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死を体験してみませんか?

「……むぅ」

 心臓に杭でも刺さっているかのように、意気消沈も甚だしい程鬱屈だった。

「こんなにもお空は晴ちゃっているのに、どーして僕だけこんなに暗いんでしょー」

 快晴である代償だとでも言わんばかりに、僕を容赦なく照らし足元に濃い影を作る。雰囲気的に僕の脳内放送では、豪雨がびしゃーんで髪の毛逆立ちしそうなくらい、台風きらりちゃん(僕捏造命名)も真っ青な暴風域に入っているのに。どうしてこうも僕と地球は相性がよろしくないのだろう。

 もうちょっと空気を読んで欲しかった。いや、物理的な空気という事ではなくてですね。

 しかしこの地球にはまだ一生の半分もお世話になっていないのだから、嫌々でも媚を売っておかないと、口論がちょっと残念な方向に一直線に突き進んで「サクッ」とか口に出さずとも聞こえてしまいそうな自体になり兼ねない。もしかしたら、そこが人生の終着点なのかもしれないな。哲学的に。

 ふむ、そう砕いて物事を考えるとしたら、そこら辺に転がってる小石が随分と寛大に思えてきた。

 いくら蹴られても、どんなに打ちすえられても文句一つ言わず、地面の一部として大きく佇むんでいるんだ。これに敬意を表せなくてどうして良心を語る事が出来ようか。

 位置する立場が同じでも、中身が僕と小石じゃ全く違う。

 僕は、色々と背負い過ぎなんだな、多分。というか僕だけに限らず、人間という厄介な存在に生まれてきたからには、悩みは本能と言っても差支えないだろう。

 ただ、それがあらぬ道に逸れるきっかけになるのは、それを知ってる本人でも免れない事なのだ。

 そうやって悩む分だけ、まだ小石より有能というだけであって。

 やってる事の虚しさと言ったら、まだ何もしていない物の方がマシなのかもしれない。

 年中お手が暇そうな方を見たら、まず反射神経並に脳内を駆け巡って辿り着く先が「あぁ……」と残念な結果に至るであろう。

 しかし、それは人間という概念に基づいた普通の視点から見ただけの偏見であって、本質は全く別なんじゃないのか。

 人間であるが為に、小石にも劣等感を抱き、生きてる価値も感じられず。やる事成す事全てが往々にして無駄に思えてきて。

 空虚に哀愁を漂わせるだけでも、町中の空気汚染の原因になるのだろう。こうやって空気を吸いながら物思いに耽っているだけで、どれだけ二酸化炭素を放出しているか。地球温暖化? はい、僕のせいですね。ごめんなさい。

「…………よし!」

 男であれば、躊躇なく覚悟を決めるべし。

 こんなにも青くて清々しい空が僕を待っているんだ。待たせてしまっては超重犯罪だ。

 遠くの景色に飛翔する影が写った。多分雀かなんかが何かに驚いて一斉に飛び去った現場だろう。

――これだ。

 意を決した僕は、その大群の方向に向かって、その一歩を踏み出した。

 方足に感じる、自分の体重。足が攣りそうな程力を入れる。同時に胸を大きく張って、その一線を飛び越えた。

 そして浮遊感。

 多分、今誰かが僕を見ていたら、さっきの僕と同じ立場になるのかな。

 飛翔する影。空に向って飛び立つそれはまさに、

 一人の自殺志望者である。

 僕は、これでいいんだ。こうすれば、まぁ多少人に迷惑がかかるかもしれないけど、生きているよりよっぽどいいはずだ。

 最低でも、僕はこれで満足だ。

 誰かに罵られるのはもう慣れた。でも我慢は出来ない。発狂した人間が起こす事態は計り知れないが、僕にはその度胸もない。だからこうして自己満足をひしひしと抱きしめながら、最後の一時を謳歌するのだ。

 そして、これが旅立ちでもある。よく小説とか読んでいると、心理描写なのかは知らないが“死”を“旅立ち”と表現している事が多い。

 別にマンネリ化した表現を好んで使う酔狂な人間は多くないと思うが、僕はこの意味を今誰よりも深く理解していると思う。刹那、僕は深遠な悟りを得た。

 殺伐と生きる事だけを考えて、幽寂な闇に侵食されていくだけのこの世とは決別しよう。

自分を否定して、何もかも否定して、全てを捨てる覚悟が整ってから、そう思うようになった。

 これ程妥当な結末を迎える事になるなんて、ちょっとだけ優越感を抱いてしまう。今まで比較されて、挙句の果てに笑い者に晒しあげられる。そんな屈辱を、この小さな幸せで補う、大きな幸せ。

 自分の死を自分で操るなんて、他の人には絶対出来ないだろうな。

 僕が知らないだけなのかもしれないけど。

 つい最近まで自分が佇んでいた崖を見る事が出来た。普通ではあり得ない視点で。

 一度空を仰いで、空中にいるとは思えないほどゆっくり回転してから、さっき舞い上がった鳥の群れを一瞥して、脳天が地上を見下ろした。

 飛び出した勢いはいつの間にか消沈して、後は重力に身を任せるだけになった。

 僕は恐らく、滑稽な弧を描きながら地面に吸い寄せられている。喉に息が詰まり、非常に気分が悪い。

 落下している自覚があまりないのが幸いだった。

 死ぬ事は怖くないけれど、死ぬ瞬間が怖いから、地面に触れる前に目を瞑った。

 そして、



「…………は?」

 多分、僕は死んだ……はず。ですよね?

