであんなに苦しめるの? もうほっといてよ!」

 涙で上手く喋れなくなって私は顔を覆った。好きだった、辛かった。可哀想だった。誰が?

「大ファンだったんだね。」

「違う。付き合ってた。私のとこにも警察きたもん。カンケイがあったから。」

「カンケイ?」

「肉体関係ってやつ。お金もあげてた。本人は返すって言ってたけど絶対返ってこないたろうなって思ってた。だから私ちゃんと言ったよ? あれは借金じゃないって。返せとか言ったこともないし。でもなんか借金ってことになったみたい。偉い先生がそういう風にした方がいいって。よく分かんなかったけど。」

 男は何かを考えこんでいる。また私の話は伝わらなかったかな。昔からよく言われた。何言ってるのかぜんぜんわからないって。まあ別にいいけど。死んでからも人に気をつかいたくない。

「ところで、なんで君は今迷子になってると思う?」

 急に話が変わった。迷子?私が?

「別に迷子じゃないですけど…」

「じゃあここからどこに行くの? ここは一時的にしか居られないんだけど。」

 ああ、そういえばここ迷子センターなんだっけ。普通なら誰か迎えに来てくれるのかな。

「あの人に迎えに来てほしいけど…無理ですよね。たぶんまだ生きてるし。」

「そもそも君はなんで死んだの?」

 なんでだっけ…悲しくて悲しくて自分の首を切ったけど、なにがそんなに悲しかったんだっけ?

「よく…わからないです。」

「そう。でもちゃんと思い出さないと、君はずっと迷子のままだよ?」

 男は優しい顔で私を見てる。それだけでまた泣きそうになった。見返りなく優しくされるのは随分と久しぶりだ。

「ここが迷子センターなら、普通は親が迎えに来てくれるんですよね?」

「…そう、かもね。」

「私あの人に迎えに来て欲しい。」

「うん…どうして?」

「だって」

 私は大きく息を吸い込んだ。自然と笑みがこぼれる。

「好きだから。大好きだから。」

 嬉しい。良かった。私は死んでもあの人が好きだ。

「…迎えに来てくれるまで待つ?」

 呑気な言葉に私は笑って首を振る。

「そんなの無理! 待てないよ! 私迎えに行ってくる!」

 立ち上がろうとすると、なぜか体がフワッと宙に浮いた。視界が黒く霞んで遠くに誰かいるのがわかった。手でピンチアウトすると眠っている男の顔が見えた。私は大好きな人に向かって歩き出した。少しやつれていて男前が台無しだ。でも綺麗な顔。私が好きな顔。触ると怒られた顔。お金をチラつかせた時は黙って触らせてくれた。

 メジャーデビュー二年目で次の曲が売れなかったら契約更新しないって言われて、色んな女の子に色恋営業してたよね。私も喜んでいっぱい買ったよ。部屋が段ボールで埋まるくらい。

 その頃には奥さん出ていってたんだってね。また売れたら戻ってきてくれるって必死だったんだってね。弁護士の先生言ってたよ。女に必死になれるタイプだったんだね。確かにラブソングの歌詞はいつも病み系だった。

 結局三年目の更新はあったけど、一部のファンが大量に買ってるだけってバレてバンド内も大荒れしたみたいだね。今思えば契約打ち切りが決まってから連絡が取れなくなった。そんで次見た時はテレビニュース。辛かったよ。なんで一部のファンが買ってるだけじゃダメだったんだろ。私頑張ったのに。なんでもやってお金稼いで、それ全部注ぎ込んだのに。いっぱい我慢したのに。

 だんだん顔がはっきり見えるようになった。少しやつれていて少し老けたみたい。刑務所かな、私が死んだこと知ってるのかな。知っても泣きもしなかだただろうな。なんで尽くせば尽くすほど嫌われちゃったんだろ。

『お前は妹みたいなもんだから、眼中にない。』

 そういって頭を撫でてくれた時が、今思えば一番優しかった。私はまだ高校生で、髪も長かった。その時は悔しくていっぱい泣いたけど…あの人なりに大事にしてくれてたんだろうな。愛はお金で買っちゃいけなかったんだろう。でもあの人が欲しがって私が差し出せるもの、お金しかなかった。

 眠っているそばに跪いて顔を撫でる。少し眉をひそめただけで起きなかった。

「ねえ、やっぱりどうしてもあなたが欲しいんだ。諦めきれないの。だから…私の全部をあごるから、私のものになって?」

 男はやって目を開けて私を見た。その顔に私は微笑む。

「愛してるよ、ずっと。」




 突然黒いモヤに包まれて消えた女を見て、管理人はため息をついた。

「最後まであんま会話が成立せんかったなぁ…」

 首をふって立ち上がり誰もいない空間にいってらっしゃいと呟いた。これで今回の彼の仕事は一段落だ。

 ここは半死半生の宿。迷子たちがくるところ。



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