第10話 影王の七つの鍵(セブンバンド)
魔法粒子ミストルーン。――この未知の粒子はメインユーザー椎名、天津、近藤という3名の人間によって開発された。それを月に打ち上げられたマザーコンピューターにより散布投影され、異世界ルナリスは形成されている。世界をも創りえる粒子、ミストルーンとは非現実的を可能とする、不可能を可能とする。人の「夢」――意思の力を具現化する事の出来る粒子なのである。
数百数兆からなるその微粒子を、このルナリスに存在する全ての生物が持つ因子核へ結合、貯蓄することで、魔法や超状現象を起こす事を可能とし、故に貯蓄領域が高い個体程、行使できる術――この世界で我儘を具現化出来る「力」が与えられるという事となる。
【魔法言語】――選ばれた者だけが持つ、意志を持つ我儘な言葉。――ミストルーン投影実行プログラム。
そのミストルーン貯蓄領の平均を種族別に数字化するとすれば、以下の数値となる。
人の魔法使いはおよそ1,000。
魔人族ならば2,0000。
魔人達の母、魔王レッドアイで100万。
と、魔王ともならば、よもや人智の及ぶ域ではない高みである。が、この世界における最大戦力、7体の魔神王の1人である白髪の少女、アシュタロス=ミリ=シナバーラインの最大魔法出力は――
20億である。
地獄最下層に本体を置き、7つの席からなる獄円卓の一席「導き手」の異名を持つ、序列第4位の魔族最大戦力――魔神王。
その圧倒的戦力は天変地異を上回り、よもや人や、こっぱ魔人ごときが太刀打出来る存在ではない。だが、今、全くそのような事を一切気にもせずに、ただ1つの感情を燃焼させながら、対象に対して異を唱える存在がいた。
その感情とは怒り――燃焼やし放出するは怒気である。
魔人影王――灰色の髪、右目に真紅の魔人核を宿す人型のバケモノ。――全魔人の頂点に君臨する魔王の父親であり、魔王直下四天王が一人。誰よりも魔人難く、感情に疎く、半端で、気紛れ、そんな度し難い愚かな存在。それがカゲオウと呼ばれる男である。
そいつは呟く。
「……キャロル。俺のようなモノが、俺のような出来損ないのモノが、俺のような愚かなモノが父親など笑わせるだろう」
全く笑いもせずにバケモノは呟く。
その昔、愚か者のバケモノは子を捨てた。
その罪悪感を埋める為血のつながらない捨て子を拾い再び父となった。――だが、バケモノは子を助ける。という言い訳で娘を魔王にしてしまい、自分以上のバケモノを作り出してしまう。
そうだ。
愚かなバケモノは父親という責任から再び逃げたのだ。
「……俺のようなクズは」
魔神王の戯れにより廃墟となった半径5キロにも及ぶ城塞都市に深々と地面にあいたクレーター。その中央で全身から血を流す男――影王の呟きは、綺麗に整いシワ一つないシャツの男と6枚の翼を持つ少女には聞こえていなかった。
この廃墟となった荒野で今現在、地に足をつけて立っている生物は彼らだけである。異世界から来たという男と、魔神王である白髪の少女だけである。近くには数分前まで人であった血だまりと、錯乱して事切れた少女とその母親、そしてついさっきまで意識のあった人類最強を誇るゼノンの傭兵である白鳳院=玄志郎が満身創痍で倒れこんでいる。
「あらら気を失っちゃったみたいだねえ。もっとこの世界の人間が僕の言葉に何をどう反応してくれるか試してみたかったんだけどなあ……残念」
「ベルゼバブ様、こんな下等生物にお言葉など」
「いやいや情報は大事だよ。いかんせん僕はこっちに来てから日が浅い」
「マスターのいうところのゲーム、情報収集の為ですね」
「Such thatそういうことだよアシュタロス」
(や、やべぇマスター超かっけぇ)
まるで初めから自分達しかいなかったかのように談笑している。
どこまでも、どうしても、どうみつくろって表現しても周囲の状況は現実的に「散々たるもの」であった。巨大な城塞都市と形容されていた場所は魔神王の重力によって荒野へ変わり、そこいら中に多々見える地面に咲いた牡丹は人の馴れの果てであり、かろうじて生き残った親子は血のあぶくを吐きながら目の前で絶命した。それを見た人類最強は絶叫し抗おうとしたが重力結界によって指一本動かせず地面を舐め気を失っている。
