表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
87/126

第1話 貴方を護る翼

 挿絵(By みてみん)


 

 魔人影王――彼は無益な殺生は好まない、他の者に比べて比較的温厚な魔人である。

しかし目の前の不幸を嘆き、他者の為に怒れる鬼と化す気性は魔人族の中でも随一でもある。――それはそのはずであり、彼には魔人として誕生した時の記憶が無く、人に4つあると言われる感情の怒りと哀しみしか持ち合わせていないからだ。

 

 今から150年前、肥え太った人間の貴族達にオモチャにされている少女を見た時、彼はその娘を助けようと思った。貴族達に対して怒りを露わにし、1人残らず叩き斬ってやる……そう思った。針金で固定され、奴隷としての底辺を味わっていたアンナ=デイオール、後に魔王キャロルとなる少女を助けて育てようと思った。


 奴隷に同情し、醜い人間どもを殺す、そこまではいい。しかし魔人であるその男は、何故人間の少女を育てようと思ったのか。――先に述べた通り、彼は自分を魔人だと認識した時には記憶を一切失っていた。何故俺はこんな所にいるのか? 何故俺の体は黒く染まり、短かった髪は腰まで伸びているのか? そして何故自分は不死身の魔人になってしまったのか? 解らない。何故か魔王の命とも言える紅い結晶球1つを握りしめ、何も無い丘の上に居たのだから。


 それからしばらくして影王は同じ魔人族の一派と出逢うことになる。エルフの魔人――キリンと呼ばれる女が率いる一派だった。

 当時初代魔王レッドアイは紅い魔女率いる連合軍によって破れ、散り散りになった魔人達は、2つの派閥に分かれていた。紅い魔女に奪われた魔王の魂、魔王赫核アルターコアを奪還し次期魔王を狙うラビットハッチ一派と、魔王は相応しい継承者が現れる迄待つべきだと論ずる、若くして強力な魔力を持つ雷の魔人キリンが率いる一派との間で闘争が繰り広げられていた最中であった。

 ある時期をキッカケに、姿を消していた影王の姿を確認した魔人の1人がこう言った。


「流石陰王(カゲオウ)様! 魔女から魔王赫核アルターコアを奪還されたのですね! 使徒の秋影様はどうされたのですか?」


 赤い結晶を片手に影王は頭を捻った。全く意味が解らなかったからだ。後に、他の魔人から聞いて推測したのだが、自分は一切の魔力と多才だった特殊能力と自身の分身――使徒を失っているようだった。その代わりに、体が覚えていた剣技――魔人剣と呼ばれる技だけが新たに備わっていたらしい。


 ここから記憶を失った影王はキリンと共に魔王赫核アルターコアを架けてラビットハッチ率いる派閥と飽くなき闘争を繰り広げる事になるが、その最中――魔人族の中で最強の力を持つラビットハッチが【魔人殺し】と呼ばれる人間によって討たれる――その機会を逃すまいと影王、キリンの一派はラビットハッチ派を畳み掛け、闘争に勝利したのだ。


 それから数年後、影王が拾い上げた少女アンナ=デイオールを魔王に据えることによって魔人同士の戦争が完全に集結。軍を率いていたカゲオウ、キリン、単独派だったヘルズリンク、そして新たな魔王の力により魔人核から蘇ったラビットハッチ、この4体は新たな魔王キャロルを守護する最高幹部、魔人四天王として即位、居城ウバラスイレンから縮小していた魔人領を世界の3分の1にまで復興し今に至る。


 ここで話を戻そう。 

 何故カゲオウは人間の少女を育てようと思ったのか。

 確かに影王には記憶はなかった。だが、此処に来る・・・・・前の記憶はあったのだ。捨てた妻子の思い出が、30年近くの人生が、あったのだ前の記憶は――


『俺は妻と子を捨てた』


 その後悔の念、彼は魔人の身でありながら出来なかった父親を演じているのだ。


 ただ、何故自分が不死の魔人となってしまった過程がどうしても解らなかったし、思い出せなかった。


 そう、今から約400年前、紅い魔女イザナミ=アヤノ=マクスウェルによって一度肉体を破壊され、再び"他者"として蘇った事は――彼の預かり知らぬ話であるから。



挿絵(By みてみん)



