第百三十二話 賭け勝負
「夜十君!虎徹君のアビス化のことなんだけど良いかい? 」
教員室の自分の机で居眠りをしている夜十を叩き起こして、風見は問いただす。
「ふぁ〜あ……あと五分お願いします。 」
夜十は入学式から度重なる連続戦闘で疲労が溜まっていたのか、最近三日間はずっとこんな感じである。
教師としての仕事は怠っていないが、昼休みの時間、自分の受け持った授業が無い時間帯は教員室で睡眠を取っていた。
「まあまあ、風見。粗方は夜十君が説明してくれて、納得しただろう?眠らせてあげなよ。 」
「んー……まあ、確かにそうなんだけど。気になる部分がいくつかあるんだよ。 」
「なら、起きてる時に聞きなよ。あの話は俺自身も衝撃的だったけどさ。あと十分で昼休みは終わるからね。 」
風見は沖に諭されて、自分の席についた。
あの後、夜十は、自分が風見の六神通で見た全てのことを生徒を含めた学園全体に公表した。
驚愕の声が相次いだが、全員を納得させる説明をし、今に至っている。
ガラガラーっと、教員室の引き戸が開けられた。入ってきた人物は、一言も発さずに寝ている夜十の背後に立った。
「失礼します、くらい言いなよ。虎徹君? 」
「あぁ、失礼します。このクソ教師、借りていいすか? 」
沖へ承諾を求めたのは、虎徹だった。
沖は首を傾げて数秒考えると、虎徹の方を向いてグッドサインを出した。
「あざす。んじゃ、遠慮なく。 」
虎徹は夜十の肩を二回優しく叩く。
クソ教師と呼んでいても、可愛げに起こすんだなとその場の誰もが思った。
だが、その考えは間違っていた。
「えっ……ちょ、い、ぁぁあああ!!痛たたたたたぁぁ!!! 」
夜十は飛び跳ねるように席から立ち上がった。悲痛な叫びは、二回の優しい叩きが原因だと知ると悍ましくなる。
「……虎徹!お前なぁ! 」
「クソ夜十、呼べって言われた。大人しくついてこい。 」
「はぁ……分かったよ。ちょっと行ってきます、沖先輩。 」
「うん、行ってらっしゃい。 」
強引に起こされながらも、夜十は虎徹の呼びかけに応じた。
虎徹の後をついていくと、どうやら、玄関で靴に履き替えるようだ。
目的地は外なのか?と疑問が浮かぶ。
「あ、待て!絶対見るなよクソ夜十! 」
その意味は《追憶の慧眼》を使うなということだ。
「あぁ、見ないよ。 」
靴に履き替えて、外を歩き始める。
どうやら、校庭に向かうようだ。
校庭には少しの集団と、燈火が立っていた。
そう言えば、昼休み中に教員室に居なかったことを思い出す。
「おい、連れてきたぞ。熱矢! 」
「ああ、サンキューな。んじゃ、始めんぞ! 」
虎徹に呼ばれ、反応したのは燈火の実の弟、熱矢だった。
前の試合から少しの時間が経ったが、何故か、前の尖った感じはなく、丸みを帯びた気がする。
「えっ、何を始めんの? 」
「何も聞かされてねえのかよ、雑魚! 」
前言撤回。全然、丸くなってなかった。
丸くなったとか思ったのが馬鹿だった。
すると、夜十の隣に居た燈火がニコニコしながら教えてくれた。
「なんかドッチボールするらしいわよ。私と夜十のチームと、このクラス全員の勝負!勝ったら、明日の昼食奢ってくれるって!! 」
目をキラキラさせて、燈火は言った。
ご飯で釣られてるだけじゃねぇか!!
流石は実の弟、燈火を手懐ける力は尋常じゃないか。
「お前に選択権ねえからな!!ボールは俺らでいいよな? 」
「……全く仕方ないな。良いよ、全力で相手してやる。その代わり……」
「何だよ?お前もなんか欲しいのか? 」
熱矢が呆れた様子で問いかけた。
「そっちが勝ったら明日の昼食、全員分奢ってやる!だが、俺達が勝ったら燈火の昼食を明日だけじゃなくて一週間奢ってもらう! 」
「なっ……!?そ、そんな条件!飲めるわけねえだろ!! 」
熱矢が急に焦り始めた。
俺は知っている、燈火が一度に食べる量、食堂で食べる料金の高さを。
一食、一万五千円分食べていることを。
「ふーん、負けるのが怖いのか? 」
「くっ……!じゃあ、俺達も条件を変えてもらう!! 」
全員分奢るとは言ったものの、彼らは、それにあまり惹かれなかったようだった。
ご飯で釣られるのはあまりにも単純すぎるし、燈火くらいしか居ないか。
「何だよ? 」
「冴島夜十!お前に全ての休み時間中、俺らクラスの稽古を手伝ってもらう!! 」
「はぁっっ!?そんなの俺が潰れるだろーがッ!! 」
そんなことをやらなければならないとなったら、夜十は今の睡眠生活を続けられなくなる。つまり、身体はしんどくなる一方だ。
「へー、負けるの怖いんだァ? 」
「くっ……!!そんなことない!!良いよ、やってやる!!ただ、男に二言はねえからな!! 」
夜十の言葉に熱矢のクラスメイトは震え上がるように喜んだ。
覚悟を決めるしかない。
毎日稽古、それだけは止めなければ!
