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牙と牙  作者: 天網 怪怪
3/7

起動

 朝日が低く水平線を染める。冷たい空気が肌を刺す中、グレイルは目を覚ました。顔を洗うと、水の冷たさで目が覚め、前髪を掻き上げて視界を確かめる。身なりを整え、自室を出た彼の息は白く、冬の訓練場へと向かう足音が凍った地面に軽く響く。


 空気は凍るように冷たく、吐く息は白い。だが、それが氷の帝国フロストの朝の空気であり、彼らにとって日常の一部だった。


 日課の練兵が始まる。今日は筋力増強を目的とした肉体訓練を行う日であり、隊員達は早くも苦悶の表情を浮かべていた。冷たい風に晒されるも、筋肉の躍動によって発生する熱が冷気を撥ね退ける。

「戦場では結局、てめェの力がモノを言う。死にたく無ェなら、必死で喰らい付いてこい!!」

 グレイルの怒号が凍み渡る空気を震わせる。それに呼応して隊員たちも声を荒げる。

了解しました!!軍曹(サー イエス サー)!!」

 汗が頬を伝う。己の肉体を苛め抜き、自ら筋肉に負荷をかける。痛みが走るたび、体は少しずつ強くなっていく。

「使っている部位を意識しろ。この訓練がどこの部位を鍛えてンのか、常に考えろ!!」

 容赦のない指導に、隊員たちは荒い息を吐く。グレイルの獰猛な眼光が一人ひとりを見据え、凍てつく朝の光の中、彼らの決意と恐怖を同時に揺さぶる。狂犬(クレイジー・ドッグ)の異名が、まさに現実となる瞬間だった。




 軍隊の朝は早い。

 太陽が地平線から顔を出すと同時に、隊舎の中で目覚めの鈴が鳴り響く。

 隊員たちは一日の始まりとともに訓練場へ向かい、練兵や勉学に身を投じる。肉体も頭脳も限界まで追い込まれ、必要最低限の事務作業をこなした後、ようやく眠りに落ちる。

 隊規が多少緩いとはいえ特殊部隊(クリープ・ファング)も規則正しい生活を送る事は義務である。訓練は厳しく、精鋭が集められた特殊部隊(クリープ・ファング)での訓練は、帝国軍全体でも群を抜くほど過酷である。新たに部隊に配属された隊員は、初めは血反吐を吐き続ける日々を強いられる。


 特にグレイルの持つ第七小隊は群を抜いて苛烈な練兵で知られている。特殊部隊(クリープ・ファング)きっての武闘派である第七小隊では、特に戦闘技術に重きが置かれ、射撃訓練、対人格闘、模擬戦闘、戦術・戦略指導等、戦いに関するありとあらゆる技術が叩き込まれる。戦闘技術以外の基礎知識教育も行うが、他の小隊よりもそれらに割く時間や労力を削り、徹底的に戦うことに特化したのがこの特殊部隊第七小隊(ハウンド・フロック)である。


 第七小隊に軟弱者は居ない。誰も彼もが屈強な肉体と洗練された戦闘技術・戦術理解、そして燃え盛るような戦意を兼ね備えている。

 そして隊の誰よりも鍛え上げられているのが、小隊の長である軍曹グレイル(狂犬)である。躰自体はそこまで大きくは無く軍人の平均的な身長と同じくらいであるが、数多の戦場を生き抜いて磨きあげられた彼の肉体は、鋭く尖った小刀(ナイフ)のような斬れ味を感じさせる。

 強靭な肉体、積み重ねられた経験値、切れる頭脳、そして戦うという堅い意思を兼ね備えている。まさに帝国最強の戦士とも言って良いだろう。




 肉体訓練が終わり、グレイルは小隊員たちに休憩を命じた。疲労で伏せていた者も多かったが、扱き倒された直後の緊張が解けたためか、隊員たちの目には光が宿る。

「次は対人格闘の訓練を行う予定だったが、重要な話があるンで予定を変更する。昼飯を喰ったら小隊の作戦室に集合しろ」

 隊員たちは、グレイルの言葉に力強く返事をする。その後、訓練で火照った体を冷まし、疲労した体を回復させるために、食堂へと足を向けた。

 隊員たちを確認し、グレイルも食堂へと向かう。


 軍の食事は簡素だが、栄養は十分に考えられている。大豆や馬鈴薯(カルトッフェル)等が入った山羊乳の煮込(シチュー)と歯応えがあり腹持ちの良い黒麦の麺麭(パン)、そして体を温めるための一口分の蒸留酒(ウォッカ)。疲れた体を癒すように、兵士たちは勢いよく掻き込む。