 ◆◇◆◇



「フヨウ、もう大丈夫だ構うな……傷はもう治った」


「影王様まだ動いては駄目ですっ ラビットハッチ様の大きな拳で頭が半分吹き飛んだんですよ? 後遺症が残っては大変ですからお世話させてもらいますっ!」


「お前はキリンの使徒だろ……俺にばかり構っていて大丈夫なのか」


 影王の言葉にフヨウは、名の通り花が咲いたかのように笑顔を輝かせる。


「はわわ影王様ぁ……わ、わたくし如き賎しいメイド使徒に労いの言葉をくださるなんて何てお優しい……やっぱり他の御主人様とは違いますぅ」


 此処は病室である。

 魔人領マカハドマの中心、魔人達の居城ウバラスイレンにある医務室だ。上位の身分を持つ魔人の為に作られている為、他の部屋より大きく防音性も高い作りとなっていた。

 強力な再生能力を持つ魔人達や不死身の使徒達に医務室など必要あるのだろうかと思うかもしれないが、此処は魔王であるキャロルの機嫌を損ねた者達が担ぎ込まれる場所なのだ。魔王の攻撃には下僕である魔人の再生能力を著しく低下させる呪いが添付される為、思うのほか利用者が多い。


「でもでも影王様はまだ無理したらだめですぅ~」

「お、おいフヨウ……」


 上半身を起こした影王を、フヨウはまるで駄々をこねる子供を無理やり寝かしつけるように布団を掛ける。


 先日、イチゴ畑でのラビットハッチとの戦闘で頭部を破損した影王は現在集中治療中なのだ。が、もうすでに2週間も経っているので吹き飛んだ頭の半分は完全に治癒しているのだが、どうもこのメイド型使徒は「まだ安静にしなきゃダメですっ!」と言って帰してくれない。自分を心配してくれているわけだから邪険にも出来ず影王はホトホト困り果てていた。


「魔人に優しいもクソもあるか……女に優しいのはヘルズリンクの位置付けだろう」


 同じ魔人四天王、吸血鬼の魔人紳士が頭をかすめる。彼は食料となる人間の女と、自分の4人いる女使徒には異常に優しいのだ。


「えぇぇ~? ヘルズリンク様は女性に優しくしてる自分に酔ってるだけですよぉ~ナルシストはわたくしの好みじゃ無いんですぅ」


(やれやれ……”俺は好みだ”そう言ってるのかこのメイドは……いやまさかな)


 心も文字通り身体も心も黒い俺に好意を持ってくれるような女はいないか。考えを訂正して嘆息する。


「さぁさぁ影王様は病人なんだから横になってください。ご飯作ってきましたから」


「……な、なんだと」


「今日はピーマンを香草蒸しにしてみましたぁ」


 影王は全く表情を変えずに焦る。これが人の身ならば程疾走ほどばしる汗がダラダラ流れていただろう。病室で意識を取り戻してはや1週間、フヨウは毎日毎日病室に手料理を持ってきてくれるのだが。


「エルフは野菜にあまり手を加えないのか……」


「流石です影王様! 素材の持ち味を活かすのがキリン様の故郷、エルフ領ロストキングダムの伝統料理なんです」


 ……成程。

 影王は表情を全く変えずに苦笑する。フヨウはハーフエルフの魔人であるキリンの分身である、主人と味覚の好みが似通るのも当然といえば当然だ。しかし人間の魔人である影王にはフヨウがスプーンで丁寧にすくい「はいあ~ん」する物体の数々がどうしても料理に見えなかった。まず魔人領のピーマンは黒い。影王はピーマンが嫌いである。そして香草蒸しの香草が臭い。サラリーマンの革靴みたいな臭がするのだ。そしてそのままの形で蒸しただけで味付けの無い料理なのだ。この一週間ネギ、玉ねぎ、パプリカ、ピーマン、玉ねぎ、パプリカ、ネギ、そして今日は再びピーマンとなった。要するに嫌いな野菜の上、人間の味覚には合わないのだ。


