4.師匠
「そんで? マッパで行倒れてた自称・転移者の子供を、ろくに身元も調べずに拾ってきたわけだ?」
ウェーブがかった藍色の長髪を背に払い、御者台の上でドロテア・フォルモントは足を組み直した。
結界に守られた野営地の中。森から戻ってきた三人は、それぞれ焚き火を囲むように設置した倒木に座っている。そのためか、高いところからのドロテアの視線が痛い。
「だって、お腹すかせて可哀想だったし……何も着ていなかったから、せめて服をと思って……」
キャラバンの頭領であるギルも、一つランクが上の『熟練者』である彼女には敵わない。肩を縮こませて、目線を下の方へ向けている。
「名前も聞かず、ろくに名乗らず連れてきたってのが、まずありえないんだけどさ。ま、我らが頭領が決めたことなら、メンバーである私は従わないとね。それに――」
「わかってるよ。“契約”したならそれは履行しなきゃいけない、でしょ」
ドロテアは御者台から降りると、緊張のためか震えている青年の前にしゃがみ込んだ。
「ごめんね、君。私はドロテア。このキャラバンの一員。今更で悪いんだけど、名前を教えてくれない?」
「はっ、はひ」
青年は、ドロテアの胸部から目を逸らし続けている。それもそうだ。青年は年頃の男子。あのご立派な二つの果実を見せつけられて、困惑しないわけがない。着せてもらった服の裾を握ってタジタジしている彼を、シャーリィはひと睨みしておいた。
「お、俺は、有馬 翠、です……」
戸惑いながらも答える。少しだけ、震えは治まってきたようだ。
「アルマ スイ……そう、アルマね。いくつなの? 身長は? 体重は? 好物はやっぱり肉? 女のタイプは? あと好きなプレ……」
「し、師匠!!」
「ドロテアさん!」
このドロテア・フォルモントという女、無類の男好きであった。『人生は一度きり』をモットーに、年上だろうが年下だろうが関係なく、気に入った男は“効率よく”全部食うのが彼女の信条。商売のため訪れた街で、必ず一人は恋人を作る。天然物の色気で信者を量産するギルとは、また違った意味で罪な女だ。
「師匠、抑えてください」
「次の街で好きにしていいから。彼だけはやめてあげて? ね?」
「ちぇ、残念。なかなかイイ男だと思ってたのに」
ドロテアがペロリと舌を出す。それを見たアルマは、青い顔をして固まってしまった。シャーリィにとっては慣れた光景だが、彼には少し刺激が強すぎたかもしれない。
「見たところ、シャーリィと同じくらいに見えるけど……年齢だけでも聞かせてくれないかな」
ドロテアを押しのけて、ギルが訊ねた。
「じゅうなな、です。高校二年生……これは関係ないか」
「十七……シャーリィの一つ下だね」
「ちょうどいいじゃん。シャーリィ、仲良くしてやりなよ」
「えっ」
ドロテアの言う仲良くしてやれ、というのは、つまるところ“面倒を見てやれ”ということだ。
「私は、四人分の食料を調達しないといけないし、ギルもそれに付き合ってもらうから、適任でしょ。その方が効率もいいし」
「ほ、干し肉なんて、まだ余ってますよ……?」
歳が近いシャーリィをそばに置くことで、アルマを監視する意味もあるのかもしれない。だとしても、初対面の男女を二人きりにするのはいかがなものだろうか。
とはいえ、師匠の指示に逆らえるはずもなく。
「仲良く、させていただきます……」
ドロテアは、満足そうにニッコリ笑い頷いた。
こうして、アルマの面倒を見ることとなったシャーリィだったが。出会ったばかりで共通の話題もなければ、何かをしていろと言われたわけでもない。人見知りなシャーリィには、耐え難い時間だった。
ドロテアとギルは、宣言通り食料調達のため森へ入ってしまったため不在。完全に日が暮れるまでには戻ってくるとわかっていても、しんどいものはしんどいのだ。
「なぁ」
なんの前触れもなく、アルマが口を開いた。
「俺が、あんたらの言葉わかるようになったのって……魔法ってやつだろ?」
「そう、ですけど……」
「じゃあさ!」
アルマがずいっと顔を近づけてくる。思わずシャーリィは体を引いた。それでも、彼は構わずに目を輝かせている。
「あんたも使えるんだろ? 魔法! 見せてくれよ!」
「あんた、じゃないです」
シャーリィはむっと唇を尖らせた。師匠以外の人にあんた呼びされるのは好きではない。
「私はシャーリィ・ステルラっていいます。抵抗はないので、名前で呼んでください」
「おけ。じゃあシャーリィも、俺に敬語は禁止な。俺の方が年下なんだし、タメでいいぜ! かたっくるしいのは苦手なんだっ」
「わかりま……わか、わかったよ」