 グレイルの頭の中ではハザール王国への潜入任務について思考が始まっていた。任務に関わる全ての情報を頭に入れ、潜在的な問題や危険箇所を予測しながら、わずかな時間を惜しむようにして口に食べ物を運ぶ。


 昼食を早々に済ませたグレイルは隊員たちが集まるよりも前に第七小隊の作戦室に到着した。昨日ブラウン隊長から渡された資料や、今回の任務地であるハザール帝国の全体地図を机の上に並べ整理する。

 隊員らに提示した集合時間までまだ時間があり、今この部屋にはグレイル以外誰も居ない。紙の上の文字と地図を指先でなぞりながら、昨日の会議の内容や任務の詳細を思い返す。




 「奴を見つけ出し、殺せ」

 隊長のブラウンは鋭い視線を向けながら言い放った。グレイルは困惑した。今までこなしてきた任務とは明らかに毛色が違う。

 グレイルは、ブラウンに質問した。

「この者は一体何者なンですか」

 このような個人の殺害を目的とした任務が、第七小隊に下ることは本来ならばあり得ない。


 個人の殺害を国家が行うことが無い訳では無い。

 例えば、犯罪者の処刑が例として挙げられる。凄惨な事件を引き起こした凶悪犯等、国家に対して多大な被害を出しそうな者の命を奪う事で国の未来を守ると言った手法である。

 しかし、それらは軍の役割では無い。警察や検察、裁判所といった司法に委ねられているものであり、死刑執行もそれを行う役割の人間がいる。


 また、戦争を引き起こしうる可能性のある敵国の政治的犯罪者(テロリスト)らを暗殺する事もある。これは軍が行う仕事である。

 だが、間違ってもグレイルと第七小隊に与えられるような任務ではない。今までこの小隊に与えられてきた任務は、戦地に赴く軍隊への従軍や激戦区への援軍が殆どであった。その他には偵察や斥候の為に敵地に侵入する等の任務が多少あったくらいである。このような任務の担当に我々が選ばれたのはなぜだろうか。


「奴はハザールに潜伏している政治犯(テロリスト)だとの情報だ」

 副隊長のシリウスが答える。

「わかっていることは殆どない。奴の存在を潜入している我々の部隊員が掴むと同時期に「毒蛇(ソー・ヴァーン)という者を殺せ」との命令が大本営から我々に届いた。私やブラウン隊長、ジュリア君も驚いたんだが、第五師団長らを通さないで大本営から直接ブラウン隊長に指令が下されたらしい。内密に動けとのお達しだ」

 ますます不可解だ。


 大本営から直接の命令が届くのは前代未聞である。普通は大本営から陸軍元帥や陸軍大将を通じて第五師団長へと指令が下り、師団長から部隊長へと連絡が届く。大本営が元帥らを通さないで命令を発する事はまずない。余程の事情があるのだと考えられる。

 また、潜入している我々が情報を掴んだことをなぜ大本営がそこまで早く知るのだろう。


 「既に現地に潜入していた第三小隊に探らせており、奴は蛇の入れ墨があることが分かった。だがそれ以外の情報は、まだ報告されていない。そこで、第七小隊には増援の諜報員として現地の第三小隊と協力して探ってほしい。」

 奴はなぜ帝国から命を狙われるのだろう。

 確かにハザールの政治的犯罪者(テロリスト)というだけで、帝国が追跡しようとするには十分な理由となる。暗殺することも、十分に考えられることだろう。


 然し、大本営が出張るとなれば話は変わる。ハザールに潜む対フロスト思想の政治的犯罪者(テロリスト)の数は軍も把握しきれてはいないが、少なく見積もっても三桁は数えられるだろう。それらを全部大本営の預かりとするのは到底無茶であり、多くは軍の諜報部隊や警察の対外組織で処理する事案である。

 だが、この者を、大本営が名指しで極秘に特殊部隊(クリープ・ファング)に見つけ出させようとしている。相当大きな山であり、奴にはかなり重大な事情があると考えられる。


「昨日も話したが、今回はこの毒蛇(ソー・ヴァーン)を最優先して欲しい。ハザールの内部情報の偵察については後日、こちらからまた指示を出す」

 隊長のブラウンの言葉を聞いて、グレイルは多少察しがついた。ハザールの軍の内部情報を探るというのはあくまで表向きの理由であり、真の目的はこの毒蛇(ソー・ヴァーン)を殺す事なのだろう。しかし、大本営から特殊部隊(クリープ・ファング)への極秘任務であり、部隊の外の人間に知られてはならない。従って、偽の任務を作り上げることで、対外向けにハザールに諜報員を送り込む理由を作り上げたという訳だ。


