花嫁修行に行っていた幼馴染が、ニートになって帰ってきた
同期が結婚した。
その報告を聞いた時、俺・佐伯清介は「おめでとう」と思う反面、「悔しい」と思ってしまった。
彼とは同じ部署だったこともあり、沢山いる同期の中でもとりわけ仲が良かった。
時に営業成績を競い合い、時に協力して大きなプロジェクトに挑む。少年漫画でいうところの「強敵と書いて友と読む」というやつだ。
しかし、入社して五年。
隣にいた筈の同期は、いつの間にか俺のずっと前を走っていて。あいつは今では主任で、俺はただの平社員。
気付けば目に見えてわかる差がついていたわけだ。
仕事では、俺は同期に負けっぱなしだ。ならば私生活くらい、俺がマウントを取ってやろう。
同期より先に彼女を作って、同期より先に結婚する。そう意気込んでいたんだけど……まさか同期が電撃結婚するなんて。しかも相手は、今年入社したばかりの可愛い女の子だった。
その時、俺は悟った。
きっと生まれた時から勝ち組か負け組かは決まっていて、俺たちはその運命から逃れることが出来ない。
平社員はいつまで経っても平社員だし、童貞はいつまで経っても童貞だ。
本当、理不尽な世の中だなぁ。
定時なんてとっくに過ぎたオフィスで、俺は押し付けられた仕事を一人片付けていた。
残業が終わったのは、夜の11時を過ぎた頃だった。
これから退社すると、家に着くのは早くても11時40分くらいになるだろう。
そこから風呂に入って、飯を作って……。なんだか、面倒臭いな。
幸いにも明日は休日だ。入浴も食事も明日に回して、とっととベッドにダイブするとしよう。それ程までに、今の俺は疲れている。
自宅の前に到着すると、玄関ドアのそばで見慣れない女性が体育座りをしていた。
壁にもたれかかりながら、スースーと寝息を立てている。……酔っていて、部屋を間違えたのか?
一晩中こんなところで寝て過ごしたら、風邪を引いてしまう。何より、危ない。
俺は女性を起こすべく、彼女に声をかけた。
「あのー! そんなところで寝ていたら、風邪引いちゃいますよー!」
耳元で話しかけると、女性は「んにゃ?」とだらしない声を上げながら、目を覚ました。そして、
「……清介?」
どういうわけか、俺の名前を読んだのだ。
「やっぱり清介だ! おかえりなさい!」
「お前、どうして俺の名前を……?」
もしかして、どこかで会ったことがあるのか? そう思い、女性の顔をまじまじ見る。
やがて俺は、彼女の正体に気が付いた。
「お前……瑞稀か?」
彼女は俺の幼馴染・相葉瑞稀だったのだ。
「うん、そうだよ。久しぶりだね、清介」
「本当、久しぶりだな! 最後に会ったのは中3の時だから……かれこれ12年ぶりか?」
「正確には12年と4ヶ月と14日だよ。……ずっと会いたかったんだから」
瑞稀と最後に会った日にちがいつかなんて、流石に覚えていない。そんな俺に対して、彼女は事細かに覚えていた。
そのせいか、「ずっと会いたかった」というセリフに過剰なまでの重みを感じる。
「立ち話もなんだし、取り敢えず中に入るか? ちょっとしたつまみ程度なら出せるぞ」
「折角なので、お言葉に甘えるね。お邪魔しまーす!」
負け組は、生まれな時から負け組だ? 必ずしも、そうとは限らないのかもしれない。
12年ぶりに幼馴染と再会した俺は、そんな予感がしてならなかった。
◇
「清介、お仕事で疲れているでしょ? シャワーでも浴びて、疲れを取ってきなよ。私はその間に、何か簡単なものを作っておくからさ」
部屋の中に入るなり、瑞稀は俺にそう提案してきた。
「お客さんにそんなことさせるわけにはいかないだろ? お前こそ、座って休んでいてくれよ」
親切心で言ったつもりだったが、どうやら瑞稀には不満だったようで。彼女はむーっと、頬を膨らませた。
「私はお客さんじゃないし」
「……だったな。お前は大切な幼馴染だよな」
幼馴染でもお客さんには変わりないだろう! そう思ったけど、わざわざ口にするなんて野暮なことはしない。
瑞稀の考え方は、なるべく肯定してあげたいのだ。しかし……
「(むーーーっ!!!)」
……あれ? 瑞稀のやつ、さっきよりも頬を膨らませていないか?
機嫌を悪くしているどころの話じゃない。完全に怒っている。
瑞稀を怒らせるようなことをしたつもりは、微塵もない。
何がいけなかったのか考えていると、瑞稀がその答えを教えてくれた。
「幼馴染でもないもん。私は清介の、お嫁さんだもん」
「……はい?」
お嫁さん? 瑞稀は一体何を言っているんだ?
