第7話 異世界から来た――
その昔――――という人間が居た。
現在から数百年あまり昔から、人間領最大の国家トロンリネージュと、魔人領マカハドマとの境目にブルスケッタと言う色街が存在する。スネキズ物だらけの、コブ付きだらけの、訳あり者だらけの歓楽街、吹き溜まりの街――そこに何の前触れもなくただ、急に、場違いに、フラリと現れた ”ソイツ” は妙な男だった。
トロンリネージュでは、黒は不吉を意味する。
死肉を貪るカラス、遠くからこちらを伺う黒猫、主に魔人領から多く発掘される黒曜石の黒、闇の色――不吉な”黒”を纏った男――ソイツは、どうやって裁縫し、染め上げたのかも解らない真っ黒な革の服を身にまとっていた。不気味に見えた。辺境の色街で生きるナラズ者達ですら怪訝に思う姿の”ソイツ”に、初めに声を掛けたのは、とてもとても小さな娼婦だったそうな。
「変わった服装だねお兄さんっ」
背丈だけで言えば中学生程度の女子ともいえる。だがしかし、その女の顔は非常に大人びて見え、子供がそのまま大人になったような、綺麗なのだけど愛嬌があるような、ドレスを着て牛丼屋に入りそうな、そんなアンバランスさを感じさせる女性だとソイツは思った。
彼女は不吉な黒を着込んだ男に全く物怖じせずにこう言ったという。
「私、マリィ=サンディアナ……貴方は?」
「マリィ? あぁ俺は――――だ」
答えた彼に娼婦は怪訝な顔で小首を傾げる。
「え?……ユウィ?」
「あぁすまん――――という。珍しい名前かなもしかして」
「ユウィン=チー? ゴメンちょっと発音が独特ねっ……東方の人?」
男は苦笑する。何処か皮肉じみた表情でこう言った。
「呼びにくければユウィンで良いよ」
それを聞いて彼女は笑う。
「あっはは♪ それで良いんだ」
テキトーな人だなと女は笑う。
「じゃあ宜しくユウィン」
でね? 私思ったんだけど貴方って。
無駄に楽しそうに喋る女につられて、ソイツも楽しそうに笑う。
彼女の笑顔は太陽を思わせた。ある人は1日の始まり、ある人は仕事の終わり、爽快と開放、清々しい、華やか、気持ちが切り替わるとそう言われる。だが、絶対に登らなければならない太陽は何を思うか。懸命に期待に応えなければいけない、誰かの為に笑顔を振り撒かなければならないと、マイニチ毎日マイニチ毎日無理をして空に登っているのではなかろうか。
不治の病を持った女――名をマリィと言った。
ソイツは思った。
この太陽を沈めたくないと。
助けてやりたいと、いや恐らくその感情は違う、ソイツは太陽に手を伸ばしたのだ。己にない光に手を伸ばした。闇ーー元の世界へ捨ててきた。後悔と後ろめたさを埋めるため、己を照らそうとする太陽に。自分だけのモノにしたかったのだ。手を伸ばし、掴みたかったのだ。そしてソイツは、太陽をその手に掴んだのだ。
「人皇殿は?」
「はい、ユウィンは隣の部屋で寝ているはずです……よほど疲れたんだと思います。アナタを見つけるために何日も不眠不休でしたでしょうから」
「全く無理をする……何の力もないただの人間が」
「そこがユウィンの可愛いところなんですよっ♪」
とある色街にある借家の1室で女が2人。
ブラウンの髪を揺らして笑顔を作るマリィと言葉に顔をしかめる赤い髪の女、アヤノ。
「アヤノ様…正直私、貴方が私を助けてくださるなんて……少し意外でした」
「フン……貴様の持つ病は元はワタシの出したバグ――ウイルスだからな」
不治の病はアヤノの力によって解除され、マリィの体は全快していた――しかし。
「それでも嬉しかったかな……そして初めまして、アヤノ……お姉ちゃん」
マリィの言葉に、アヤノはしかめ面を破顔させる。
「おね!? ちっ……確かにワタシ達権限者は因子を受け継いだ姉妹みたいなものだが……調子の狂う女だ。人皇もこんな乳だけ大きなチビッ子を好むとは、感性を疑うというものだ」
そっぽを向くアヤノにマリィは言う。
ベットから上半身だけ起こし、まだ少し熱があるのか、顔が熱っぽかったが。
「羨ましいですか?」
「フン」
「ユウィンが私を選んだのが?」
「……く」
「ぷぷぷっアヤノ様可愛いっ」
子供のように笑うマリィに一瞬嫌な顔を見せるアヤノだが、すぐに真顔に戻し。
「全く、権限者でなければ炭にしてやる所だが」
「……でも大丈夫ですアヤノ様。病気が治っても、私の命はもうすぐ尽きちゃうから」
そう言うマリィの身体から黃金の霧が立ち上がるが、霧はすぐに力なく四散する。
「権限の力が急速に失われつつある……お前、人皇に力を譲渡したな。バカが、あれは主皇因子核を完全に使えこなせねば――」
「わかってる……バカなのは」
アヤノの言葉をマリィは遮る。
