別れの青と出逢いの青
我々が普段何気なく暮らしているこの都会。
だが遠い遠い昔、その都会はある島と繋がっていた。
ある時代、その島との繋がりが切れ、島は誰にも干渉されない『孤島』となってしまった。
以降、都会との交流が無くなり孤島は時代の流れに取り残されることとなる。
その孤島は現在も存在しており、時代の流れに取り残された者とある『生き物』が共存しているという噂が都会に流れている。中には実際に見たことがあるという者までいるようだ。
だが、見つけても決して近づいてはならない。その『生き物』は既に我々都会に住む者たちの中では『実在しない妖怪』となっているのだ。
やつらは人を食う。そんな作り話をいつか再び信じるようになってしまう。
だから干渉してはいけないのだ。あの『妖怪』にも、あの『孤島』にも。
もし、街中で見つけても決して
―『鬼』―
と叫んではいけない。
◆ ◆ ◆
―ミシキ村―
そこは鬼が出る村。
村人たちは鬼を恐れ、毎年村の中から一人の生贄を選ぶ。
生贄は炎に包まれ魂を鬼へと捧ぐ
―鬼生暦一三三二年
「また鬼が出たそうだぞ」
「生贄じゃ!早く生贄を用意するのじゃっ!」
「しかし、今年は一体誰を?」
暗く湿った小屋の中、ひそひそと聞こえる男の声。彼らは皆、御子規村の民たちだ。
「そうだ!『奴婢』だ!あいつを生贄にしよう」
「そうか!『奴婢』なら家族もいないし大丈夫だ」
奴婢…奴隷の意。
この村の森の奥深くに住んでいる緑色の髪の青年。 彼は、生まれてすぐに事故で両親を亡くし名すら与えられずその小汚い風貌から奴隷の意を込め、『奴婢』と呼ばれるようになった。
親戚達の中でまだ幼かった彼を引き取る者はおらず、村長の計らいで僅かな食事と最低限の衣服だけが支給されていた。
そんな彼も村人達の僅かな配慮のお陰で何事もなく十八年間生きている。
だが、今回はそんな彼に白羽の矢が立ってしまった。
村人たちは翌朝、彼の家へ訪ねて生贄に選ばれた使命を言い渡す。けれど当の本人は抵抗するでもなく、泣き叫ぶでもなく、黙って村人たちの指示に従った。
儀式の間も奴婢は一言も話さなかった。その影響からか村人の中にも声を発する者はおらず静かな祈りを終えた。
静寂の中行われた儀式もいよいよ最終段階となり、村人たちは大木に麻縄で縛られている彼の足元に火を放つ。
今までこんなにも静寂で淡々とした儀式があっただろうか?例えどんな身分の低い輩でも生贄を告げれば拒み、抵抗し、当日には逃げ出そうと考える者を幾百と見てきた。だから、村人たちは今回の儀式が気味の悪さが不安で堪らないのだ。
それは奴婢にも感じたことだった。
何故、自分は叫ばないのだろうか。何故、逃げなかったのだろうか。不思議と心の中で繰り返される自問自答。それに応えてくれる者はもちろんいない。
時折、村人たちが僅かだが怯えているのが目に入る。どうしてあの村人はあんなにも怯え震えているのだろ?奴婢は光の宿さないその瞳に捉えた村人に心の中で問いかける。だが、どうせ自分は今から死ぬのだ。他人のことを考えても仕方がない。
奴婢は足元で踊り狂う炎に身を委ねるように瞳を閉じ、空を仰いだ。
けれど、すでに感じるはずの苦痛はなかった。村人たちの戸惑ったような声にゆっくりと目を開ける。目が光に慣れてきたとき、奴婢の目の前に映し出されたのは
―薄青―
そのトルマリンのような美しい薄青に奴婢は瞳を瞬かせる。
「鬼だ!鬼が現れたぞ!」
村人の声で我に返った奴婢は薄青の正体を見つめた。
こめかみには大きく長い角。口元には鋭い牙。人間とは思えないほど尖った耳。そして、手には鬼の象徴とも言える大きな金棒。
薄青の正体は誰もが恐怖する
―鬼―。
その鬼が儀式の最中に何をしに来たのだろうか。ここに居合わせている全員が疑問に思っただろう。それはもちろん奴婢も例外ではない。
「お、鬼様……。何故此処へ?焦らなくとも生贄の魂はもうすぐ貴方様のものになるのですよ?」
村長と思われる老人は恐る恐る鬼へと尋ねる。
その間、村人の中には逃げる者も、叫ぶ者もいなかった。ただ動かずにその様子を見守っている。
いや、正確には『動かなかった』のではなく『動けなかった』。
まるで蛇に睨まれた蛙のよう。たった一人の鬼に村人全員が恐怖を感じ、萎縮してしまったのだ。
当の本人はそんな様子に目もくれず、口角を釣り上げへらへらと笑いながら村長に語りかけた。
「あ~悪いけど今日でこの村潰すね」
「!?」
この鬼は一体何を言っているのだろう?