(しかし時間を掛けた丁寧な調理だ……折角作ってくれたのだろうから)


 はいあ~んされた料理、というかただの臭いピーマンに無表情にかぶり付く。


(うむ不味い)


「はわぁぁぁ影王様が今日も食べて下さったぁぁ」


 フヨウは何故か顔を真赤に高揚させて蔓延の笑みを浮かべる。作った料理を食べてもらえるのは嬉しいものだ。影王の趣味は実は料理の為、その気持ちはよく分かる故の配慮だ。


(そういえばキリンは俺と同じものを旨そうに食べていたな……コイツが料理下手なだけではないか)


 思うが口にはしない。

 盛り付けが凝ってるだけでただ蒸しただけの黒いピーマンを無理やり飲み込んでから気になっていた事を伺う。


「……そういえばフヨウ、キャロルの飯はどうしている」


 先日、影王は不用意な一言でキャロルの逆鱗に触れ、1ヶ月近く謹慎を食らっていた為病室とはいえウバラスイレンに戻ったのは久方ぶりだ。娘のキャロルはとてつもなく偏食の為フヨウが作った料理を食べるとはとても思えない。娘の健康を心配しての一言だった。


「あぁはい、タンジェント様の実験体に料理が出来るのが居るとの事で手伝ってもらっています」


「何? タンジェント研究所の戦闘人形か」


「はい、旧式のオータイプらしいのですが、これが中々好評のようで」


オータイプ……メアとは異なる実験体か」


 正直影王はタンジェントが好きではなかった。

 彼女は人でありながら魔人に与する不死人。その研究所の有様は魔人の道徳をも超える非人道的な散々なものであるから。


 そして思い出す、あの奴隷の少女を。


「メアがどうなったか知っているか」


 最近、影王の白昼夢に出てくる黄金の翼を持った女――彼女によく似た奴隷の少女。


「あの時畑に居たアウローラタイプの奴隷ですね? ヘルズリンク様とタンジェント様と共にゼノン経由でトロンリネージュ王都へ進行されました」


「メアが進行だと!? 何故だ誰の命だ」


 影王の表情が一変する。フヨウはビクリと身を震わせた。


「は、はい、タンジェント様の御進言をキャロル様が許可されました……メアはアウローラタイプの究極体として作り変えられたようで……長年の研究の集大成との事でタンジェント様も非常に喜ばれて――ど、どうされました影王様!?」


 心臓に激痛が疾走る。影王は胸を抑えてうずくまったのだ。


(チッ……何だこの痛みは、奴隷が一人いなくなっただけ……奴隷は家畜だ。俺は魔人なのだから)


 ドクンドクン。

 胸の痛みが収まらず、影王の無表情が苦痛に歪む。心配そうに俺を覗き込むフヨウの後ろに女が見えた。


(ち……また白昼夢おまえか……失せろ、俺はお前など知らない)




 実体のない幻想(まぼろし)、黄金の翼を持つ女は影王に向かって悲しそうに微笑んでいる。


『あの娘は黄金の力を植え付けられた人形――悪い魔女に作られた私達・・のクローン』


 夢のクセに遂に俺に語りかけてきやがった……更に訳の分からん事を勝手に喋り出しやがってと苛立ちながらも、彼女が言っているのは自分が気にしている奴隷、メアの事なのだと推測する。


(アウローラ……100年程前に死んだゼノンの覇王とか言う……)


 傍らでフヨウが自分に心配そうな顔で何かを言っているが、まるで空間から切り離されたように何も聞こえなかった。黄金の女と自分にしかチャンネルが繋がっていないかのような不思議な感覚。


 幻想おんなは続ける。


『そう、マリア=アウローラの細胞から作られたのがメアちゃん。顔が私とそっくりでしょ? でもマリアはオッパイちっちゃかったんだけどメアちゃんは私と一緒で大きいんだよ。変だよねぇニャッハッハ』


 急に砕けた表情で話しだす幻想おんなに影王は困惑するが。


(……お前がその笑い方をする時って大抵、言ってて恥ずかしくなった時だよな)


 そう呟いてから影王はハッと我に返る。俺は今、何を言ったのか。 


『さっすが解っちゃうんだぁ~ニャハハ』


 俺はこの女を知っている? 誰だった? しかし痛烈な激痛で右目の魔人核を抑え、思考は停止する。


(チッ……うるさい黙れ! 俺は魔人でメアは奴隷だ! 奴隷の1匹や2匹死のうが生きようが知った事か!)


