今までの奴婢(じぶん)、新たな紫星(じぶん)
村の生贄に選ばれてしまった奴婢。
だが、儀式の最中に現れた本物の鬼によって村は壊滅状態。
逃げ遅れた奴婢の目の前には剣鉈を振り下ろす群青色の鬼が……。
どこからか聞こえる鳥の囀りに奴婢ははっと目を覚ました。
最初に目に入ったのは、今にも崩れそうな天井。
「ここは……」
ゆっくりと体を起こし辺りを見渡すと、古く錆びれた狭い部屋。少しずつ意識を覚醒させていけばそこが自分の家だということに気づいた。
「…僕は一体…。生きているのか…?…っそうだ村!」
勢いよく布団から飛び出て扉を開けようと引き戸に手をかける。けれど、奴婢の手は空を掴み、勢いと共に何かとぶつかった。
「うわっ!」
「…っ」
勢いに任せてぶつかった相手の顔を―群青色の髪を見て、それが村人を殺していたあの群青色の鬼だと気付く。
「あっごめん!大丈夫かい?」
奴婢は群青鬼に近寄り、ふらついていた体を両腕で支える。
鬼は勢いよく顔を上げると奴婢の腕を振り払い彼を思い切り睨みつけた。
背筋が凍るような感じはしたが村人たちを手にかけていた時ほどではなく、額には軽く瘤が出来ておりその痛みからか目には涙が溜まっていた。
そんな姿を見た奴婢は思わず噴き出してしまった。
「~っ笑うなっ!」
額に二度目の痛みを感じた。あまりの痛みに手を当てると先ほどまでになかった感触があった。
見るとそれは手拭いで少し血に染まっていた。
「さっきぶつかった時に角が刺さったんだろ」
そう言ってそっぽを向く姿を見て奴婢は驚きで少しの間放心していたがすぐに顔を綻ばせ、そっと礼を呟いた。
鬼に礼を言うなんてどこか変な感じがしたが不思議と悪い気はしなかった。
「あっそうだ。あんたを呼んでくるように言われてたんだ」
額の痛みも治まり、本来の目的を思い出した群青色鬼は奴婢の方へ振り返った。
そもそも鬼がこの家に来たのもそのためだろう。
だが。
――何故この鬼は僕を殺さなかったんだろう。
奴婢は内心で首を傾げた。
確かに目の前は真っ赤に染まったはずなのだ。だが、いくら探してもどこにも傷跡がない。
いっそ本人に聞いたほうが早いだろう。
「……あの、何で僕を殺さなかったの?」
気になっていたことを聞いてみると群青鬼は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「……殺そうとはした。けど殺せなかった」
それだけを呟き、群青色の鬼は顔を背けた。
奴婢は他にもいろいろと聞きたいことがあったが群青鬼の反応を見て、これ以上詮索することは止めた。
「詳しいことは唯斗に聞け」
「唯斗?」
聞き慣れない名前に奴婢は首を傾げた。
「あんたを助けた薄青髪の鬼だよ。僕らの役立たずな長だ」
群青色の鬼と奴婢は語りながら深緑の森を歩き始めた。
西からの木漏れ日が照らす森の中、奴婢と群青色の鬼は出口への一本道をのんびり歩いていた。
村で気絶してから、目を覚ますまでかなりの時間が経っていたらしい。気付くと辺りはすでに夜の準備を始めていた。
「そういえば、君は?君の名前」
「…二亜」
不意に奴婢が名前を尋ねると鬼は淡々と答える。
名前を聞けばこの鬼の性別が分かると思ったが誤算だった。名前までもが中性的であり、奴婢には男女の判断がつかない。
女性にしては骨格がしっかりしていて睫毛も短い。かといって男性にしては背が低く声も高い。十二、三歳くらいの少年なら可能性はあるがあの落ち着きようを見るとそんな年には見えない。
「二亜…君でいいのかな?」
鬼は人間よりも時間の流れが大分遅いと聞いていた奴婢は群青鬼が男であると判断し、二亜に恐る恐る尋ねた。
「……僕は一応女だが」
「あっごめん…」
どうやら奴婢の読みは外れたようだ。女性に失礼なことを言ってしまい少し後悔する。
「…まぁよく言われるけど」
と気まで使わせてしまった。
「あんたは?」
「僕?僕は名前なんてないよ。皆奴婢って呼んでいるけどね」
そう笑って誤魔化す。
名など授かる前に両親は亡くなった。奴婢には引き取ってくれる親戚もいなかったため名を与えられず、育ちや身分から奴隷を意味する奴婢と呼ばれるようになっただけだ。
「は?奴婢とか奴隷って意味じゃん。そんなのは名前なんて言わねぇよ」
二亜は進めていた足を止め、奴婢の方へ振り返る。何かあったのかと思い奴婢も足を止め彼女を見つめた。また、二亜も同じようにその瞳に奴婢を見据える。
「…あんたって綺麗な目してんのな」
「へ?」
突然の言葉に思わず間抜け面になってしまった。そんな彼を気にせず二亜は距離をつめ、そっと頬に触れる。
「綺麗な紫色の目をしている。星みたいに輝いてて。紫の星…
『紫星』」
「!」
二亜は触れていた手を離し、光の差し込む方へと再び歩き出した。
「置いて行くぞ『紫星』」
そう呼ばれ、自分のことだと理解すると奴婢は嬉しさを抑え切れなかった。初めて名前を与えられた。そのことが何よりも嬉しく、奴婢は森から出るまで何度もその名を繰り返し自分に言い聞かせていた。
「……『あいつ』と同じだ」
途中で二亜が呟いた言葉など高揚している彼に届くはずもなかった。