ピンときていない俺を見て、瑞稀は「嘘でしょ?」と言わんばかりの顔をする。
「まさか清介……12年前のこと覚えていないの?」
「12年前?」
「私をお嫁さんにしてくれるって、約束したじゃん!」
……そういえば、別れ際にそんな約束をしたな。
なにせ12年前の話だし、瑞稀も本気にしていると思っていなかったから、すっかり忘れていた。
「私ね、清介のお嫁さんになる為に、花嫁修行頑張ったんだよ。料理を勉強して、掃除の仕方を覚えて。清介から「自慢の嫁だ」と言って貰えるように、頑張ったんだよ」
「瑞稀……」
俺と離れ離れになっていたこの12年、瑞稀がそんなことを考えていたなんて。
なのに俺は彼女をお客さんや幼馴染扱いしてしまった。そりゃあ、怒るのも頷ける。
「……悪かったよ。お前に遠慮するなんて、それが何より失礼なことだったな」
「じゃあ、お嫁さんにしてくれる?」
「それは……おいおい話し合うとして。一先ず、何かつまみを用意してくれないか?」
瑞稀がつまみを作っている間、俺はシャワーを浴びることにした。
お湯を浴びながら、俺は思う。
瑞稀のやつ、凄え綺麗になっていたな。
昔はお転婆娘って感じだったのに、今では立派な大人の女性だ。
そんな彼女が俺なんかのお嫁さんになってくれるなんて……夢のような話である。
だけどいきなり結婚というわけにはいかないだろう。幼馴染とはいえ、段階を踏んで関係を深めていかなければ。
まずはそう、お付き合いから始めてみるとしよう。
今後の動向について考えていると、突然キッチンの方から爆発音のようなものが聞こえてきた。
「どうした、瑞稀!?」
俺は下半身にバスタオルだけ巻いて、急いでキッチンへ向かう。瑞稀は、無事だろうか?
キッチンでは……調理器具をひっくり返した瑞稀の姿があった。
「大丈夫か!?」
「ごめんね。タコワサを作ろうと思ったら、手を滑らせちゃって」
「そうだったのか。……って、タコワサ!?」
どうしてタコワサを作るのに、フライパンやムネ肉やタバスコが必要なんだ?
「瑞稀、お前タコワサを作ったことあるのか?」
「ううん。でもおつまみって聞いてパッと思いついたのがタコワサだったから、作ってみようかなーって」
「成る程。……因みに、瑞稀が得意な料理ってなんなんだ?」
「……カップ麺とか、菓子パンとか?」
どっちも料理と呼べるものじゃねぇ。
タコワサを作るのに肉やタバスコを使おうとしていたから、もしかしてと思ったんだけど……瑞稀のやつ、料理が出来ないんじゃないか?
「お前、花嫁修行をしていたんじゃなかったのかよ?」
「それは……ごめんなさい、嘘ついてました。花嫁修行なんてしていません」
「していなかったのかよ。それなら普通に進学して、就職していたのか?」
「ううん。大学にも行かず、仕事もしないで……実家に引きこもってました」
……マジかよ。
「最初はね、私も頑張って花嫁修行していたんだよ? でもさ、料理とか掃除とか洗濯って、凄く難しいし。かといって、社会に出るなんて死んでも耐えられない。そんな時、内なる私が囁いたの。「働いたら負けだよ」って」
いや、その声が聞こえてしまった時点で、大敗北確定だよ。
「もしかして俺に嫁ごうとしたのも、単に寄生しようと思っていただけなんじゃ……」
「それは違うよ! 私は今でも清介が大好きだし、お嫁さんになりたいと思っている! でも……約束を破って花嫁修行をしてこなかった私に、そんな資格ないよね」
天真爛漫が取り柄だった瑞稀が、今まで見たことないくらい悲しそうな顔になった。
そんな表情を見たら、少なからず同情せずにはいられないわけで。
「だからさ、お嫁さんにしてとか言わないから! その代わり、私を養って!」
……前言撤回。厚かましいにも程がある!
「頑張って花嫁修行するから、次会った時はお嫁さんにしてね!」。12年前、そう言って別れた幼馴染は……立派なニートになって帰ってきたのだった。
◇
ニートと化しても、瑞稀が幼馴染であることに変わりはない。
実家への出戻りも許されず、行く宛てのない彼女を放り出すことは出来なかった。
幸いにも、生活にはある程度余裕がある。平社員でも、給料はそれなりなのだ。
だから瑞稀に生活費を催促するようなことはしない。だけどさ、だけどさ!