「でも、ユウィンが痛い思いをしたらどうしよう、ユウィンが辛い思いをしたらどうしよう、ユウィンがこの世界を嫌いになっちゃったらどうしよう、ユウィンが、ユウィンが、ユウィンが、ユウィンが……」
得意の笑顔に影が差し込む。
「ユウィンが私を助けるって言ってくれたことを……諦めちゃったらどうしようって」
「道理で何の力もない人皇殿がワタシを見つけ出せたはずだ……黃金武装気の加護を受けていたのだから」
「せっかく、せっかく見つけてもらったんだから……アヤノ様よりも、もう一人の姉妹……神の器よりも早く」
「お前の権限の力、”乗倍譲渡”は人皇を守護し、力を与える。しかしその代償に」
「自身の生命力をも譲渡する」
「それをわかっていながら命を削るとは……まだ始まってもいないこの世界の理の為でも、プレイヤー同士の戦いのためでもなく……自分の為に」
「ふふふっ♪」
何が可笑しいのか、冷静なアヤノの顔に苛立ちが差し込む。
「やっぱり姉妹で似てるのかなぁ……アヤノ様と私は」
「……知っているのか」
「いいえ? なんとなくだけどねっ。私……私は思ったんだよ」
『俺が、俺がお前の病気を治してやる……魔女を見つけてやる!』
それはトロンリネージュ王都へ行った帰りの事――。
「病で血を吐く私の為に……ユウィンが言ってくれたあの時に」
アヤノも思い出していた。今より遥か過去――西の大陸の錬金術士に秋影という青年が発した言葉と。自分を探しだしてみせた異世界の男が発した一言を。
『俺の女を助けてください』
同じ言葉を。
「だから私思ったの……この人の為なら死んじゃっても良いなぁ……って」
マリィはニッコリとそう言った。
「…………バカめ」
「バカです……だからユウィンは、私が護ります」
「無理だ。その身体では下級魔人すら倒せまい」
「それでもこの命……残りの”黃金”を全て使ってでも」
全く、姉妹揃ってバカばかりだ。アヤノはそう小さく呟いて踵を返した。
「人皇殿のマスターコアはワタシの権限で封じてある……お前のやったことは無駄になったな」
「……え?」
マリィの視線を背中に感じながらアヤノは言った。
「マスターコアが機能しない限り人皇殿はプレイヤーではない。世界の理から外れていると言えるだろう。だから……お前の残りの寿命全部、あの男と過ごせば良いだろうさ」
アヤノはドア、部屋の出口に向かって歩き出した。もう逢うことは無いだろう。その足取りにはそんな気配を感じさせた。
「お姉ちゃん!」
アヤノの足が止まる。
「ありがとう……アヤノお姉ちゃん」
「…………」
アヤノは黙ってノブに手をかけ、少しだけマリィに向き直る。
「人皇殿はお前が太陽のような女だとか言っていたがな」
「?」
「お前は桜だ……知ってるか? 火の国に1本だけ咲く黃金桜の唄を」
マリィは小首を傾げる。
「1年に何度も花を咲かせる”黄乃覇桜”にちなんでの唄だ。ユウィン……か、お前がそう名付けた男に伝えてある……アイツが起きたら聞いてみるが良い」
ノブをひねって扉を開ける。
「最後に1つ……ユウィン=リバーエンド……人皇殿の元の名は何という」
少々照れた声色で話すアヤノに、マリィは少し吹き出しながら。素直じゃない年上の姉を見送るようにこう言った。
「それは……私だけの秘密かなっ」
「フン」
アヤノは少しだけ口元を歪めて笑い。
「何度となくも咲き誇る火の国の桜が如く……また逢おう我が姉妹」
それが彼女達の最後の会話だった。
これは今より400年も昔の出来事――
太陽を思わせる娘の名はマリィ――ソイツに新たな名を与え、魂に後悔を刻みつけた女。
彼の名はユウィン=リバーエンド――異世界で新たな人生を歩もうとした哀れな男。
全ては世界の始まりより生きる2人の女。
メインユーザーを恨むイザナミ=アヤノの間違いと、プレイヤーを待ち続けたまま老婆となった女――アヤノとは違い、人為的に不死身の肉体を手に入れた権限者、リィナ=ランスロットよって歪み、こじれている。だが、ルナティックアンブラは問題なく進み、この箱庭は何もなかったかのように進み、ゲームはプレイヤー達の気持ちなど関係なく進み……やっと。
始まりを迎えようとしていた。
地獄の七皇の頂点――闇王ベルゼバブ。
四体の熾天使の長――光皇ミカエル。
魔女、黃金、方舟を携えし――人皇ロードオブクラウン。
異世界へ転移された3名の人間は死するまで戦う運命を課せられる。そして400年後の今日――失った恋人の思い出に苦悩するユウィン=リバーエンドは、自分と同じ覇王の因子、”主皇因子核”を持つ宿敵と初めて出会う事となる。
天空の覇王――天使族を従えし光皇ミカエル=テイラー。
だが彼女は、王という幻想、イメージから著しく遠く、異なる存在だったそうな。




