第8話 彼とソイツと天使と悪魔
その昔――”マリィ”という1人の女がいた。
彼女はソイツの目の前で壮絶な死を遂げ、ソイツはこの世界を地獄と叫び、永久に近い時間を後悔と懺悔と共に生き続けなければならない呪いを背負うことになる。
その昔、”ユウィン”と名付けられた男がいた。
ソイツの想い人は彼の目の前で悲惨な死を遂げた。
彼女はソイツに後悔と懺悔を植え付けてしまった自身を恨み、ソイツを助けることを一心に願った。
その願いが具現化し、誕生したのが”マリア=アウローラ”――ソイツを助けられなかったマリィが欲した。絶大な力を持った戦姫としての自分の姿 ――2人目の”マリィ”だった。
だが、同じくしてその”力”に目をつけた1人の女がいた。
名をタンジェント。――遠い昔、リィナ=ランスロットと呼ばれていた1人の魔人。否、魔人であり人でもある。
更に昔、人を超えし”権限者”と呼ばれる戦姫だった女。
彼女は火の国の魔女”アヤノ”から受け継いだ魔導科学をもって、マリアの体から抜き出した権限の因子を培養、複製し、曙の女神アウローラという戦闘鬼神を作り出そうとする。しかしその研究は百年もの遅れを出すことになった。当時のゼノン王ユアン=ホークアイと、カターノート王イザナキ=ヤマトが転生せし、ヒラガ=イザナキ=カターノートの手によって。
だがしかし、リィナ=ランスロットはほくそ笑む――何故か? それは彼女の研究の真価は戦闘鬼神を作り上げる事ではなかったから。その中身が大事だったのだから。それより遥か以前より、秘密裏に王都に打ち込んだ術式――自身の体に宿りし残りカス――極微量の"権限の力"により打ち込んだ超越魔法天照。それを増幅させる因子の力を培養、造り出すことが目的であったのだから――よかったのだ。
時間は無限にあるのだから。
『そんなんじゃ王様の大切なヒトタチ……死んじゃうよ?』
結果、創り出された”メア=アウローラ”――鬼才リィナ=ランスロット博士が生み出した、かつて黃金覇王と謳われていたマリア=アウローラの複製体。――ソイツの想い人、400年前に辺境の色街で独り生きていた小さな娼婦に瓜二つだった傭兵王国覇王姫のクローン。
同じ人間な筈がない。そうは思っていても、彼女と瓜二つであるメアの言葉と掌で、ユウィンの心は粉々に砕け散った。
彼は思う。
「俺は一体なんの為に」
400年もの年月を生きていたのか。全くもって自慰行為だった見当違いだった。辛い修行も、勇んで手に入れた魔力。不死身の体も、無くしてしまった感情も、記憶も、何も意味がなかったのだろうか。
無くした過去にも生きてきた400年の過去にも何も無かったのではないだろうか。
だってそうだろう。
ずっとあの娘は自分を恨んでいたんだから。俺の事を愛してはいなかったのだから。
彼は怒りと悲しみの感情を持たない。故に、今まで考えないようにしていた事がある。砕けた心の裏側より湧き出る忌まわしい感情。
「やっと開放される」
君の思い出から開放される。
『自由になれる』
だがそれは許されない。
”ソイツ”から生み出された”彼”という不死人は、”彼女の仇を討つ”為だけに創りだされたのだから。産み落とされたのだから。だから許されない。彼の精神に刻まれた”彼女の為に生き続ける”というプログラムがそれを許さない。しかしだ――その対象である彼女が自分を恨んでいたのだ。自分の大切なヒトタチが死ぬと、殺す、という呪いの言葉を吐いたのだから。
黃金の掌が――ユウィン=リバーエンドの魔法因子核を破壊したのだから。
