第12話 二人の導き手(ストレーガ)
「ぐ、うぅぅ」
影王の背中から飛び出した突起物が激しく痙攣し、魔法粒子が霧散していく。
同時に握りしめていた黒刀と同じくして黒の魔人は地面に倒れ込んだ。
その姿に、発射体制に入っていたベルゼバブ=ロバーツ=タチバナは眉を寄せる。
「ダメージが通っていたのか…? いや違いそうだな」
「急激にミストルーンが失われつつあります……恐らく先程までの状態は、条件付きの力だった、という事かと思われます」
地面をのたうちまわる影王を見るタチバナの目が、興味を失ったかのように冷ややかなものに変わり、空中に展開していた数千の魔法陣が同時に消滅する。
「なるほどね…所詮は魔人ということかな」
「はい、所詮は下位種ですので」
「第四転換天照までも耐えきったというのに…拍子抜けだね」
超越魔法である空間魔法【天照】
その第2位の攻撃でも声を上げなかった魔人が、苦しそうに地面で悶える姿を見下す。
恐らくは力の使い過ぎによる副作用と判断した。
「仕方ない、つまらない最後だったが……さようなら名も知らぬ黒い魔人よ……ん?」
「マスター上を」
「おっと、これは、すごい数だね」
「天使勢の…エンジェルナイトです」
突如周囲に影が落ちる。
魔神勢2人が見上げた先には、先程までの展開していた魔法陣と同数とも言える、太陽を埋め尽くす程の、おびただしい数の翼を持つ兵団であった。
上位粒子体――天使。
その存在は、天界と呼ばれる制空権に本体を置き、人々と魔族の数を調節する役割を持つ。
「暴れ過ぎたか…困ったねアハハっ」
「短期間に人間を殺し過ぎた為……いや、でもこの数はおかしいです…差金かもしれません」
「天使勢のかい? しかし奴等は」
「はい、ミリがお伝えした通り、百年前の下級天使の暴走以来、傍観を決め込んでおりましたが」
「ふむ」
タチバナは影王を一瞥する。
(やはり面白い存在かもしれないな……何か、この魔人を中心に世界が躍動しているかのような)
思慮を巡らす閻王にアシュタロスは臨戦態勢で応える。
「マスター、下級天使兵如きミリが…」
「いや、僕がやろう。実は最後が不発で欲求不満でね」
『አግሪዪር፣ አግሪዪር፣ አግሪዪር』
『መጥፋት, ጥቃት ይጀምራል!』
タチバナが掌を閉じた瞬間、数体のエンジェルナイトが、奇声を上げながら空に破れた歪に吸い込まれ消滅する。
「秘書アシュタロス……君はあの魔人の後処理を」
「ハッ」
「僕は――このイベントを潰す」
タチバナが太陽に向かって空をかけた瞬間、数千のエンジェルナイトは敵に向かって急降下する。
(切り抜けてみろ黒い魔人……君がこのゲーム攻略の鍵となるのなら)
影王から天使に視線を移した瞬間――100を超えるエンジェルナイトが爆砕した。
未だ地べたに這いずり回りながら苦しむ影王に向き直るアシュタロスは口角を吊り上げて笑った。
「もはや下位種とは言わないわ……どうやってその力を手に入れたかは知らないけど、大した奴だと思うわよ」
影王は地に頭を付け未だ動けずにいた。
「でも、その力はドーピングによるモノだった……てことかしらね。この世界でミリの知らない力があるのも気に入らないし、ミリの髪を斬られたのも根に持ってるし、ミリの両腕も切断してくれたっけね? プ、プスプスハハ」
「ク、フフ、何を笑う、自分が……」
「跪けええ!」
「がああァァァ」
苦しみながらもアシュタロスに対して侮蔑の笑みを浮かべる影王――だが、先の戦闘とは違い、強力な強制力と重力によって地面にめり込み動けないでいた。
「なになにー?さっき迄は威勢よく反撃してきてたのにー今はこの体たらくー?プスプスー跪け跪け跪け跪け跪けえええハハハハハ」
――ベキゴキバキ
「う、おああ!」
影王の右腕が稲妻のように曲がりへし折れる。
「鬱陶しい結界も消えているなぁ♪ 次は足だ! そして関節を1本ずつ潰して最後に糞のように潰してあげるからっ」
「お前ら…は」
「ん?」
アシュタロスは眉を寄せる。
抵抗も出来ない下位種に向かって。
何故か、今となっては少しも脅威を感じないはずの魔人から出る気配が変わったからだ。
「お前等は何故…そんな力がありながら人を殺すんだ」
