3. ラベンダーの乙女
とりあえずそのまま進むことにして、第二正門の入門検査を受け、門を無事くぐり終えた。
(これが…『アーヴェルハイツ王立学園』。)
門の所から見えていたが、人垣を越え、真正面から見上げる学園は--圧巻だった。
遠く見える城、『アルヴェール城』が美しさ…“壮麗”さを誇るのであれば、学園は“荘厳”。
城のような過度な美しさはないのだが、さすがこの国で2番目古く、大きな建物だ。
歴史を感じる堂々たる外観…こんな大きくて立派な建物、日本人として生きていた頃でも見た事がない。
まぁ、海外旅行もロクにしたことがなかった庶民だったので、大きな建物といってもビルか日本様式の和風な建物ぐらいしか見た事がない。
洋装の建物はテレビの中での世界で、城とかなんて似非もの以外は物語の中の物だった。
-『アーヴェルハイツ王立学園』
その歴史は古く、アルヴェール2世 -つまり2代目の王様である『アーヴェルハイツ』様が建立した学園なのだそうだ。学園名はそれに肖って付けられたらしい。
王族・貴族専用の学園だ。…特例以外は。
庶民でも能力を買われた者は、国益の為に国の支援で学費0で、最高の教育を施す-
(…つまりは、タダで最高の場で勉強させてやるかわりに、国に将来を縛られるって事だけどね。)
それでもここから出世して騎士となった者や、貴族と結婚した者なんて前例があるもんだから、平民には夢のような場所として捉えられている。
(私にとっては、そんなもん望んでないし、お断り。)
もちろん、ソレ以外の末路を辿った者もいる訳だけど…。
「…平穏無事に卒業できれば、それが何よりなんだけどなぁ…。」
帰リタイ、帰リタイ、帰リタイ、帰リタイ…ここに来てから何度も頭の中をリフレインしている。
思わずため息をつきそうになった所-ぽんっと軽く肩を掴まれた。
学園の存在感に圧倒されていた上、思考の渦に飲まれていた為、周囲への警戒が薄れていた。
こんな所に知り合いはいないので、どう考えても厄介事…十中八九絡まれたと思うべきだろう。
恐ろしいが、こんな分かり易くアクションを振られているのに何も反応しなかったら、どう考えても無視→不敬な態度と捉えられてしまうだろう。
そちらを振り返りたくない気持ちを必死に抑えて、掴まれた右肩の方を伺った…。
「御機嫌よう、お嬢さん。」
振り返ってみるとそこには、私より少し背の高い美形-青みがかった銀髪が美しい青年がニッコリと私に笑いかけていた。
おそらく肩につかないくらいの長さの髪を、オシャレな彫を入れた黒色の髪飾りで後ろにまとめた青年だった。
もちろん、こんな美形の知り合いはいない。
私が驚いて目を見開いて彼を見ていると、彼は私の肩にかけた左手をすっと下ろした。
「…初対面でいきなり肩に触れてごめんね?後ろから声掛けたんだけど、反応が無くってさ。」
それはそうだろう。私に声を掛ける知り合いなどいない場所で、柔らかな声が掛けられたとして、誰が自分に掛けていると思うのか。
「申し訳御座いません。私に掛けられているものだと気が付かず…失礼を致しました。」
貴族といっても様々だが、前世が日本人で身分制度が身についてないということも影響して、高い身分と小綺麗な事、気取った態度を除いたら、そう平民と変わらないじゃないかと、内心思っていた。
-でも、目の前の彼は違った。
庶民とは違い、確かな華があり、存在感がある。
軽い口調なのに、仕草に上品さを感じた。
(…これが、貴族。)
そう感じた途端、背中にじわりと汗が滲んだ。
「初めまして。オレはギルバート=ジオ=オルコルド。美しいお嬢さん、よろしければ貴女のお名前をオレに教えてくれるかな?」
