外伝 幼き皇女のつがい星 終幕
「D……どう思う」
『以前倒した天使と同等……いやそれ以上ですね』
奥義、八掛断空魔神剣を受けた対象であるトキは何事もなかったかのように立っていたのだ。
「ウフフ……全く私とした事が」
そして彼が羽ばたかせるは、背中から生える12枚の翼である――輝く紫、暗黒の堕天翼。放った断空魔人剣は文字通り空間ごと対象を断裂する奥義――ユウィンの持つ空間魔法言語と魔人剣を融合させて放つ防御不可能必殺の奥義である筈……。
しかし奴は破ったのだ、空間魔法陣を。
防いだのだ、空間ごと切り裂く魔人剣を。
「いやいやお恥ずかしい……とんだ姿をお見せしてしまいまして」
まるで食事後に口元の汚れを指摘された紳士のように、男はワザトラシク赤面し、煌々と闇色に輝く左右6枚づつの翼をゆっくりと背中に収納しながら笑った。
「そしてこの私に右翼どころか左翼まで使わせるとは……期待以上を通り越して感動すら覚えましたよ。もし宜しければ今度ダンスでも如何でしょう?」
「その姿……天使でないとすればお前は”何”だ」
対峙する男達、まだブレイクダンスが出来る程の余裕のあるトキに対し、ユウィンはスローステップすら踏めそうにない。腹部の出血により目眩のする視界、高位魔法の連続使用による胸を抉られるような痛みを顔に出さないよう必死に耐える、それ程までにユウィンは疲弊していた。
「おやまぁツレナイ……私の正体は貴方も特別な因子をお持ちのようですし御説明したいのは山々なのですが、その前に――邪魔をしましたね”神の器”!」
トキの視線はユウィン後方の少女に転じる。そこには車椅子のシーラに抱かれ、気を失っていた筈のアンリエッタが立っていたのだ。身体から異様な武装気が立ち込めている。
「コイン?……金貨如きで我が絶対防御を貫くとは、お前達の力……やはり侮れませんね」
自身の肩にめり込んだ金貨を無造作に抉り出した。鮮血が床に散り、鉄の匂いが周囲に充満する。
トキが力を開放する寸前の出来事――ユウィンが戦闘前に指で弾いて床に転がっていた金貨は、アンリエッタの能力により輝く流星となってトキの肩に突き刺さっていたのだ。故に、トキは魔力の放出を妨害され、本来の力半分すら開放すること叶わなかった。彼の能力、拾弐堕天翼因果消失が本来の力で発動されていればユウィンは、肉体のみならず魂すら消失し、王都全体が消滅していたかもしれない。彼の力はそれ程の魔法出力を有していた。
「………………」
「おば様? エッタちゃんに何かしたらシーラ許さないよ?」
立ったまま掌を掲げ虚ろな目、どうやら意識をまだ取り戻していないアンリエッタの前に車椅子を移動するシーラ。
「いやいやそんなつもりはありません、無意識下にして皇を守ろうとした貴方のお友達に礼を言おうと思ったのですよ。危うく愛しの彼を殺してしまう所でしたから。どうも私は堪え性がなくていけません」
意味不明なやり取りを横目で流しながらユウィンは体力の回復を図っていた。トキもそれに気づいているようだが、特に気にも止めず少女に続ける。
「だがシーラ姫、貴方には見えないモノが見える力があるようだ……そして紅い魔女と共に滅ぼされた筈の”お前”が何故存在している」
ん~? シーラは小首を傾げる。そして得意の笑顔でこういった。
「わかんない! でも貴方の事はシーラ嫌いみたい」
「ウ、フッフまぁ良い私も女には興味ありませんしね」
それから眉をピクリと動かせ肩を落とした。
「おっと時間切れですか……囲まれる前に逃げるつもりだったのですが中々どうして、楽しい時間というのは嵐のように過ぎ去るものですねぇ」
ユウィンとトキは同時に振り返る。
路地の退路を断つように現れた者達、数にして3名が立っていた。
「王都の守護者ミスティネイルのご到着ですか、それも1人に対し3人でお越しとは、アーサーの差金ですね。ではそろそ――」
――ズドムッ! 正に刹那、数十メートルの間合いを一瞬で詰めたミスティネイル1人の拳がトキの胸の中心に吸い込まれる。