片膝を付き、這いつくばる灰色の魔人は今一度、この荒野で立っている2名を見た。
――ドクン。音がした。
音として鳴ったかは定かではない。
だだ、その男からはそんな音がしたかのような気がした。
――ドクンドクン。また、音。
「俺のような屑は、まともに生きている資格なんざぁ……ねぇさ」
いつもの口調と異なる。
「俺は屑だ。どうしたって屑のままだった」
――ドクンドクンドクン。空気が歪んで見える。
「だが、お前は違う」
バチッ――何かが弾けた。
「初めから持っているじゃあ……ないか」
ゲームという単語。白いシワ一つないシャツで。始まりの町でたまたま目についた町民に話しかけような気軽さで。初めから持っていた「力」で殺戮を行える。そしてこの男は言った。「ただのゲームじゃないか」と。
――ドックン。ひときは音が高鳴った。
その屑は思っていた。許せるものかと。どんな思いをしたと思うと。俺が人ですらなくなった、人であった時の記憶すら曖昧になるような、長い長い時間を生きてきた自分に。誰よりも人に憧れている自分に。魔になりきれない自分に。ただ、初めから全て持っていたアカの他人である「人間」が。――言った。あの時の言葉を、言ってしまった。最も後悔したあの言葉を、ゲームだからと。そうじゃないだろう、このゲームはそんな簡単なものじゃないだろう。こんなに後悔しているのに。こんなにやり直したいのにだ。
――許せるものか、お前のような【プレイヤー】を許せるものかと。
バキバキに折れている足の骨が悲鳴を上げるが、それは即座に修復される。全身から蒸気が上がり燃えるようにうねりだす。強力な重力と支配抑制を弾き飛ばし、影王は腰を上げた。
「…ん」
白シャツ男は違和感を覚える。聞こえるハズのない音に違和感を覚える。
怒りの音――怒気に。
ブワッ! 突風がおきる。そして、影王は超重力に逆らい完全に立ち上がっていた。
「圧殺結界が破られる……?」
白髪の少女は不快感に少し奥歯を鳴らす。今起きている現象を内心では絶対に認めたくないが、近くにいる主君に動揺を見せたくないから平静を装いながら。
「下位種、お前どうゆうつもりだ? その態度は。魔神王に、ミリの結界にあらがうという事は、どういうことかわかっているのか」
苛立ちを抑え平静を装いながらアシュタロス=ミリ=シナバーラインはクレーターの底に立つ魔人に吐き捨てるようにつぶやく。先ほどまで恋する少女のように男に話しかけていた女の顔は、怒りを隠しきれておらずゆがみつつあった。当然である。オメガレベルである自分の攻撃にあらがえる存在など、この世界に存在するはずがないのだから。全てを知る【導き手】である自分に知らない事などないはずなのにだ、自分の力であれば、地上世界の魔王すら一撃のもとに潰せるはずだ。天使どもであろうと物の数ではないだろう。獄円卓序列4位の自分の力に対抗できるような存在は、序列以上の魔神王か天使の最上位、熾天使セラフィムナイト位のはずなのだ。
「反抗的な眼だな……その赤い魔人核」
抉り出して潰してやる。
魔神王ですらない、熾天使でも、魔王でもない、その下位の魔人ごときに自分の術が破られかけている。それも主君の見ている前でだ。この状況に少女は思う。――許せるものかと。
ゆっくりと、だが万力の力を込めてアシュタロスは掌を影王に向けた。
「すぐ潰さないように優しくしてやれば調子に乗って……これだから」
「どけ」
「は?」
「お前はどうでもいい、どけ」
――ザシュン。
小さな音がした。違和感を感じ、アシュタロスは片手を影王に向けたまま、反対の手で自分の頬を触る。ぬちゃり。血だ。頬をかなり深く切り裂かれていた。が、無原因子核から出る無限の回復能力により血が地面に落ちる前に、頬は復元する。
「は?」
だが、彼女は地面に落ちて舞っている髪が目に入る。そして、いつの間にか腰に黒刀を携える影王を一瞥し、もう一度自分の足元を確認した。
手入れされた美しい白い髪だ。そして、異世界から自分を迎えに来てくれた、待ちに待った主人が初めて褒めてくれた、コンプレックスだった老婆のような白い髪。
「み、ミリの、オレの髪に……き、傷を――?」
「Wait!――待て秘書子ちゃん」
「下位種ごときがあああああ オレの髪にぃいいオレの顔にきずおつけだだとおおおおぁぁ!」
すごあ!
