第百七十三話 シンと名乗る男
見たことのある天井、青いベッドに見覚えのある勉強机や本棚。夜十は驚愕していた。
昔、姉と住んでいた家だ。
「……うっ、うぅ……」
頭痛がして頭を抑えながら、ベッドから身体を起こした。
耳鳴りと倦怠感、夜十はふと周囲を見回す。
どう見ても八歳まで住んでた、あの部屋だ。
「俺はロゼと戦っていたんじゃ……」
まさか、ここはあの世?頭上で煌々と光る彼女の右手は夜十の命を確実に射止めたはず。じゃなければ、今ここにいるわけがない。物分かりのいい夜十は何となく察した。
「冴島夜十、良い目覚めだったか? 」
部屋の扉が開き、夜十の目の前に現れたのは黒いローブを顔まで羽織った高身長の男だった。右頬から唇にかけて大きな刀傷が目立ち、色黒の容姿をしている。
「……っ!誰だお前!! 」
明らかに只者ではない様子に夜十は混乱し、構えの体勢を取った。このオーラ、もはや異常だ。ロゼなんてものではない。
戦っていい相手ではないことは人目見て分かった。そのせいか、夜十の足は震えていた。
「そんなに身構えなくてもいい。別に会うのはこれが初めてなわけじゃないんだからな! 」
「……っ! 」
男は一瞬で夜十の背後へ移動すると、人差し指でオデコをコツコツと突いた。
ーー瞬間、夜十の頭の中に膨大な記憶が流れ込み始める。
夜十は頭の中でフラッシュバックした。
「お前の所属する組織と親組織の抗争へ発展した時だ。俺はお前の力を試そうと思って、お前の仲間に操作魔法をかけた。 」
「……じゃあまさか、お前シュタインか!?でもあの時……確かに仕留めたはず。 」
夜十の声のトーンが低くなった。
虹色が抗争中におかしなことになったのは覚えている。その後に戦った、魔術師と名乗るシュタインという男の事もだ。
「確かに俺はあの時、シュタインと名乗った。だが、本当の名前は違う。 」
「この期に及んで何言ってやがる!それが本当だってンなら、本当の名前をさっさと名乗れよ! 」
「ふっ、そうアツくなるな。まだ話したいことはあるんだ。それに、気になりはしないのか?俺がどうやって施設に侵入したのか、とかよ。 」
言われてみれば、侵入経路は不明だ。地上域のエレベーターか、階段を使わなくてはならないが、あの時は警官隊が一般人を含め、関係者以外は立ち入り禁止にしていたはず。
「魔術師なら魔法を使えば簡単なんだろ? 」
「残念ながらソイツはハズレだ。何故なら、俺は魔術師じゃねえよ。あんな低能共と一緒にされたら嫌だね。 」
「魔術師じゃない?嘘をつくのも大概にしろ!お前は一体誰なんだ!! 」
夜十は目の前の男が何を言っているのか、さっぱり分からなかった。自分が魔術師じゃない?なら、さっきから感じられる異常なまでの魔力はどう説明するんだ。夜十は思いを込めて睨みつける。
「まー、いつかバレることだからな。俺はシン。ずっとお前の中で眠ってた、お前の先祖だよ。 」
「……は? 」
夜十は拍子抜けしたような声音を出した。
「シン?俺の先祖ならずっと昔の人だろ?何言ってやがる!! 」
「お前は"魔法"とは何かを深く考えたことがあるか? 」
シンと名乗る男は掌をか細い瞳で見つめながら言った。
「あるに決まってるだろ。あくまで俺の持論だけどな。この力は誤った使い方をしてしまえば、簡単に人を殺せる。正しい使い方ならどんな窮地だって脱せる。目の前の人を護れる力だ! 」
夜十の真っ直ぐな瞳、真剣な表情にシンと名乗る男は笑ってしまった。
「ふっ、はははははははははは!!! 」
「何笑ってやがる!間違ったことを言ったかよ! 」
「ははは、悪い悪い。お前は間違ってないぞ、夜十。ただ、俺の若い頃に似てると思っただけだ。 」
人知を超えた力を手に入れて、魔術師を殲滅することが出来るようになる前の自分に。
ガムシャラに目の前の人を守って、仲間と一緒にどんな絶望も希望に変えられると信じていたあの頃の自分に強く似ていると感じた。