 怒号と同時に黄金の翼が影王を包んだ。優しく優しく聖母のように、男の中の魔を包み込み諭すように。


『確かに貴方は魔人……私の為にそうなってしまった弱く、優しい人……』


 困惑した。

 俺はこの女を知っていて、コイツも俺の事を。魔人となる前の空白の過去を知っているのか? お前はいったい……誰なんだ。 


『貴方の本能のままあの娘を……助けてあげて? 作られて、恋をして、弄られて、人形になってしまった可哀想なメアちゃんを。あの娘は貴方を待ってるよ……』


(この女、何でも知ってるみたいに……)


 いつも急に出てきて自分がしゃべるだけ喋って消えていく黄金の女。しかし言葉とは裏腹に全く苛立ちは無かった。怒りの魔人である影王が。


『貴方も彼女を助けたいと思っているはず』


(お前は一体誰なんだ)


 女はニッコリ微笑む。その笑顔は太陽を思わせた。


『3人の権限者ヴァルキュリアの1人……』


(権限者……だと)


 聞き慣れない言葉。

 今の影王が知るはずもない、メインユーザーに召喚されたプレイヤーと呼ばれる覇王の1人”人皇”を守護する守護者の事、その魂に刻まれた権限はプレイヤーを援護せよ。


『――マリィ。そしてマリア、シャルロットでもあるのが私、貴方を護る”黄金オーバーロード”』


(マリィだと……その名は何処かで)


『私は知ってるよ影王……貴方の真の名、それは……』


 最後の言葉を俯きながら聞いていた影王は目を見開いた――「我が名は影王にあらず」ずっと心に秘めていた想い。


(俺の名を知っている!? ……お前は知っていて・・・・・くれるのか)


 次に顔を上げた時には黄金の幻想おんなは消えていた。




 急にうずくまりながら動きを止めた影王に、キリンは心配そうに声をかける。否、既に何度も声を掛けたのだが影王はフヨウの声が聞こえていないかのような気配だったから、もしや脳をやられた後遺症で影王がおかしくなってしまったのかと思い涙をためていた。


「お願いします応えてくださいっ……影王様が死んじゃったらわたしは……わたしは……」


 秘めた想いに応えるかのように、伏せていた顔を上げてフヨウに向き直る。


「……もう大丈夫だ。妙な夢を見て」


 フヨウの顔を見た影王の無表情が微妙に疑問色に染まった。


「……もしや心配してくれたのか」


「しましたよっ! 全く呼びかけに応えて下さらないし苦しそうにされてましたし! わたくしすっごい心配しましたよぉ!……ヒ、ヒック、うぇぇぇん」


 急に泣き出してしまったフヨウに影王は少なからず驚いた。魔人族は自ら”助け合う”と、いう事をしない。魔王の統率力で強制的に軍を組んでいるが、基本己が欲望の為勝手に各々生きている。自分の利害の為徒党を組んだりはするが自ら他者を心配するような者は皆無に等しい……だが。


(そうか……キリンの使徒であるフヨウも変わり者のようだ)


 魔人達の性格は、核を取り込み転生する際の”業”に左右されると言われている。己の私利私欲を求め魔人となった者は魂が地獄に近づき凶暴なサガに。

 記憶を失い途方にくれていた影王を救った女、ハーフエルフとして生まれたキリンは、幼い時から同族からも人間からも迫害を受け、最後は何も無い森のなかで暴行を受け、死ぬ寸前に魔人核と出逢った。その時少女がアンバーコアに願った思いは信じられない内容だったのだ。


『私と同じ境遇で生まれたハーフエルフに……幸せが降ってきますように』


 幼い少女は天に祈った、他者の幸せを。

 自分と同じように迫害を受け、こんな寂しい所で裸で野垂れ死ぬような事がありませんようにと。彼女の魔人核は地獄から遠く大空に近い属性に変化を遂げ、少女は雷の魔人となって蘇ったのだ。


