第百二十七話 銀翼の過去 ①
虚無の先に新たなる光が見えた。
光となって消えたはずの俺がどうして虎徹と共にーー
「兄ちゃん、父さんと母さんが……! 」
損壊した一軒家の中で最愛の家族が血塗れで倒れている。それも、今まで自分を大切に育ててきてくれた母親と父親だ。
自然と涙が溢れ落ち、額を伝った。
僕は涙を袖で拭い、隣に立つ兄の傍へ寄り添う。
「虎徹、俺から離れるな!父さんと母さんはもういない……! 」
そう言い張る黒髪の大人びた兄は、幼い僕を連れて損壊した住宅街を進もうと踏み出した。
「うぅぅ……ど、どうして母さんと父さんは居なくなっちゃったの? 」
「虎徹、それは……俺が護れなかったからだ。プロの魔法師になったのに……俺が助けられなかったからだ! 」
心を鬼にして自分のせいだと嘆く兄に、僕はは何も言ってあげられなかった。
「うぅっ……な、何だよこんな時にっ……! 」
兄は頭を強く押さえ、歪めた表情で呟いた。
「……兄ちゃん、大丈夫? 」
「ぐっ、ああ!……だ、大丈夫だ!あと少し歩けば、魔法師も集まる休憩所に着く! 」
兄は僕の心配を優しく笑顔で受け止め、僕の手を握る。そのまま、一気に駆け出した。
「グォォオオオオオオ!!!! 」
「ガァァァァァァ!! 」
「シャシャシャシャァァァァ! 」
そんな僕達を逃がさないと言わんばかりに三体の大型アビスが行く手を阻む。
休憩所まではあと少し、兄がそう言っていた。しかし、道は塞がれてしまった。
「……待ってくれ!弟だけでも逃がしたいんだ! 」
兄は必死にアビスへ交渉を振りかける。
届かない願いだって分かっているはずなのに、こんな状況で気が動転してるのかもしれない。
「虎徹、お前は走って逃げろ!兄ちゃんはコイツらをぶっ倒す! 」
「で、でも……!! 」
目に涙が溜まって、兄の顔が歪む。
三体の大型アビスを一度に倒せるわけない。
そんなこと、幼い僕ですら分かった。
「分かったな、早く逃げろ!時間はない! 」
「……っ!!必ず、追って来てよ! 」
僕がそう言うと、兄はニコリと笑いかけて自身げにこう言った。
「当たり前だろ!また後でな! 」
兄に言われるがまま、僕は背を向けて走り去った。後ろを振り向くのが怖くて、ひたすらに前だけ見て足を動かす。
兄の言った「また後でな」の言葉を信じて、後ろから聞こえる騒音なんて気にしなかった。
「……はぁ、はぁ、はぁっ……」
何時間経っただろう。何日経ったか?
もう時間も分からない。
走っている途中で脱げた靴を拾わず走り続けた為に、僕の素足はボロボロになっていた。
損壊した家屋のガラスが刺さり、出血で真っ赤に染まっている。
だが、痛みは感じなかった。もう歩けなくなってもおかしくないくらいなのにだ。
「……はぁ、兄ちゃん、まだかな……」
ふと、立ち止まって兄のことが心配になり、ずっと振り返っていなかった後ろを振り返った。
「……っ!! 」
目の前には想像を絶するような光景が広がる。大型アビスが何十体と都市の中心部で暴れ、街は火の海になっていた。
もう生存者は居ないというくらいに都市は跡形もない。だというのに、アビスは街の破壊をやめなかった。
「……なっ、あぁ……兄ちゃん!! 」
もう兄は生きていない。
それは、先程自分達の前に立ちはだかった三体のアビスが街を破壊している光景で分かった。兄は殺されてしまったのだ。
幼い僕は単純な思考で、そう読み取った。
「……どうしたよ、そんな辛そうな顔して! 」
突然、後ろから聞き覚えのある声が聞こえた。それは、たった今死んだと思っていた人物の声。
「……兄ちゃん!?い、生きてたんだね!……良かった!! 」
後ろを振り向くと、傷だらけの兄が僕に笑顔を向け、立っていた。
すると、兄は僕の頭を鷲掴みにして、髪をわしゃわしゃと優しく撫でる。
「……もう死んじゃったのかと思って心配したよ!傷の手当てをさせて! 」
僕は傷だらけの兄を介抱しようと歩み寄る。
だが、兄は僕に向けていた笑顔を消して、哀しげに口を開いた。
「ああ、虎徹。俺は死んじまった……。 」
「……え?だって兄ちゃんは生きてーー」
「ーー違う!俺の身体はもう俺のものじゃない! 」
ーー瞬間。
銀色の鱗が兄の頬に浮かび上がり、口は巨大で凶暴に、優しそうな瞳には狂気が宿った。
背中から膨れ上がった胴体にも鱗が付き、僕が瞬きを終える頃には兄の姿は無かった。
「……え、あ、アビス……!? 」
目の前には銀色の竜が僕を見つめて、佇んでいた。
困惑した僕は背後へ後退りするが、竜は銀翼をひらつかせるだけで襲ってくる様子を見せない。
「ゴォォォォォ……ォォォ……」
銀色の竜は、そんな僕を見て弱々しい咆哮を吐いた。
そこからの記憶は、紗雪虎徹にはない。
気がつけば銀色の竜は消えていて、自分は何故か血まみれだった。