突然の事に皆、言葉を発することが出来なかった。それをいいことに薄青色の鬼は再び語り始め る。
今度は村長だけでなく、村中に聞こえるくらいハッキリとした声で。
「俺達鬼は確かに存在する。現に俺がそうだ。俺以外にもこの島にはたくさんの鬼がいるだろう」
『たくさん』。その言葉に村人たちは息を呑む。
「だけど俺達は生贄を要求した覚えも、ましてや人間に危害を加えた覚えもない。俺達は静かに楽しく暮らしているだけだ。それなのに人間。お前らは想像で勝手に俺達を恐れ、拒み、罪のない村人を何人も殺した」
鬼は村人に語りかけながら奴婢の背後へ回り、縛られていた縄を解いた。
「!」
奴婢は予期せぬ行動にバランスを崩し思わず倒れてしまう。
どういう風の吹き回しなのだろうか。倒れた状態で鬼を見上げるとほんの一瞬、彼が笑ったように見えた。そんな笑みに不覚にも胸が高鳴ったのは気のせいだろうか。
薄青色の鬼は奴婢から目を外し、再びへらへらした表情で村人たちに語りかける。
「お前らは今まで何人生贄として村人を殺してきたか数えたことある?」
その問いかけに首を縦に振るものはいなかった。
当然だ。この村では、鬼が出てきた際に儀式が行われる。今年に入ってからも既に数回行われている。故に定期的に行われないため、村人たちが覚えているわけがない。
ましてや村人が殺されたところで所詮自身には無関係なこと。無関係なことを全部覚えている者はほとんどいないだろう。
一人を除いては。
「さ、三六六人…です」
村長は怯えながらも答えた。その答えに満足したのか鬼は先ほどまでの気の抜けた表情を止め、口端だけをつり上げた。彼の表情を後ろからのぞいている奴婢にはそれだけにしか見えなかった。
だが、それだけにしては村人たちの怯え方がおかしい。最初に鬼が現れた時に比べ圧倒的に震えが増しているのだ。
「さすが村長。正解だ。あんたの爺さんならよく知っているよ。なんせ最初の生贄を出した張本人だからね」
その言葉対して村長は何も言うことが出来なかった。ただ下唇を噛み、着物の裾を握り締めぐっと絶えている。
その姿を見て、薄青色の鬼はまるでこれから演説でもするかのように手を大きく広げ盛大に声を張り上げた。
「丁度この村の半分が生贄となった!だから決めたんだ……
残りの半分は『俺達』が殺してあげるって」
そう言った薄青色の鬼がニヒルに笑う。そんな笑みでさえ彼を美しいと思ってしまうのはきっとこの状況での恐怖で頭がおかしくなって決まったのだろう。奴婢の口から渇いた笑いが人知れずに漏れ出す。
そんな時、村人たちの後方から叫び声があがった。
「ぎゃあああああああああ!」
突然の叫び声に全員が振り向くと儀式で後ろの方にいた男が背中から血を流し倒れていた。そして、そのすぐ傍にはその男の返り血を浴びた
―群青色の鬼―
中性的な顔立ちをしており、着ている着物は男性ものだ。けれど、それを惑わすように羽織っている煌びやかな藍色の羽織は貴族の女性がよく着ているものだった。
その鬼を見た瞬間、恐怖とともに別の感情が込み上がってきた。きっとそれはこの場にいた誰もが感じていただろう。サファイアのように艶やかな群青色の髪は真っ赤な返り血で一層引き立っており魅入ってしまった誰かが「妖艶だ」と呟いていた。
それも束の間、群青の鬼は自身と変わらないほどの大きな剣鉈を軽々と振り回し、周りにいた村人たちを次々と切り裂いていった。その拍子に流れた血は、鬼の周りに綺麗な弧を描いている。近くにいた者は、切られた者の返り血を浴びていることに気づかず、腰を抜かしていた。
その姿を合図のように村人は一斉に逃げ出した。村人たちが群青鬼の反対側へ逃げればそこにいるのは薄青の鬼。そのことに気づかない村人は薄青鬼の魔の手にかかってしまう。彼はその大きな手で村人の頭を掴み、まるで林檎を握り潰したかのように簡単にその頭を潰してしまった。
「逃げても無駄だよ。隠れられる場所は俺の仲間が全て壊した」
けれど、今の村人たちには恐怖で彼の忠告は耳に入らず必死に隠れる場所を探している。
その間にも群青の鬼は村人を殺し続ける。大きな剣鉈を一振りすればその場にいる者を全員喰らい尽くす。
その姿はまさに、人々が今まで恐れていた ー鬼―。
奴婢は鬼の姿に腰を抜かし、地面にへたり込んでいた。助けを呼ぶにも知り合いなどいない。もし、いたとしても皆自分のことで精一杯で自分の声なんて届くはずがない。
ああ、自分は今から死ぬのか。奴婢の脳内に浮かんだのはそんな言葉だった。、今までの人生、思い返してみれば碌なことがなかった。生まれてすぐに両親はいなくなってしまうし、親戚にも疎まれ引き取ってくれなかった。それでもようやく一八年間生きてきたというのに今度は儀式の生贄。本当に碌な人生ではなかった。
自分のしょうもない人生を思い返している間に彼の前に現れてしまった群青色の鬼。
奴婢は目の前が真っ赤に染まっていく様を最後に意識を手放した。