身を投げる話
私の人生に意味などない。ただ辛いだけ、苦しいだけ。幼い頃から薄々感じていた事実に目を向けるのは実に簡単だった。きっかけが必要なだけだった。
死のう、とそれだけを思った。
自らの命を絶つという選択肢はよくないと言う人がいる。生きていればそのうち、あるいは、自分の気付かないところにイイコトがあるさと言う。
そんなものをアテにしていられる余裕などない。あるわけがない。私の辛さが私以外に分かるはずはない。私は異世界に生きている。私以外から隔離された、法則の違う世界。私から見れば、辛くない人生なんてそれこそ異世界の話だ。幸、不幸の比重が違う。
また、死ねば他人にメイワクだと言う人がいる。お前が死んだことによる社会への打撃はどうするのだと、悲しむ人々はどうするのだと言う。
知ったことか。私が死んで撒き散らす不幸など痛くも痒くもないクセに。私はもう嫌なんだ。私の死後のことなんて考えられない。今の自分が何なのかも分からない、苦痛しかない。
私はどこともなくさまよい、たどり着いたこの旧校舎で死ぬことにした。一月後に取り壊す予定の建物には簡単に入ることができた。今の私が死ぬには高さがいる。ホコリの積もった階段をのぼるのも苦痛を伴った。きっと右足の骨が折れている。だがその痛みもすぐに無くなると思えば、少しは気もラクになる気がした。
たどり着いた三階の教室。机などは残っておらず、黒板のあった跡があるだけの部屋に鍵はかかっていなかった。
窓まで体を引きずる、その途中で突然床が破れた。派手に転び、ホコリが舞う。とんだ災難だ。右足の痛みが増して、まともに力が入らない。他人が見たら笑うだろうか。自分の命を絶つ時でさえも思い通りにはいかない。立とうとする度に痛みが増してゆく右足に呆れた。
「君は不幸だね」
その私を見て、教室の扉のそばに現れた男は言った。学校の制服を着ていて、私と同年代に見える。
「そう思うなら起こしてよ」
「それはできない。僕が手を貸すと、君はどんどん不幸になるから。僕がここにいる時点できっと君は、君の望みを何一つ叶えることはできないだろうね」
邪魔者だった。本人の言うとおり、私が死ぬのを妨げる邪魔者。モタモタしているから現れたのだ。最後までついてまわるこの不幸は、死ぬことによってしか解消されないだろう。
両手をつき、無理やり足を立てる。左足の力だけで体を支えるのは難しく、よろけては転んではまた体を起こし、転んだ。その間、男はただ見ているだけ。何分経っただろうか、右足の痛みにも徐々に慣れてきて、ようやく立ち上がることができた。
「君は死ぬための努力をしているんだね」
立ち上がった私を見て男は言う。
「そうだよ。死ぬことすらも邪魔される私には、死ぬことにも努力が必要なの。これが最後の苦痛になるなら、このくらい何ともない。今までの私の人生に比べれば、このくらい……」
「君は『楽しく生きる努力をしろ』と言われたことはあるかい」
「できない。そんな無駄な努力、やるだけ苦痛が増すだけ。実際に苦痛は増したから、やってみなきゃ分からないなんて言わせない」
右足の痛みが突然鋭くなった。再び転倒する。片目で見る世界には慣れたつもりだったけど、やっぱりバランスは取りづらい。それでも立たなければ死ねないから、私はまた立ち上がる。コツを掴めば簡単なものだ。私は死ぬ前に片足で立ち上がるコツを習得した。
もはや右足は重りでしかなかった。それでも私は、窓際までたどり着いた。レバー式の鍵がかかった汚れた窓ガラスから夕陽が透過している。
「あのさ、『そんなところから飛び降りたら、後片付けをする人が大変だよ』。やめた方がいいんじゃない」
「知らないよ。私はこれから死ぬんだから、この後がどうなろうと関係ない。私は私のやりたいようにするだけ。邪魔しないでよ」
「きっと『君の両親は悲しむだろうよ』。いいのかい」
「おじ、おばが残りの寿命を悲嘆に暮れて過ごすことになるとしてだから何なの。悲しむなら勝手に悲しめ。笑うなら笑え。それは個人の自由だ。私は束縛しないし、束縛されない」