違和感を覚えて様子を見たかった閻王タチバナはアシュタロスを静止するよう止めるが、アシュタロスには届かなかった。
身の丈ほどもあるツノに比例し体が肥大し、体格が女から男のそれへと変化していた。周囲のミストルーン濃度が更にあがり、影王を中心に円形の重力場が発生するが、アシュタロスは更に顔を歪める。理由は目の前の現実――影王は発生した重力場を受けながらゆっくり、ゆっくりとこちらに向かって歩いて来るではないか、一歩づつ足を、地面にめり込ませながら。
「あ、魔人ごときに!」
血管を筋立て驚愕する。自分は手を抜いている訳ではない。魔神どもの頂点である魔神王たる自分が手を抜いている訳ではないのだ。たった1体の下位種に対して。――しかし対象は潰れない。本来ならコンマ1秒とかからず、踏まれた道端の糞のようにひしゃげる筈なのに。
「気に入らん」
「は?」
「気に入らん。お前から出る支配欲も、行動も、そっちの男のヘラヘラしたツラも、言動も、いちいち癪にさわる……」
「何をブツブツと! このクソ下位種ゴトキが! 超魔七罪結戦術プライドブレイカーACT2――万倍の重力だ潰れろ糞虫!!!」
アシュタロスのツノにミストルーン粒子が竜巻の如く集まり大気を震わせる。どころか世界全体が恐怖に震えるかのように揺れ動いた。まるで天災――高位粒子の化身――神のごとき力を持つ魔神の力に異世界が震撼しているのだ。だが――彼女が作り出した重力場が、影王に届くことはない。
「聞こえないか? そうか、お前たちが――」
ずずずずずずずず
影王の背中の皮膚を突き破り、3本の突起物が露出した。それは瞬く間に光を帯び、共鳴するように振動した。まるでそれは人型パイプオルガンが如く協和音を周囲に響かせる。その様子に、今までニヤニヤと笑みを浮かべていたベルゼバブ=ロバーツ=タチバナの表情が一変する。
(何だこの感覚は。……僕の因子核、いや違う。皇鍵が共鳴しているのか。このゲームの説明書係であるアシュタロスは、武装皇鍵はプレイヤーしか持たない特別な武器だと言っていたが)
ガセか……? しかし考えを改める。自身の配下である魔神共、特に目の前にいる低脳メンヘラ男娘ではあるが、マスターである自分を騙す程の度胸があるとは思えない。だとすればは、この世界がゲームの進行とは外れ、本来とは違うルートへ分岐している可能性を加味する。しかし、あくまで仮説である。答えが出るわけではなく。思う。
(何なんだ……あの魔人は)
その感想と同時に、遂に影王は自らの怒気を解き放った。
「――お前達をムカつくと――言っったんだよ!」
――――――――――――どぁ!!!
「図に乗るなああああ、マ、マスター!?」
「抗うな避けろアシュタロス!」
影王の右眼から紅い閃光が射出された。それは発射の瞬間に数倍に膨れ上がり、その後空間の魔法陣を数個通過しながら更に拡大し波動となって、重力場を蹴散らしアシュタロス目掛けて直進した。
瞬時に多重防御結界を攻撃から防御に切り替えたアシュタロスにタチバナから鋭い指示が飛んだ為、寸でのところで正気を取り戻し回避を試みたアシュタロスの右腕を呑み込み、紅の波動は雲を蒸発させ宇宙へと消えていった。
自身の防御がまるで役に立たなかったアシュタロスは無くした腕を気にもせずにワナワナと震える。
「に、21層全ての防御結界を、1撃で――?」
多重防御結界を貫通しうるは、赤眼魔王を象徴する魔法言語、LEVEL3赤眼帝破斬――それを武装七皇鍵に通過させ、万倍にして打ち出した破滅の光である。
影王の周囲に、魔神王以上のミストルーンが集まり渦巻いていく。それはまるで「何故自分だけ」「なんでお前だけ」とゲームの途中で駄々をこねる、わがままを力任せに押し通したい――子供のように。
 