普段から敬語しか使わないからか、砕けた口調で話せるようになるまでは時間がかかりそうだ。首を傾げるシャーリィを見て、アルマは口角を上げた。
「んで、どうなんだよ? 魔法、使えんの?」
「魔法……勉強はしてるけど、得意じゃないかな。魔導書がないとろくに使えない」
「それって見せてもらえるものか?」
「い、いいけど……ちょっと待ってね」
アルマの勢いが強すぎて、なんだか疲れてきた。荷物の中の魔導書がとても重く感じる。
「はい。魔法の基本から応用、属性魔法……あ、さっき頭領が使った言語魔法も載ってるよ」
「もとの世界に帰れる魔法とか書いてないかな〜」
「移動の魔法なら書いてあるよ。でも、使える人は限られてるんだ」
誰彼構わず好きな魔法が使えるわけではない。高度な魔法を覚えるには、それなりに厳しい修行をこなす必要がある。
「あっちには魔法なんてないから、こっちでやっても意味ないのかな。危険な生物はいるけど魔物もいないし」
「魔物がいないの? なにそれ……すっごく平和だね……」
「そうでもないぜ。魔物みたいな人間はいるし。……なぁ、もちょっとこっち寄って見せてくれよ」
体を伸ばして魔導書を覗き込んでくるアルマ。
「……わかるの?」
「……わからん。てか、なんて書いてあるのかもわからない」
「でも、私の言ってることはわかるんだよね?」
「一応な」
アルマにかけられた言語魔法の精度は、術者の言語能力によって左右される。今回の術者であるギルは、キャラバンの頭領というだけあって、世界中のあらゆる国の言葉から魔法語まで幅広く扱う。理論上はアルマも文字の読み書きができるはずだ。
「不思議だぜ、この感じ。シャーリィたちの言葉の上に、よくわかんない言語が被せられて、俺がもと使ってた言葉が被せられて……二重にも三重にも聞こえるんだ。頭の中に、意味が直接流れ込んでくるっていうのかな。まぁ、違和感はないから普通に会話できるけど」
「そんな風になってたんだ……文字は、意味が流れ込んでこないの?」
「こないな。頑張れば……頑張っても……見え、ない」
「そっかぁ……残念だね」
「あぁ。悔しいから、今度教えてくれよ」
うん、と返事をしそうになった。アルマと旅をするのも、最寄りの街……タリーに到着するまでだ。移動している最中は、そんなことをする時間は作ってあげられないだろう。街に着いてからも、キャラバンは商売で忙しい。きっと、アルマは魔導書の文字を理解することなくここを離れることになる。
「私、魔法語は教えられるほどできないから」
「ちょっとでいいんだ。帰るまでに困らないくらいで」
「……ちょっとだけ、ならね」
シャーリィは、なんとも言えない表情で笑って誤魔化した。やったぜ、とアルマが喜ぶものだから、ズキンと胸が傷んだ。
「……ところで、その。どうしてあなたは裸……えと、何も着ないで草原に転がっていたの?」
「うーーーーーーーん」
アルマと出会う前後のことがわかれば、彼が元の世界に帰るための鍵になると思った。しかし、アルマの反応はとても鈍い。
「ぶっちゃけ、覚えてねーんだわ。なんか、めっちゃ苦しかったような気はするんだけど……記憶が所々ぼんやりしててさ」
名前と、ちょっとした経歴ならわかるぜ! とアルマは親指を立てた。
「そっか……。記憶、早く戻ったらいいですね。わからないままって……怖いもん」
「そだなー。でも、拾ってくれたのがキャラバン〈ブライト〉で良かったぜ、ホント。悪いヤツに拾われてたら、マジ地獄だったわー」
「そう言ってもらえれば、私も見つけて良かったで……ぜ」
「シャーリィ、タメ苦手すぎだろ!」
あははっ、と楽しそうに笑うアルマを見て、少し驚いた。記憶がなく、更に言語も歴史も違う世界に来てしまったというのに、こんな呑気でいられるものなのかと。
「なーんか大切なこと忘れてる気がするけどな。ま、うだうだ考えるのは俺の性に合わないんだ。異世界生活、それなりに楽しむぜ。せっかく――なんだし」
「なぁに? 聞き取れなかった」
「ん? 俺、なんか言ったか?」
まだ記憶が混濁していそうだ。あのまま一人で放り出していたら、どんなことが起こっていたことやら。やはり、〈ブライト〉で保護してよかったと確信する。
「……できる範囲で、手助けはするよ。困ったことがあったら言ってくださ……ね」
「おー! サンキュな!」
この、どこか危うい異世界人を守らなければ、とシャーリィは密かに決意した。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
次回は8月15日13時頃の予定です。