鴎は黄金の籠に囚われるⅠ
新居はウイーン郊外のラクセンブルグ宮殿が用意された。
あくまで新婚用の設えで恒久的に過ごすわけではなかったが、大公妃が用意した内装や改修は到底若いエリーザベトが想像したよりも旧式で快適とはいえない宮殿だった。
祝宴が落ち着いた後、1854年5月王宮から用意され義母好みの新婚用のラクセンブルグ宮殿へ移る。
この宮殿は私の思った以上に生活感のない宮殿だったわ。
いくらかは内装は綺麗で揃えていたけれど、最低限でバスもなければ洗面台もトイレもない。
衛生施設は最低限で古式だった。
義母は十分にこの宮殿を住みやすい様に整えたと考えていたけれど私には酷く暗くて素っ気ない浮世離れした内装に愕然としてしまったわ。
これからのウイーンでの生活が始まる。
そしてフランツは食後すぐにいなくなって、王宮やシェーンブルン宮殿にいってしまう。
残されたのは義母そして義母の選んだ女官長のエステルハージ侯爵夫人一派だった。
毎日朝起きてエステルハージ侯爵夫人の一日のスケジュールを聞かされる。
この夫人は義母のスパイだった。
なんでも私の至らなさ、失敗、何をどうしたまで全て義母に報告していた。
何時に何をして、誰と会い、どう作法するのか?
訪問者がどういう地位でどうゆう家門でどういう人なのか?と説明される。
1日100名にも面会を求めれる。
びっしりと書かれたスケジュールに自分の休息時間はまったくなかった。
唖然とする毎日、今までに経験した事のない圧迫感、重圧、そして召使といえど他人の視線、自由のない生活。
これが毎日続くのよ。
しかも細かい手順や規則、儀礼、皇后として取る行為それだけではない。
私がする事全てがいけない事だというの。
フランツに言っても額に軽くキスをして。
「君が立派な皇后になれるように大公妃も厳しく接しているんだよ。
君を嫌いな訳じやない。
わかっておくれ愛しいシシッ」
それしか言わなかったわね。
彼はそれを義務だと思っていたようだから、仕方ないわね。
毎日着替えは3回、手袋のまま食事をする。
一度履いた靴は召使に下げ渡す。
そして一人っきりになれない。
フランツは政務政務政務で夜遅く帰ってきて、日も登らない早朝に出ていってしまう。
私は初めての場所で一人ぼっち。いえ誰かいるわ。
でも知らない人そしてその人は報告義務のあるスパイ義母のスパイ。
伯母なのに私が皇后として相応しくないと口に出さなくてもわかる。
ヘレーネなら立派に果たせたろう。
その役目、私には似つかわしくない。
出来の悪い嫁と。
フランツフランツ…どうして私を一人にしておくの?
そこに行っては駄目?
言われる事だけしていたらいいの?
私はどうしたらいいの?でもいわれるままはいやなの!
フランツ・ヨーゼフ1世はいまクルミア戦争の状況の情報収集に躍起になっていた。
ロシアとフランス・イギリス・オスマントルコ・サルディニアとの連合軍の戦いだった。
オーストリアはロシアから共同参戦を依頼したけれど、フランツは中立を通したみたい。
戦いは悲惨を極めて、長く膠着状態が続き戦死者は酷く多い戦いだった。
しかも列国間の戦いだけに大きな影響を与えたの。
オーストリアは参加しなかったけれど。外交を考えると戦況を把握するのは必須だったらしい。
この戦いは2年6か月の戦いだったけれどその打撃は大きくてさして大きな成果がなかったの。
連合軍が勝者だけど、和平交渉も譲渡も損害賠償もなく、ただのロシアの南下侵略を防いだにすぎなかった。
耐え切れない。
ある時には食事で
「食事でビールが飲みたいわ!」
「王宮でビールなど似つかわしくありません。
いままでないことです。
ここはバイエルンの田舎ではありません。
オーストリア宮廷です」
「じゃあこれからそうすればいいではないですか」
「規則です」
食事の時に手袋を外してカトラリーを持ったわ。
「陛下。ウイーンでは食事に手袋を外すのはマナー違反です」
「何故?」
「マナーだからです」
「では何のためですか?」
「……」
「バスタブに入りたいわ」
「王宮では風呂桶での御入浴です」
「温かいお湯に入りたいの。
ゆっくりと。」
「宮殿では風呂桶でシミューズの上から布で女官が拭います」
「お風呂に入りたいといっているの」
「………」
ラクセンブルグ宮殿は寂しい皇后の為に造られた浮世離れした庭園と建物がエリーザベト皇后の好みにはあわなかった。
しかも皇帝はほとんど政務に忙しく会えるのは夜と朝食時だけだった。エリーザベトは異国で一人、しかも小うるさい年寄りに囲まれ息の詰まる生活を余儀なくされていた。