第一話 朝起きて -1
雪のように思い出は積り、やがてそれは時間の中へ儚く溶けていく。
「…………暑い」
思わず口からそんな言葉が零れた。
寝苦しさに安眠を妨害され、俺は布団の中で蠢く。半覚醒の頭はその機能を十分に発揮しておらず、ただ日常生活の中で刷り込まれた動作を本能的に再現する。すなわち枕元に置かれているであろうスマートフォンを求め、手を彷徨わせる。しかしいつもならそこにあるはずのそれはすぐには見当たらない。
「……どこだよ」
眠気に抗いつつも体を起こし辺りを見渡す。室内はカーテン越しに日の光を浴びて、電気を付けずとも目的の物を探せるくらいには明るい。それはすぐに見つかった。勉強机に乗っていた。
「はぁ」
めんどくさいと思いながらも俺はベッドから降りる。さっきまで寝ていたロフトベッドから机まではせいぜい数歩の距離だが、この寒い時期では布団から外にはあまり出たくない。じっとりとした暑さに不快感を抱きながらスマホを回収し、俺は安息の地へと戻る。
タオルケットに包りながら画面を見れば、いくつかの通知とともに今の時間が表示されている。
「……なんだ、まだ五時じゃないか」
その板切れを放り投げ、目を閉じる。まだまだ寝れる、そんな時間じゃないか。昨日は夜遅くまで酒を飲んでいたし、今日は特段予定が入っていなかった。カレンダー上での成人式は今日だが、地元の自治体では昨日式が行われた。そのため今日の午前はゆっくりと過ごし、午後から下宿先へと帰宅するつもりだ。実家から鈍行で片道二時間ほど、こんな朝早くから移動しなくても十分にたどり着ける距離だ。何なら明日は一限に授業は取っていないため、今日帰る必要もない。
そんなことを考えながら俺は二度寝を決め込もうとした。
「…………ん?」
そこでふと、違和感を覚えた。今は冬の朝だよな? それにしては日差しが明るいなと。
スマホを手に取り、時間を確認する。午前五時七分。年明け早々のこの時期、日が昇っているにはいささか早い時間だとは思う。
そして俺の視線は、その下に小さく表示されている日付の方へ移動した。
七月八日、表示されていたのはそんな文字列。なんてことはない、どうせ故障か何かだろう。そう考えながら俺は時計機能を弄りつつ寝返りをうつ。
「……っと、布団が」
ずれたタオルケットを体に掛けようとして、手が止まる。これは何だ?
昨晩の記憶を思い出す。昨日体に掛けたものは確かに羽毛布団であったはずだ。少し目を離したうちに、ずいぶんとペラペラになったものだな。そんなどこか場違いな感想を抱きながら、視線をスマホに戻す。その設定はネットワークの時刻になっていた。
つぅと、汗が垂れる感覚があった。それは不可解な出来事に遭遇したからなのか、単純に気温が高いからなのか。……気温が高い? そういえば冬場にしてはこの暑さはおかしいな。俺の部屋にエアコンはない。あるのは石油ストーブだけだが、火事の危険性を考えて寝るときは切ってある。そのため、いつも朝は冷え込むはずなのだが…………。
さすがにもう、眠気は感じていなかった。俺は文字通り布団から飛び起きて、壁に掛けられたカレンダーに目を向ける。それは当然のように、七月の物だった。
「マジかよ」
とても信じられないような出来事だが、事実なのであろう。こう言った場合、頬をつねって痛みがあれば現実であるとのことであるが、着地した際足の裏に走ったそれが何よりも雄弁に現実だと主張していた。
どうやら今日は七月八日で間違いないらしい。
もし仮に俺の身に何かがあって半年以上意識不明になっていただけなら説明も理解も楽でよかったのだが、どうやら今日は五年ほど過去らしい。…………いや昏睡状態もそれはそれで嫌だな。
初めは兄貴の仕掛けたドッキリか何かを疑ったのだが、いくつかの証拠がそうではないと訴えていた。
まず先ほどは何の違和感も覚えなかったが、手にしたスマホが先代の物であった。大学進学を機に新しいものに買い替えて下宿先に仕舞われているこれは、実家にはないはずのものだ。またカレンダーも当時の物が張ってあった。新聞屋がくれたこの無地のカレンダーはいろいろと予定を書き込みやすくて重宝していたのだが、数年前の非売品を用意するのは非常に手間だろう。
それに何より鏡に映る自分の顔が、昨日まで見ていたそれよりも幼さを残すものであったことに説明がつかない。
一旦現状を整理しよう。
俺の名前は東森拓未、二十歳……いや今は十五歳か。どうやら高校一年の頃に戻ったらしいからな。十二月二十五日とかいうある意味において最も嬉しくない日に生まれた男。部活もバイトも特にしていない、趣味はゲームやら読書やらとインドア派で勉強も運動も並みと、どこにでもいる普通の高校生だ。無難な高校時代を送り、無難な大学に進学し、無難に成人した人生を送っており、このまま無難に就職すると思っていたんだがなぁ。
昨日……感覚上での昨日は成人式を迎えて久しぶりに高校時代の友人たちと再会して、現状を報告しあった。時たま連絡は取っていたし、半分は地元に残った連中だったこともあり特段これといった驚きもなく高校時代の延長線上と言った感じだったな。
俺は改めて昨日の出来事を思い出そうとした。
はじめまして、佐倉はつねと申します。
本作はゴールデンウイークの暇つぶしに設定をぼんやりと考えていたものを、そういえば七夕がちかいなぁ、と急遽書き上げたものです。
拙い文章ではありますが、最後までお付き合いいただけると幸いです。