「何を言っている。我等魔族が人を嫌悪するのは当然だろう…お前も魔人のハシクレだろうに、とんだ出来損ないが居たものだわ」
「理由、を聞いてるんだ。まるでゲームの設定だ。この世界は本当に…度し難い。誰しもがソレが当然。それが当たり前と言って信じてやまない。迷いがない。それは生きていると言えるか。迷って選択して、その結果が人生では無いのか」
再び眉を寄せる。
全く意味がわからなかったからだ。
人生――生まれた時から王の導き手として創造された自分には使命ある、名誉ある立場に魔神として生を受けた自分には、理解出来ない言葉なのだから。
「俺は娘に仇なす人間を幾千も殺めたが…楽しいと思った事はない。これは俺が冒した罰なのかと何度も繰り返し迷って…400年も生きてきた」
「400年如き、ガキじゃないかミリより。もう良いだろう遺言は…聞いてやっただけでもありがたく思ってほしいわ」
…ざわり
再び気配が変わる。
地べたから額も上げられない惨めな男の気配。
「400年は…短く無いさ。本当に、本当に長かった」
「はあ?」
「本当の自分を、忘れてしまう程にだ」
「こ、コイツ」
再びミストルーンが収束する。
胸の中心がえぐられるように痛む、血を吐き、腕を折られても未だ衰えぬ怒りが影王を奮い立たせる。
道理を外したこの世界に対する怒りを。
「この世界…どこの誰だかが作った、こんな世界の道理に屈するものかよ…俺はヤりたいようにやる。俺は、俺の正義を是とする。誰にも縛られないのが俺だった筈だ…俺は、オレはそういう――人間なのだから!」
爆発的な量の魔法粒子が収束する。
その量は、20億にもなるアシュタロスの最大魔法出力を完全に超え、今もまだ上昇し続けていた。
「いったいコイツは……何なんだコイツは」
「俺は――――」
ガキュン!
猛る影王とは対象的に、高まっていた魔法粒子が再び四散する。
同時に影王とアシュタロスは――天から現れた緋色を見上げた。
「お、お前は!?」
「く、なんだこの感覚は」
『簡易マクスウェル機関ヲ侵入発動サセマシタ。七皇鍵ノ強制停止ヲ完了――』
緋色の魔女に絡みつくスカーフ。
魔導科学の結晶――デバイスオペレーションシステム”アキ”は、主人に状況報告を上げる。
「影王…以前言ったはずだぞ。その力、多用するなと」
「お、まえはあの時の」
「他人行儀に語ってくれるな影王、アヤノが悲しむ」
「その赤い衣、貴様! 火の国の魔女か」
「それも語ってくれるな嫌いな名だ。ワタシはイザナミ=アヤノ=マクスウェルという。獄円卓4席、アシュタロス=ミリ=シナバーラインよ」
影王とアシュタロスの間に割って降り立つは、創世記より生きる魔女であった。
身長よりも長い髪、火の国ジパングの装いである緋色の浴衣、魔導科学で縫われ構成された無形の武器――カラドボルグにて魔神王を牽制するは、全てを知り、伝える運命を課せられた女であった。
「天使どもが閻王を抑えられる時間はごく僅かだ時間がない……影王、ワタシはお前の敵ではない信じるか?」
影王は眼の前の女の言葉を聞いてなどいなかった。
何故自分の力を強制的に停止出来たのか、気にもならなかった。
疑問は一つだけ。
何故、この女はそんな悲しそうな、不安そうな顔で自分を見るのか。
それだけだった。
ここで、このアヤノという女を拒絶するという事を、右眼にある真紅の魔人核と、己の心が拒否している。
そんな気がして、無意識に顎を引いた。
「そうか……ありがとう影王、感謝する」
アヤノと影王は数秒見つめあった後、打ち合わせたかのように同時に背を向けた。
影王は王都トロンリネージュの方角へ、アヤノはアシュタロスへと向き直る。
「逃がすか魔人!」
「逃げ切れるよ? ワタシがいるんだ」
アシュタロスが瞬時に放った結界をカラドボルグが撃墜する。
「お前ぇ……人皇の導き手が何故魔人を庇う」
「フン、貴様ら薄汚い魔族勢に教える必要が? それに、ワタシ等はもうこのゲームを降りた人間だ。勝手に盛り上がってもらっても困るがな」
「何を無責任な事を!」
「責任? 誰へ対してのだ愚か者」
「誉れ高い導き手としてのだ」
「ククク…こんな状況だが、ワタシとアヤノは今、最高に気分が良い、貴様の世迷言に付き合ってやる」
――ギン!