「逃すとお思いか? お嬢様を危険に合わせた罪、万死に値する」
「くぅ……っふっふ流石です蒼炎……貴方とは殺り合いたくありませんねぇ」
トキは胸に直撃する瞬間間一髪片手でクロードの攻撃を受け止めていた。
「私の字名を知っている……お前は何者です」
「ウフフ……貴方達にとっての闇ですよ、ただの路地裏の暗い闇です」
「失礼、私は演劇には詳しくありません――ハッ!」
何処までも芝居がかった男にクロードは受け止められていた拳に気を解き放った。
「おっと――発剄崩拳か!」
瞬時に上空へと逃れるトキ。だがミスティネイルは3人、空に逃れた対象を逃す筈はない。
「――空に逃れるとは笑止」
「何とこれは針金か!?」
イワン=アルベルト、鋼線を使うゼノン王国ランク第十四位の傭兵である。巻き付いた針金は空中でトキを宙吊りにして締め上げる。
「私は縛るのは好みなのですが縛られるのはゴメンです」
爪に隠していたナイフで針金を切断しようとするが、彼らの攻撃はまだ終わっていなかった。体の動きが鈍る、指一本動かせないほどに。
「こ、これ……は古代魔法……か!」
『Lv4霊子操眼エンダースキーナ』
「あらあら~余裕こいてた割にあっさり捕まってくれたわね~カッコ悪いわ~」
「ウ、フフ。カターノートの聖騎士殿まで……お越しとは」
「あらあら私の事もしってるの~? 光栄だわ~」
半身を銀の鎧で固めている女性――フォルスティーヌ=ヴィンセントは上品に笑う。空中で針金と魔法の二段構えで拘束されたトキにクロードは今一度答う。
「今一度だけ聞きましょうお前は何者です? 近頃ルシアンの動きもおかしい、彼らの差金ですか?」
王都を守護するミスティネイルに対して王都の闇と呼ばれるルシアンネイルは出処を同じくする対象の組織である。
「差金ときましたか……それは異な事をウフフフ」
「お嬢様の手前手荒の事はしたくないのですが」
クロードが指を鳴らした瞬間、体中に巻き付いている針金が更に食い込む。
「くぉぉぉ……ははっはこれは……これは中々!」
「何じゃと!? ワシの鋼線が効いておらんのか?」
訝るイワンが更に力を強めるがトキには全く応えていないようで飄々と語りだした。
「全く貴方達は面白い事を言う……ルシアンの差金などと、闇を目の前にして差金などと! ウッフッフもうとっくにアーサーの手から離れている王都の闇を調べるなどと……これは喜劇だとんだコメディだ。失望しましたよ蒼炎!」
虚言か? クロードは無言で眉をひそめた。
「もうそんなモノはとっくに無いのですよ、セシリア=マクシミリアーナがデイオール家に嫁いだ時に! あの女は乗っ取ったのですよ闇を。不快な娘姉妹を売り飛ばし、無能な主人を残してねぇ!」
整い過ぎた能面顔を歪ませケタケタ笑うだけの対象に痺れを切らせたイワンは倒れているもう1人、執事カルヴィンに近づいていく。
「お前が応える気がないならば、こちらの男に話を聞くまで――」
ビュ!――空気の震える音がした。
「いけません!離れ――」
クロードが叫んだ時には時既に遅く、イワンの右腕が粉微塵に吹き飛んだ後だった。
「ぐおあああああ!」
「イワンさん!」
フォルスティーヌがイワンに駆け寄り、彼によって展開されていた針金も同時に解ける。空中から再び地上に降り立った堕天使の如く男は甘い声で呟く。
「聖騎士のお嬢さんも大したものです、古代魔法でも霊子操眼は神族を源流とする魔法……これを使いこなせる魔法使いはそうはいません」
「そんな……まだ私の魔法は効いている筈なのに」
イワンに駆け寄ったフォルスティーヌは動揺しながらも再び視線をトキに合わせた。
「く……な、何この感覚……」
魔法で動けない筈のトキは優雅に手を胸の高さまで上げて歓迎のポーズを取る。
「だが今回ばかりは選択した魔法が悪かった……魔法言語とは対象が源流以上の存在の場合効果を発揮しないのです」
ドクン!
