突然の死に…ウイーンへの帰還Ⅲ
ジュネーヴで暗殺されたエリーザベト皇后の遺体はホテルからウイーンへ運ばれた。
悲しくも物言わぬ家族の再会が、そして葬儀が行われる。
家族の反応は?
そしてウイーン市民の反応は?
傍らの夫はイルマに言ったのよ。
「あなたのしてくれた事全てに感謝する
皇后はたいそう苦しんだのかい?」と。
「いえ苦しまなかったと思います陛下。
皇后陛下はまもなく昏睡状態となり息を引き取られました」と言ってくれたのよ。
そうその通りよイルマ。
死ぬのね。
なんてまったく思わなかったの。
それからイルマは私の当日の行動と暗殺の敬意そして最後の様子を夫に話したわ。
夫はただ黙ってきいていると、生前には見た事ないくらいの動揺した様子で大粒の涙を流したのですって。
夫は感情をコントロールするすべを知っていたからイルマは見た事もない彼の姿を見て驚いたわ。
ようやく動揺を抑え、また夫が質問したそうよ。
「遺髪は取ったのかね」
「いいえ。いたしておりません。
出来なかったのです。」
イルマは私が白髪が残る髪の毛をすごく気にしていたのを知っていたわ。
髪の美しさを誰よりも愛していたから嫌がっているとわかってくれたのね。
だって。
「銀色になるのなら髪の毛を全部きってしまいたい!」って言っていたからよ。
「あぁよい判断だよ」
夫は頷きながら言ったのですって。
私の命というべき髪を大切に思っていたのを理解してくれていたのね。
ありがとう二人とも。
お辞儀をする夫人に皇帝は両手で起こし、優しく手にキスをして慰めたそうよ。
ありがとう貴方怒らないでいてくれて。
16日にミサが始まったの。
感動的なミゼレーレが鳴り響いだそうよ。
そして兄弟や親類も到着した。
カール・テオドール、妻のマリアジョゼ、姪二人エリーザベト、マリアガブリエルね。
午後4時、鐘が鳴って王宮の聖堂では儀式が執り行われ霊柩馬車へ運ばれたのよ。
鐘の音が鳴り響く葬列は動き出し、ミヒャエル広場→ヨーゼフ広場→アウグスティーナ通り→テゲトフ通り→カプツィーナ教会に到着出来たわ。
地下にある小さな扉に侍従長がノックしたの。
「どなた?」
「エリーザベト皇后・王妃が入室したいということです」
ロウソクを持った8人の小姓伴い近衛兵が棺を屋内に運んだのよ。重かったでしょうね。
狭い教会内には大勢の司教が居並び、枢機卿・大司教グルシャが葬儀のミサを主宰したのよ。
私はこんな狭くて暗い場所嫌いよ。
なんで海の波打ち際じゃないのよ。
「いつか私が死ぬようなことになったら。むくろは海に沈めてください。
墓は水しぶきが掛かる波打ち際に建ててください。
そうすれば満点の星空が私に降り注ぎ。
人間よりもずっと長らく糸杉が私の事を悼んでくれるでしょうから」
とヴァレリーにも伝えたのに……ルドルフの隣だけど…。
嫌だわ。
棺は夫、そして娘婿、孫、私の弟が降ろしたの。
夫は祈祷台に膝から崩れ落ち、言いようのない激しい心痛に襲われているわ。
彼の目からは滝のようにおびただしい涙があふれ出ていたわ。
大きな声ですすり泣く音が響き、彼とともに遺族も心が引き裂かれるかのように泣いて狭い空間は悲しみで充満していたわ。
オーストリア・ハンガリー二重帝国内では、私の死を悼まれて帝国の一体感を感じる一大セレモニーだわね。
そして私の親族は帰っていった。
翌日から一般市民の礼拝が認められたの、沢山の方が別れを告げにきたわね。
私は不思議な感じだったわ。
まあ直接死に顔を見れないからよかったわ。
9 月17日、葬儀の日を迎えたウィーンでは多くの市民が王宮前に集まったのよ。
ウィーンではこれほど。
印象深い葬儀を過去に見たことがないとおそらく言ってもいいだろう。
我が皇后に対してウィーンの人々が常に心からの愛情をどれほど注いでいたかここにようやくはっきりと示されることになった
と新聞に出たのだそうよ。
この時ね。
私の長兄ルードヴィヒが教会にやってきたのよ。
兄は貴賤婚をして娘がいるの。
マリーラリッシュ伯爵夫人といったわ。
私の姪としてウイーン宮廷に出入りしていたの。
綺麗で美人少し身持ちが悪かったけれど、乗馬もうまかったし、側近として仕えていたわ。
ヴァレリーの良き姉的な役割を彼女に託したの。
でもね。
ルドルフの軽い遊び相手でマイヤーリンクで情死した相手マリー・ヴィッツラ男爵令嬢を引き合わせたのがこのマリーなの。
あの事件からマリーはウイーン追放、自然と兄とも疎遠になっていった。
だって彼女が引き合わせたりしなければルフドルフは死ななかった。
いえ一人では死ねない子だった。
兄は私の死を新聞で知った。
夫が葬儀にはこないようにと連絡していたのに、葬儀の現場に突然現れたのだそうよ。
ヴァレリーもかわいそうな伯父と…辛かったみたい。
だって娘マリーの事がない時は会っていたし。
あの子がまだ小さい時には兄の館に滞在したりしていたわ。
お兄様は関係ないのにね。
夫も私もルドルフは一人では死ななかったと思ったから、どうしても夫は彼女の事が許せない。
その父親という事が夫にはどうしても許せなかったのね。
私はもうわからないわ……
彼女が悪いのか?
