表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
牙と牙  作者: 天網 怪怪
7/7

疑惑

 幾人の命を奪ったろう

 百を超えた辺りから数える事をやめた


 命は尊い

 当然であるはずの倫理は頭から消した


 仕事だから殺す

 殺すのが役目だから殺す

 殺すことで食い扶持を稼ぐのだから殺す

 殺さなければ己が滅ぶから殺す

 

 けて...... 助けて......

 微かな声が聞こえる

 今にも消えそうな声が耳に障る

 潤んだ眼でこちらを仰ぎ見る女がいる


 女の喉元に一本の赤い線が伝う



 闇夜の中、顔を赤い布で覆い、黄土色の頭巾付き外套を羽織った男が座する。大きな乳白色の丸屋根の中腹に腰掛け、赤く汚れた短刀を見つめる。短刀を外套へと押し付け拭うと、元の鈍く光る銀色が露わになる。

 光を取り戻した刃を腰に収め、懐から木箱を取り出し、中から細い葉巻を一本取って口で咥える。燐寸(マッチ)で火をつけ、煙を口に含む。

 吐き出した煙は、夜空へと消えゆく。優しく頬を撫でる風に抱かれ、白い煙が解けてゆく。吸い込んだ煙は五臓六腑へと染み渡る。


 何度経験しても慣れぬものだ。もはや数など数えていない。もし数えていたとて、罪が消える訳はない。仕事の最中にはそのような事考える暇はないが、終わった後に静かにのしかかる。


 煙を吸い、少し胸が軽くなるような心持ちになる。

 罪をほんの一時忘れるために、罪悪感で押しつぶされずに息を吸うために、この一本があるのだろう。


 男は天を仰ぐ。その眼は、蛇に彩られた眼にはもう、一筋の輝きも見えなかった。




 「ハリード家だと?」

 グレイルがベルハルトに問い返す。

「ハザールの大貴族が?あそこは王家とも近ェし、ハザールの中枢にも影響がある家だろ」

 王国の中でも高い地位にいるハリード家が、王国と敵対するフロスト帝国に情報を渡すような真似をするだろうか。もし、ベルハルト達がフロストの密偵ではないと思われていたとしても、敵国に対しての抑止力であるような存在を引き渡そうとするだろうか。


「私たちに探させて、身柄を横取りして保護するつもり?」

 ライカが言った。

「保護するつもりはないだろう。あくまでやつは政治犯(テロリスト)だ。利用するにしては危険だ。犯罪者を我々に探させて横取りし、逮捕するというならわかるが、もしそうなら王家らが独自で捜査するだろう。我々を介在させる必要はない」

 ハザール王家はもちろんだが、ハリード家も大きな力をもつ。時間はかかるかもしれないが、テロリスト一人の捜査くらいハリード家の力だけでも出来るだろう。


 「じゃあ、何で俺らに情報渡すことになってンだ?」

 トラヴィスが返答する。

「理由までは明かしてくれなかったよ。とりあえず警戒はしとこうという話になった。まだ毒蛇(ソー・ヴァーン)についての情報は渡されてないね。向こうからは、情報持ってる。追って連絡する。とだけ」

 目的が不明だ。罠も疑っておいたほうがいい。


「そもそもハリードは、どうやってあなたたちに接触してきたの?」

 この潜入がハリード家に伝わったのではないか。言外に含みを持たせてライカがベルハルトに問う

「あちらから我々に働きかけがあった。一月前メディナの市場(バザール)に情報収集に行った隊員が、自身の服に見知らぬ布切れが紛れ込んでいるのを確認したらしい。そこには、毒蛇の情報をハリード家が持っている事、情報の受け渡し方法について記されていた」

 グレイル達は、潜入には細心の注意を払っている。ベルハルト達第三小隊も当然そうしているだろう。潜入中の彼らに連絡を取ることは極めて困難である。


 「ちょっと待て。直接連絡取ってきたって事は、ハリードのシマであるこのメディナにいるのはかなり危ねェ。サッサと逃げるべきだろ」

 戦争とは情報戦。国の情報を盗む他国の密偵は、見つけ次第即排除が鉄則である。もしハリード家、ないしはハザール王家がグレイル達の潜入の情報を掴んでいるのだとしたら、命は敵の掌の上となる。

 しかし、ベルハルトは覚悟の決まった眼を向け、返答した。

「逃げられるわけがなかろうが。まだ何も掴めていないのだ。祖国フロストのためにも、この取引に応じるべきだ。」

 軽薄な笑みを浮かべているが、トラヴィスもまた覚悟の灯った眼をしている。不遜で天真爛漫な態度とは裏腹に、帝国への忠誠は誰よりも高い。帝国への、フロスト帝国皇帝への高い忠誠心は、特殊部隊(クリープ・ファング)第三小隊の特徴である。


 「潜入部隊全体の指揮は私の役目だ。グレイル、貴殿も軍人である以上は指揮系統を遵守せよ」

 第七小隊は、潜入捜査の経験が少ない。第三小隊に指揮を任せる道理は、グレイルも理解している。しかし、幾度も戦場で死地を経験したグレイルは、引き際も重要である事を誰よりも理解している。

「犬死にと勇気は違ェ。お前ら、死ぬぞ?」


 グレイルはなお、逃げることを主張したが、本当に我々がフロストの潜入部隊だと確信されているならば、向こうから直接的な攻撃が来ているだろう。接触から時間が経っているのに何もないということは、まだ余地があるということだというライカの話を聞き、渋々ハザールに残る事を了承した。




 メディナはハリード家が統治する、王都アビブに次ぐ街である。街の中心にはハリード家の大きな屋敷が立ち、その周りを大小の民家や市場が雑多に入り乱れる。昼と夜の境無く、そこら中から人々の笑い声や喧騒、ハリード家御用達の楽団による音楽が聞こえてくる。


 街のとある劇場にて。舞台の上では、褐色の肌を露出した踊り子が舞い、飼いならされた猛獣が飛び回る。猛獣たちの上には白い顔料で塗り固められた男が観客に笑顔を振りまく。客席から歓声が上がる。


 客席の最後列に、刈り上げた黒髪の男が座っている。軽く周囲を警戒しつつも、客席で浮かないように演者へと拍手を送る。


 その隣の席に、一人の老人が座る。腰は曲がり、肌には皺が刻まれている。頭には灰色の頭被(ターバン)を巻き、白い布が垂れ下がっている。

 老人は、男にだけ聞こえるような声で言った。

「メディナの街は楽しんでおるかね?」

 声をかけられた男は老人に向けて、観客の歓声に紛れ込むように答える。

「おかげさまで。アビブも行ってきましたが、私はメディナの方が好きですね。あっちは暑すぎて」

 老人は微笑を浮かべた。

「そうかそうか。今夜、儂の家で食事でもどうかね?良い乳酒(ハリブ・アラク)ができたんだ」

 黒髪の男が応じる。

「是非伺いますよ。酒には目が無くてね。肴にアビブで買った焼菓子(バクラヴァ)を持っていきましょう」

 老人が席を立った。

「では、今日太陽が落ちる時刻に五番街(ハムサ・ハイ)の東から二つ目の家の扉を叩いておくれ。ご友人も連れてくるといい」


 老人は立ち去った。それを見届けてからしばらくした後、青年も劇場を後にした。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