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鷗は黄金の籠に囚われるⅤ

遂に長女に恵まれたが、早々に義母に取り上げられてしまう。

この不幸が後々大きな不幸の附箋となります。


名前はゾフィーと決められた。

勿論私は知らない。

しばらくは私と一緒にいられた2週間。 


「私は子供というのがどれほど幸福という意味するか初めて知りました。

 子供を愛し手元に置く勇気を持つ事が出来ました」

「赤ちゃんは本当に可愛くて皇帝も私も嬉しくてたまりません。

 天気の良い日は翌散歩に連れていってもらっていますが、それ以外は一日中私の傍に寝かしています」

嬉しくて両親に手紙で知らせたわね。

本当にあの子は可愛らしかった。


でもその後は突然義母の隣に出来たという子供部屋へ移されて引き離された。

勝手に…生まれたばかりの私の子を…。

何故?何故?何故?


後から気付いたけれど、女の子だったから早く世継ぎを生みなさいって事だと…。

まるで子供製造機ね。皇后なんて名前だけ……。 

皇后なんてどうでもいい。私の子供私はあの子の母だけでよかったわ。


「子供を取り上げられてめったに会う事が出来なくなりました。

 子供部屋に行くと必ずあの方がいて、私のする事をずっと監視していました。

 それで私はめったに訪れる事がなくなりました」

何故監視されてしか我が子に会えないのでしょうか?って。


常に監視され、義母は何でも知っていました。

毎日が息の詰まる思いで悲しくて泣き暮らした。

フランツに訴えても困った顔をするだけ。


「母上に任せていればかわいくて優しい子になるよ」


フランツ!マザコン。


心は寂しい。

愛しい子に会えない。私の……子供なのに。


そんな時に政治的にいや宗教的に私の行いが波紋を呼んだ事もあった。

カトリックの世界で、わずかにいる帝国内のプロテスタントに寄付をしたの。

帝国はカトリック教だから問題視したわ。

でも両者共同じキリスト教徒よ。

信仰は自由だわ。

また意地の悪い宮廷人はあれこれ騒ぎたてた。

浅はかな皇后と。


宮廷ではあいかわらず義母の干渉は続き、重い辛い息が出来ない。

我が子とも自由に会えず、日々義母の干渉と忠告が入る。

もう限界だったわ。

挿絵(By みてみん)

馬にまたがりウイーンの森を疾走する。


プラター公園を散歩する。

街中のカフェでくつろぎ、買い物をする。

反逆者の様に義母に逆らった。



するとウイーン市民から私の賛辞を浴びる。

オーストリア皇后は一段と美しいと。

すると帝室の人気も更に上がった。



夫はウイーンをしばらく留守にする事になって、私は実家へ里帰りの提案を受けて久しぶりにポッシー館を訪問した。

自由な実家、シュタンゲルグ湖からの風を受けて乗馬をして家族と寛ぐ。

私があまりにしゃべるのでママは開いた口がふさがらなかったわね。


義母には告げ口されるでしょうがかまわないわ。

自由私は今だけは自由!




ようやくフランツが戻り、バートイシュルでゆっくり二人で楽しんだ。

そして第2子の懐妊がわかる。

ゾフィーを出産してそんなに時が経っていない。

フランツの溺愛がわかって恥ずかしかった。


私は不安だ。

また子供を取り上げられる。


私の子供なのにと辛かった。

そして1856年7月15日に自侍女ギーゼラを出産する。

可愛い我が子は私とゾフィーと同じように2週間で離された。

さすがに堪忍袋の緒が切れた。

長女ゾフィー・フリーデリケ・ドロテア・マリア・ヨーゼファ・フォン・エスターライヒという。

エリーザベトは彼女の遺髪をガラス瓶に保管し、生涯保管していた。



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