第3話:親友
それは何時ものように俺が彼女の下を訪れてボアから聞いた話をしている最中のことであった。
「・・・という訳で地上世界には雨というものが降るとその後に虹という七色に光る橋が現われることがあるらしい」
「虹ですか?それも是非とも見てみたいですね・・・けほっ、けほっ」
セフィは何時ものように眼を輝かせながら俺の話を聞いていたが、突如苦しそうに咳払いを始めた。
「どうかしたのか?」
俺はセフィの変化に心配そうな眼差しで彼女のことを見つめた。
「・・・大丈夫です。ちょっと唾が気管に入っただけですから」
セフィはポケットからハンカチを取り出すと何事もなかったかのように口許を拭った。
(んっ?あれは・・・)
俺はセフィが口許からハンカチを離すと口許に視線を集中させた。
彼女の口許にはうっすらと何か赤いようなものが付着していた。それは彼女の血の痕であった。彼女は口から吐血していたのである。
「どうかしましたか?」
セフィはずっと顔を見つめている俺に対して不思議そうに目を丸くさせた。
「口に・・・何か付いてないか?」
俺はセフィの口許に付着した血の痕を指摘した。
「これは・・・何でもないです」
セフィは慌てて口許を擦ると血の痕を拭い去った。
(今のは血の痕だったよな?)
俺にははっきりとは見えていなかったが、確かにさっきのはセフィの血の痕であった。
「・・・そろそろ自分の作業に戻りますね」
セフィは俺が怪訝そうな顔で見ていると都合が悪そうにその場を後にした。
彼女は俺に無駄な心配を掛けさせたくないようであった。
(セフィ・・・あまり体の調子が良くないのか?)
「よう、デュアル。最近どうしちまったんだ?」
俺がセフィのことを考えているとジャンゴがいきなり話し掛けてきた。
俺は彼女の身体のことが心配で意識が散漫になっていた。
「・・・何がだ?」
俺は我に返るとジャンゴの方を振り向いた。
「ここ最近やたらと娼婦街に顔を出しているようじゃないか?」
ジャンゴは娼婦のことがあまり好きでないはずの俺が頻繁に娼婦街に顔を出していることを不思議に思っているようであった。
「しかも何だか上の空だし・・・娼婦街に好きな女でもできたのか?」
ジャンゴは冗談を言うように俺のことについて詮索してきた。
「いや、そういうわけじゃない・・・」
「それならどうして娼婦街なんかに顔を出しているんだ?」
ジャンゴは俺の不可解な行動に不信感を抱き始めていた。
(どうする?ジャンゴには本当のことを言うべきか?)
俺はジャンゴに真実を語るべきか頭を悩ませた。
「どうした?それとも何か人には言えないことをやっているのか?」
ジャンゴは隠し事に対してしきりに追及してきた。
(こうまで疑われては今後の作戦にも支障をきたすかもしれないな・・・)
俺は悩んだ末、ジャンゴに本当のことを話す覚悟を決めた。
「実はな・・・俺は地上を目指そうと考えているんだ」
「まじかっ」
ジャンゴは唐突な発言に驚きの声を上げた。その大きな声に反応して近くの作業員の何人かが俺達の方に視線を向けた。
「しっ、静かにしてくれっ」
「むごっ」
俺は慌ててジャンゴの口を塞いだ。ここで周辺の人間に作戦がばれてしまっては俺の苦労が全て水の泡になってしまう。
「むぎゅうう」
ジャンゴは息苦しそうに俺の腕をタップすると口から手を放すように要求してきた。
「頼むから騒がないでくれ・・・」
俺がジャンゴにお願いすると彼は2度軽く頷いた。俺はジャンゴのことを信じるとゆっくりと彼の口から手を離した。
「お前、正気なのか?」
ジャンゴはあまりに無謀なことを口にする俺に疑いの眼差しを向けてきた。
「俺は大真面目だ」
俺は真剣な眼差しでジャンゴを見つめ返した。
「そうか・・・お前らしくない考え方だな」
ジャンゴは眉間にしわを寄せると会話を続けた。
「それで地上に出てどうする気だ?」
ジャンゴは地上に出た後の計画について訊ねてきた。
「俺にはやらなければならないことがある」
「やらなければならないこと?」
「俺はある女の子のために空を見せてやりたいんだっ」
「空を見せてやりたいだと?」
ジャンゴは噛み合わない会話に疑問符を浮かべていた。
「とりあえず、もう少し詳しく聞かせてくれないか?」
ジャンゴは最初から説明するように詳細を求めてきた。
「話せば長くなるから作業をしながらでいいか?」