「……少しくらい、家事をやってくれても良いんじゃないか?」
昼ドラを観ながらぐうたらしている瑞稀の姿に、俺は溜息を吐いた。
俺は学ぶ生き物だ。瑞稀に家事をやらせるのは不可能だと、既に悟っている。
こうなったら、考え方を変えよう。我が家にいるのは、幼馴染でもましてやお嫁さんでもない。ペットだ。
つまり俺が彼女に求めているのは、癒しにおいて他ならない。
「清介ー。お菓子取ってきてー」
……せめて仕事で疲れた俺を労ってくれるとか、そのくらいのことはしてくれよ。どうやら彼女は俺の癒しにすらならないみたいだ。
渋々お菓子を取りに行くと、ピーンポーンと玄関チャイムが鳴った。
「はーい。どちら様ですかー?」
玄関ドアを開けると、来客は同期だった。
「よっ! 近くに来たから、立ち寄ったぜ」
「……いや、アポなしで来るんじゃねーよ」
今部屋に上がられるのはマズい。なぜなら現在の室内は、(瑞稀のせいで)散らかっているからだ。
それにニート幼馴染を養っているなんて、会社の人間に知られたくないし。
「今日は忙しい! 帰れ!」
「そうなのか? もしかして、彼女を連れ込んでいるとか?」
「そんなわけねーだろ!」
否定すると同時に、部屋の奥から「どうかしたー?」という、瑞稀の声が聞こえる。当然その声は、同期の耳にも届いていて。
「もう一度聞くぞ? 彼女、連れ込んでる?」
「……」
彼女じゃない。幼馴染だ。
そんな言い訳が、通用するような状況じゃなかった。
◇
ニートにもニートなりの矜持があるようで、同期のいる前では、瑞稀は普通に魅力的な女性のフリをしていた。見事なまでの、変わり身の術である。
「粗茶ですが」
瑞稀は湯呑みに入ったお茶を、同期の前に置く。
俺は知っているぞ。そのお茶、ペットボトルのやつを移し替えて、チンしたたけだろ? 彼女の家事スキルを踏まえれば、推理するまでもない真実だった。
「いや〜、まさか佐伯にこんな可愛い彼女がいたとはな。それならそうと言ってくれよ。もう同棲してんの?」
「だから、彼女じゃないって」
「またまた〜。道具の配置とか把握してるみたいだし、これで彼女じゃないならなんだっていうのさ」
ニートです。良く言っても、ペットです。
しかし「彼女じゃない」とどれだけ否定しても、同期は信じてくれなかった。
「でも彼女って、良いよな。俺の場合もう婚約者だけど、一緒にいるだけで幸せな気持ちになれるっていうか。誰かと愛し合って、ようやく人生のスタートラインに立てたっていうか。……へへっ。お前とこんな話が出来て、俺は嬉しいぜ」
「……だよなぁ」
ヤベェ。本当に「彼女じゃない」って言えなくなってしまった。
嘘をつくのは、いけないことだ。なぜならその嘘を隠す為に、また新しい嘘をつかなければならなくなる。
その結果、どうなるかって?
「実は俺たち、幼馴染でな。こいつ、俺のお嫁さんになる為に、花嫁修行までしてきてくれたんだよ。いや、マジで最高の女でさ。同棲どころか、昨日プロポーズも済ませたところなんだよな」
自分ではどうしようとならないような、とんでもない嘘に発展するのだった。
隣では、瑞稀が顔を真っ赤にしている。彼女の口元は、だらしなく緩み切っていた。
対して俺はというと、脂汗ダラダラだ。
「そいつはおめでとう。お互いに奥さんを幸せにしような」
「あぁ」
男同士の約束を交わして、同期は帰っていった。
同期が去った後、俺は何よりもまず瑞稀に謝った。
「悪かった! 見栄を張りたいが為に、お前にプロポーズしたなんて嘘をつくなんて……俺は本当にどうかしていた!」
「そうだね。嘘はいけないことだよね。だから……私をお嫁さんにしてくれるって話、本当のことにしてよ」
「……え?」
呆気に取られている俺の手を、瑞稀は優しく握る。
「再会した時も伝えたけど、もう一度言うね。私は清介が好き。大好き。世界中の誰よりも愛してる。その気持ちは昔から変わっていないし、これから先変えるつもりもない。だから清介のお嫁さんになりたくて、その為にあなたのもとに帰ってきて。……清介は、どう? 今の私のことは、嫌い?」
同期に対する見栄を抜きにして、俺は自分の気持ちと向き合ってみる。
今の瑞稀は、昔とは違う。
仕事もしなければ、家事もしない。本当のダメ人間だ。
しかしそんな瑞稀が嫌いかと問われれば……嫌いなわけなかった。
俺を好きだと言ってくれる女の子を、嫌いになれるわけなんてない。
確かに瑞稀は花嫁修行を挫折した。でも俺のお嫁さんになりたいという気持ちだけはずっと持ち続けてくれたのだ。
「……まぁお前と結婚したところで、今の生活が変わるわけじゃないしな」
強いて言えば、俺が瑞稀をもっと好きになるくらいだろう。
「ねぇ、清介。私に料理教えてよ」
家事なんてクソくらえと豪語していた瑞稀が、そんなことを頼んでくる。
「料理なら、今まで通り俺が作れば良いだろ?」
「それでも良いんだけどね。今からでも、遅くないでしょ? 最高のお嫁さんになる為に、花嫁修行をするのも」
俺に教わって瑞稀が最初に作った料理は、味噌汁だった。
俺はその味噌汁を、これから毎朝飲みたいと思った。