策謀
メディナの街は眠らない。
夜も深いというのに、喧騒はいつまでも続き、あちらこちらの松明からは炎がはためく。太鼓が轟き、人々は踊り狂う。
祭り囃子の外れ。
人々は皆、羽目を外しに祭りに行っているのだろう。民家からは人の気配はしない。灯りのともる家も無く、妖しく光る青白い月が微かに降り注ぐ。
とあるさびれた苫家の前に、二人の人間がいる。そのうち一人が、粗末な扉を五回叩くと、中から掠れた声が返ってくる。
「何か用かい?」
対して訪問者は返す。
「桂皮が切れたの。このままだと肉が腐るわ」
素っ気ない返答が返ってきた。
「あいにくと、桂皮なら無いよ。他所をあたるんだね」
桂皮はミーソンから行商によってハザールにもたらされる。中々の貴重品なので庶民が普段使い出来るものではない。
「そう言わないで入れてくれない?棗椰子を持ってきたんだ」
返答はなかった。その代わりに突如、扉が開いた。
「待ってたよ。お二人さん」
やや幼さの残る栗色の髪を後ろで束ねた青年が、薄い笑みを浮かべて二人を招き入れる。
「久しぶりね、トラヴィス。先輩に敬語が使えないのはまだ直ってないの?」
ライカは呆れたように溜息をつく。
「いいのいいの。僕天才だから。特殊部隊は実力主義でしょ?」
軽快な口調でけらけらとした返事が返ってくる。この青年トラヴィスは、帝国軍の特殊部隊員で第三小隊の軍曹補佐である。ライカと同じ防衛大学出身で、彼女の後輩にあたる。
「無駄話はやめろトラヴィス。本題に入る」
部屋の奥に姿勢よく座っていた刈り上げられた黒髪の男が、トラヴィスを言葉短く嗜める。グレイルは、その男に声をかける。
「ベルハルト。奴について教えてくれ」
「足がつくといけないので資料は残していない。内容は全て頭の中に叩き込んでくれ」
第三小隊軍曹ベルハルトは、そう前置いて話し始めた。
「毒蛇。奴の通り名だ」
謎の多き男毒蛇。この男の足取りを掴むべく、グレイルたち第七小隊はハザールへと潜入している。
「グレイル。貴殿はどこまで情報を受け取っている」
「正直、ほとんど知らねェ。帝国の大本営から直接殺せと言われるほどのやつだってことくらいだ」
グレイルの返答に、ベルハルトとトラヴィスは驚きを見せる。天真爛漫なトラヴィスはともかく、冷静沈着、鉄面皮で知られるベルハルトが感情をあらわにするのは珍しいが、当然であろう。大本営から直接名指しされる等、滅多にある事ではない。
「大本営が直接だと?やはりこの男はたんなる政治犯ではないようだな」
ベルハルトは水筒に口を付けて水を飲み、話を続ける。
「我々もまだこの男については捜査中で、わかっていない事も多い。今後は貴殿ら第七小隊にも手伝ってもらう。今回の潜入の全体指揮は我々第三小隊が取るため、貴殿らはくれぐれも勝手な行動を取らぬように。グレイル、ここは相手をただ薙ぎ倒せば良いだけの戦場ではない。一人の勝手が我々潜入隊員全体に、引いては我らがフロスト帝国を危険に晒す可能性もある」
ベルハルトの突き刺す眼差しに対し、グレイルは返す。
「てめェらだけじゃ見つからないから俺らが呼ばれたンだろ。意見は挟ませてもらうぜ」
グレイルとベルハルトが互いに睨めつけ合う。
「潜入任務の中で、僕たちはとある情報提供者を見つけたんだ」
トラヴィスが軽く嬉しさを滲ませながら言った。
「ハーリド家って知ってる?ハザールの北の方に領土を持つ貴族だよ」
ハザールは、国家の元首である王家、その他に各地方を大小の貴族が統治している。フロストのように皇帝が全土を支配するのではなく、貴族が各地域を分割統治し、それらの貴族を王家が臣下とするといった封建制が敷かれている。
「知ってるわ。ハザールの中でも有数の大貴族じゃない」
ライカが答えたように、ハーリド家はハザールにいくつも存在する貴族の中でも目立つ存在である。王家とも一部婚姻関係を結んでおり、ハザール北方では王家よりも民への影響力は大きい。
「で、そのハリード家がどうしたの?」
トラヴィスに代わってベルハルトがその質問に答えた。
「単刀直入に言うと、そのハリード家が情報提供者だ」