(キリンやフヨウが居てくれたから俺は生きてこられた……キャロルの父親を演じていられる)


 影王は覚えてはいないが、彼は自身の無力さと罪悪感に怒り、失ってしまった恋人の仇を討てない自分を憂いて魔人へと転生した。――力が欲しいと。

 自己中心的なその願い、業は、影王の魂を地獄へ引きずり込むはずだったのだが、彼は転生する瞬間にその業を切り離す事によって人間の感性を保つ事に成功した数少ない例である。


 人の感性が通用しない曲者揃いの魔人達の中で生きていく事は容易ではない。影王はキリンとフヨウ、そしてワガママに無垢に、純粋な悪に育ってしまったが我が娘、キャロルを心の拠り所にして400年という長い時間を生きてこられたのだ。


「か、影王様……そのお顔は」


 笑っていたのだ。

 長い年月で感情がすり減ってしまった影王が、ごくごく薄い笑みではあったが確かに笑っていたのだ。そしてフヨウの頭に、そっと手をのせて撫でる。


「……ありがとうフヨウ」

「かっ――――ぽっ」


 影王様そんなイケません私達は主人とメイド。それにこんなお昼からなんてせめてシャワーを浴びさせてくださいと言おうと思ったフヨウだったが、動揺しすぎて意味不明な単語しかでなかった。


(俺は魔人……だが)


 影王はフヨウの頭の感触にもう一人の少女を思い出していた。イチゴ畑で爪の中迄土で真っ黒にしながら明るく、無邪気に、楽しそうに働く小さな少女を。


『このイチゴが美味しかったら頭を撫でてくれませんか!?』


 そう言っていた奴隷の少女を。


(まだイチゴは完成していないぞ……メア)


 黄金の幻想おんなに言われたからではない。過去などもはや気にならない――俺には今護るもの、小さな家族が出来たのだから。


 だが、だがしかしだ――魔人影王の意志は決まっていたのだ。


 紅い右眼に焔が灯る――その眼差しに決意を秘めて。



 ◆◇◆◇



 ハーフエルフの魔人キリンはウバラスイレン1階の廊下を歩いていた。どういう訳か足取りが軽い。まるでスキップしながら小躍りしそうに軽かった。


「影王…喜んでくれるかな…喜んでくれると…良いな…」


 非常に小さい声でボソボソと喋る。

 内気そうに見えて、その身を飾るのは露出度の激しい黒いビキニアーマーというどうもアンバランスな女、これが魔人四天王雷帝の異名を持つ女――風使いの少女キリンである(実際は450歳)。


「人間の…味覚好みに出来たと…思うんだけど」


 キリンが大事に持っているのはホールケーキだ。生クリームのみで少々不格好にデコレーションされているが、ケーキ作りに不慣れな女が頑張って丁寧に作った感が非常に良く出ている。

 遠征に出ていたキリンに、影王が怪我をして担ぎ込まれたと連絡が入ったのが1週間前、タンジェントとキャロルのせいで戦争が勃発したドラゴン領からの紛争を鬼の如く力で手早く片付け、閃光の矢の如く城に帰って来たのが昨日、そして徹夜で影王のお見舞いの為に作り上げたのがこのケーキだ。


「フヨウがお世話…してるみたい…だけど」


 あの娘は料理が下手だからきっと影王は美味しいものに飢えている筈。そう思っての計算された計画だった。今日は彼との二人っきりの時間を邪魔するキャロルも、ドラゴンとの抗争が始まった故の書類雑務が忙しくて部屋から出れないはず。


「こ…この…チャンスに…影王…と」


 光を浴びた新葉のような緑い髪とは正反対にダラシなく顔をニヤつかせる。以前人間領へ行った時に読んだ雑誌に、こんな記事が絵付きで載っていたのだ。


『病気の彼もこれで全快! 私と一緒に召し上がれ?』


 その雑誌には自らの裸体に生クリームを塗った女性の絵が描かれていた。無論女性誌ではなく男性誌だが彼女はそんな事は知らない。


「これで影王の…病気も治る筈…きっと…人間領の…書物なんだから…間違ってないはず…」


 大間違いなのだが、生真面目なキリンは人間の魔人である影王を理解する為に雑誌で勉強していたようだ。”病”と形容したのは影王の再生能力が低下して中々治らない、との報告を受けていたからである。