窓のレバーに手をかけた。錆びた鉄のレバーはなかなか動かない。手のひらに錆片が食い込み血が滲む。私が思い切り体重をかけてレバーを引くとレバーは根本から折れてしまった。これでこの窓は開けられない。
隣の窓でやってみても結果は同じだった。その隣の窓もそう。右足は誤魔化せないほどの苦痛を発し、手は血だらけになった。
教室を出て、隣の教室の窓辺まで這った。レバーは体重をかけると折れるか、最初から無かった。窓は一つも開けることができなかった。
「自分で自分の命を絶とうとしてそこまでできるんだね君は。『世の中には生きたくても生きられない人が沢山いる』のにね」
「だから私は他人の命まで奪おうだなんて思わない。私が勝手に死ぬだけ。私の持ち物を私が捨てることに文句を言うなら、それはただの妬み。私には全く関係が無い。私は、死にたいから死ぬの」
廊下に出て階段をあがる。這ってあがるのは、歩いてあがるよりも苦痛だ。一段一段あがるだけで体力を物凄く使う。今まで使ったこともないような筋肉を、死ぬために動かしている。筋肉痛の心配をしなくてすむから思う存分動かせる。
踊り場まで来たところで、上の階へは行けないことに気がついた。壁や床に比べて比較的新しい巨大な防火扉が階段の先を塞いでいる。これを開けるのは無理だ。屋上へは出られない。
「ほらね、『きっと君は死ねない運命なんだ』。諦めて病院へ行くべきだよ。手も足も打撲と擦り傷だらけで痛そうだよ」
「死ねない不幸もあるかもね。実際私の体は死ぬのを拒む。だから拒んでも避けられない高さが必要なの。階段から転げるくらいじゃだめなの」
手すりに掴まりながらのぼってきた階段を降りる。当然のように一段降りたところで手すりは壊れ、私の体は廊下まで転げた。右腕にぱっくりと深い切り傷が出来て血が流れた。それでも私は死んでいない。
私はそのままもう一階分階段を降りて二階まで来た。この階の渡り廊下が第二棟へと繋がっている。私は足を引きずりながら第二棟の階段を目指す。屋上へ行くために。階段は廊下の突き当たりを左に曲がればすぐ。校長室の向かいにある。
壁にもたれ掛かりながらでないと歩けない。タイルが剥がれ灰色が見える廊下は異常に長く感じられる。時折朽ちた壁にできた突起がひっかかり、私の着ている服は更に引き裂かれた。
「君は本当に努力家だね。そして意地っ張りだ。『一度頭を冷やして周りをよーく見てみたら。君が幸せに気づいていないだけ』かもよ」
「私が不幸なところは幸せを探せば探すほど、求めれば求めるだけ不幸が見つかったこと。結局周りに目を向けても幸せ以上の不幸を見つけてしまったから私はここにいる。そしてその不幸からようやく逃げられる」
階段までたどり着いた。ここにも防火扉があるが枠が歪んでしまっているらしく、手が入るくらいの隙間はある。無理やり腕をねじ込むようにして体を通した際に左手の人差し指の爪が割れた。そう思ったが違った。左手の爪は全部割られていたんだった。
再び、這うようにして階段をのぼった。コンクリートは不自然の特有な冷たさを持っていたが最初よりもうまくのぼることができた。おかげで四階へ着くのはすぐだった。壁と左足でどうにか立ち上がり、家庭科室のある廊下の一番奥、屋上へと出る扉の前まで来た。だが扉は錆びて少ししか開かない。
「とうとうここまで来たね。この扉がなかなか開かないのは最後のチャンスなんじゃないかな。『君の人生に悔いはなかったのかい』。ここを越えたらほとんど引き返せないよ」
「後悔ならいくらでもある。でもやりたいことなんか、やり直したいことなんかない。私の最悪の人生で何かするくらいなら来世に期待したほうがまだまし。とにかく私は人生を終わらせたいの。この、とっくの昔に終わるべきだった人生をね」