非弱で無力なただの人間に戻れ。
脆弱なあの時の俺に戻って……永遠に独りで生き続けろ。彼女にそう言われているような気がして、自身の存在意義を無くしてしまって、彼は姿を消してしまった。――逃げ出したのだ。
彼は答えを見つけた気がしていたのだ。
己の為に死んでしまったあの娘は、自分の幸せを願っていると信じ、前に進むべきだと言ってくれていると信じたかった。
『そんなんじゃ王様の大切なヒトタチ……死んじゃうよ?』
そして信じようと決意するのに400年もの歳月をかけた。そう思った矢先の出来事だ。彼女の亡霊が現れたのは――あの笑顔は間違いなくマリィだった。
だから俺は――自慰行為だったのだと苦笑し、絶望した。
◆◇◆◇
王都トロンリネージュから数キロ離れた場所に黒い森と呼ばれる深く、深い、遠方から眺めると漆黒を思わせる不気味な森が存在する。地下に眠るアダマンタイト鉱石と黒曜石の影響で特殊な磁場を持っており、熟練の狩人でも一度入ってしまえば脱出は困難を極める。故に皆がこう呼ぶのだ、振り返りの黒森林と。人生に躓いたものの吹き溜まり。そのような者たちが足を踏み入れる場所。決して振り返らずに歩いて進めばそう、いずれ骨と皮だけになって土に帰ることが出来るのだから。
トロンリネージュで”黒”は不吉を意味する。そんな不吉な森の中で、使い、着こまれすぎて毛羽立ち、傷だらけになった黒を着込んだ男が1人いた。表情が苦手なのだろうか、男の顔には全くの喜怒哀楽も感じさせない無表情であったが、身体から滲み出る気配、雰囲気は明らかに悲しみを漂わせている。だが男の頬には流れる涙は無く、只々哀愁のみを撒き散らせるばかりだ。そして、まるで泣けない自分を嘲笑するかのように少し笑い、掌の突き出した。
『Lv1ファイアブランド』
――何も起きない。再び森に静寂が再来した。
彼がかざした傷だらけ手のひらからは炎はおろか、何も生み出されなかった。かつては魔法学園の講師も務めていたその男が、もっとも初級であるLv1現魔法すら使用できないなんて事があるはずがないのに。
「無理か……そうか」
皮肉じみた笑顔で口元を釣り上げるこの男はトロンリネージュ代表選手の1人である。今現在、王都では国をきっての大イベント、トライステイツトーナメント本戦が行われているだろう。賑わい、娯楽の少ないこの時代での最上級の賑わい、エンターテインメントが行われているだろうに、何故この男はこんな所で独りでいるのだろうか。
「俺の魔法因子核は……やはり完全に消失しているようだ」
呟く。
何処か嬉しそうにも見える。
「アイツの……マリィの亡霊」
あの酒場での出来事を思い出していた。彼が彼女、ウエイトレスに駆け寄ろうとした刹那の時、一瞬だけ捉えた”黃金の掌”は男の胸の中心に刳り込まれ、魔法使いの力の源、リンカーコアを破壊してのけたのだ。
この能力は境界の手――ホライゾンという能力であるのだが、男にはそんな事は知らないし、どうでも良かった。彼には十分だったから。
マリィの亡霊――あのウエイトレスが自分を攻撃してきた。これだけで彼の心を砕くには十分だったのだから。
「俺は君に恨まれているんじゃないかと……ずっとずっと怖かった」
そうではないと信じたかった。そうではないと信じるまでに彼は400年もかけたのだから。
「やっぱりあの時……俺が君を守って死ぬべきだったと。あの時君の手を離してしまった俺が……そうなんだなマリィ」
クッっと男の顔がこわばった。今にも泣きそうな表情であったがその男の瞳からは一滴の涙も出ていない。
――ドスッ!