「・・・ああ、構わないぜ」
俺達は金の採掘作業を続けながらジャンゴにセフィと出会った時のことから順を追って説明した。
「・・・なるほどな。そういう事情があったのか」
ジャンゴは俺の話を聞くと納得したように首を縦に振った。
「だから、俺はセフィに地上の世界に存在するという空を見せてやりたいと思っているんだ」
「お前の気持ちはよくわかったが・・・それは絶対に無理だぜっ」
ジャンゴはきっぱりと俺の考えを否定した。
「無理なことは重々に理解している。それでも俺はその願いを諦められないんだっ」
俺はつるはしを強く振り下ろすと目の前の岩盤を粉々に砕いた。
「お前だって知っているだろ?地上を目指した者達の末路を・・・」
ジャンゴは暴走する俺の気持ちを落ち着けるように促してきた。
かつてはこの地下都市にも地上を目指して夢を持っていた者達がいた。だが、彼らの夢は決して叶うことはなかった。
ある者は穴を掘っている最中に生き埋めになり、ある者は逃亡計画が衛兵にばれて拷問され、最後には処刑された。そして、念願の果てに地上に辿り着いた者はエルゾニアに感染して燦々と照りつける太陽の下、地面にのた打ち回りながら苦しんで死んでいたそうだ。つまり、どの結果になっても地上を目指した者はみんな非業な最期を遂げていたのである。
「・・・わかっている。俺がどんなに愚かな行為をしようとしているのか」
俺は心配するジャンゴの気持ちを知りながらも断固として自分の思いを曲げるつもりはなかった。
「仮に地上に通じる道を掘れたとしてもエルゾニアはどうする気だ?あれが地上を覆い尽くす限り、俺達は地上に出た瞬間に死んでしまうんだぞ」
ジャンゴは無謀な俺の計画に警鐘を鳴らしていた。彼の言うとおり、地上にエルゾニアが存在する限り、俺達は決して自由を手にすることなどできなかった。
「その問題については俺に考えがある」
「考え?」
ジャンゴは意味有り気な俺の発言に耳を傾けてきた。
「ナノマシンを手に入れる」
「なっ」
ジャンゴは俺の唐突な宣言に言葉を失った。
「そんなこと・・・できるわけないだろっ」
俺達のように地下に住んでいる人間にとってナノマシンを手に入れることはこの採掘現場から大粒のダイヤモンドを掘り起こすことに等しくほぼ不可能なことであった。
「しっ、静かに・・・」
俺は興奮するジャンゴに落ち着くように宥めた。
「俺はこの1ヶ月、闇商人と地上の情報について金の取引をやってきた」
「それで娼婦街に頻繁に顔を出していたのか」
ジャンゴは俺の不可解な行動について理解した。
「まさか・・・その闇商人からナノマシンを入手しようというのか?」
ジャンゴは俺の狙いに気が付くと驚きの表情を浮かべていた。
「そんなの無理に決まっているぜ」
この地下都市に地上からナノマシンを持ち込むのはとても無謀なことであった。
もしもナノマシンを持ち込んだのが監視している衛兵にばれれば、ただではすまない。良くてこの地下の世界に閉じ込められるか、悪ければ即座に処刑される。それだけのリスクを負うことであった。そのため、普通の商人では絶対に取引に応じることはない。
「まぁ、普通はそうだろうな」
その問題を解決するため、この1ヶ月間、俺はボアに惜しみもなく金を提供し続けていた。
俺が彼に金の交渉を持ちかけたのは単に地上の情報を得るだけが目的ではなく、真の狙いは彼から信頼を勝ち取ることであった。彼を信用させることで俺が重要な取引を持ちかけても簡単には断られないような状況を作り出していたのである。
「お前・・・本気なのか?」
ジャンゴは俺の本気を知って心が揺れているようであった。
「仮にナノマシンを手に入れたとして・・・どうやって彼女を外の世界に連れ出すつもりだ?」
ジャンゴは次に俺達の前に立ちはだかるであろう課題について説明を求めてきた。
作業区と生活区は関所によって完全に区切られているため、女性であるセフィを金の採掘場に連れて行くことはできなかった。
「俺はセフィを地上の世界に連れ出すために・・・この地下都市に革命を起こそうと考えている」
もうその方法しかセフィに空を見せてやることはできなかった。
「なっ・・・なんだとおおお」
ジャンゴは今までで一番大きな叫び声を上げた。
「なんだ?なんだ?」
ジャンゴの大きな声に反応して周りの労働者達が一斉に俺達の傍に集まってきた。
