第百八十九話 南の魔術師
大急ぎで援軍を要請した倉橋だったが、騰率いる騰隊が彼女と共に到着した頃には虎徹の姿は愚か、誰一人居なかった。
熱矢と明刀は心配そうに下を俯き、眉をしかめている。
「倉橋さん、再度確認だけど良いかな? 」
哀しげな表情で下を俯き、拳を強く握りしめている倉橋の手をソッと握って、騰は優しく耳元で囁いた。
「はい……。 」
「うん、辛い気持ちは痛いほど分かる。でも、倉橋さんは充分に動いてくれたよ。私達を現場に呼んでくれたんだからね。 」
「でも……私が虎徹と戦っていたらこんなことにはならなかったかも……」
倉橋の背後から音も無く大きな掌が優しく頭を包み込み、聞いたことのない男の声が頭上から響いた。
「そうもいかないんだよ、お嬢さん。男って生き物は、好きな女守る為に何度だって命張っちまう馬鹿な野郎が多いのさ。 」
「え、あ、……貴方はッ!?ま、まさかーー」
「ああ、悪い悪い。俺はATS所属、標津隊の隊長やらせてもらってる。標津明久だ。よろしくな。 」
「やっぱり!!標津明久さんですよね!!あの、盾剣王の!! 」
標津は鼻の下に人差し指を滑らせて嬉しそうに笑った。
「お!俺のフアンか?仕方ねえ、サインしてやるぜ! 」
「……うーわ、気持ち悪。 」
鼻の下を伸ばしている標津に騰はやや引き気味で距離を置いた。
「はぁ!?別に良いだろうが!俺だって龍騎みたいに女の子にチヤホヤされたい!! 」
「……別に好きにしたら? 」
「チッ……悪かったよ。俺が一番好きなのはお前だよ、騰!! 」
そう言いながら彼女の肩を掴み、口元を尖らせて迫る標津を眉間にシワを寄せて騰は、怒り心頭に腕を払い除けて懐へ潜り込む。
腕をしなった弓矢のように引き、標津の腹部に強い一撃を叩き込んだ。
「……ッ!ぐぼぁッ!! 」
その場で腹を抱え蹲り、せり上がった胃液を口から顎まで垂らして、白目を剥き出す標津を傍らに、騰は溜め息を吐いて倉橋の背中を優しく撫でる。
「虎徹君は必ず見つけないとね!私の隊が全力を尽くすわ! 」
「ぐぅぅ……お、俺も居る……ぞ……!! 」
標津は最初から居なかったかのような扱いに悶えながら声を上げる。だが、嗚咽混じりのその声が騰の耳に届くことはなかった。
赤い絨毯が綺麗に敷かれ、幾つもの絵が壁に敷き詰められるように並べられた大きなエントランスは広さ故に豪華さを醸し出す。
とても広いエントランスの壁には合計五つの扉があり、その内の正面の部屋の扉は鉄製で強固な形状をしている。他の部屋が木製の扉なだけにその部屋だけは特別感を感じた。
「少々手荒な真似をしたが、お前。間違っても馬鹿なことを言うんじゃねえぞ? 」
「神の手前、そんなことしたら死ぬのはアンタだろうけどね。私は知らないけど……」
手足、胴体を特殊な拘束具に繋がれて、声を出そうにも出せない状況下の中、虎徹は焦っていた。
目の前の奴らは好き勝手に"神"を崇拝し、虎徹の首筋に刃を突き立てている。
「くれぐれも余計なことはしないでくれよ?俺は新入りだが、お前の敵じゃないんだ! 」
顔の右半分が巨大な傷に包まれた金髪の男は心配そうに声を上げた。
余計なことをするな?それに敵じゃない?その言葉の意図と意味を聴きたかったが、虎徹は縛られている上に口も塞がれている。金髪の男に目で強く訴えかけるしかなかった。
「……待ってろ。必ず助けてやる。だから今は……! 」
金髪の男が虎徹の肩に手を触れた瞬間、脳内に直接、鮮明な声音が響く。