「これは…病気を治す為の儀式…他意は…無い…無い筈」


 ちなみにキリンのビキニアーマーは、留め具を3箇所外すだけで即全裸になることが可能である。しかし今迄妙なテンションでイケイケだったのだが、いざ想像したら顔が真っ赤になって足が震え、歩く速度が落ちる。医務室はもう目と鼻の先なのに。


「ど…どうしよう…怖くなってきちゃった…こ、断られたら…どうしよう」


 医務室まで後30歩という所でキリンは泣きそうになってきた。


 そんな最中、ふと昔を思い出してしまう――彼との出逢いを。



 キリンと影王は約400年前に出逢う。

 当時ラビットハッチ軍を抑えこむ為行動を共にする事になったのがキッカケだった。創世記から生きている古参の魔人は先代魔王のヒミコ様の右腕であった彼の事を知っていたようだが、当時転生して数十年しか生きていなかった私には初見であり、受けた印象は「何か弱そうなヤツ」だった。

 人型の魔人としては珍しく魔力を一切持たず、動物型の魔人のように特殊能力を持つわけでもない。ただの人間みたいな魔人ヤツにキリンは当初興味を持てなかった。


 実際、人間並みに影王は弱かった。魔人にしては珍しく武装気ブソウオーラを使うようだが、それを付加してもお世辞にも強いとは言えなかった。見かねた私の仲良しである火の国から来た魔人、千姫が家に伝わるという、オリハルコンと玉鋼を魔法で超圧縮させて打たれた黒刀、アメノムラクモを譲った。この名刀を装備すれば幾らかましになるだろうと。それくらい影王は弱かった。


 だから始めは先代魔王の右腕だったという事で彼に頭を垂れていた魔人達も次第に彼に興味を無くし、影王は段々1人でいる時間が増えていった。


 魔王を狙うだけあってラビットハッチは強い。巨大兎の魔人の力で従えられた軍勢の数は多く、エルフと人間の魔人で編成されている私の軍は苦戦を強いられ続けていた。でも一年、また一年、そして50年、段々苦戦を強いられていた形成は拮抗しだした、たった一体の魔人によって――それが影王だった。


「アナタ…何で急に…強くなったの?」


 私は影王に聞いてみた。さして深い意味も興味もあったわけではなかった気がする。50年位の年月は魔人にとって大した時間では無かったから。


「急に……キリンにはそう感じたか」


 彼は薄く薄く微笑んだ。


「な、何よ、何か私オカシイ事言った?」


 その笑顔に動揺して、珍しく早口になってしまったのを覚えている。でも彼はそれ以上何も言わなかった。でも私はそれから……彼の姿を眼で追うようになっていった。


 ある日の事、野営地で深夜に眼が覚めた。星でも見ようかとその場を離れた私の目に飛び込んできた光景があった。


(影王?…剣を振っている…のかな…あんな所で)


 それは人目につかない離れた場所で一心不乱に剣を振り続ける影王の姿、私は声を掛けるでもなくずっと彼の背中を見ていた……その光景は朝まで続いた。


(あれ…今日も…居る)


 次の日、気になった私は同じ場所に行ってみた。そこで同じく剣を振る影王を発見する。


 次の日も……次の日も……ずっと彼は剣を振り続けていた。

 魔人は睡眠を取らなくても活動できる。でも、夜中に起きているのは夜行性の動物型魔人くらいだ、人間やエルフの魔人は大抵は寝るよう本能付けられている。


 後で知ったのだが……彼はこの50年眠っていなかったのだ。ずっと己の鍛錬を行っていた、それ故に強くなったのだ。


 影王の戦闘能力は、生まれ持って高い魔法力を持っていた私を超え、我軍は影王派と言われるようになった。


 でも影王は……全然嬉しそうじゃなかったな。




(思えばあの時からかなぁ…私が影王を好きになったのは…)