右足の痛みを無視して半開きのドアへと体当たりすると、完全には開かなかったものの人が通れるくらいの隙間ができた。私が倒れ伏す屋上の床からはコンクリートの感触がする。懐かしく、そして苦痛を伴うざらつき。横倒しの世界から辺りを見渡すと幸運なことに、おあつらえ向きに、屋上には転落を阻止する柵がなかった。
ようやく死ねる。そう思うと体が熱くなった。心臓がだくだくと音を立てているのが分かる。私の体も苦痛からの解放に喜んでいるようだ。右足の痛みが不思議と引いていく。
「幸せそうだね。君の死ぬための努力がこのままいけば報われるからかな。でもさ、『自殺することは不幸』だよ。どうせならもっと幸せに死のうよ」
「そこまで分かっているならその問いは無意味だとも分かるでしょ。これが私の幸せ。私の不幸続きの人生で唯一掴んだ幸せなの。ほら、もう自分の両足で立てる。この人生からのイチ抜け。私が抜けて、それだけでこのつまらない人生は終わる。『他の誰の人生にも必要ないひとつの人生が終わるだけ』、それなら問題ないでしょう?」
私は屋上のふちへと歩き出した。そのまま駆け出して勢いよく飛び込んでしまいたかったが、痛みのない代わりに感覚もない右足を引きずっていては走れなかった。だがかろうじて引っ張るだけの力は入る。ざりざりと右靴の爪先を削りながら死へと向かおう。
「あのさ、不幸って、何だろうね」
男は言った。
「君はよく自分は不幸だと言うし、言われる。でもその不幸の正体は何なんだろう。考えてみたことはあるかい。僕のなかでは一定の結論は出ているよ」
不幸。不幸だった私の人生。どんな人生だっただろうか。生まれて、これから死ぬまで。不幸とは不快感だろうか。そこから発する怒り、悲しみと、そして絶望。私は望みを絶たれて、命を絶つことを決断したと解釈できるかもしれない。
どうでも良いことだった。あと五歩歩けば終わる人生だ。だけど考えているうちに、私の足は歩むのを止めてしまった。
「思い通りにいかないこと、これが不幸の正体だと僕は思うよ。自分が思うところの正反対、あるいはもっとひどい方向へ物事が進むんだ。いつだって不幸を感じたなら、いつだって思い通りにいかなかったということであり、また何かを望んでいたということ。最初から望み無しじゃ不幸になりようがないからね」
「私は私の人生に何も望んでなんかいなかった」
「それでも君は不幸だと言う。なぜだろうね。君の人生で思い通りにならなかったことはいくらでもあるだろうけど、些細なことなら思い通りになったことだってあっただろう」
「どういうこと」
「君が常に不幸を感じたなら、君には些細を凌駕する大きな望みが、希望するものが常にあったということだよ」
私は常に死にたいと、この人生を終わらせようと思ってきた。でも最初からそうだったわけじゃない。いつからか、どこからか。大きな望みを塗りつぶすために絶望を用意した。望み薄な、絶望的な希望を覆い隠すための絶望の象徴。つまりはそれが自殺だ。自殺という行為を選択することによって私は、希望への未練を絶とうとしている。
「『生きている限り希望はある』。なんて不幸なことだと僕は思うよ。死なずに希望を絶つ方法がないから、人は希望を望んで絶望し、命を絶つんだよ。自殺が不幸なものというのはそういうことだ」
「そんなのは何も知らない人の妄想。私は自殺できることに幸せを感じる。私は私の人生に希望することなんかない。手に入らないものを希望するのは不幸かもね。実際に私は不幸な人生を送ってきた。でもね、手放すことは簡単だって気づいたの。希望する権利を、義務を放棄する。希望と幸せが同一で無いように、絶望と不幸も同一じゃない。これは幸せだよ。絶望を抱えて死ぬ、でもそれきり人生から、希望から解放される。私にとって最良の幸せなんだよ」
「最良は最低とほぼ同じものだ。誰がなんと言おうと、僕はこの意見を曲げるつもりなんかないよ。だって、誰よりも僕が一番知っていることだから」
男は言う。はっきりと、言い切った。
「『君の気持ちもよく分かる』」
「……誰よりも……一番」
よく……分かる?