 自我が存在し、こうして何かを考えていられるという事は、多分生きてるんだろうな。肉体も存在している。あくまで多分、だけど。

 何がどうなっているのかさっぱりわからない。もしかしたら、これが死後の世界なのか。僕はてっきり死の先には何もなくて、苦しいという感情も存在自体抹消されてりまうかと思ったのに。

 期待外れにがっかりしている場合ではない。もしこれが死後の世界だとしたら、僕が死んだ意味がなくなってしまう。

 次がないから、次を考えて懊悩しなくていいから、そう思って死を選んだのに。

 とりあえず現状把握だ。これでは死に損になってしまう。

 少し頭が混乱してきた。そして、自分が目を固く瞑ったままだったという事に気づいた。

「何やってるんだ僕は……」

 てへっ、と語尾につけるか否か言語道断で制止を喰らいそうな戯言を以下略。本当にどうかしてしまったらしい。自殺を決め込んだ人間が言う台詞ではないのだろうけど。でも、とりあえず言葉は発する事が出来るらしい。ちゃんと意味も理解している。頭は機能停止していない。

「…………」

 霊妙な空気に当てられて、少し言動がおかしくなった人間になった気分だ。というか、それ自体なのだ。

 目を開けたはずの視野に広がった景色は、とても素晴らしい黒一色に染められていましたとさ。これは、どこぞの偉人が脳みそほじくり返して考えても、普通じゃないな。

 それなのに、何だろう。少しここが心地よい。

 ベッドに入って、そのまま沈むように夢に落ちていく感じ。中途半端に疲れていると、動悸が妙に高鳴ってなかなか寝付けないものだが、何故かそういった不快な感覚から絶縁されているようだ。

 例えるならば、眠っているのに目が覚めている状態。夢の中を自由に動く回る事が出来る時に限りなく近い。

 だがこれだけは確信を持っているが、ここは夢の中なんかじゃない。

 もしかしたら、暗いというだけで落ち着いているのだろうか。なんか電気消して暗くしておけば勝手に寝付く、とかどこかで聞いたような怠慢な親を連想した。僕はそういった人間と相性が良いのかもしれないな。もう、多分死んでるから言ってもしょうがないのだけれど。

「あのー、すみませーん」

 留守中かもしれない家に訪問するわけでもないのに、とりあえず誰かいないか確認をしてみた。

 声は反響する事なく、滞りなく無機質な波を広げていった。残響を一切聞きとる事が出来ない、という事は周りに一切の障害物が存在しないという事だ。

 もしかしたら崖から落ちて、気を失っていただけで気付いたら夜でした。みたいな予想をしていたのだが、この現状で甚だしく霧散していった。

 まず痛みなんてどこにもない。あの高さから落ちて傷一つなかったら、それこそ不気味なくらい自分の人生を怪訝したくなる。普通に生きていられないのなら、もうこの際どうでもいいんだけど。

 もう一度当たりを良く見渡す。遠望しているようで、一寸先を見ているような錯覚。

 これが純粋な闇だというのなら、ここに運悪く零れおちた僕は、一体どうなってしまうのだろう。……いや、もしかしたら死の先は無、と高を括っていただけなのかもしれない。地獄とは、自我を保ったまま無を味わう事。

 ……何かが、違う。

 これが僕の望んでいた死か? 小石が羨ましいと思った。何もしていないし、何も感じない。僕もそうなりたいと思った。だから生きる事をやめた。

 なのに、これじゃ生き地獄じゃないか。

 確かに、これなら誰からも干渉を受けないだろう。でも、それじゃ……。

 ここまで考えて、自分の落ち度を曝け出しているように思えてならなかった。

 何かが違う。それだけが、もしかしたら後悔の種になっているのかもしれない。

「後悔?」

 本当に馬鹿馬鹿しい。

「何やってるんだ、僕は……」

 死んだ後になって気付く。今、僕は後悔しているんだ。

 思えば、死なんてあやふやな物に頼って、それが最後だと思い込んでいた。勝手に自暴自棄になって、何も考えずにそれに手を伸ばしてしまった。

 何て事だ。これじゃあ死んでいないのと同じじゃないか。

 それどころか状況をもっと悪い方向へ導いてしまった。楽な方向へ向かおうとした結果がこれだ。自業自得もいいところだ、逃げる為に死んだのに。

 なんで、もっと考えなかったのだろう。

 もっと、楽になれる方法があったはずなのに。

 初めて、死に対する恐怖を感じた。

 結局は、生きている事が一番楽な事に、今更気付いた事を悔んだ。

 悔やんで、悔やんで、悔やんで。

 それでも悔やみきれなかった。

 だから、僕は初めて思いきり壁を叩いた。いつもの貧弱な腕力からは想像出来ないくらいに、思いきり。

 ガン、という音が木霊して、耳に長く居ついた。早く離れてくれないだろうか。

「……ん」

 響く?