少し気取った感じで、彼はボウ・アンド・スクレープをした。
貴族の男性の挨拶だ。
仕草は美しいが、おどけた雰囲気を感じる。ふざけているのだろう。
口調の通り、軽い印象の男だ。
こんな道の往来で、格式張った挨拶なんて滑稽以外の何ものでもない けれど、されたからには返さねばならないだろう。
「…初めまして。アメリア=ブルーメイアでございます。」
長いスカートの裾を軽く持ち上げ、片足を引き、頭を深く下げる。
貴族の女性の挨拶、カーテシー。
私が何故出来るかといえば、基礎学校で教わったからだ。
この国では、平民でも学校に通う事が出来る。
7〜15歳までは私も、街の基礎学校に通っていた。
卒業後はこちらに進学する事が決まっていたので、挨拶など基本的な事は特別講師をお呼びして、学んできた。貴族の方々に失礼のないようにする為である。
「-へぇ!キミが噂の特待生か。」
先程のやり取りのせいか、彼の美声のせいか、少し先程より張り上げられた声のせいか。
周りがこちらを見ているのが分かる。
(・・・今、『カーテシーが下手過ぎて、そっこーバレとるやんww』とか思った奴、ブッ〇す。)
ちなみに、今平民だとバレたのは、私のカーテシーが下手くそだからでは、断・じ・て無い。
この国では、平民の名前にも普通に苗字があるが、貴族にはミドルネームが更に加えられる。
ファーストネーム・ミドルネーム・ラストネームで構成され、ミドルネームは母方のミドルネームから貰うそうだ。ちなみに父が婿養子の場合は、ミドルネームは父方のミドルネームを貰う。
(…ぱっと聞いただけだと、両親からそれぞれ名前を引き継ぐなんて素敵!って思うんだけど、この国こんなルールだから、愛人とか側室の子と本妻の子はミドルネームが違うから、一発で分かっちゃうんだよねー…。普通に後妻の場合もあるけど、ラストネームが一緒なのにミドルネームが違う人達に会っても突っ込むな、って先生に習ったっけ…。)
話が逸れたが、つまりはミドルネームがないので平民バレしたのだ。
(それにしても…“噂”か。)
やはりというか、何というか。
噂好きのお貴族様方の、格好の話の種になっていたらしい。
一体その後に彼等は、同級生となる平民をどう扱うと話していたのだろうか…。
心の底から…知りたいし、知りたくない。
目の前の彼からは悪い感じはしなかったが、それでも警戒心が軽く生まれる。
「……。」
思わず無言になってしまった。
「あ…-悪い。噂なんて言われたら、気になるよな。ゴメン。」
(?!…っぅえ?!貴族が平民に謝った???!)
貴族様のプライドとか無いのだろうか。
思わず、顔をまじまじと見てしまう。
顔を見られる事に抵抗がないのか、彼はニコニコと笑顔で私を見返した。
こちらの無礼を全く気にもせず、彼はその軽やかな口で話し続けた。
「でも、悪い様にはならないと思うよ。我らが『ラベンダーの乙女』のおかげでね。」
ぱちんっ☆と片目を瞑られ、星でも飛んできそうだったので、思わず目の前を手で払いたくなった。
「『ラベンダーの乙女』…?」
ちょっとかゆくなる呼び名だ…一体何者なのだろう?
声にも顔にも気になっていると表れていたのだろう。親切にその方が何者であるのかを、教えてくれた。
「“エリザベス=フィオ=アイゼンラウアー”。アイゼンラウアー公爵家の一人娘で、この国の第一王子、アルヴァーライト殿下の婚約者だよ。美しいラベンダー色の御髪をお持ちでね。ラベンダーの乙女と呼ばれているんだ。」
(!!! …っ思いっきり雲の上の人だ!第一王子様の婚約者って事は、実質次のファーストレディって事だよね?!)