ふいに、何でもなく目の前の大木に拳を打ち付ける。その鍛えぬかれた傷だらけの拳は悲鳴を上げず、逆に大木の方が悲鳴を上げてミキミキと音を立ててへし折れた。彼は何か気に入らなかったのか目を細める。大木から視線を移し地面から出土している黒曜石に向かって、今一度コブシを叩きつける。
――ブシっ。
黒曜石に打ち付けられたコブシから鮮血が飛び散った。拳の骨も数本ヒビが入っているだろう。だがそれでよかった、表情が緩む、だからこそ何度も、何度もコブシを叩きつけた。
何度も、何度も。
どれ位繰り返しただろうか、コブシが晴れ上がり、原形がなくなり始めた頃、男はへたり込んで大地に尻餅をついた。
「あの時……離してしまった掌なんて」
大切な女の手すら離してしまった掌なんて。
嘲笑、そして。
「無くなってしまえばいいか」
晴れ上がった右手を見下してから、反対の手で手刀を作る。右手を切断するつもりのようだ。何の躊躇もなくその手刀は振り下ろされ、男の右手へと吸い込まれ――宙を舞った。
(あぁ……もう、嫌だ)
流れる、流れる、流れる。
男の歩む道を赤い涙が流れる。
男は進む、致死量の涙を流しながらゆっくり、ゆっくりと。そして行き着いた場所――奈落、高々とそびえる丘の上で、落ちれば必ず死を迎えられる谷の上にたどり着いた。
(あぁ……もう、いやだいやだいやだ)
如何に永遠の時を生き続ける呪いを帯びたこの身でも、この高さから落ちれば助かるまい。魔力を失おうとも、切断された右手の出血ごときでは楽にはなれないだろうから。
しかし、男の足は止まった。奈落あと一歩の所で止まった。彼女の為に生き続けるというプログラムが、ユウィンの自滅願望を拒否させる本能が足を止める。が、男は笑う。
(アイツは俺を)
うっすらと笑いながら
(……恨んで)
目を閉じる。
「ごめん……マリィ」
一言、男は女に詫びの言葉を呟いて、
奈落あと一歩を踏み込んだ時――その声が聞こえた。
天使の唄が。
◆◇◆◇
”彼”が声を聞いた時、”ソイツ”にも出逢いがあった。
―――――ガ――――ドンッ!!!!!!!!!
トロンリネージュ最北端――魔人領と人間領を区切る大壁を守護するべく造られた要塞都市ヴァイツブルスト。今まさにそこは混乱の最中にあった。
エルフ族と巨人族の合同で建造された大壁にはミスリルとレンガと魔法言語で組み合わされた特殊な素材が用いられている。いかに魔王の力を以ってしても破壊するのは容易ではない。 その壁に大穴が空き、1体の魔人の侵入を許した為である。
魔人四天王”影王”――アッシュグレイの長い髪、腰に刀を1振、黒一色の甲冑を着込んだ人型の魔人。
魔人と人間の世界を分かつ大壁が崩れ去った事による人々の混乱は尋常ではなかった。400年無かった人の世界、安心して暮らせる生活などに汚泥――”魔”が、恐怖が、異端が流れ込んで来たのだから。逃げ惑う人々、動揺しながらも武器を取る兵士たち、地面に突っ伏して泣き叫ぶ子供など、流れ込んだ”魔”によって、400年隔たりを守ってきた鉄壁と安心で建造されていた壁は破壊され、城塞都市は阿鼻叫喚の地獄と化していた。
しかし、当の災厄をもたらせし魔は周りと比べ静かなものだった。魔人は静かに、ゆくっりと、まっすぐ、街の中心へと歩みを進めるのみ。――正確には王都に向かって進むのみであったから。ある目的の為に。
(……煩わしい)
影王は自分から逃げていく人間達を、満腹状態のライオンから逃げるウサギを見るかの視線で一瞥する。要するにこういう事だ『何もしないから黙れよ』、と。
「「おおおおおおおおおおおおおお」」
そこへ10からなる衛兵一個小隊の精鋭が影王に迫る。
真っ先に飛び出したのは数か月前に魔人の侵入を許してしまったが為、いっそう訓練に励んでいた精鋭揃いの猛者たちであった。市民を護る、トロンリネージュ皇女に、国を守ると誓った誇りを。トロンリネージュ国内へと1体たりとも魔人の侵入など許すものかよ、と。勇んで飛び出した古強者たちである。
城塞都市の精鋭達は魔人との戦闘に備え、防御結界を切り裂ける魔法剣を装備している。
――ガッ、ギン、カカガ、キキン!