そして目覚めた場所も兄と再会を果たした場所ではなかった。
損壊した都市の中心部だったのだ。
何十体もの大型アビスが居たはずの都市は人は愚か、アビスさえも居ない。
静寂が当たり前のように世界を支配していた。
その時からか、声が聞こえるようになった。
自分の中に直接流れるその声は、僕の人生を大きく変えた。
その声が聞こえるようになってから、僕は特別な力を得ていたのだから。
昔、KMCの偉い人に言われた言葉は胸に突き刺さった。
「お前は本当に人間か?その力、魔術師としか思えないが? 」
周りの人も僕を恐れていた。
僕の持つ"魔法"に戦慄していたのだろう。
いつしか、《無敵》と呼ばれるようになっていた。特別な力で襲いかかってくる全てを退けていただけだったはずなのに、僕はどうしたらいいのだろう。
僕も普通の人間になりたい。
学校に行って、当たり前のことを当たり前のようにしたい。
そういう一般人に僕はなりたい。
ーーこれは俺の記憶。
家族を守ろうとして死んだ、永遠の敗北者の成れの果て。
虎徹がよければ、それで良かったんだ。俺は……お前のことが心配だったから。
俺が死んだのは今から十年前。
俺はKMC魔法学園を無事卒業し、プロの魔法師になっていた。
アビスを1日でも早く駆逐する為、仕事を着々とこなす日々。当たり前のように時間が過ぎていった。
あの日は自宅ではなく、家族に会いたくて、自宅からそう離れていない実家に寄った。
父と母は笑顔で迎え入れてくれた。
虎徹は友達と外に遊びに行っていると聞くと、安堵する。
友達を作るのが昔から苦手だった虎徹は、一人で居るか、俺の傍に寄り添って付いて来るかしか無かったからだ。
それが今では仲のいい友達も増えたと聞く。
虎徹の成長ぶりに歳の離れた兄である俺は、心の底から安心感を得るのだ。
俺は居間で両親との団欒を楽しんでいた。
魔法師の仕事をするようになってから、いつだって死と隣り合わせでアビスを駆逐し、人類の平和の為に貢献しようと奮闘する自分は、誰かと話す機会が減っている。
「それでな、父さーー」
別の話を切り出そうとしたタイミングで俺は、凄まじい程の強大な魔力が周囲を包み込むことを感知して、両親二人の前に立った。
「どうした?何か思い出しでもしたのか? 」
「……父さん、母さん!!逃げてくれ!! 」
「え……? 」
母親が拍子抜けたような声音を上げると同時に、父親がもたれ掛かっていた居間の壁が音を立てて破壊される。
すぐさま、父と母を自分の後ろに避難させると、俺は穴の空いた壁から敵を確認した。
「……なっ!!アビスだと?! 」
家の外には一体の大型アビスの後ろに十体程の小型アビスが目を光らせていた。
標的は勿論、俺と父と母。
まだ認識はしていないらしく、キョロキョロと辺りを見回している。
「アビスが居るのか!? 」
「こ、虎徹は……!! 」
父と母は混乱し始める。
当たり前だ、平穏だった日常が当然のように破壊されたのだから。
俺は魔力で槍を武器生成し、母と父には逃げるように伝えた。
大型アビスと小型アビスの目の前に立ち、自分が囮になることを決意した。
此処で自分が全ての敵を撃破すれば、家族は全員助かる。負けるわけにはいかなかった。
「何のために魔法師になったと思ってやがる!俺は家族を守る為にこの力を使う! 」
なのに、俺はーー、
「何故だ、小型アビスが大型に!? 」
数十体の大型アビスが目の前で俺を見下していた。まるで、ゴミでも見るかのような目。
冷徹で酷な事実を突きつけてくる瞳。
この数を一人で相手にして、全員を撃破出来るほど俺は強くない。
だが、一つだけ手段があった。
この状況は打破できるであろう、高威力の魔法を放つことが出来る方法。
だが、その時点で俺の命は潰える。
残り上限回数は45回。全てを消失させて、放つ魔法ならこの状況を打破できるはずだ。
俺にはそれしか残されていなかった。
「……《闇夜を、世界を、残酷を照らす一閃の光となれ!光明の惨劇》! 」
俺の全ての魔力が空に浮かぶ雲に吸い込まれる。真っ暗だった空は金色の輝きを見せ、巨大な光の柱を降らせる。
大型アビスが大量に降り立つ地に場所を絞り、母親と父親の位置から座標をズラした。
これで俺の命は潰える。
それでも、大切な人を守れたのならそれでいい。
軈て光が消え、金色に輝く雲も消滅した時、俺の身体は消滅へと導かれ始めた。
父と母は助かったのだろうか。
分からない。
それでも、アビスは殺せたはずだ。
震える手を抑え、消えてく身体を凝視する。
どうにもならない。自然な摂理だ。
そのまま俺は意識を失ったーー
ーーはずだった。
「……兄ちゃん!兄ちゃん!! 」
弟の声が脳裏に響く。
走馬灯だろうか、そう思った。
なのに、俺は何故かーー、