「あっ――――」
古代魔法を押し返されてフォルスティーヌはその場に昏倒した。場を見守っていたクロードの背中が汗でへばりつく、強い、強すぎる何者なのだコイツは。
「流石は蒼炎殿だ……不用意に近づかず私と視線も合わせない。仲間がやられたというのに冷静そのものとは、過去暗部の鬼と呼ばれただけはあります。やはり貴方だけは警戒せねばなりません。力ではなくその知識と判断能力をね」
「むぅ、これは私だけでは手に余りますな……そちらの魔法剣士殿、ここは手を組みませんかな? そろそろ戦闘できる程に回復したと思いますが」
「やれやれ恐ろしい執事だな……」
気配を消して即座にこの場から離れようとしていたユウィンが仮面越しに苦笑する。するどい洞察力を持った奴がいたもんだ。そして状況からユウィンが敵でないことを即座に判断し、尚且つ逃げないように釘を差してきた。ある意味、目の前の変態男よりも怖いかもしれない……此処を生きて戻れたら金輪際出会いたくない。そう思った。
ギリ……素顔を見られないようにズレかけていた仮面をかぶり直し、ラグナロクを握りしめトキを見据える。クロード=ベルトランとユウィン=リバーエンドがトキを左右で挟み撃ちにしている2対1のこの状況――これで駄目なら諦めるしか無いな。
(やれやれ全く……殺されそうなガキ2人なんて放っとけばよかったぜ全く)
融合したままのDはクスリと笑う。
『またそんな事を……まぁ良いですDにはマスターが優しいのは解っていますから』
(D心を読むんじゃない――行くぞ!)
同じく仮面を被った執事、クロードに目で合図して踏み込んだその時――。
「終幕です友達よ」
倒れていた弟であるカルヴィンを横抱きに抱え直したトキはそう言い放った。
「逃れられるとお思いか?」
「安い挑発ですね蒼炎、弟を抱いたままでも今の貴方達なら相手をする事は可能ですよ……それに」
ゾクッ! 背筋が凍る感覚に襲われユウィンとクロードは同時に天を見上げる。
『セシリア様、お迎えに上がりました』
「ふむ、中々のタイミングだ……転換点としては頂上ですかね」
細い路地裏上空5メートル地点に人が浮いて停止していたのだ――その数10体。
「な……んだと、こいつらの魔法出力は……」
『はい、人の形を象っていますが全員500万ルーン以上の魔力を有します。おそらくは……』
「……天使か」
その昔、人類とエルフと巨人が徒党を組んで初代魔王を討ち滅ぼしたとされる。レッドアイと呼ばれる地上世界の魔王、その魔法出力は100万ルーン……其の5倍以上の力を持つ高位霊子体が10体。
「まぁそういう事です友達よ、まだあのマッドサイエンティストが王都に打ち込んだ術式は完璧ではないのでね……」
この状況は要するにこういう事だ。歯向かっても無駄だ、黙っていう事を聞け。ユウィンは無論の事、魔力を持たないであろうクロードも只々黙って、ゆっくりと上空に浮遊していく男を見上げていた。
「10年です愛しの友達よ、10年後にまた相まみえる事になるでしょう……今度は無粋な剣舞では無く、神々しい輪舞曲を踊りたいものですねぇ……最後に魔人殺し殿、名を教えて頂けませんか?」
「……教えるつもりはない。言ったろ俺はノーマルだと」
ヴンッ 男を中心に円を描いて浮いている高位霊子体が自らの指を一斉にユウィンに定めた。青白い閃光が収束していく。
「頂上ぉ! それでこそ我が愛しの君……不死の御方、人の皇殿だ。悲恋そうでなくてはいけません、恋劇はこうでなくてはウッフッフ」
霊子体達は主人の反応に呼応するが如く即座に攻撃態勢を解いた。
「ウフフ、そして貴方はどうやら自分がお嫌いな様子だ……今度出逢う時は私が慰めて差し上げますよ」
「フン、じゃあ俺からも一つ、もう一度だけ聞く、お前は天使ではないんだな?」
ヤレヤレ困った御方だ。頭を振ってから手を上げ、何処までも芝居がかった男は丁寧に応える。
「そう私は少々長生きなだけの只の人間です。ただ一つ”神の器”に選ばれた……ね」
バビロンだと? 聞き慣れない言葉を残して。
「……鬱しい時間もそろそろ終幕です愛しの君よ、未来永劫を感じさせる時の中で今日ほど充実した日は無かった。あぁ御方よ! 最後に! 最後に我が名を聞いて頂けませんか!」
王都の闇、その虚空で舞いながら求愛の仕草をとり主演女優兼脚本家は最後にこう名乗る。