「何かあったのか?」
「いや、別に何でもないんだ。ちょっと穴を掘っていたら・・・変な虫の化石が出てきて驚いただけだ」
ジャンゴは手を激しく横に振りながら慌てて釈明した。
地下都市では採掘中に謎の化石を掘り起こすことなど珍しくなかった。
「なんだ。人騒がせな・・・」
労働者達はジャンゴの苦し紛れの言い訳を信じると自分達の持ち場へと戻っていった。
「ふぅ、なんとか誤魔化せたな・・・」
ジャンゴは安堵の溜息を漏らすと冷や汗を拭った。
「だから、静かにしろって言っているんだ」
俺は無闇に騒ぎ立てるジャンゴを恨みがましい視線で睨んだ。
「すまない。もう騒がないから勘弁してくれ」
ジャンゴは頭に手を合わせると許し乞いのポーズをした。
「それで・・・革命を起こすために地上に出てどうする気だ?」
「ここでは詳しく話せない」
これ以上この場所でジャンゴに騒ぎ立てられれば俺の計画が周囲の人間達に漏れかねなかったため、具体的な内容についてはここでは語らないことにした。
「それなら作業が終わったら教えてくれないか?」
「・・・わかった。今日、寝る前に俺の寝室に来てくれ」
俺はジャンゴと約束を交わすと金の採掘作業を続けた。そして、作業が終わると何時もの日課であるボアとの金の取引を済ませて寝床に戻った。
「・・・待っていたぜ」
俺が寝室に入ると中ではジャンゴが既に待ち構えていた。
「待たせたか?」
「別にそんなに待ってないぞ。俺もさっき娼婦街から戻ったところだぜ」
ジャンゴは満足そうな笑みを浮かべて頬の筋肉を緩々に伸ばしていた。清々しいまでに彼は本能のままに生きていた。
「それでお前はどうやってこの地下都市に革命を起こすつもりなんだ?」
ジャンゴは真面目な表情を浮かべると本題を切り出してきた。彼はそのことがずっと頭の中で気になっていたようであった。
「まずは地上に出て研究所を襲撃しようと思っている」
「研究所・・・?」
ジャンゴは聞き慣れない言葉に眉を潜ませた。俺達は研究所については何も教えられていない。俺もボアから話を聞くまでは研究所が何であるかを理解していなかった。
「研究所とはナノマシンを作成している建物のことだ」
「ナノマシンを作成している建物・・・だと?」
ジャンゴはナノマシンの名前を聞いて瞳を輝かせた。そして、興味津々な様子で俺に近づいてきた。
「そうだ。そこでナノマシンの製造方法を手に入れる」
「ナノマシンの製造方法っ」
ジャンゴは研究所にナノマシンの製造方法があると知って驚きの声を上げた。
俺達はナノマシンの存在については教えられていたが、ナノマシンが何から作られているのか、どこで作られるのか、そして、その製造方法については一切秘密にされていた。それを地下の人間が知れば反乱を起こす火種になることなど火を見るよりも明らかなことであった。
「ナノマシンが何から作られているのか、わかったのか?」
「金だよ」
「金?」
ジャンゴはあまりに予想外な回答に目を点にさせていた。
この地下都市シャンバルディアは世界でも有数の金鉱であり、少し穴を掘っただけでもわんさかと金が掘り出されるため、この地下都市では大して珍しい物ではなかった。まさかそんな物からナノマシンが作られているなど俺達のように地下に住んでいる人間には全く予想できなかった。
「そうだ。ナノマシンは金から作られている」
俺はボアから聞いた情報をジャンゴに教えた。
「なるほどな。それで地上の人間は俺達に金を掘り続けさせていたのか・・・」
ジャンゴは自分達が金を掘り出している意味について理解した。
「それでそのナノマシンの製造方法を手に入れた後はどうするんだ?」
「それをシャンバルディアに持ち帰り、同志を募ろうと思っている」
俺はジャンゴに計画の全容について明かした。
「まじか。そんなことすれば・・・」
地上の人間は金の枯渇を恐れて一定数の人口を保ち、逆に地下の人間は労働力を増やすために爆発的に人口を増やしていた。
その結果、地下の人間と地上の人間の人口の格差は数百倍以上に広がっていた。その一部の人間の生活を支えるためだけに大勢の人間がこの窮屈な暗い世界に虐げられているのは全てエルゾニアの脅威があったからである。その脅威がなくなれば当然地下に住む人間は地上の人間達に反旗を翻すことになるだろう。