 医務室の前で昔を思い出して笑った、今の彼からは想像できないが、本当に弱かったのだ彼は。それが今や……


(でもあの力は…危険な感じ…もしかして今回もそれで…治りが遅いのかな)


 先日、王都で初めて見せた影王の膨大な魔力。

 キリンは相手が有する魔法出力を見る事が出来る高位魔道士である。魔力を持たない筈の影王が見せた”あの時の力”は魔王であるキャロルの十倍……いやそれ以上の測定不可能な粋の魔法出力だった。


(…あの力は…魔人の力を超えている…)


 嫌な想像が膨らむ、あれがもしや創世記に一度だけ地上に現れた魔人の上位種――魔神ソロモンの力なのではないだろうか。だとしたら影王は私達とは……。


 だが暗い表情で俯いてしまった所を甲高い声によって現実世界に戻される事となる。



「な、何してるのキリン! こんなトコでぇ」


「……キャロルこそ…そんな格好で…お仕事はどうしたの」


 キャロルの姿を目視したキリンはあからさまにブスッと膨れっ面プラス目を細める。同じ場に同じくホールケーキを持った、書類整理に忙しいはずの幼い魔王が現れたからだ。そこまではまぁ良い、”お見舞い”それは娘のする事だまぁ仕方ないだろう。問題はその姿だった、キャロルは裸にエプロン姿で現れたのだ。これは娘のする事ではない、絶対に違う、ダメ、ゼッタイ、そう思った。


「べっつにぃ~キリンこそ――あっ」


 ……バサッ

 キャロルのエプロンポケットから雑誌が地面に落ちる。


「そ…その雑誌は…もしかして」


 影王とは喧嘩中であったはずのキャロルの端正な幼顔が真っ赤に染まる――が、すぐに牙を向いて反撃。


「べべべべ別にお父さんの病気をダシに生クリーム体に塗って召し上がれするために来たんじゃないんだからぁぁ!」


  全てをぶち撒けるツンデレ族にキリンの表情が更に険しく歪んだ。そして思う、油断していた……キャロルも王都に行っていた時あの雑誌を買っていたのか。


「私は許さないわよ…キャロル……あっ」


 ……バサッ

 キリンの腰に挟んでいた雑誌が地面に落ちる――月刊ペンキンクラブが。1人の男を思う2人の女の視線が雑誌に移った後交差する。丁度その時――


「オ~デ~はジャイアント~兎の大将~♪」


 間の悪いラビットハッチが通りかかるが、2人の異様な睨み合いに身を硬直させ、さっと物陰に隠れて何事かと生唾を咽む。


 睨み合いの前陣を切ったのはキャロルだった。


「キリン? そのケーキ何に使うつもりかなぁ……自分で食べる用じゃないよねぇ」


 ゴゴゴゴゴ……漫画だったらこんな音が鳴ってんでねぇか? 傍らで音を立てないように此処から離れようと後ずさるラビットハッチは思った。


「キャロルこそ…エプロンどうしたの?…キッチンは回れ右だけど」


「可愛いでしょ」


「ハシタナイ…よ?」


「年中ビキニアーマーのキリンに言われたくないよっ!」


 キャロルのプラチナブロンドのアホ毛がピンッとそそり勃つ、お互いがお互い姿格好はどっちもどっちなのだが。


「影王の趣味…じゃないと思うな」


「雑誌に男は皆裸エプロン好きだって書いてあったし! お父さんもきっと好きだもん!」


「影王とは喧嘩中でしょ…仕事に戻りなさいキャロル…」


「キリンお父さんにイヤラシイ事するつもりでしょ!」


 キリンはキャロルから目を逸らして頬を染める。


「娘の貴方には…出来ない看病をするだけ…です」


「何で女の顔するの!? 絶対ダメ! 魔王として命じるし!」


「断固拒否…これだけは譲れない…と…いうかキャロルのが駄目でしょ年齢的に」


「キャロルはぺったんこだけど150歳超えてるよ!」


「訂正……見た目的に」


「うっさいよ! キャロルのが経験多いんだからぁ」


 顔面を真っ赤に染めてほっぺを膨らますキャロル、対して魔王相手にキリンも一歩も引かない。怒怒怒怒怒……漫画だったらこんな音が鳴ってんでねぇか? 傍らで音を立てないように、一刻も早く此処から離れようと回れ右するラビットハッチは思った。


