バイエルンの妖精Ⅰ
ジュネーヴで無政府主義者に暗殺されたエリーザベト。
彼女の倒れる意識の中に走馬灯のように過去が流れる。
そんなイメージで、彼女の少女時代から回顧風にこれから物語を展開していきます。
彼女を良く知る当時の人々の言葉
「…私の知る限りエリーザベト皇后は最も魅力的な女性であり、独創的で並はずれた方でした。
本当に近しくした方々だけが、皇后の真価を理解出来たのだと思います。
皇后の生涯は失意の連続でした。
そのことをよく考えて思い合せれば、皇后に対し寛容であえるはずです。…」
カタリナ・シュラット夫人
「…偉大な男性にも優る精神の持ち主であるうえに皇后には心があった。
とにかく、皇后の様な人はこの世に二人とない。私にとって残念なのは皇后を理解した人があまりに少ないことだ。世界が皇后の類稀な人柄を正当に評価してくれるように心から願う」
生前のアンドラシーン伯爵
「皇后の人格から滲みでる優雅さ、本当の皇后のお姿は、どんな芸術家」にも掘りきれるものではありません。皇后と独特の魅力は表現しきれないものでありました。
「皇后は歴史の中ではなく伝説」の中に生き続けられるでしょう」
マリーフュルシュテンベルグ伯爵夫人
あの方は白鳥かユリか羚羊のようですが、メリュジーヌのようでもあります。
女王にして妖精それでもあくまでも女らしいお方です。
イーダ・フェレンツィ朗読係
男達は妖精に厳格で堅苦しい行儀作法という馬具をはめこもうとするがこの小妖精は隷従に甘んじてはいない。
世間を煩わしく思う時、彼女は翼を広げて飛び立っていく。
カルメン・シルヴァ(ルーマニア王妃)
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私は日曜日の子供
太陽の子供
太陽が黄金の光が玉座の周りを取り囲む。
その輝きが冠を煌めかせる
その光の中こそ 私の住む場所
だがその光が失われば私は死ぬしかない
後年の詩作
1837年12月24日
私はミュンヘンのマックス邸で、パパはヴィテルスバッハ王家傍系のバイエルン公爵マクシミリアンとママはヴィテルスバッハ王家マクシミリアン一世の娘ルドゥヴィカ王の間の第3子として幸運の証である生まれつき乳歯が1本持って誕生しました。
パパはその時エジプトに旅行中、ママは一人で私を生んだのです。
彼はバイエルンの王族ですが、一生使いきれないほどの資産を持ち、政治的にもまったく興味がなくただただ趣味に生きる自由人でした。
パパはバイエルン議員でしたが、ほとんどバイエルンの宮廷には姿を見せず、冬はミュンヘンの本宅か、それ以外の季節はシュタンゲルグ湖のポッセンフォーヘン城で過ごしていました。
とは言ってもパパは始終旅行に行ったり、ふらりと街中で市民とふれあったり、チターを演奏したりしてほとんど家庭生活を一緒にしていなかった。
パパが帰ってくると、ジプシーやサーカスなんかも呼んだりして楽しかったわね。
でもバイエルン貴族達には私達を「サーカス一家」と馬鹿にしていたけど。
私達は市民には愛され、一時市民革命の嵐が吹き荒れた時代に、市民の暴動がバイエルンでも起きたの。
ヴィテルスバッハ王家も父をたよりにミュンヘンの父の館で身を寄せていた事もありました。
父を慕っている市民は絶対に我が家を標的にしなかったから。
両親の仲はあまり良くなく、他に愛人と子供までいたようでした。
いわゆる仮面夫婦でした。
愛し合って結婚したわけではなく、ただ義務として夫婦の関係を築いていました。
あくまでヴィテルスバッハ家の事情だったそうです。
母にも好きな人(ポルトガルの王子)がいたそうですが、王位を継げないという理由で父親に反対されて諦めたそうです。(でもその王子は反乱を起こして王に即位したそうです)
さてそんな結婚生活に不遇な母ですが、私達を愛し育ててくれました。
私達は両親の一風変わった教育方針で、小さな頃からまるでブルジョア階級【中流階級】の家庭の様な生活をしていたの。
堅苦しい宮廷などという所にはまったく無縁だったのです。
ママは乳母や召使の協力の元、8人の子供達を産み育てた。
姉弟姉妹は男3人女5人。
ただこんなに大家族なのに男系では結局途絶えました。
ヴィテルスバッハ家の血のせいでしょうか?
私は物心つく頃には庭を姉弟で駆け巡った。
湖畔のベンチでシュタンゲルグ湖の水面をただぼ~と眺めながら詩作に興じたり、村人の友達もいて、湖で泳ぎ、馬やポニーで駆けて、山登り、高原でハイキング、動物達と遊んだり、たまに帰ってくる父と街に出かけたり、市民の前で父の演奏で踊ってチップまでもらったの。
「私が稼いだ唯一のお金」と大切に持っていたわ。
すごく楽しく幸せな日々だった。
特にパパのお話は面白くて、たまに帰ってきては私を膝に乗せて肩ってくれる旅の物語がすごく面白くて楽しかったわ。
パパは小さい時から自分の似た私を特に可愛がって好きでいてくれた。
私の夢見がちで伸び伸びした型にはまらない性格と、ほとばしる情熱への探求心、物を書いて絵を描いて夢中になる姿、私は開放的で物おじしない元気さが良く似ていると。
好きといってくれた。
だから行儀が悪くても、音楽に興味がなくても、教養がなくても………。
要は淑女が身につける礼儀、教養、宮廷儀礼などなくてもパパはかまわないと思っていたようね。
家庭教師のヴェルフェン男爵夫人も、私は兄妹で一番優しく、素直で夢見がちお転婆慌て者。好きな事は計画を立ててやり抜くって言ってたわ。
詩作、作文、外国語、お絵描きが大好き!
一般教養、作法なんか大嫌いだったわ。
そんな1853年8月のある日ママがオーストリアのバートイシュルに伯母と従兄妹達に会いに行くという。
しかもネネ(姉ヘレーネ)と私についてきなさいというの。
どうもママはネネの結婚相手にオーストリア皇帝フランツヨーゼフ1世をと思っているみたい。
私は仲の良かった初恋相手との仲を疑ったママ達が彼をうちに出入りするのをやめさせられて、会えなくなって落ち込んでいたの。
失恋してナーバスになっていたから気分を変えさせて、できれば従兄妹のカールルードヴィヒといい感じにさせようとしていたよう。
私と彼は文通していたのよ。
馬車はポッシー館を出発したけれど、ママの持病の片頭痛が酷くてゆっくり走らせていた。
だから到着がとても遅れいていたわ。
その上私達は親戚の喪中だったので、黒一色の装いだった。
シシッと家族間で呼ばれたエリーザベトの父はバイエルン王家に継ながる傍流の公爵家の家長でした。
いちおうバイエルン政府の議員でしたが、ほとんど王宮に会議にも出席する事もなく、母から受け継いだ膨大な資産を趣味に費やし、気ままな生活をおおかしていました。
エリザベートはこの父に似た自由で奔放な性格がかえって彼女の不幸にも繋がっていきました。