「魔法の使用は無しにしようか。 」
「当たり前だ!テメェに魔法使われたら勝てるわけねぇだろ!! 」
イラつき気味で熱矢が吠えた。
確かに《追憶の慧眼》から逃れることは誰一人とて出来ない。
そんな相手を前に勝つことなんて不可能だ。
そう思うのは無理もない。
「じゃあ、行くぜェ!!オラァ!! 」
熱矢の力一杯に投げたボールは、真っ直ぐ夜十の方へ向かう。
軌道を変える意思もなく、回転をかけているわけでもない。ただの直球だ。
速さはそこまでではない。
「ありがとう、パスしてくれたんだよな? 」
夜十は片手で受け止めると、熱矢へ、にっこりと微笑んだ。
「なっ……本気で投げたんだけどなァ! 」
「何やってんだよ、熱矢!アイツに何の工夫もないボールが当たるわけねぇだろ! 」
虎徹は焦ったように吠えた。
その通り、何の工夫もしない攻撃は完全に夜十へのナイスパスにしか、なり得ない。
「相手の数は、三十人か。ちょっと一気に減らさせてもらうよ! 」
外野を入れなければ二十七人だが、それでも多い。一度のボールで数人を処理しなければ勝ち目はないだろう。
「……ふぅ、計算通りならッ!! 」
夜十の右手から放たれたボールは、特殊な回転をし、長方形の角あたりに居た生徒の真正面ーー、
「そのまま取れー! 」
虎徹の言葉は、生徒に届いていた。
生徒も取れると確信した。
けれど、そのボールはあり得ない角度で、
"曲がった"。
「そんなヤワじゃないよ、俺は……」
角にいた生徒、及び、その周辺の生徒達、十五名の足にボールが当たった。
まるでボールが生きてるかのように動き、標的にぶつかっては加速。その繰り返しだった。
「まだ、ボールは生きてんぞ! 」
虎徹が前屈みで取ろうとすると、ボールは突然、逆回転をし、指に当たって落下した。
「十六名か、読み通りの動き! 」
「魔法は禁止って……ふん。分かってる、今のボールに魔力は無かったってことくらいなァ!! 」
憤怒した熱矢だったが、虎徹の方を向くと大人しくなった。虎徹は夜十の技術力に呆れ気味で首を振っていた。
確かに、今の攻撃に魔力は込められていなかった。だとしたら、凄いボール捌きだ。
何かの選手になれるのでは?と思える程。
「ボール投げは俺が一番尊敬する人に教えてもらったんだ。負ける気はしない! 」
夜十の尊敬する人、新島鎮雄は、組織内の隊対抗ドッチボール大会で二十人の相手を人投げでアウトにしている実力者。
そんな新島の技術力に惚れ込んだ夜十が、子供の頃に教授を得たのだ。
「……熱矢、投げてこいよ! 」
「うおおおあお!!! 」
熱矢が全身全霊で放ったボールは、夜十の手中へ簡単に吸い込まれていった。
「力一杯投げるだけじゃ、ボールは言うことを聞いてくれないよ。燈火、投げる? 」
「任せて!私の昼食ゲーット!! 」
夜十は、次の燈火が行ったコトに疑問を覚えた。
「なっ……!?燈火、魔法は禁止だ! 」
ボールを受け取った燈火は、昼食のことを頭を浮かべてか、ペロリと舌を出して掌に小さな爆発を起こす。
爆風の影響で速度を上げたボールがホームランのように、空の彼方へ消えていった。
「まァ、読み通りだな。姉貴は飯のことになると直ぐに熱くなっちまう。魔法禁止なんて、関係ねーんだよ! 」
「ぐっ……!! 」
夜十は拳を握り締めて、目を瞑った。
はぁ、やられた。
最初から仕組まれた戦いだったのか。
「条件は守ってもらうぞクソ教師! 」
「はぁ……分かったよ。期限まで時間も無いしな。 」
諦め切った夜十へ、燈火は問いかけた。
「え、夜十!私のご飯は!?!? 」
「燈火も俺の手伝いをすんだぁぁぁ!! 」
夜十の悲痛の叫びは学園へ響き渡ったのだった。