まさに火薬庫に火種を持ち込むような行為であった。それこそが俺の狙いなのだ。
「だけど、そんな簡単に地下都市の人間を扇動できるのか?」
ジャンゴは絶望の中で生き続けてきた地下の人間が急に降って湧いたような希望に縋りつくとは思っていないようであった。
「確かにそれは容易なことじゃないかもしれない・・・」
ジャンゴの言うことは尤もであった。だが、ここで何もせずにただ指を咥えて見ていてはこの地下から金が尽きた時、俺達は簡単に地上の人間達に見捨てられるだろう。
俺はボアから世界の真実について聞かされて以来、ずっと革命の闘志を胸の中で漲らせていた。
「だが、このままの現状に甘んじてもいられない。このままではいずれ俺達は・・・」
俺は眼光に強い光を宿すと拳を握り締めてジャンゴの前に突き出した。
「俺達はその絶望から抜け出すチャンスをようやく手に掴もうとしているんだっ。俺はこの機会を活かして絶対に突破口を切り開くっ」
俺は自らの決意の程をジャンゴに全力で伝えた。
「やれやれ・・・もう何を言っても無駄なようだな」
ジャンゴは呆れた顔をしながら説得を諦めたように溜息を吐いた。
「だから、俺の邪魔をしないでくれないか?」
俺はジャンゴに計画の邪魔をしないようにお願いした。
「それは構わないが・・・まさかお前1人で研究所とやらを襲うつもりなのか?」
「こんな危険な旅に他人を巻き込むわけにはいかないだろ」
俺は自分の計画がとても無謀なことを充分に理解していた。だから、今は俺以外の人間を巻き込もうとは考えていなかった。
「やれやれ・・・これから多くの人間を戦火の渦に巻き込もうとしている人間の言葉じゃないな。せめて親友の1人でも旅のお供として誘ってみたらどうだ?」
ジャンゴは自分に親指を向けると大きく胸を張った。そして、俺と一緒に地上の世界に旅することを申し出てくれた。
「俺と一緒に来てくれるというのか?」
俺は苦悶の表情を浮かべると再度ジャンゴに確認した。正直、彼に付いて来てもらうのは嬉しかったが、同時に危険な旅に巻き込むことを悲しく感じていた。
「当たり前だろうが・・・革命を起こすつもりなら友人の命を張るくらいの自信は持っておけよな」
ジャンゴは口許を緩めると何の迷いもなような明るい笑みを浮かべた。
「・・・ありがとう。それじゃ、俺とお前で絶対に革命を成功させようっ」
俺はジャンゴに片手を差し出した。
「よろしく頼むぜ、救世主様」
ジャンゴは俺をからかうように冗談を言うと俺の手を軽く握り返した。
「それでナノマシンを入手する手筈についてはどうするんだ?」
ジャンゴは話が纏まるとこれからの予定について確認してきた。
「具体的な交渉についてはこれから持ちかけようと思っているけど・・・その前に大量の金を集める必要がある」
俺はボアが研究所からナノマシンを持ってきてくれるのに納得してくれる充分な金を集めようと考えていた。そのためには大量の金が必要であった。
「それなら、手付金を差し出して残りの金については闇商人がナノマシンを取りに行っている間に採掘しておくという条件にしてみたらどうだ?」
ジャンゴは計画の期間を短縮させるため、ボアが研究所にナノマシンを取りにいっている期間を効率的に利用することを考えていた。
「・・・そうだな。そうすれば、より多くの金の量を提示できるし、そのまま金を持ち逃げされる心配も減るしな」
俺はジャンゴの案に賛同した。
「それなら明日は俺も手伝うから昼と夜の2回で金を持ち出してみようぜ?」
ジャンゴはより多くの金を生活区に運び出すため、昼の休憩時間も利用することを提案してきた。
「なるほど・・・確かにそうすれば金を持ち出せる量は倍にできるな」
俺はジャンゴの名案に賞賛の声を上げた。
「お前って普段は色惚けなのに・・・実は結構な切れ者だったんだな」
俺はジャンゴの柔軟な発想に感動を覚えていた。
「まぁ、確かに普段は下半身に血の気が回っているが、いざという時は案外役に立つ男だぜ。あそこもびんびんになるほどにな」
ジャンゴは下品な冗談を交えながら自信満々な様子で腰を前後に振っていた。
「どうやら気のせいだったようだ・・・」
俺はジャンゴのふざけた言動に考えを改め直した。
「それじゃ、明日からよろしくな」
「こちらこそ」
俺達は拳を交わすとこれから先苦楽を共にすることに誓いを立てた。