アタマの中の何かが外れた。
「そんなはずはない。そんなワケがないでしょ!さっきから偉そうにべらべらと!あなたに私の何が分かる!?私の不幸の何が分かる!記憶が始まる頃から今までずっと!あらゆる希望を見せられて、あらゆる希望をして、その度に希望は絶望的なものへと変わった!そりゃ私だって努力したよ!めいっぱい、死ぬほど、死んでしまうほど努力した!希望に手が届くように死にたくなるほど努力して、死にたくなるほど望みを変えて、その度に自分を誤魔化して!そして死にたくなったんだよ!死にたくなるほど努力したら死にたくなった!当たり前だろうが!痛いんだよ、望みを変えるたび、誤魔化すたびに、絶望するたびに!さんざんやってもまだ終わらない体に押し込められて、私はもう終わってしまいたいのに!ならもう自分で終わるしかないだろ!?自分で命を絶たないと、誰も私の命を絶ってはくれない。世界は私を痛めつけるだけ痛めつけて、なのに殺してくれない!ねえ、お願いだから。最後のチャンスなんだよ……これ以上この狂った人生を生きていたら、私は壊れて死ぬこともできなくなる。そんなのは嫌だ。死んだ方がマシなんだよ……」
男は表情を変えなかった。殴ろうとしたとたんに私は崩れ落ちた。とうとう限界が来たのだ。痛みも感覚も無くなった右足は、もう引っ張ることすらできなくなっていた。
どうしようもなく、屋上のふちへと張っていこうとする私の前に男はあぐらをかいて座った。この男は本当に、私に自殺させないつもりだ。悔しくなった。まさか本当に自分の人生を放棄することすらも完遂できなくなるなんて。これが男の言う不幸、つまりは思い通りにいかないこと。死すらも許さない、残虐なこの世界だ。
「なんで……」
どうして。私なんだろう。
「どうして私の幸せを奪うの……どうして……」
男は答えないかに思えた。
だが、男はすぐに答えた。
「僕が君のことを好きだからだよ」
「……え」
「僕は君のことが好きなんだ」
男は言う。笑いながら言う。
「僕は君の気持ちが分かると言った。でもあれは嘘なんだ。君のことが分からなかった。
僕は不幸な人生を送ってきたよ。自分のやりたいことは全て裏返しになる。そしてなにより、僕と関わった人達が皆不幸になるんだ。誰もその事で僕を責めたりはしない。そんな余裕が無くなるし、僕を責める前にいなくなってしまう人も多かったしさ。僕だけが自覚していたんだ。
最初に死にたいと思ってからずっと、死ぬことばかりを考えた。でも死ねなかった。僕が死にたいと望む限り、世界は僕を殺してくれなかった。それどころか、その事で僕に関わった人達は絶望的な希望を夢見て自らの命を絶っていった。
そんなだから、半分くらいは壊れていたかも知れない。君を見たとき、すぐに僕と同じ不幸な人間だって分かった。でも君は異常だった。僕が思う不幸の常とは異なっているように見えた。僕がとっくに耐えられなくなる範囲を越えているようにしか見えないのに、君は笑っていたんだ。
不思議だった。明らかに僕と同じか、あるいはそれよりひどいような境遇なのに、何で君は笑っていられるんだろうって。結局その答えは今も出ていない。でも、僕の希望は君になった。憧れたんだ。君に。
そしてその君がとうとう耐えきれなくなった。僕は君に死なれては耐えきれないと思った。だから僕は君に不幸がもたらした痛みを受け止めてあげようと思ったんだ。好きな人の、愛する君の幸せのために、何より僕自身のために、僕は君の最良の幸せを奪いにきた。そして奪った。
だから、僕に君の痛みをください。君がこれからも希望に耐えられるように、今までの痛みを全て、僕にぶつけてください。僕からの気持ちは受け取らなくてもいい。でも、君の人生を埋めてしまった不幸が残した痛み、鬱憤、怒り、悲しみは、今僕が全て受けとります。
好きです。君のことを、愛しています」
もうわけが分からなかった。この男は正気だろうか。こんな人間には今までに出逢ったことがなかった。私の不幸が寄越した人物の中には表面上だけそう言って私に新たな希望を押し付けたのが何人かいる。だがこの男は、何だ。
思わず笑ってしまった。笑ってしまったら、もう片方の目までぼやけ始めた。だめだ、これでは。涙を流したら、ここまでの努力が無に帰る。
でも、もう。
耐えられなかった。
私は泣いた。
さめざめと、えんえんと。
子供のように。
幸も不幸も分からなかった、子供の頃のように。
私は持てる限りの全てをぶつけた。私の人生で溜め込んだものを、鬱憤を、痛みを、怒りを、悲しみを、希望を、絶望を、涙と共に全て男のもとへと押し流した。あまりにごちゃ混ぜな感情の鉄砲水に壊れそうだった。でもそれも全て、男が抱き止めてくれた。
「もういいのかい」
「……うん」
心が空っぽになってしまった。何もない。全て洗い流し、入れ物だけが残った。今はまだ、幸せも不幸も分からない。どうせまたすぐに不幸が訪れるだろうけど、今ならまだ耐えられるし、希望の重みも支えられる。
全て、この男のおかげだった。
言いたいことは沢山ある。
でもまだ、心の準備が出来ていない。
セッティングには時間がかかりそうだ。
「そりゃ良かったよ。僕もこれで幸せだ」
そう言うと男は歩き出した。
屋上の、ふちへと。
「ちょっとまって!あなた何するつもり!?」
「……」
男は答えなかった。
命を絶つつもりだ。
なぜ?