他の奴らのリアクションを見るからに今の声は聞こえていないようだった。口癖の悪い女性はムカつきながら、腰にささった短剣を取り出すと虎徹へ突き立てる。
「んんんんーー!んんん!! 」
「チッ……暴れてんじゃないわよ!潔く来なさい!知らないけど!! 」
首を掴まれ、地面に叩きつけられる。
彼女の刃が虎徹の腕に振り下ろされようとした時。
「……火憐、何をしている? 」
「あッ……! 」
刃は腕に当たる寸前で抑えられ、すぐさま彼女は刃を捨てて"彼"の足元へ土下座をした。
「私の大切な宝に傷をつけようとしたのか? 」
彼女の地面ピッタリまで付けられた頭を彼は平気な顔で踏みにじる。
「申し訳ございません!浅はかでした! 」
「謝って済むと思うのか?……使えんな。二本で許してやる。選べ! 」
周囲の奴らも虎徹に向ける刃をソッと収め、彼の足元で泣き始める火憐から目を逸らした。
「お前ら言ったはずだぞ?私の宝に傷一つでもつけた奴は許さないとな! 」
「……申し訳ございません。 」
「お前ら全員から二本ずつ徴収しようか?あぁ"? 」
夥しい量の魔力を掌で転がし、男は虎徹の方に向き直ると、満面の笑みを向ける。
「やっと帰ってこれたな〜!私の宝物よ。何年も何年も会えなかった悲しみを今此処で晴らそうじゃないか! 」
「……アンタの所有物になった覚えはない。俺を此処から解放しろ! 」
キョトンとした表情で虎徹の方を見る男、普通こんな言葉を向けられれば怒り狂う場面だろうが、彼は怒らなかった。
特に何も気に留めず、その言葉がなかったかのような口振る舞いを続ける。
「戦争が始まったな。未完成と魔術師同士の争いだ。私も含め、こちら側に勝てる訳など無いのにな。こういうのを人間の言葉で"無謀"というのだろう? 」
「無謀かどうかはやってみなきゃわからねえよ。お前らに負ける俺らじゃねェ! 」
虎徹は彼に対し、反抗的な態度で怒声を上げた。しかし、彼の表情に怒りの感情は浮かび上がらない。
「何だ?さっきから虎徹、何も話さないじゃないか。私とお前の仲だろう? 」
「……オイ、お前。何か俺にしたのか? 」
寂しそうな表情を浮かべる男を無視して、虎徹は金髪の男に視線を向ける。
「ははは!察しがいいね!言っただろ?俺はお前の味方なんだ。もし、その口振りがこの男に聞こえていたとしたらどうなると思う? 」
「……俺が殺されていたとでも? 」
質問を質問で返す虎徹に苦笑いをしながら、首を大きく縦に振った。
「お前が殺されるだけじゃない。もっと酷いことが簡単に起こりうるんだ。そういう男だろ?この男、ミカエルは。 」
「……クソが!力でねじ伏せられないなら、逃げるしか道はねえじゃねえか! 」
「……全くお前もバカだな。最初から言ってるだろう?お前は一人じゃねえよ。俺がついてるって言ってんだ! 」
お前に何が出来る?と、率直に思ったが金髪の男は自信満々に胸を張って、にこりと笑った。
「アンタ、名前は? 」
「……そうだな、俺だけが知っているのは不公平だな。今は、ルシファーと名乗っておこう。 」
「今は……?本名じゃねえのか? 」
「細かいことは気にするな。これからよろしく頼むよ。おっと、そろそろミカエルの相手をしてやってくれ! 」
虎徹がミカエルの方へ視線を向き直すと、顔を真っ赤にして沸沸と今にも怒り出しそうなミカエルの姿があった。
「悪い、今日は気分が優れなくて……。 」
「やっっっっと、やっと!!やっと!話した!虎徹が!私の宝がぁぁああ!! 」
虎徹が口を開いただけで涙を流して喜ぶ大の男を見て、ルシファーは首を傾げたのだった。