「彼女が好き放題されていたキミの噂を止めた。彼女が、『同じ学び舎で学ぶ、仲間となる者を虐げる様な行為は恥ずべき事』だと言い切ったことで、その傾向は止められた。以降は噂をする者自体がいなくなったようだけど…そんな事があったから、キミを虐める様な不届き者はいないと思うよ。」
「…その様なお方が何故…。」
「さぁ?そこはかの乙女の胸の内の事。オレには分からないけどね。…-あ!そこ、こっちへ避けて。彼女が通るよ。」
「え?--へっ?!」
そんな事をいうやいなや、突然私の腕を掴み、道の端の方へ数歩歩くものだから、バランスを崩してしまった。
私の腕をくいっと引き、器用に自身の身体をくるりと回して、私の身体を捕まえた。
「おっと。危なかったね?」
にっこりと笑い、腰に腕が回った。
-ゾワァッ…
キャーーーーーッと、複数の黄色い悲鳴が後ろから聞こえる。
「あ、ありがとう、ございます…っ」
( …アブネーのはお前ぇだろぉがッ!!)
ニコニコ笑っている顔をぶん殴りたい。腰に回った腕を捩じり上げてやりたい。
黄色い声に「ずるい、あの子」なんて声が後ろの方から聞こえて、今すぐ変わってやりたいと思った。
はぁ…と小さくため息をついて出た。
(…顔はいいかもしれんが、コレが人気とは世も末だろ…。)
「--御機嫌よう、オルコルド様。」
(・・・!)
コツ、コツ、と近づいていた小さく上品な足音が、私達の真後ろで止まった。
それと同時に、鈴の音のような美しい声が、男に声を掛けた。
「やぁ。御機嫌よう、エリザベス譲。相も変わらず美しいね。いや、日に日に磨きがかかっていると言うべきか-」
「-お褒めのお言葉、嬉しく思いますが…婚約者のいる女性にあまりそういった言葉を掛けるのは、宜しくないのではないですか? …それに、貴方にまだ婚約者がいないとはいえ、こんな皆の通る道端で女性を抱きしめるなどもっての外で-」
もっと言ってやってくれ!と思っていたら、かの方は不自然に言葉を止められた。
どうしたのだろうと、半ば押し付けられていたギルバートの胸元に手をついて、顔を上げ振り返ると-
---目が合った。
(…なんて、美しい人だろう。)
ふわりと風に靡く柔らかなウェーブの長い髪…美しい紫色が広がって、優しい花の香りが広がった。
少し垂れ目がかった涼やかな瞳は、深い緑で、まるで宝石のエメラルドのよう。
形の整った小さな唇、そこからはあの、鈴の音のような声を発するのだろう-
(この世にこんな完璧な女性がいるのか…まるで、女神様のような…-)
思わず、ぽーーーー・・・・と時間が経つのも忘れて、そのご尊顔に見蕩れてしまった。
-はっと正気を取り戻し、挨拶もせず、ずっと無言で見続けてしまった!と思い、
「あ、あの…」
目下の者から声を掛けてはならないルールも忘れ、つい、慌てて声を掛けてしまったところ-びくりと彼女の肩が跳ねた。
(え…?)
その上、ザァッと顔を青くなり、涼やかだった目は見開かれている。
「ど、同意の上でしたら、場所を変える事をお勧めしますわ。わ、私、気分が優れない為、お先に失礼致します…っ。」
彼女は上品ながら、先程の足音より少し早足気味に、去って行ってしまった。
残された私達(周囲の者たちも含め)は、ぽかんとした表情で彼女見送った…。
※1 『アルヴェール王国』では、初代の王の名を国名・王族のラストネーム・王位を継いだ者が代を重ね名乗る際に使用されている。
※2 『アルヴェール王国』では、基本的に道で挨拶など交わさない。初対面の場合は例外とするが、略式の挨拶がとられる事が多い。
※3 しつこいですが、『アルヴェール王国』でのみの設定なので、他には適用されません。