戦う弱さと向き合う強さ
海岸に辿り着いた紫星は息を切らしながらも辺りを見渡し二亜を探す。
けれど、いくら沖を探しても見つからず途方に暮れていると沖の小波ではなくもっと大きな波の音が聞こえてくる。その元を辿ると海岸の隅にある壮大な崖が目に付いた。
もしやと思いその崖の近くを訪れると、そこには遠目からでもよく分かる艶やかな群青が目に入った。
「! 二亜ちゃん!」
崖下の岩に腰を掛けていた二亜はその呼びかけに驚き勢いよく振り返った。
けれど、その声が紫星のものと確信すると彼女は黙って岩の向こうへ立ち去ろうする。
「僕の話を聞いて!」
紫星の叫びに彼女は足を止めた。
その隙に紫星は二亜のところへ駆け寄って行く。走ってきたせいか息が上がっており上手く言葉が出てこない。だが、今ここで伝えなければもう二度と分かり合えない。そう思った紫星は精一杯声を張り上げた。
「…そのっ…ごめん!」
「!」
紫星が頭を下げると二亜は驚愕した。
だが、頭を深く下げている紫星にはその姿が目に入らず、そのまま再び口を開いた。
「僕、知らぬ間に何かしていたらごめん。でも、何をしたのか考えても分からないんだ。だから二亜ちゃんの言葉から聞きたいんだ!」
そう言ってしばらく待っていると僅かだが岩から降りてきた音がした。自分に影がかかっていることからおそらく、彼女が目の前にいるのだろう。紫星は殴られる覚悟を決め、目を強く瞑った。
けれど、いくら待っていても想像していた痛みはこなかった。
影がかかったままと言うことはまだそこにいることは確かなのだろう。だが、その影は殴るどころか一向に動く気配がない。
「……別にあんたに対して怒っていた訳じゃない」
静かな声に頭を上げるといつもとあまり変わらないが少しばかり寂しそうな顔をしている二亜の姿があった。
「ただ、どう接すればいいのか分からなかったんだ。……あんたと唯斗が話してるのを見ると胸の中がモヤモヤする」
初めて聞いた彼女の本音。
ただ、自分が嫌われていないと分かったことの方が大きく、紫星は安堵する。だが、一つ引っかかるところがある。
「それって僕にやきもち妬いてたの?」
その言葉で先程までの寂しげな表情は一気に崩れ、林檎のように頬を紅潮させる二亜。その顔をしっかりと見た紫星は一瞬呆気に取られたがすぐに笑い始めた。
「何笑ってんだ!」
二亜は紫星に殴りかかったが紫星はそれをあっさりとかわす。少し得意気な顔をしたら、二度目の容赦のない拳が見事にヒットした。
それでも紫星は笑うことを止めなかった。
二亜はそんな彼を見てさらにむきになるも、何かの気配を感じ取りある一点を見つめた。
「!……紫星。後ろにさがっていろ」
突然緊張感を持った表情になった二亜に疑問を抱きながらも紫星は彼女の言うとおりに後ろへ下がった。
同時に二人の足元からは黒く禍々しい影のようなものが現れた。それらは物体ではなく、よく見ると霧状になっており近くにあった岩をも簡単にすり抜ける。
「二亜ちゃん、これは一体…」
「怨霊だな。おそらくミシキ村で生贄とされた奴らのだろ」
二亜は紫星を後ろへ隠し怨霊との距離をとる。
「まぁ、主に鬼が一人になった所を狙うんだが…今回の標的はあんたのようだな」
「え?」
わけが分からない。紫星はそう言葉にしようとしたが砂浜をすり抜けてきた怨霊に足を掴まれバランスを崩す。
しかし、その腕はすぐに二亜の剣鉈によって切り離された。
怨霊たちは目の前に鬼がいるはずなのに彼女には目もくれず再び紫星の元へ襲ってくる。どうやら本当に彼らの狙いは自分のようだ。
「全く、あんたは本当に何者なんだ?……まぁ今回だけは特別だ。守ってやるよ」
振り向いたに亜は険しい表情と同時にどこか嬉しそうな顔をしていた。あの時、ミシキの村人を襲っていたようなギラギラとした瞳。闘志に燃えたその姿はあの時の艶やかな姿によく似ている。
この一ヶ月、二亜と言葉は交わしていなかったが気づいたとこがある。
彼女は、戦うのが何よりも好きで剣鉈を振り回していることが多い。外へ出かけるときも常に剣鉈を背負っている。
そして、おそらく頭がいいのだろう。よく、唯斗の仕事を文句を言いながらも手伝っていたのを見かけた。
戦いを好み、冷静に判断が出来る。だからこそ唯斗とは良いコンビなのだろう。
「あんたの『血』を吸ってもいいんだが生憎、あんたには既に唯斗の『印』がついている」
そんな事を言いながら二亜は別の言葉を呟くと彼女の姿はみるみると変わっていく。
角や牙は伸び、目の下には群青の模様が浮かび上がっている。その姿は書物に描かれている鬼となんら変わりのないものだった。
「二亜ちゃん?その姿……」
「これは僕らの本来の姿。僕ら鬼には普段は使わない力を貯蔵する場所があるんだがいざという時は制限を外して鬼の力を解放することが出来るんだ」
紫星に説明しながらも二亜は紫星に近づく怨霊を片っ端から切りつけていく。
だが、一つ違うのはさきほどより明らかに速くなっているのだ。もともと鬼の中でも群を抜く彼女だが今では姿を捉えることすらままならない
「一つだけ言っておく。……今すぐ逃げろ。命が惜しければ」
その数秒後、二亜は彼に纏わり付いていた怨霊を全て切り離し剣鉈を突き抜いた。怨霊は悲鳴を上げながら次々と消滅していく。
しかし、彼らの量は尋常ではなく二亜の体力だけが消耗していく。
紫星は助けにいこうにも自分には何も出来ないと感じ動けずにいる。二亜には逃げろと言われたがそんなこと出来るはずがない。
その間にも怨霊は二亜に襲い掛かる。紫星はその姿をただ見ていることしか出来ない自分を酷く悔やんだ。
「ゆ、いと……二亜ちゃんを、助け、て……唯斗!」
気づけば届くはずの願いを叫んでいた。それでも、紫星は無意識に彼の名を呼び続ける。
「お願い…僕じゃ、何も出来ないよ。唯斗…」
「呼んだ?」
「!」
聞き覚えのある声に勢い良く振り返ればそこには今の今まで呼び続けていた彼の姿があった。
その事に安心したのか目からは自然に涙が溢れる。それを見た唯斗は紫星の頭を軽く撫で、一人戦ってい る二亜の元へと向かう。
「『ソレ』は俺の印。紫星が望めば俺はいつでもあんたの元へ飛んで行くから」
それだけを告げ、唯斗は自身の力を解放し二亜と似たような姿となった。少し違うとすれば、目の下の模様が群青ではなく薄青というだけだ。
先程唯斗に言われたことを思い出した紫星はふと首元に視線を落とす。するとそこには美しい『撫子』の花の模様が浮き上がっていた。
「ふふ…これが君の『印』なら随分と分かりやすい印だな」
この時紫星は、美しく妖艶な二人の鬼の姿をしっかりと目に焼き付けた。
撫子のように勇敢に戦う薄青の鬼は二度と忘れることはないだろう。
撫子
花言葉…純愛、無邪気、才能、大胆、快活、勇敢