しかしだ。
「ば、馬鹿な」
「おのれ歯牙にもかけぬか!?」
トロンリネージュ第二騎士隊ムラクモの面々は全く攻撃が通らず困惑する事になる。そしてその後降って沸いたのは怒りであった。渾身の一撃を弾き返した人型の魔人は全く自分達の方を見もせず、郊外に向かって立ち去ろうとしていたからだ。
「く、くそ、なぜ攻撃が通らないんだ」
「――ありゃ武装気だねぇ」
「玄志郎殿!?」
「待たれよ! 我等が」
「ええい傭兵の手は借りぬ! お控え願おう」
「意気込むのはいいけどさぁ、実際アンタらじゃ無理だよアレは」
戸惑うトロンリネージュ第二騎士隊の面々に割って入った袴の男――腰に大刀を下げ飄々と語る。
「それにさぁ、あの大壁を破壊したのはまた別の力だ。無理だって、ありゃ魔人の中でも上位種だ。恐らく噂に聞く魔人四天王辺りかじゃないかなぁ」
「魔人領の最高戦力!?」
魔人領マカハドマの頂点に位置し、桁違いである100万ルーンの魔法出力を有する魔王キャロル=ディオール直下4体の上位魔人族――最古参の魔獣ラビットハッチを筆頭に、冥王ヘルズリンク、雷帝キリン、魔剣影王。四天王は達は各個体で一部魔王をも凌駕するステータスを有する。
「だからさぁ、黙って任せなよ。こういう時の為に君らのとこの姫さんがオイラ達を呼んでたんだからさぁ……なぁ、クンネのダンナ」
「……兵を下げ、大壁の修復に向かえ。ここは我ら天涯十星が受け持とう」
気配無く現れていた大男に、トロンリネージュ兵達は驚きを隠せなかったが未だ場を引く気はないようだ。責任感と忠誠心に優れた良い兵士たちという事が伺える。
「し、しかし」
「お願い申す」
ゴァ!
大男の体からオーラが立ち上る。
尋常ではないその気配と、ダンナ。と呼ばれていた男の表情に兵達は戸惑いながらゆっくりと、オズオズと、だんだん足早に兵を引くしかなかった。
天涯十星ラスティネイル――傭兵王国ゼノンが誇る人類最強戦力である2名が焦りと警戒色を強めていたのだから。既に早々に避難した市民はもちろん、兵すらも誰もいなくなってしまった広場で、ゆっくりと自分たちに背を向けてひたすら歩みを止めない影王の背を見ながら、袴の男は語る。
「黒派のダンナ、あれはヤバイね。例の奴だね」
「クロード殿の報告にあった黒の人型魔人……恐らくトロンリネージュに向かう気であろうな白派の小僧」
「魔人影王……まさかあれ程までとはねぇ。
あぁやだやだ。妹がトーナメントに出るって言うもんだからしゃーなしにこんな辺境まできったてぇーいうのに。よりによってまぁ予想通りトラブルとはねぇ。アンリエッタ姫さんってばホント優秀よねぇ」
腰に大太刀をさした男がやれやれ。ポーズと取ると同時に。となりの大男から立ち上がっていた水蒸気、オーラが鋭く尖り、弾ける。
「故の我々だろう」
「故の天涯十星だもんねぇ。ダンナ、アンタの能力で結界を切り裂いてくれ。――オイラが殺る」
ズォ!
袴の男からも尋常ではないオーラが放たれた。まさに研磨された鉄の杭。故のラスティネイル。故の人類最強。故の人外と詠われる2名の気による威嚇に、影王の歩む足が止まる。
「おぉおぉ、やっと歯牙にかけてくれたようだねぇ奴さん」
影王の背中を鋭く睨む袴の男と大男、最初にが構えを取ったのは後者。大きく、しかし鋭い。
「天涯十星ラスティネイル5位”蓮灰黒”――メッシーナ=クンネ=フランヴェルジュ……いざ」
「暗部のくせに名乗りを上げんのぉ? 相変わらず硬いねえダンナは」
でもま。
袴の男も構えを取った。腰の鞘に手をかけ、低く、低く、地面に顎が着きそうなほど低く。
「オイラこそは天涯十星第6位ぃ”乱白華”――白鳳院=レタラ=玄志郎なり!」
すぅぅぅぅぅ。
大きく息を吸い。凛とした声。
「魂に従い」
「天に吠えよ」
「天涯の極星よ」
「輝き給え」
交互に、淡々と、だが少々嫉妬を混ぜて、天涯十星どもは詠う。
「「王と我らとゼノン十字星に黄金のご加護を!」」
ズバッン――――
まさに閃光。
瞬きする刹那の時間。相手に背を向ける影王はこう考えていた。
(あの2名のうち、どちらか1人ならまぁ問題ない相手だろう……だが、2名に同時になら)
わからんな。
技の武装気アスディック――相手の力量を読み、位置を把握するオーラスキルである。影王は心、技、体の武装気すべてを極限まで昇華させている限界者であるが相手は2名、さらに並の魔人なら一撃の元屠る事が可能であろう極級クラスのオーラの手練。しかし影王は途中で考えるのをやめる。そんなことはどうでも良いと。
(早く王都へ)
少しの焦りと怒りがあった。
ソイツの因子核から漏れる感情。一刻も早くトロンリネージュへゆかなければと。
「……やれやれ。人間め」
腰の鞘に手をかけた刹那既に抜き放っていた影王の黒刀が後方に弾かれる。
「チッ」
舌打ちする影王。
既に間合いを詰めていた玄志郎の大太刀が影王の愛刀ムラクモを間合い外に押し上げ。――大男、メッシーナが放つ両の手刀が影王のキリングレンジに抉り込まれた。
(アマい)
人間相手ならば当然この時に勝負は決まっていただろう。キリングレンジ――絶対殺傷領域にノーガードで立っているのだから。だが、影王は魔人である。身体能力は人間であったときの16.4倍、動体視力に至っては20倍近い。更にソイツに与えられた不死の時間はオーラの基礎原則心技体、心気、技気、体気、全ての武装気を極限まで高めさせている。
故に「アマい」。武装心の気シィ――五感を強化し、高めるオーラスキル。武装気を極めた影王の五感強化倍率は通常時の10倍である。それが魔人の動体視力と合わさった時、並みの人間の200倍になる。その眼力は迫るライフルの弾でさえ黙視するほど。
((――――!))
