第二百十二話 ロゼ
「はぁ……はぁ……はぁ、はぁ……ッ」
背後からの突然の強襲にロゼは息を切らしていた。もう既に身体は満身創痍だと言うのにここに来て、ザックの裏切り。気が動転しそうだ。
「……なんとか言いやがれ裏切り野郎ッ! 」
後頭部に置いた足に力を入れ、必死に立ちあがろうとするザックを地面に押さえつけ、間髪入れずに地響きが鳴るほどの拳を振り放つ。
何度も何度も何度も。
「……もう何も信じない!私を裏切ったらどうなるか、この世界に教えてやるッ!! 」
既に顔面が潰れたかに見えたザックを更に殴打し続け、拳を硬化させた。
「いくらお前がアビスで、ドラゴンの血を引いていたとしても私には関係ない!その硬い皮膚、拳で砕き殺してやるよ!! 」
ザックの頭を掴み、宙へ放り投げた。まるでボールでも投げるかのように意図も容易く。
ロゼは力一杯に魔力を溜め込み始める。上空に打ち上げられ、間も無く落下が始まる裏切り者に制裁を与える為に。
ーー「……ッ!?ごぼっ……!! 」
だが、それは突然遮られた。
誰が何をしたわけでもない、ザックは上空、ラスはビルの陰で戦いを見守っている。
ロゼの敵は近くに居ないはずだった。
それは彼女の体の内部からの破壊。
口から大量の血を吐き、蓄えた魔力を一気に手放した。
「なん、だ、これ……ッ!? 」
吐血に驚愕し、ロゼは途端に顔を真っ青にして悶え始めた。
「ぁぁぁ……ッ!!何をしやがっ……たッ! 」
息をゼエゼエと切らしながら喉元を抑え続ける。ザックから遠ざかるように後退りし、瞳孔を開き、今にも倒れそうに苦しそうだった。
「……アンタが俺らにしてきたことに比べりゃ……こんな苦しみ、大したことねえよ。 」
ザックは上空で最後の力を振り絞り、姿を龍へと変えた。標的はロゼ、それも戦いとナイフに塗った強力な猛毒によって弱った主人。
「はぁぁぁぁッッッ!!! 」
ボロボロになりながら、両翼を羽ばたかせ、魔力のこもった一撃をロゼへと放った。
いつもなら硬化され、砕かれるのは自分。
だが、今回は違った。魔力を封じられるナイフが一瞬突き刺さり、それに猛毒、日南との戦闘による身体への負荷。全てが蓄積され、ロゼの身体、異常な反射神経を停止させるには十分過ぎる理由と結果だった。
ザックの渾身の一撃はロゼの顔面を捉え、首から胴体を引き剥がすように吹き飛ばした。
「……はぁ、はぁ、はぁ……やっとか……! 」
断末魔さえ聞こえず、数メートル先にボトンと重いものが落ちる音がして、ザックは龍化した姿のまま地面に落下した。
「……やっと、俺の目的が……はぁ、はぁ、……」
目に溜まる涙を地面に落としながら、彼は意識を失った。
「強い魔力の反応が消えたな〜。やっぱり、ローズ隊長の言った通りだよ。さてさて〜っと?君らの攻撃はもう終わりかな? 」
幸運の魔術師、ブルー・スターは未だ傷一つついていなかった。虹色隊と不知火総出の攻撃は全て彼の持つ幸運によって跳ね除けられ、都合の良いように受け流されてしまっていた。
「……隙だらけよ! 」
吹雪は地面を蹴って、一気に加速。間合いは充分、初速も悪くない。敵の間合いに自身の空間を展開し、腰元に携えた刀を一気に振り抜く。
ーーはずだった。運悪く着地の際に小石につまづいてしまい、吹雪は数メートル先まで勝手に吹っ飛んだ。
「隙だらけはどっちだろうね? 」
余裕綽々と吹雪の元へ歩き、ブルー・スターは何をするわけでもなくニコニコと笑った。
「君らじゃ俺には敵わないよ。別に殺そうってわけでもないんだ。大人しく全員地面に這いつくばってくれればそれでいい。君らみたいな小虫程度、いつでも殺せるからね! 」
その言葉を逆鱗に千春は地面を蹴り、刀を振り抜いた状態でブルー・スターに襲いかかる。地面に足がつくのは一度だけ、地面を蹴った瞬間から彼女は勢いだけでブルー・スターの元へと辿り着いた。
これであれば足が引っ掛かることもない。幸運に邪魔されず、一撃を喰らわせることができるということだ。
「そういう策も講じる頃だよね。でも、俺も魔術師と言ってもずっと魔力を放出してるわけでもないんだよ? 」
大きく刀を振りかぶり、ブルー・スターの脳天目掛けて振り下ろされた刀剣をするりと避け、千春の頭を鷲掴み、地面に叩きつけた。
「がはッ……!! 」
地面が頭を軸に地盤が割れ、地面が大破する。
「頭が高いんだよ。お前らが俺と目を合わせられると思ったら大間違い。地面に顔を埋めるくらいじゃなきゃね! 」
