愛しい泣き虫
「良かったんですか?あの人を許して」
唯斗たちから離れ、屋敷の中から外に出たときだった。
声をかけてきたのは扉の隅で小さく佇んでいる白い塊である。だが、その見慣れた姿にもう二亜が驚くことはなかった。
「……お前はでかいくせに丸まるのが好きだな」
それだけを言い捨て、二亜は再び歩み始めた。けれど、それは白い塊、もとい仁の腕によって阻まれた。
「どうして……憎くないんですか!?唯斗(あの人)も婆様も!どうしてそんな簡単に許すことが出来るんですか?」
徐々に震えてきた彼の声。その振動は掴まれた腕を通してこちらに伝わってくる。
「……憎しみからは何も生まれない。憎しみに囚われたら最後、あの婆さんと同じ道を歩むことになる。それに、あいつらを許せなかったらきっと、僕は自分を許せなくなる」
二亜は前を向きながら淡々と応える。
「じゃあ、その為に自分が傷ついてもいいんですか?」
仁のその言葉はきっと二亜にだけではなく自分にも問いかけているのだろう。
今回の騒動で彼は大事なものを失いすぎた。村人たちの命、信頼、そして大好きだった婆様という存在。
鬼とは違い、人間という短い生涯の中でこれほど多くのものを失うと立ち直るには時間がかかる。けれど、それでも人間は前を向いて歩いていかなければならない。きっと、一人ではすぐに倒れてしまうだろう。
けど―
「……僕は一人じゃないからな。もちろん、今度からはお前もだ……仁」
「!」
そうだ、今の自分は一人じゃない。唯斗、紫苑、紫星……そして仁。仲間や家族がいるから僕らは立ち上がれる。
それを教えてくれたのは――
「どうせ行くとこないんだろ?なら来い、仕方ないから養ってやる」
目の前に移っているのは百年前の面影を残した大きな少年。声も、顔も、仕草も、全てが百年前の彼のまま。
けれど、全然似ていない。高い背、泣き虫。振り返って見えたその驚いて口を開けた間抜けな表情も。
「何言っているんですか?僕は人間ですよ!?あなた達とは…」
あと、少し意地っ張りなところも。
「違わないだろ。お前だって婆様という『鬼』と今まで一緒にいたんだ。鬼も人間も関係ない」
(そう言って彼女は僕の頭を撫でる。その手はなんだか暖かくて安心した。体温だけじゃない、彼女のその瞳も。婆様からは決して与えられなかったもの)
その温もりに触れた仁は思わず涙した。いくら拭ってもその涙は止まらず、嗚咽までし始めた。
それでも彼は必死に二亜の手を力いっぱい握り締め、その上に大きな粒を落とす。
「……ありが…と………ございあすっ!」
その姿はとても百年前に好意を寄せていた男には見えなかったが、二亜は何故か今の彼の姿が愛しくて仕方がない。力任せに握られている手は既に真っ赤になっていた。
だが、そんなことも気にせず二亜は目の前で泣いているこの大きな少年をゆっくりと抱きしめた。
二亜のその行為に驚いた仁の涙はピタリと止まり、同時に無邪気な赤子にように微笑んだ。
そして、返事をするように彼女の小さな背中に腕を回す。
「二亜さん、これからよろしくお願いします」
「ん……」
夜が明け太陽が新たな一日を告げようと姿を現し始めた頃、一人の人間と鬼の姿はどこにもなかった。
夜中の騒動は村人の一部しか知らず大きな騒ぎにはならなかったらしいが、代わりに弟切の姿が消えていることが少しの間飲酒盃村の中で噂となっていた。
次回、第二章最終話です。




