鴎は黄金の籠で抗うⅡ
エリーザベト皇后は夫への脅しで子供の養育権を手に入れ、オーストリア領のイタリアヴェネチア、ミラノを訪問した。
そこでエリーザベトの政治的初めての助言を行い、フランツ・ヨーゼフ1世に影響を及ぼした。
市庁舎の前で火の手が上がったの。
理由は不明だった。嫌な出来事だったわ。
娘の手を握り緊張した面持ちで行動したわ。
総督府で行われた舞踏会。
参加者には市民が罵倒を浴びせた。
「祖国の裏切り者」と。
そして歓迎のオペラ公演に臨席してもガラガラだったし拍手もなかった。
私は真っ青になったはこれはいけない。
オーストリア帝国はイタリア人達の反乱鎮圧に投獄や財産をはく奪、年金停止といった抑圧で押さえようとしたの。
12月3日
私は抑圧には寛大な許しの心が雪解けになるとフランツに進言した。
「迫害された者に寛大な姿勢を見せればオーストリア帝国に対しても寛大になるでしょう。
大いなる温和で寛大な姿勢こそ信頼の証です」
ここで再度反乱や独立運動でも起きたら、財政が悪い帝国はさらに弱体化してしまう。
フランツはすぐに恩赦の勅令を出して赦免、財産返還などの寛大さを現した。
ただそれだけの事で次の祝賀は円満に行われ、市民の態度は温和になった。
「シシッが出てくるだけで歓喜の声があがる」
フランツもほっとしてイタリア貴族達も温和に接してくれたのが嬉しかったようだった。
ただフランツのロンバルニアの保守派の重鎮達は猛抗議し、私を邪魔な存在と思った。
また敵が増えたわね。
そんな時、ある元将校がフランツに年金の受け取りを願う嘆願に前に出てきた。
「宮殿の事務所にくるように」
フランツは彼に言ったの。
「とてもいけません。
追いだされるのが関の山です」
悲痛な彼に。
「貴方。貴方の手袋を渡して」
私は囁いた。
フランツは微笑みながら片方の手袋を彼に手渡した。
彼は無事に年金を受け取ったそうよ。
この話のせいかどうか?
ヴェネチアの市民に受け入れられた。
ウイーンで非難否定された私は抑圧された者には「天使のよう」と言われた。
嬉しかった。私を受け入れられて。
ロンバルディア、ヴェローナはフランツにとっては冷たい雰囲気だったけれど、私とゾフィーには比較的穏やかな顔を見せてくれる。
問題はミラノだった。
氷山の様に氷ついたミラノを私は雪解け出来なかった。
でも恩赦と好意を見せた。
あからさまに歓迎はなかったけれど。
フランツは危機的状況を把握したようで弟で自由主義の穏和派の弟マクシミリアンにロンバルディア総督を就任させた。
この公務で夫は私の存在価値、政治的な意味、そしてオーストリアにプラスになると確信したようだった。
ウイーンに帰らないといけない子供に会いたい。
寄り道しながらギーゼラのいる宮殿に帰る。
帰って来た私はまた出発前の私。
自信に満ちて積極的に慈善活動に参加して表に出た。
して遂に運命のハンガリー訪問が決定する。
結婚後に訪問してほしいとハンガリー貴族との約束がある。
何かと問題の多い地域がけに私の訪問がイタリアと同じ様に緩衝材になるとフランツは思っていたようだった。
私は有頂天になった。
マイラート伯爵の授業は興味深いものだったしハンガリー語も楽しい。
今回の訪問には二人の子供を伴う希望を出した。
当然義母はまだ幼子を度に出すのは大反対だった。
私は子供達とまた離されるのではないかと恐れ、強く同行を夫に迫った。
ゾフィーはてくてく歩く姿が可愛らしい。
少し身体が弱いのが心配だが病弱とまではいいかない。
フランツも家族の様子をハンガリー人民に見せるのもよい印象を持たせるだろうと同意してくれたのだったわ。
イタリアは当時小国に分かれていたが、イタリア半島北部のサルディニア王国がイタリア統一運動を行いハプスブルグが影響力を及ぼす地方にも編入を試みていた。
危機感を覚えたフランツヨーゼフ1世は美しい妻皇后と幼い子供を同伴する事で温和策を講じた。