 壁?

 ガン?

 その瞬間、大きな振動が起きた。立ち眩みによく似ているが、目の奥が急激に運動を起こしているような違和感だ。

 そして、初めに見たのは白衣を着た女性だった。

 僕の頭に取り付けられた様々な機械やケーブルを外しながら、

「あ、お目覚めですね」

「……はい」

「どうでした? 一度死んだ感想とか聞かせて下さると嬉しいですね」

「……いえ、話したく……ありません…………」

「そうですか、じゃあ診察カードを受け取ったらお会計の方よろしくお願いします」

「……わかりました」

「それでは」

 そう言うと、女性は踵を返して部屋から出て行った。

 一人部屋に残された僕は、多分傍から見れば放心状態となっていただろう。

 二分くらいそのままじっと動こうとはしなかった。

 現状把握なんていらなかった。目が覚めた瞬間、自分がどういう状況に置かれているのか理解したからだ。

 とりあえず診察カードを受けとって部屋を出た。

「会計って結構混むんだな……」

 暇つぶしに壁に貼ってるポスターなどを見ていた。病院だから、体の事に関してが大体を占めている。

 そして、ここは精神科でもあるから、当然のように心の事も書いてあった。

 丁度僕の目の前に貼ってるポスターに大きく「死を体験してみませんか?」の文字。その後に機械のイラストや説明等が散漫していた。とてもではないが、今は読む気になれない。

 気分が優れない。たった今、自分の死に直面していたのだ、無理もない。

 そうやって俯いていると、不意に隣に座っていた男性が声をかけてきた。同じく会計を待っているのだろう。

「相当お疲れのようですね」

「えぇ」

 生返事だと相手に失礼だとわかっていても、気の利いた返事を返す気力がない。

「ああ、無理をなさらなくてもいいですよ。……あなた、今さっきまで死んでいたでしょう?」

 驚愕と疲労と疑問が、螺旋の如く渦巻いて思考回路を詰まらせているようだ。

「何で……」

「私もそれ、やりましたから」

「そうですか……」

 この人もそうなのか。生きる事に疲れて、死ぬ事も視野に入れて。それでも、それを誰かに相談出来た数少ない人なのだろうか。

 僕は、僕の人生そのものに愛想が尽きていた。

 死を体験する。この話を持ちかけられた時は、正直言って迷った。確かに死というものを知っておけば、それなりにこの後を決める事が出来る。

 でも、それでその体験が心地良いものだったらどうだろうか。本当に、死を受け入れて行動に移してしまうかもしれない。

「で、どうでした?」

 そんなもの、最初から決まっていたのかもしれない。

 死ぬ事を躊躇した時点で、それは生きようとしているのと同じ事だからだ。

「はい、二度と死ぬ気は起りませんね」

 僕が苦笑して、その男性も笑顔を作った。

僕も、あんな笑顔を作れるだろうか。

 遠くで患者を呼ぶ声が聞こえた。あの人も、僕と同じ体験をするのだろうか。

 そう考えると、今まで自分が悩んできた事なんて馬鹿馬鹿しく思えて、急に笑いがこみ上げてきた。

 辺りの目を気にしながら、僕なりに盛大に笑った。

 外に出ると、あの時のように快晴な空がどこまでも続いていた。しかし、ここは崖なんかじゃなくて、コンクリートが張り巡らされ、ビルが陳列に並ぶ空気の悪い都会だ。

 でも、それだからこそ、

「さて」

 この一歩が、全く意味の事なる一歩である事は、自分が一番良く知っていた。

「明日も頑張るか」

 そして、その一歩を踏み出した。







「この患者、前科があるな。しかも重い罪だ」

「そうですね。先生、どうされます?」

「国家には逆らえん。やりなさい」

「はい……でも」

「いいから、何かあったら私が責任をとる」

「はい、でも治療を装って悪人を自殺に追い込むなんて……」

「今では法で人を殺める事も避難される時代なんだから、仕方ないと言えば仕方ない。そう……これは仕方がない事なんだ」

「でも、さっきの男性のように助けられる人もいるじゃないですか。医療に携わる人間がこんな事――」

「わかっている。わかっているが、もうどうしようもないんだ」

「……わかりました」

「君」

「はい、なんでしょうか」

「これからは“でも”は禁止だ」

「……わかりました。では、次の患者をお連れします」

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