 グレイルが色々と考えていると、参謀のディアナが話し出す。

「グレイル軍曹と第七小隊は、来月からハザールに潜入してもらいます。人員の配置や準備については軍曹に一任いたしますので、準備をお願いします。何か必要な物があれば、知らせて下さい。できる限りの要望にお応えいたします。現地に潜入中の第三小隊とも連携を取ってください」

 色々と謎に包まれてはいるが、久々にやり応えのありそうな任務だ。腕が鳴る。

 グレイルは獰猛な笑みを浮かべる。


 見せてやる 狂犬(クレイジー・ドッグ)の狩りを




 続々と作戦室に隊員達が入ってくる。本来、各小隊の会議は濃緑色の詰襟の帝国陸軍制服を着て外羽式の黒革靴を履かなければならないが、この第七小隊では軍曹のグレイルの意向で指定の服装はない。表向きには着替えている時間を訓練に充てたい為と言っているが、単にわざわざ制服に着替えるのが面倒だからである。

 そのため隊員は皆、訓練時に着用する白と灰色の迷彩柄の戦闘服で集合しており、グレイルは体に張り付くような丸首の黒い襯衣と緑の太い軍用下衣に黒革の編み上げ靴といった姿である。


 隊員が全員作戦室に入ったので、グレイルは声を張る。

「来月の頭から、俺ら第七小隊は長期任務に就くことになった!! 期間は半年、死と隣合わせの危険な任務だ」

 隊員達の顔が引き締まる。大規模な戦争中でもない限り、任務期間は一か月程度である事が多い。今回のような半年間もの長期任務は珍しく、詳しい話をする前から隊員達は皆、今回の任務は相当大きいと感じていた。

「今から任務の内容を話す。今回は普段の荒事とは違ェ、ハザールに潜入して行う諜報活動だ。これから資料を配るが、絶対ェこの小隊の外に出すな」

 任務の情報を記載した資料を隊員へと配り、説明する。ハザールの内部情報を探る事、毒蛇(ソー・ヴァーン)と呼ばれる政治的犯罪者(テロリスト)を探し出して殺害する事、外部に任務の情報を流さないよう徹底する事等の情報を共有する。


 「概要は以上だ。各自情報を頭にブチ込んどけ!!」

 大雑把な説明が終わった。隊員達は資料を頭に叩き込もうと必死で読み込んでいる。

「軍曹、質問宜しいでしょうか!!」

 金色の美髪を後ろで束ねた可憐な女性が手を挙げた。


 声の主はソフィ=ライカ。グレイルより七歳年下で、現在は二十八である。防衛大学を優秀な成績で卒業して陸軍へと配属された。祖国の為に戦いたいという本人の強い希望で、第七小隊に所属している。

 現在ではグレイルに次ぐ地位にあり、グレイルの右腕として辣腕を振るっている。


 「なンだ。ライカ」

 グレイルは質問を促す。

「我々のような戦闘を得意とする部隊に、なぜ今回のような暗殺任務が拝命されたのでしょうか。明らかに我々の不得手な分野の任務です」

 ライカは鋭い。上からの命令を鵜呑みにせず、考察する癖がついている。

「ブラウン隊長からは何も聞いてねェ。ただ遂行せよとの指令だ」

 グレイルも気になっている所ではあるが、軍隊とはそういう所だ。上意下達を徹底することで組織が成り立っている。下された任務は絶対。下されたら遂行する以外に道は無い。上官が白だと言えば、鴉でさえも白くなる。言外にそのような意思を忍ばせて返答する。ライカもそれを感じ取り、それ以上追及する事はなかった。他の隊員も同様に、任務達成の為に思考を切り替える。


 「これから細かい戦略を練る。各自、やるべきことをやれ」

 出来る事は全てやる。グレイルは、力強く隊員達に宣告する。

「今この瞬間から頭を入れ替えろ。今までのヌルい訓練期間は終わりだ。俺達ァ何が起こるかわからねェ敵地へと赴く。だが、何が起ころうと任務を果たす」

 その言葉で、皆の顔付きが変わった。


 戦士(猟犬)達が解き放たれる(牙を剥く)

 (狂犬)笑う(牙を剥く)


 全ては帝国(俺達)の為に


 狩り(戦争)が始まる

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