ごっ!
「弾いた筈の剣を!?」
弾かれた筈の攻撃を更に攻撃に転じられ、まだこちらの攻撃が相手に届いていないこの状況。これは相手のスピードと反応速度がこちらより5倍は速いと判断。
「そぉぉぉ来ますか!」
影王とメッシーナと玄志郎の攻撃が交差する。――その時。
「ダンナぁ! 今だ」
「武装特式――」
メッシーナの放っていたのは攻撃にあらず。防御である。
「断絶碑石!」
――ガギン!
黒刀がメッシーナの目の前で停止する。突如現れた銀の障壁に影王が舌打ちし、全腕力を込めて押しきろうとするが微動だに動かない。
「……特型か」
「我が能力は絶対防御だけにあらず」
瞬間障壁が2つに割れ、衝撃が影王を突き抜ける。
「こ、れは」
違和感――魔人の体表面を覆う防御結界。それが丸ごと剥がれ落ちる感覚。魔人因子核の一部が異常を訴えているという事である。左目の激痛に流石の影王も無表情を苦痛に歪め目を押さえた。
「魔人核は左目か――殺れ! 玄志郎」
「アイアイ!」
「小賢しい」
激痛の中再び影王は体制を立て直す。相手が間合いに入ってからコンマ数秒の出来事の刹那、即座に体制を建て直せしめたのは400年からなる膨大な戦闘経験故。だがそんな経験の中での始めてみる特式能力に剣先に焦りが生じる。焦りは影王の剣閃を鈍らせた。
「さっきより遅いよ大将!」
玄志郎は間合いを急激に詰める。だが、焦っていたとしても斬速と踏み込みの速さでは影王の方が倍は速かった。故に訝る。
(それがわからない奴らではない筈)
解らないままに――影王の黒刀が先に玄志郎を捉えた時だった。黒刀が空を切ったのは。
「残像だと」
「武装特式――転移疾走!」
玄志郎は影王の背後に回り込んでいたのだ。
「コイツも特型か」
「白鳳院流奥義――桜花乱舞!」
ズザン――――カカっン。
「つぁぁ悪いダンナ、今ので仕留めきれないとなると、ヤバイかな」
「まさかあれを外せるほどの速度とは……」
一度3名は距離をとった。平然とした無表情ではあったが、影王も無傷では無かった。変則型の兜が切り裂かれ素顔を晒すはめになり、長い髪からは額の出血により血が滴っている。
(煩わしいな……使うか)
ずずずずずずずず……
「な、なんだ!?」
「おぁ? じ、冗談じゃねーよ」
影王は訝る。
内なる力を解放しようとはしたが、まだ気づかれる程気配を出した覚えはない。
そして理解する。ラスティネイルの2名は自分を見てるのではないのだ。自分の背後に立っている2人を見ているのだ。
この世界に似つかわしくない。パリパリの白シャツをだらしなく着込んでいる男と、小さな少女を。
人類最強の天涯十星は震えていた。白シャツの男の方ではなく、小さな少女にだ。ただの小さな少女にだ。"少女"と形容してはいけないところはひとつだけ。少女の同身長程もある角だけではあったが。
「いや~~~あっはっは要塞都市って本当にあるんだね~漫画とかのでっち上げかと思ってたんだけどさ」
「マイマスターが観光を楽しんでくださって何よりです」
白シャツ男がゼノン2名をチラリと一瞥する。
「ねーねー秘書子ちゃんヒショコチャン!? 君もあれぐらい戦えるのかな? 僕もそろそろ戦闘シーンが見てみたくてさぁ」
「空から眺められていた先ほどのアレ……でございますか?」
男に続き、角の少女が一瞥する。男と違うところはひとつだけ。人、を見る目では無かったという点。邪魔な道端のフンでも見たかのような視線であったという点。