そのまま千春の後頭部を踏みつけ、ブルー・スターはにっこりと笑った。
「姉さん!姉さんを……!! 」
吹雪が踏み出そうとした瞬間、誰よりも早く一歩を踏み出し、赤く染まった刀剣がブルー・スターの眉間を通り過ぎた。
「おっとっと、今のを避けれたなんてラッキーだね!……ッ!?え? 」
ブルー・スターの眉間を狙った攻撃は当たってはいなかった。通り過ぎたのは真紅に染まった刀剣のみ。ブルー・スターの視界は通り過ぎていった刀剣が地面に落ちるまで固定された。
「俺の読みが合っていれば……! 」
刀剣が通り過ぎるや否や、沖は地面を蹴って一瞬で加速、飛び上がって渾身の膝蹴りをブルー・スターの顔面へ叩き込んだ。
「がは……ッ!! 」
すぐに沖は地面に転がっている愛刀を手に取ると、空間を切り裂き、姿を消した。
膝蹴りを喰らったブルー・スターは真っ赤に腫れた頬を痛々しく触りながら血相を変える。
「……テメェ、よくも……ッ!! 」
「なっ……コイツ、また魔力が……! 」
ブルー・スターの放った魔力は衝撃波を生み出し、別の空間に移動した沖にさえも恐怖と憎悪を与えるには十分過ぎる力だった。
「絶対に許さねェ!お前ら全員不幸行き!死んで詫びても殺してやるッッ! 」
血眼で狂気すら感じる表情、怒り狂い周囲に多大なる影響を与え続ける。昂った魔力、幸運が全て彼に傾くこの瞬間、誰もブルースターを止めることは出来ない。
「あらら〜、《比翼》ちゃんが望んでいたことが起きちゃったみたいね〜? 」
「どういう意味よ!……ッ!? 」
日南はローズがニヤリと笑った意味をハッとして気がついたように冷や汗を流した。
「ロゼの……魔力が消えた!? 」
「流石《比翼》ちゃんだね。魔力感知も人並み以上、魔術師の平均以上ね〜! 」
ローズは高らかに笑った。目の前の《比翼》という人間に凄く興味がある様子だ。
「ロゼはね、魔法師として自分に刃向かったり、家族を殺した未完成を五宝石として迎えてるの〜。趣味悪すぎ〜!その意味が分かる? 」
「相手にトラウマとして植え付けた種をアビスで花に開花させるってわけね。そうなったら最後、従順な下僕へと成り下がる。 」
「だーいせーかいッ!でも、一人だけずっと諦めてないお行儀の悪い子が居たんだよ〜! 」
ローズは指を立てて横に振る。
「もう何十年と魔術師としてのロゼを支え続け、五宝石としての歴は最古参。でも、彼の実の顔は〜、ロゼに復讐を夢見る少年ッ!彼の努力は凄まじいよ〜! 」
「ローズ、その子の名前は? 」
「ザック。家族どころか故郷ごとロゼの襲来によって失った少年だよ〜。でも彼、最近はずっと何も行動を起こしていなかったの〜。だから、少し背中を押してあげただけ。 」
ローズはまるで自分の指図でこうなったかのような言い方をした。その言葉に日南は疑問を問う。
「どういうこと? 」
「ふふっ、お喋りはここまでね〜。さて、ブルー・スターとマキに連絡っと! 」
ローズは日南を前に余裕綽々とスマホを取り出し、画面をポチポチとタップし始めた。
そして次の瞬間には両の目を大きく開き、驚愕した様子で「やばいやばい」と冷汗をかき始める。
「マキが《武神》によって戦闘不能……。ブルー・スターが我を失っている?って、マジ?マキは蘇生でどうにかなるかもだけど、ブルー・スターは……変なことにならないといいけど。 」
ローズは真っ青な顔で空を見つめた。
「さて、そろそろ動くとするか。アグニスも上手くやってくれてることだろう。それに、cartilの介入……予言通り。ロゼは死んだか、恐怖政治も上手く続かないとは、未熟。外の世界は実に何年振りだ。 」
真っ赤な王朝の台座に鎮座していた、魔術師の王ソロモンは実に数年ぶりに立ち上がった。
一歩を踏み出す、地面に魔力が伝わり、地響きのような音と衝撃波によって、城内の全ての壁が木っ端微塵に砕け散ってしまう。
「……おっと、力加減が難しいな。省エネモードといこうか。 」
ソロモンは自分の魔力を収縮させ、銀色の髪の小柄な少年へ姿形を変貌させた。
普通の状態での一歩とは違い、ソロモンが自分で省エネモードと名付けているこの形態ではある程度の力で歩いたり、走ったりと強大な力を持つが故に出来ないことも出来るのである。
「ふむ、取り敢えずローズのガキの所に行くとするか。 」
ソロモンはその場から姿を消した。
城内では使用人や魔術師の兵士達が騒ぎ立てていた。魔術師の祖であり、王であるソロモン・エドワードが遂に人間を蹴散らすために動いたのだと。




