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牙と牙  作者: 天網 怪怪
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陰影

 灰色の空の下で骸を見下ろす

 奪われた家族を

 生命(ヒト)から物体(モノ)になった唯一の親族を

 幼気(いたいけ)な少女が苦悶の表情を浮かべて空を仰ぐ

 透き通るように白い肌は病的なまでにその色を落としている

 

 切れた手足の腱

 抉られた眼

 柄迄もが赤黒く染まる胸に刺さった刃

 あらゆる暴力の痕が記録されている



 目を見開く

 唇を噛む

 握る拳は血が滲む

 溢れんとする涙を必死で押し戻す

 震える膝を必死で抑える


 それでも一筋の水が頬を伝う

 堪えようとする程に新たな雫が零れ落ちる

 水滴はやがて足元の白い肌(少女)を濡らす



 泣くな

 涙はあの時断ち切ったのだろう

 泣くな

 涙で何かが変わるとでも言うのか

 泣くな

 涙を流す資格などお前()には無いのだから



 お前()がやるべき事は何だ

 泣いてる暇があると思うのか




 俺がやることは決まっている

 殺してやる 俺の家族に手を出した事を懺悔するように

 殺してやる 俺を怒らせた事を後悔するように

 殺してやる 此の世に生を受けた事を呪うように






 「また、か」

 朝が来た。汗で寝巻は体に張り付き、ひんやりとした冷気が背筋を撫でる。寝具(ベッド)から体を起こし、髪を搔きながら洗面台に足を運ぶ。


 鏡を見る。昨晩見た夢のせいだろうか、その顔は酷く歪んでいた。目の下には大きく隈ができている。伸びたままになっている口髭もそろそろ整えるべきであろう。隊員の訓練指導や来週に迫っている特殊任務の作戦立案、報告書の作成に自身の鍛錬等、多忙を極める彼の日々はその外見にも表れている。


 水を手ですくい、顔を洗う。前髪が濡れて頬に張り付き、しぶきを跳ねさせながら落ちる。指先で髪を掻き揚げるたび、朝の冷気が皮膚を刺す。

 部屋の片隅に積んである軍用携帯食料に手を伸ばす。乾いた口に水を流し込み、軍用食料を流し込む。胃に栄養が落ちるたび、体の奥から少しずつ力が戻る感覚がある。

 白い釦のない襯衣を羽織り、深緑色の軍用戦闘服に袖を通す。革の編み上げ靴を足に締め付け、靴底の感触を確かめるように軽く踏み込み、体を目覚めさせる。


 彼の脳裏には、来週に迫った特殊任務の作戦立案、隊員たちの訓練指導、そして自らの肉体鍛錬の予定が次々と映し出される。

 朝の冷気を胸いっぱいに吸い込み、再び動き出すための準備は整った。

息を整え、体の感覚を研ぎ澄ませながら、グレイルは再び一日のために部屋を出る。




 「おはようございます。軍曹」

 グレイルが作戦室に入ると、明朗な声が響き、金色の髪が視界に入った。第七小隊の副官、ライカである。

 後頭部で束ねられた金の柔らかな髪は、軽く巻きがかかり、日差しを受けて光を反射している。小柄で若い彼女は、女性としても美人とされる分類に入る。しかし、グレイルの下にある者は、性別や年齢に関係なく、ただの部下としてではなく、戦士として鍛え上げられる。日々の訓練は容赦なく、甘さは一切許されない。

 グレイル(狂犬)の部下に軟弱な者はいない。並の軍人なら軽く捻ることが出来るだろう。戦場で生き残るために必要なものは、力だけではない。冷静さ、判断力、そして耐え抜く精神力。ライカを始めとする隊員たちは、訓練によってそれらを備えている。


 「おう、早ェな」

 来週に迫ったハザール王国への潜入任務の打ち合わせのため、二人は作戦室に足を運んでいた。空調の微かな音と紙の擦れる音が静かな部屋に響く。

「軍人として、当然ですよ」

 少し微笑みながら可憐なる副官は応えた。その瞳は朝日を受けて輝き、柔らかく巻かれた後頭部の髪は動くたびに光を反射する。


 ライカは小柄で美人な女性である。しかし、小隊の副官として、そしてグレイルの右腕として、彼女は男ばかりの軍隊の中でも一線を画している。真面目さと剛毅さ、そして徹底的な努力量で存在感を示し、日々の訓練でも並外れた力を発揮している。

 グレイルは歩兵からの叩き上げであり、経験と現場感覚に長けている。一方でライカは防衛大学出身の秀才であり、理論や分析に優れる。二人は互いの欠点を補い合い、隊をまとめる軸として機能している。そのためグレイルは彼女を軍曹補佐に指名し、小隊の副官としての立場を与えた。現在では、グレイルの指示に的確に従うだけでなく、隊員たちからの信頼も厚く、頼れる存在となっている。


 「よし、始めるぞ」

 任務開始まで時間が無い。無駄話をしている時間が惜しい。グレイルは、準備を入念に行う事の大切さを知っている。その為か、隊員の練兵も厳しく行うし、何回も作戦を推敲する。計画を見直し、粗が見つかれば徹底的に潰す。時には互いに意見をぶつけ合い、計画を綿密に練り上げてゆく。

 どのようにして毒蛇(ソーヴァーン)を見つけ出すのか、見つけ出したらどのようにして暗殺するのか。ありとあらゆる状況を考えて、何が起こっても大丈夫なように作戦を煮詰めてゆく。

