人間だから楽がしたい
『雨が降ったら傘をさせ』
お爺ちゃんが僕に残した言葉だ。
僕のことを良く知っているからこそのこの一言。これは流石と言わざるを得ない。
というのも僕は自分で言うのもなんだけど超がつくほどの面倒臭がりで傘をさすのも億劫になる。
確か、そんなことを話した時に言われたのがこれだろう。その時はまだ幼かったので何が言いたいかさっぱりだった。今でもそれは変わらない。
濡れたくないから雨が降ったら傘をさす。それはごく当たり前のことなのだが僕は楽がしたい。できればどんな無駄も省きたい。
ならば雨が降った時の対処法はと聞かれたらまず消えるのが甘ガウンである。
傘をささずに済むがこの雨合羽を着るのが面倒だ。着た後は楽であろうがそれまでの過程で労力を費やしていては意味がない。
しかし、僕は傘をささなくて済む方法を見つけた。
それは外に出ないことである。
外に出なければ雨に濡れる心配はないし傘をささなくていい。一石二鳥とはまさにこのこと。
お爺ちゃんからそのことを言われた時そう答えたら大笑いされたのを覚えている。
お前らしいと。
実は僕のお爺ちゃんは漫画家だ。といってもそれほど有名ではなく、細々と続けている程度で収入はあまり良くないらしい。
それでも今なお漫画を描き続けられるのはそれなりの理由があるはずだ。
今後楽するために何かのヒントになるかと思ったが返ってきた答えは「楽しいから」という至極普通なもの。
しかし、至極普通ゆえに真理かもしれない。
今後、僕は高校、大学と進み、いずれは働くことになるだろう。その時、どんな職に就くのかが楽ができるかできないかの境目になってくる。
お爺ちゃんのように自分が好きなことを仕事にすれば楽しくできるが嫌々入った職場では楽しくはない。
だがふと気づいた。
楽しいと楽なのは別物だと。
漫画を一話分描くにはそれ相応の時間と労力を費やす。それは楽かどうかと聞かれたら楽ではないだろう。
結局、楽などできない。それは逃げにすぎない。家に引きこもったとしても雨が止む確証はない。だから勇気と努力という傘をさし、外に出てみなくては何も始まらない。
お爺ちゃんはきっと逃げてばかりの僕に逃げるなと言いたかったんだろうな。
でも残念ながら今の僕は動けない。半年前からずっと病院のベッドで横たわっている。
医者が言うには遷延性意識障害、つまりは植物状態になっているからだ。
これこそ究極の楽。
寝ているだけで誰かが身の回りの世話をしてくれる。だがこれは存外つまらない。
やることといったら窓から見える景色を眺めることだけ。
今日の天気は雨。
誰もが傘をさし、道を歩いている。
僕もいつか外に出てみたいものだ。
今度はきちんと傘を持って。