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転生令嬢は手段を選びません。

 なんとか熱が下がった私は、特にすることもなかったので、オルバの仕事風景を眺めていた。


 どうも、オルバはただの幼女趣味の変態眼鏡ではなかったらしい。

 そう言えばすっかり忘れていたけれど、彼は自身を錬金術師だと言っていた。

 ホムンクルスの研究の傍ら、賢者の石の作成に取り組み、その過程で副産物的に出来上がった薬を患者に処方して暮らしているのだそうだ。医師や薬師……というよりは、物語の中の魔女に近い。


 けれども、オルバの住む家は、草原のど真ん中にある。実のところ、誰がそんな僻地まで薬を買いに来るんだと思っていたら――我が今生の父は、まるで奇跡のような相手に商売をしていた。



『……どうして、お前の娘は滂沱の涙を流している? それも無言で』

「あっはっは。うちのてん……アンジェリカは、ちょっと嗜好が変わっていてね」



 苦笑を浮かべたオルバは、緑色の軟膏を手のひらに掬うと、その美しい鱗に塗りつけた。



「……竜をこよなく愛しているそうだよ」

「尊い……!!」



 私は、草原に鎮座している巨大な黒い竜に向かって手を合わせた。

 涙で滲む視界で、じっとその御姿を見つめる。


 目の前にいたのは、凛々しさと猛々しさ、それでいて美しさを兼ね備えた黒竜。

 その鱗はまるで満天の星空のように、薄墨色の中に極彩色を秘めており、光の当たり加減によって複雑な色合いを醸し出す。グリーンドラゴンよりもシャープな体つきをしていて、四肢がかなり太く、翼が小さい。空を飛ぶことよりも、大地を駆けることに特化しているのかもしれない。


 ……ああ、さっきから心臓がうるさい。体の底から湧き上がってくる熱い想いに、身が焦がされてしまいそう。


 けれど、これは物凄いチャンスだ。憧れの竜と言葉を交わし、お近づきになれる絶好のチャンス……!


 ――これは行くしかない。

 私は滾る想いに背中を押され、恐る恐る竜に近寄って行った。

 黒竜は、そんな私をじっと見つめている。私は、おずおずと黒竜の竜胆色(りんどういろ)の瞳を覗き込むと、勇気を振り絞って声を掛けた。



「……あの」

『なんだ? 娘』

「爪の匂いを嗅いでもいいですか」

『駄目だ』



 ……断られてしまった!


 私は余りのショックに、その場に崩折れる。すると、頭上から酷く困惑した声が聞こえた。



『おい、オルバ。どういうことだ……!! 我の爪の匂いを嗅いで、この娘は何をするつもりだ!』

「僕も美少女の爪の匂いを嗅ぎたい欲求はあるから、その気持ちはわかる」

『この変態親子ォ!』



 黒竜はそう叫ぶと、ほんの少し後ずさった。


 ……ああ、遠くに行ってしまう! 愛しの竜が離れていってしまう。そんなの……駄目!! 


 私は勢いよく立ち上がると、黒竜に追いすがった。



「爪が駄目なら、脇の下でも……!!」

『もっと駄目だ、娘ェ!』

「じゃあ、どこならいいんですか! しっぽの付け根ですか。性感帯じゃないですか。なんて大胆!」

『まず、匂いを嗅ぐところから離れろ娘ェ!』



 巨躯を持つ黒竜が、瞳を潤ませて、ふるふると震えている。……あ、チワワみたいで可愛い。

 ……ああ、もっと愛でたいし、嗅ぎたい。けれど、チワワな黒竜は私を拒否している。

 目の前に極上の竜ボディがある。それに触れられないなんて、生殺しにも程があるじゃないか。


 ――一体、どうすれば合法的に竜の匂いを嗅げるのか……!?


 私は、必死に頭を回転させた。それこそ、若干の知恵熱が出るくらいには悩んだ。けれども、中々いいアイディアが浮かんでこない。

 その間も、羨ましいことにオルバは軟膏を黒竜の鱗に塗り続けている。

 ……ああ、いいないいなー。オルバの癖に。オルバの癖に!



「……はっ!?」



 その時、私は漸く気が付いた。

 目の前に、私の願いを叶える手段が転がっていたことに――。


 ……すすす、とオルバの傍に寄る。その瞬間、黒竜が怯えたようにビクリと体を竦ませたような気がするけれど、気にしない。黒竜とは対象的に、オルバは顔をふにゃふにゃに緩めて私を見ている。



「どうしたんだい。お父様が恋しくなったのかなー?」

「んなわけな……ゲフン、ゴッフゴフ! やだ、もう。冗談が上手ね」



 私は思わず漏れそうになった本音を、咳払いで誤魔化すと、もじもじと両手を絡ませて、少しうつむき加減になり、足元の草を軽く蹴った。


 ――イメージは、少女漫画の主人公だ。恋のライバルからのいじめに耐え抜き、精神的に追い詰められても、健気にヒーローに好意を寄せる。……そう、たとえ腹の底に欲望を煮詰めたドロドロの泥水を溜め込んでいようとも、浮かべるのは天使の笑顔……!!



「ねえ、お父様(・・・)……。私もお父様のお仕事、手伝いたい……なっ!!」



 そしてトドメの首こてん……! 

 見た目だけは極上な私が放ったそれは、どうもオルバの色々なものを、的確に抉ったらしい。オルバはぐらりと傾ぐと、真っ赤な顔で鼻を押さえながら、何度も頷いてくれた。


 私は途端に笑顔を捨て去ると、してやったりとほくそ笑む。



「ぐふふ。……これで、匂いを嗅ぐどころか触り放題」

『娘、顔が恐ろしいことになっているぞ』

「あんなところも、こんなところも……あっ、鼻の奥が熱い」

『……帰る』



 すると、急に(・・)黒竜がその場から立ち去ろうとした。

 私は反射的に近くにあった、使いかけの軟膏を鷲掴みにすると、竜の目に向かって投擲する。すると、程よく緩めの粘度を持った軟膏は、黒竜の目に降り掛かった。



『グアアアアアアアア!』

「あらいけない! お父様、手が滑ってしまったわ!」

「あっはっはっは! うちの可愛い娘はドジっ子だねえ〜」

「本当ね! ――もう、私ったら困ったさん!」



 私は朗らかに笑うと、がしりと黒竜の鱗を一枚掴んだ。



「ごめんなさい! すぐに、治療して差し上げますからね? さあ、お父様。新しいお薬を作りましょう〜!!」

『痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い』

「ほら、こんなにも痛がっているわ! 早くしなくちゃ!」

「黒竜が痛がっているのは、鱗を君が剥ぎそうな位強く握っているせいのような気もするけれどね! よっし、お父様張り切っちゃうぞ〜!」



 オルバはそう言うと、上機嫌で屋敷に調合道具を取りに戻った。

 その背中が見えなくなった頃。私は、首をゆっくりと巡らすと、ぴたりと黒竜を見つめる。

 そして、口を弓なりにしならせて、優しい口調を心がけて言った。



「大人しく、待っていてくださいね?」

『――ハイ……』



 何故か、黒竜は彫像のように固まってしまっている。

 私は誰も見ていないのを確認すると、こっそりと鱗の匂いを嗅いだ。

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