分からない。けど止めなくてはいけない。
掴んで引っ張り戻そうと考えたが、私の足は壊れたままの上に痛みが復活し、使い物にならない。説得しなくては。せっかく私を救ってくれたのに、その本人が!こんな結末なんてあり得ない!
「待ってってば!」
男は無言で振り向いた。この男を自殺させてはならない!連れ戻す言葉を、自殺を諦めさせる言葉を探さなくてはならない!
『楽しく生きる努力をしよう』
『そんなところから飛び降りたら、後片付けをする人が大変だよ』
『あなたの両親は悲しむだろうよ』
『世の中には生きたくても生きられない人が沢山いる』
『きっとあなたは死ねない運命なんだ』
『一度頭を冷やして周りをよーく見てみたら。あなたが幸せに気づいていないだけかも』
『あなたの人生に悔いはなかったの』
『自殺することは不幸だよ』
『あなたの気持ちもよく分かる』
どれも私か、この男のどちらかに否定されいる言葉だ。こんなことを言ったところで何になるだろう。
男は後ろ向きに三歩歩き、屋上のふちに立った。
「ありがとう。君のおかげで、僕はようやく死ぬことができるよ」
「やめてよ!さっき私を救ってくれたのに、どうして?私はあなたのおかげで生きようと思えた。再び希望と向き合う勇気を貰った。いままでの痛みも消えた!なのに……なんであなたが死のうとしているの!?」
「ごめん。でも僕にはこうするしかなかったんだ。やろうとすることは必ず裏目に出る。だから、僕は死ぬために君を救ったんだ。君を救えたら僕はきっとこの先も生きたくなるだろうと思って。だから今僕は物凄く不幸で、君を救えた物凄い幸せと不幸が打ち消しあっている今のうちに死のうと思うんだ。本当は生きたい。この先も、君と一緒にいたい。そう心から思えたから、僕は世界に阻まれずに死ねるんだ。だから、ごめんね」
男は両手を広げた。そのまま後ろへ倒れて落ちるのようだ。ダメだ。この男が死んだら、私はどうなる?こんな恩人を見捨てて、私一人幸せや不幸を享受できるわけがない!
「何がごめん、だ!そのまま死んだら私は絶対に許さない!『生きている限り希望はある』のよ!あなたがいないとどうするの?今はいいけどまたいずれ、希望がもたらす不幸に押し潰される日が来てしまう!」
「……」
「私にはあなたが必要なの!これからを生きていくために、不幸を受け止めてくれるあなたが!あなたは代わりに私へ自分の不幸をぶつければいい!他人の不幸まで受け止めきれるのはあなただけじゃない!同じような境遇とあなたは言った、なら私にもできるの!だから」
ようやく、言葉が見つかった。だが男は、その続きを聞きたくないとばかりに後ろへと傾き始めていた。
「『他の誰の人生にも必要ないひとつの人生が終わる』のとはわけが違う!だから逃げるな!希望に向き合え!私にそうさせたんだから、その責任をとれよ!」
言い終わるか終わらないかのうちに、男は屋上から身を投げ、私の視界から消えた。
ここには、私だけが残された。