「けど、現実はそう甘くない。現にお前の命は、あの女魔術師に屠られそうになっている。 」
「ああ……情けない話だけど、負けちまった。俺の魔法が通用しないなんて……」
夜十が絶望に打ちひしがられていると、シンと名乗る男は夜十の肩に手を置いた。
「まー、時間もねえしな。少しここに居な。お前の身体、少しばかり借りるぞ。 」
「は?借りるって……オイ!ちょっと待てってーー」
夜十の目の前からシンと名乗る男は出て行った。音を立てて勢いよく閉まる扉を拳で叩くが、ビクともしない。
カーテンを開け、窓の外の様子を見ようと身を乗り出した。そこには、今にもトドメを刺されそうな自分の姿が映し出されている。
「……けッ、調子に乗るなよ。魔術師風情がッ……!! 」
意識を取り戻した夜十は瞳が赤く染まり、髪の毛は長く、肌は褐色に変わった。
その瞬間、ロゼはとてつもない違和感に直面する。明らかに先程までとは違う威圧感とオーラに冷や汗が垂れた。
夜十が目を大きく見開くと、ロゼの掌で煌々と光り続ける魔力の塊と足元にいたはずの夜十は消滅していた。
「なッ……!?どこへ行った!? 」
ロゼは耳を澄まし、瞳を閉じて感覚を研ぎ澄ます。魔術師のトップともなれば、気配察知能力も標準値を超えている。
なのに、夜十を感じ取ることは出来なかった。
「……ココだよ、マヌケ女。 」
馬鹿にした声音が聞こえ、後ろを振り向くと黒い刀身の刀を持った夜十が稲光さえ感じる眼光を光らせながら、ロゼを狙っていた。
「さっきとはまるで別人……!でも、だからどうしたの?お前にこれは止められない! 」
ロゼは先程と同じ魔法を詠唱破棄で行う。
真っ白い雪のようなものが周囲に分散し始めた。
だが、夜十は怯む様子もなく、ロゼに近づく。
「私の周囲は特に細氷が強くなっている。生身で近づけばお陀仏だよ? 」
そんなロゼの煽り文句も耳には聞こえていない。夜十の眼光に捉えられているのは、ロゼの最大の弱点である"首"のみ。
「……さっきは外したが、次はない。 」
深く息を吸って、口を閉じる。瞳も閉じ、重心を低く保つ。
刀身を鞘に戻し、居合の構えを取った。
「馬鹿ね。お前は私に辿り着く前に死ぬんだよ!! 」
踏み込む力は強く、速度は速く。
ーー最速で最短で敵の懐へ潜り込む。
ロゼの細氷が夜十に届くか届かないかの瀬戸際で、ロゼは自分の視線が足元に落ちたことに違和感を覚えた。
ボトッと大きな重みのある音を添えて、彼女は上を見上げる。
「う、嘘でしょ?この私が?こんなヤツ如きに負けるなん……て……」
そのまま、ロゼは意識を手放した。
もう覚めることのない永遠の眠りへと。
「……なっ、何が起こったの!? 」
燈火達は何が起こったのか、理解が追いつかなかった。ただ分かるのは、夜十が夜十じゃない何かと入れ替わったことだった。
「コイツ、ロゼ様をッ!!よくもッ!! 」
街の住人達は憤りを露わにし始めた。
その輪の中には夜十達が街の外で出会った少年も含まれていた。
夜十は刀の柄に触れたーー触れただけなのに、周囲で憤りを露わにしていた連中はその瞬間にバタバタと騒がしい音を立てながら、足から崩れ落ちていった。ただ一人の少年を除いては。
「……お前、俺達を眠らせただろう?睡眠魔法、初歩的な魔法だな。 」
「えっ……!?ちょ、何で皆!! 」
「ガキなら騙せるからな。欺かれるのに幼い容姿は警戒心を問いちまう要因か。 」
少年は両手を後ろで結んだ。自分は今、目の前に立っている男に力で到底敵わない。敵に自分の魔法がバレたとて効かないわけじゃない。さっき効いたんだ、二回目を喰らえ!
「魔力が俺に教えてくれるんだ。悪用する奴のことはな。 」
柄に触れると、鞘から刀を抜刀してるわけでもないのに、少年は男達と同じように足から崩れ落ちてうつ伏せに倒れた。
「そろそろ戻るか。本人が煩えからな。 」
夜十はその場に仰向けの体制で寝転ぶと、ゆっくりと瞳を閉じて言った。
「おやすみ、世界。 」