「我が真の名はセシリア……セシリア=ルシファーです。お見知り置きを」
「迷惑な話だがお前とは因縁がありそうだ」
それ以上暗部のトキ、またの名をカミーユ=クライン、そして始めの名前をセシリア=マクシミリアーナという女だった男は何も語らず、紫の閃光と共に夜の空へと消えていく。それはまるで、落ちた流星が天に戻っていくように――
◆◇◆◇
「もぉぉぉ何で私の勇姿見てなかったのよぉ」
「ゴメンねエッタちゃん、でもエッタちゃん凄いよ~1人で悪者をやっつけたんだよねぇ~」
「え? あ、そう? そんな事ないと思うけどなぁ……エヘヘ」
車椅子の友達は手を叩いて喜んでくれている。ここは我が城の四階部分にあるロイヤルガーデンという園庭である。父親の用事とかで昨日来国したシーラとはあのパーティ以来顔を合わして2日目なものだから、私はまだちょっと気恥ずかしい……この子は全く気にしてないみたいだけど。
でも昨日の夜は大冒険だったな――後で執事のクロードに聞いたのだけど、路地に居た悪漢達は幼女誘拐の犯罪者だったらしく、私は悪者と相打ちになって倒れていたらしい。あの小さな平民の女の子も誘拐されそだった所を無事保護されたというのだ。
(良かった……私でも人の役に立てる事があるんだ。シーラにも良いトコ見せられたし)
でも実際の所一番心に残ったのはそこなんだ。大国の王であるお父様や私を飾り物としか思っていないお母様とでは味わえない達成感――自分が誰かの役に立っているという気持ち。私はこれが欲しかったのかもしれない。
「エッタちゃんが危ない目にあった時はシーラが絶対助けてあげるからね」
不意にシーラがそんな事を言ってきた。
「ななな何言ってるのぉ……わわわ私は強いんだから大丈夫! 私がシーラを守ってあげるわよ」
急に変な事言うもんだから私は顔を真っ赤にしてそっぽを向いた。
「えへへそっか……じゃあ竜の剣士さんと一緒に助けてね?」
竜? 怪訝に想う。
相変わらず不思議な事を言うなシーラは、私はちょっと困った笑顔でそう思った。
◆◇◆◇
ロイヤルガーデン――王都中央にそびえるトロンリネージュ本城にある園庭である。友人同士の会話の合間、アンリエッタが花を摘みに行った間に、車椅子の少女に気配もなく近づいて来た影があった。
「シーラ様……アンリエッタお嬢様に本当の事を伝えなくてよかったので」
気配なく現れ、両手を後ろに組んだクロードは少々鋭い視線でシーラを射抜く。
「うん、エッタちゃんは知らない方が良い。きっとあの娘を助けられなかった事を一生悔やむ事になるから……」
王都の闇に消えていったあの小さな少女を。
「しかし――」
「クロードさんはエッタちゃんの武装気の特性知ってる?」
会話の変化にクロードは目を丸くする。
「……はい、対象物の重力をゼロにする極めて珍しい特型能力でございますね」
クロードの返答にシーラはニッコリと得意の笑顔で返した。
「気の研究に世界一詳しいゼノンでも確認されてない能力だよね? あれはね? 重力をなくす能力じゃないの、この世界を形成している魔法粒子を操作する能力なの」
表情には微塵も出さなかったがクロードは内心で焦燥感に駆られていた。まるで自分が、アーサーの盟約で王を守護するゼノンの錆びた釘だと知っているかのような少女の言葉に。
「エッタちゃんには生まれ持った才能以上の特別な力がある。あの力のせいで、きっとこの先涙を流す事が数多くあると思うの」
執事クロードは黙って車椅子のタイヤをいじるシーラを見つめていた。いつもの笑顔を少し陰らせる少女に。
「だから……ね? 今はお願い、エッタちゃんには笑顔でいてほしいの」
「…………畏まりました。シーラ=アテンヌアレー姫殿下」
シーラ=アテンヌアレー、彼女はアンリエッタの父が収める王政都市トロンリネージュ傘下の一国、アテンヌの第一王女である。脳に障害がありずっと笑顔でいることが多いが性格は極めて温厚、アンリエッタの初めての友達にして生涯唯一の親友、お日様の光がよく似合う8歳の女の子。
(……シーラは絶対にエッタちゃんを護るからね)
園庭から遠目に御機嫌な足取りで小さくなっていくアンリエッタを見ながら。
(例えこの身が再び……滅んだとしても)
彼女はアンリエッタの背中を少し悲しそうに微笑んだ。
絶対に護るからね……神の器である貴方を。
……竜の騎士さんと、私の力で。