 隊員達の練度も上がってきており、着々と準備が整えられている。


 作戦室の机には任務資料が整然と置かれ、壁の地図には潜入経路や危険区域が色分けされている。ライカはその前に立ち、資料の端に指を置きながら静かに内容を確認する。目の奥には鋭い光が宿り、彼女の頭脳の働きを窺わせる。

「軍曹、任務の細かい進行について相談してもよろしいでしょうか」

 ライカの声には遠慮はない。しかし、その口調には信頼と冷静さが感じられ、部下としてではなく、共同指揮者としての立場を強く印象づける。


 グレイルは頷き、資料に目を落とした。




 任務開始の日が来た。

 グレイルは小隊の隊員たちを一つの部屋に集める。部屋の壁に映る影は朝日の差し込みと共に長く伸び、静かな緊張感を漂わせていた。


 隊員たちはついに任務を実行する時を迎え、自然と背筋を伸ばす。口元は固く結ばれ、視線は鋭く前方を捉える。全員の表情に、覚悟と集中が滲んでいる。


 グレイルは静かに周囲を見渡し、一呼吸置いた後、通る声で言った。

「てめェのやるべきことをやれ。作戦は、頭に叩き込んであるはずだ」

 声の端々に緊迫と力強さが込められている。隊員たちはそれを受け止め、力強く答える。

 今、この瞬間から、彼らは任務の世界に身を投じるのだ。




 暑い。

 容赦の無い直射日光が、赤や青、金や銀に彩られた街に降り注ぐ。人々は全身を白い薄布で覆い、その身を熱線から守る。雪の帝国フロストでは太陽は暖かさをもたらす存在であるが、砂の王国ハザールではその熱で命を脅かす脅威である。


 ここは、ハザール王国の王都アビブ。太陽の熱気を押し返すように、人々の活気で溢れかえる。

 市場(バザール)では行商(キャラバン)が品物を手に客を呼び込み、通りの脇の焼いた羊肉を売る屋台には、腹を空かせた子供が駆け寄る。

 大きな丸屋根の劇場では、肌を露出した踊り子が軽やかに、そして艶めかしく体を揺らす。観客の視線が集中し、笑い声や喝采が湧き上がる。少女たちの指先が光を掴むかのように舞い、羽のような衣装が宙を切る。彼女らは神の使いの天女か、それとも人々を誘惑する悪魔か。



 太陽が沈み、夜がやってくる。

 雲一つない夜空に星々が煌めき、白く優しい月光が街を静かに照らす。

 吟遊詩人らの爪弾く旋律が聞こえてくる。人々はその心地よさに揺られ、夢の世界へと誘われる。

 昼の騒がしさとは違う。緩やかで艶やかな旋律が、街の軒先や小路の間を抜け、微風(そよかぜ)に乗ってどこまでも流れてゆく。



 中心街から外れた一画。道行く人々は粗末な布を体に巻き、肩を落として歩く。人間が一人二人通れる程度の幅の道が迷路のように入り組み、老朽化した粗末な家で挟まれている。


 貧民共が肩を寄せ合い、犇めきあって暮らす。それがこの貧民窟、通称罪の都(ハティール・マディナ)である。華やかで煌びやかな王都の影とも言うべきこの罪の都(ハティール・マディナ)は、王都から弾き出された人々の拠り所でもある。職を失って中心街を追い出された者、移民として王都に来たものの上手く馴染めなかった者。彼らの背後には、決して明るくはない人生が横たわる。


 この町の住人はそうした者たちだけではない。表の世界で生きられない者、いわゆる裏社会の住人たちも多く生活している。

 彼らの仕事は多岐に渡る。人身売買、麻薬製造、武器流通、殺人などありとあらゆる犯罪が、彼らの飯の種である。

 生きる為であれば、手段を選ぶ余裕などない。己が生き残るために他者を食い物とする。気を抜けばいつ他者に寝首を掻かれるか分かったものではない。小麦一房のために血が流れ、命が散る。そんな地獄で、一体誰が倫理など気にするというのだろう。ここでは、道徳心や慈愛の精神といった高度な人間性を、暴力という極めて原始的な本能が軽く凌駕し踏み潰す。


 行政の手もこの迷宮には行き届かない。随分と薄情な事ではあるが、大多数の一般市民を養うことで精一杯の政府が、そこから零れ落ちた者たちにまで目をかける余裕はない。あまりに人口が膨れ上がった社会をまとめ上げるには、幾らかの間引きが必要となる。大多数(マジョリティ)を生かすためには小数(マイノリティ)を切り捨てるしかない。殺すまで行かないにしても、目の届かない場所に締め出すのは社会を維持する有効な一つの手段である。


 臭い物には蓋を、塵は塵箱へ、人間、いや生物が持つとても自然な感覚が、この町を罪の都(ハティール・マディナ)たらしめている



 そんな罪の都(ハティール・マディナ)のとある粗末な家に、一組の男女がいた。薄汚れた金髪の小柄な女と左目に大きく刀傷のある黒髪の男である。


 不意に扉が開いた。一人の男が入ってくる。

 部屋が暗く、男が頭まで覆う黄土色の外套を着ている為か、顔は良く見えない。背の丈は高めで、服の隙間から見える肌は濃い褐色の色をしている。


 褐色の男が言葉を放つ。

「あんたらの目的はわかってんぜ」

 そう言って外套から頭を出す


「俺を、殺しに来たんだろ?」


 露わとなったその顔には、蛇が牙を剥いていた。

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