ルドルフが悪いのか?
18日妹のマティルダが偽名で来てくれて、夫ともあったみたい。
彼女ったらカプティーナ教会の神父に無理を言って私の棺の小窓を開けて私の遺体を見たのよ!
もう~!
しかもヴァレリーったらその話を聞いて自分をも見たんですって!
もう嫌だわ。
ひどく傷ついているけど彼女だって2人とも納得したみたいんだけど。
あっ!
私を暗殺した若者はイタリア人の貧しく無政府主義だったのですって。
君主制度を大きく否定していたのですって。
本当は別の人を暗殺するつもりでいたのに現れずに新聞で私の滞在を知ってホテルの近くで待ち伏せしていたのですって。
私の服装の特徴的ですぐに分かったみたい。
スイス警察に逮捕されて、尋問されて多くの話を伝えたわ。
そこでどんなに王室や貴族や豊かの人物を恨んで妬んだそうよ。
留置所から刑務所へ移送され、その後に獄中で自殺したのですって。
収監中にウイーンの女性達から非難の手紙がものすごい数届いていたそうよ。
全部悪態つく内容で、でも文字が書けるというからそれなりの階級の女子達ね。
なんか変な感じだわ。
だって私ウイーンで人気なかったから。
本当に皮肉ね。
絶対君主制は私も時代遅れだと思っている私が憎むべき対象になったのだから。
もうこれから世界は違う価値観で進んでいくと思うのよ。
王族、皇族、貴族だけが治める時代はもう終わるわ。
そうそう貴方達はご存じでしょうが、夫が皇太子に指名した義弟オットー大公の長男フランツ・フェルディナント皇太子夫妻がサラエボを訪問中に暗殺された事件。
この事件が関係悪化していたセルビアとの宣戦布告をきっかけに、オーストリアハンガリー帝国・ドイツ帝国・オスマン帝国・ブルガリア王国
対
ロシア帝国・スランス・イギリス・アメリカ・イタリア・日本で第一次世界大戦が勃発したそうね。
大戦中に夫は死去して皇太子には亡くなったフランツ・フェルディナントの弟カールが即位したんですって。
そして敗戦してハプスブルグ帝国は消滅したの。
オーストリア共和国になった。
貴方はどうして家の家訓を知らなかったのかしら?
「戦争は他家に任せよ。幸いなるオーストリアよ。汝結婚せよ」
追記:
エリーザベト崩御の後、スイス政府の元遺言書の公開を経て、家族は彼女が多額の遺産を遺族に残したのを知った。
これには家族は非常に驚いたと言われる。
一万グルデン(大体18億くらいか?)以上を投資しスイス銀行に預かってあった。
それ以外で一千万グルデン(大体1800~2000億)
しかも彼女は化粧料と年金の大半も投資して多額の利益を生んでいた。
旅行費は全て皇帝のポケットマネーでやりくりしていたのだ。
つまり旅行も全て大した豪遊ではない。
不動産はヘルメスヴィラはヴァレリーに、アキレイオン荘はギーゼラに与えられた。
装飾品はほぼ残っていなかった。
頭飾りの黒真珠4500グルテン。
その他は小物ばかりで大した額にはならなかった。
返却義務のある貴重な品以外惜しげもなく人に贈与していたからだった。
贈与した額は時価400~500万グルテンと言われていた。
手紙はほぼ焼却していたが、夫からの手紙は比較的残していたのでマリーヴァレリーは喜んだと伝えている。
その遺言書の贈与は下記の通り
詩の出版し売上から得た収益を「政治的な理由で困窮している子供達」使う事。
スイス政府はオーストリア科学アカデミーから出版されている1890年代に書かれた日記の著作権料を、定期的に国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)に定期的に寄付を決定した。
これは現在でも行われ、近年ではウクライナの子供達にも寄付されたという。
その他の遺産配分は下記の通り
ギーゼラとマリーヴァレリーに5分の2ずつ、孫のマリーエリザベートに5分の1を相続された。
彼女は詩人でもあった。
少女時代からルドルフの死までの間書き上げた詩を王宮の片隅の小箱に封印し、カール・テオドールに託した。
「親愛なる未来の魂へ
これらの原稿を貴方様に託します。
御主人様の言葉を私が口述筆記したものです。
送り先もご主人様が指定したものです。
現時点では1890年から60年後に刊行し、最も称賛に値する政治犯達やお金に困っているその家族
に用立ててください。
何故なら60年後も今と同じように私達の小さな星には幸福や平和、すなわち自由は存在しないだろう
から。
他の星は存在するかもしれない?
今の時点では私には何も言えません。
あなたがこの文章を読んでおられる頃には判明しているかもしれませんね。
……この辺で失礼致します。
貴方様は私の願いを聞いてくださりそうだから。
ティタニア 1890年盛夏 疼走する特別列車にて」
この物語の主人公におそらく我儘や自分勝手、傲慢などの感情を持つかもしれません。
物語は年代を遡り、何故そうなったのか? 本当の彼女は?
彼女の多面性を出来るだけ私が感じる彼女の姿になるかもしれませんが語られたらと思います。
辛抱強くご愛顧いただければなと存じます。
宜しくお願い致します。
評価ありがとうございます。
ブックマークありがとうございます。