「く、か…」
アヤノが対象に向かって掌を掲げた瞬間、アシュタロスの顔色が髪と同じ蒼白に変わる。
その首元にはアシュタロス自らから出る、虹色の腕(結界)が巻き付いていた。
「そういえば創世紀ぶりだなアシュタロス……あの時はノアに集るハエのようだったが、生憎今はワタシも生身だ――全力でいかせてもらう」
「お、お前、ミリの結界に干渉を」
「お前も閻王の導き手なら知っていよう、ワタシの能力を」
「こ、この程度で!」
アヤノの周囲に重力場が発生するが。
「重力場に穴をあけた、無駄だアシュタロス」
「侵入解除……こ、こんな使い方が」
「無敵の能力など存在しないという事だ」
「く、くかっ」
アシュタロスの首を絞める手に力が入る。
か細い首が今にもへし折れそうだ。
「プライドブレイカーとは良く言ったものだ。斥力によって強制的に地面に這いつくばらせる悪趣味な能力……お前も味わってみるが良い、みじめな敗北というヤツを」
ギュギュギュリ
肉に荒縄を抉り込んだような生々しい音が鳴り響き。
「そうはならないと、賢い君には解っているよね」
その結果が妨害される――地獄の王の手によって。
瞬時に飛び退いたアヤノの元居た地面が消し飛んだ――機械でくり抜かれた様に。
上空を一瞬見上げてからアヤノは舌打ちする。
「これがお前の次元鍵の力か……数千ものエンジェルナイトを、ものの数分で……知っていると見るとでは違うものだ」
「Honor――お褒めに預かり光栄だよ。人皇の導き手ちゃん」
「その眼の色……危険過ぎるな。天照を常時発動させて空間を歪め続けているのか」
「WOW♪ 流石は歴史の生き字引。逢いたかったよ赤い魔女」
「ワタシは絶対に逢いたくなかったがな」
眉を寄せるアヤノを、タチバナは気にもせずに続ける。
「綺麗な浴衣だね。僕は生まれはペンシルべニアだけど日本が長くてね、色々案内してくれると嬉しいんだけど」
「魔族勢のプレイヤー殿は口も性格もずいぶんと軽いようだな」
ウチのプレイヤー様もこうだったら素直に”恨めた”のにと胸中で毒づきながら。
「やっぱり歓迎はしてもらえないか。でも君には聞きたいことが山ほどあるからねぇ」
「ワタシが素直に答えるとでも?」
「Forcibly――無理やりというのもやむなしだ。この世界は聞いている話と違い過ぎる……知っているんだろう? 始まりから生きる権限者殿なら」
「フン、やれるものならやってみろ。正規のルートでルナリスに来たお前なら、アシュタロスに聞いて知っている筈だ。ワタシが死ねば、永遠に地獄の門は開かないと言う事を」
「あらら、流石長く生きてるだけあって交渉も上手だ」
「それともう一つ、そちらのプレイヤー殿はこっちに来て日が浅いと見える。さっきの天照……大層な威力だが術式が甘い……もう一発撃ってみるが良い、ワタシの能力で貴様にそのまま返して見せよう」
「……へぇ」
数秒無言で見つめ合うアヤノとタチバナ。
先にその沈黙を破ったのはプレイヤーの方だった。
「わかった見逃そう」
「フン」
「イ、イザナミ! イザナミ=アヤノ=マクスウェル」
術式を実行しゆっくりと空へ飛翔するアヤノに、今まで咳き込んでいたアシュタロスの怒号が飛ぶ。
「覚えたゾお前の名前! 絶対に忘れないお前だけは、お前だけは絶対にミリがブッ潰してやる」
アヤノはそんな魔神王に冷ややかな視線を向ける。
動揺を悟られないように――
「生憎ワタシはプログラムでしかない、表人格であるアヤノが初めからお前の相手を本気でしていたら……」
高速で編み上げたLv4飛翔術式が実行される。
「アシュタロス……お前如き、既に生きてはいないよ」
イザナミ=アヤノ=マクスウェルの姿は風と共にかき消えた。
その場に残ったプレイヤーは周囲を見渡した。
城塞都市とかつて呼ばれていた場所は今や跡形もなく、残骸が散らばるのみ。
「マ、マスター申し訳ございません。ミリは……ミリは」
「気にするな秘書子ちゃん、今回は相性が悪過ぎた。それに――」
黒い魔人と、赤い魔女の向かった先を見ていた。
「あの魔人が、どうしてああなったのかがこのゲームに勝つ鍵となる……そんな気がしてならない」
「あの、下位種が……ですか?」
それともう一人、イザナミと呼ばれる女。
「ククク…可哀想に震えていたじゃないか」
ハッタリだと解っていた。
この自分に、此処に来る前は病室の天井を眺めるだけだった自分に、恐怖し震えていた女を思い出して天を見上げる。
自分の強さはおおよそ解った。
聞いていた通りプレイヤー3人の内、最強は自分なのだと、そして調べる必要があると――この世界が何故こうなってしまったのかを。
殺すのはいつでも出来る。
あの黒い魔人の力も、あの程度ならばと。
「可愛いじゃないか」
獄円卓一席、魔神王ベルゼバブ=ロバーツの嘲笑が、大壁と都市を失ったヴァイツブルストに響き渡った。