「引く気は無いのね……キャロル」


 バチッ! キリンの森が如き緑の髪が逆立った。周囲に超電圧の磁場が発生している。


「魔王であるキャロルに逆らうのぉ――良い度胸じゃないか雷帝!」


 キレると性格が豹変するキャロルの両眼が真紅の輝きを放ちだした。これは魔人の再生能力ごと対象を破壊するLv3赤眼帝波斬スカーレッドアルタの光である。


「娘なんかに……影王は渡さない……”デビルコンス…マスターシー…キャリバー…天よ大気よ雷よ…蒼天の刃となって現界せよ”……」


 非常に小さいがとても凛とした鈴の音のような詠唱が響く。


「雷撃系最上位魔法!? 本気だなキリン! キャロルが渡さないとか言われて素直に聞くと思ってんのぉ? べぇ~だ!」 


 ホールケーキを持った女達の緑と赤の視線が激突する。逃げようと気配を消して走りだそうとしていたラビットハッチは、ほどばしる電撃の渦に巻き込まれて人知れず黒焦げになった。


「影王は渡さない」――天地豪雷!

『Lv4天雷地獄オメガ!』


「義娘が最強だもん」――射抜け紅き魔の力で!

『Lv3赤眼帝波斬スカーレッドアルタ!』



 ……イ、イケません影王様……んな格好で……



 女性が決してしてはいけない形相の2名、彼女達の魔力が弾ける寸前の事だった。医務室から聞こえた卑猥な声にキリンとキャロルは身体を硬直させる。


「今の聞こえた?……キリン」


「う…ん…フヨウの声…だったよね」


 そそそそそ――俊敏な動きで2人は医務室の扉に耳を密着させた。そこから聞こえてきたのは――


 ……ダメですぅ……まだ完治されてないお体で……あぁ!そんな大きい……


 キャロルとキリンは医務室の扉の前で顔を突き合わせ破顔する――キャロルの場合、正直父親の性癖に興味心身の”期待顔”。――キリンの場合、自分の分身である使徒に寝取られたのではという絶望顔だったが。


 ズドガンァァン! 


 扉を破壊してまず入室したのはキリン、それから仁王の如きオーラを放つキリンのお尻あたりからチラチラ様子を窺うキャロル。


「キリン様ぁた、大変です」


 こちらに気付いたフヨウが駆け寄る。正直「お前を大変な事にしてやろうか」と思ったが周囲を伺ってから冷静に戻る。影王が居ないのだ。


「影王は……どうしたの?」


 ”殺すぞ”そんな表情から”何処に隠したの?”レベルに落ちたキリンはフヨウに向き直る。メイドはそんな主人に一旦引きながらも。


「大変なんです! 影王様が、影王様がたった今ムラクモを持って出て行かれたのです」


 医務室の窓が開き、カーテンが風に揺れていた。


「な~んだぁ~お父さん元気になったんだぁ……ま、それならそれで良いけどケーキ無駄になっちゃったねぇ」


 期待していたイベントが無くなりテンションの下がったキャロルはケーキを皿ごとクルクル回している。


「全快されてはいないのです!……先程もうずくまって苦しそうにされていたっ……わたくしはお止めしたのですがどうしてもと……」


「影王は…何処に行った…の?」


 涙目のフヨウにキリンは事態を重く捉えたようだ。


「王都でございます! トロンリネージュ王都へ行かれると――」


 パリン――キャロルとキリンの持っていた皿が地面に落ちて砕ける。



 2週間病室に居た影王は知らないのだ。今から王都で起きるタンジェントの祭りを――デスパレードを。


(巻き込まれればいくら影王だって……)


 魔人城ウバラスイレンに不穏な風が吹き抜けた。



挿絵(By みてみん)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