ラスティネイル達は俄然動けない。先ほどまで果敢に動き回っていた人類最強は完全に金縛りにあったがごとく動けない。自分達が索敵武装気を使えたことを後悔していた。――目の前の少女は”異常”だ。人類最強を誇る自分達ゼノン傭兵が、物差しで測れない程の”異常な強さ”を感じるが故の萎縮である。
「ププん…あ、失礼を。あんなものが戦闘と言えるのかは解りませんが、造作もないレベルかと」
(……)
今迄会話を聞き流していた影王はゆっくりと踵を返した。空気を読んでいたのは白シャツの男の会話に、どこか懐かしい単語が混じっていたような気がしたから。しかしそこにも興味が薄れてきた。だから当初の目的を優先しようと思う。
邪魔な奴らのやる気を削いでくれるのなら都合がいい。会話の内容にも興味はなくなった。足早に王都へ向かおうという所だが。
「まぁ地上における我が軍勢、魔人族程度ではアレくらいの児戯を戦闘、と呼ぶかもしれませんが」
「へー僕はまだ秘書子ちゃんと位しかまともにこっちの同族を見たことはないからねぇ、魔人かぁ、あのさっさとどっか行こうとしてる彼が魔人かい?」
鋭い視線が影王に向けられた。
「――膝まずけ」
(――!)
ガクン。
少女の言葉に立ち去ろうとしていた影王のひざが折れる。
(なんだ、これは……く!)
膝が地に着いて動かない。
そして左目の魔人核が激しく痙攣しだした。これは服従心――強制力だが。
(こ、この感覚……は、キャロル以上、魔王以上の……だが)
影王は全筋力をもってそれに抵抗。何とか再び立ち上がるが。
(キャロルのものとは違い、煩わしい感覚だな)
「私のマスターを無視して前を横切るとは……潰しますよ下位種め」
「成る程、な。お前らがなんなのか、は、理解した」
「口の聞き方を――」
「まあまあアシュタロス。いーじゃないか反抗的なのが少しいた方が。べリアル辺りも同じようなものだしね」
「マスターの器の大きさは理解しております。しかし統率は私の仕事ですので」
「あははー秘書子チャンは働き者さんだねー」
強制力で身動きが取りづらい影王を横目に流し、白シャツ男はラスティネイルの2名に向き直った。
「さっきみてたんだけどさ、一度やってみたかったんだよねアレ。ここはゲーム的にやってみよーかなってね」
「じこしょうかいですか?」
「ちーがーうーよー秘書子ちゃん。こーゆー時は名乗りをあげる。が、ただしーでしょ」
では。
瞬時に言わんとする事を察した少女は主人に一礼。
アシュタロスは影王、玄志郎、メッシーナを微かに見たのち、フイに右手を上げた。
「「「――――――――!」」」
バゴんっ!
瞬間2名と1体は地面に突っ伏した。
さっきと違う点は2つ。影王の渾身の力でも身動きが取れないという点と、同時に城塞都市4分の1を越える建物が全て紙のようひしゃげたという点だ。
「私は72柱が魔神の1人にして魔神王――獄閻卓第4席”魔女”――アシュタロス=ミリ=シナバーライン」
(上位種……そういう事か)
(な、んて、力……こ、これじゃあさぁ)
(ありえん化け物過ぎる……あ、あんな生き物が存在するなら)
この地上の生命はどうなってしまうのか。
地面に這いつくばった者共を見ながら白シャツ男、プレイヤーは笑った。
地獄の7王の頂点――閻王の称号を持つ覇王が1人。
「僕はベルゼバブ=ロバーツ。異世界から来た君らの敵さぁ」




