外伝 幼き皇女のつがい星 第三幕
終焉の剣ラグナロク――そのツルギは600年以上前、創世記に火の国の刀匠によって打たれた伍拾寸(約150センチ)の剣である。他の量産型とは違いイザナギ=ヤマトという青年の為に大量の火廣金を使って特別に一振りだけ作られたそれは、魔人が有する鉄壁の防御結界を無効化する特性を更に活かし、どんな巨体な魔人でも一撃で両断出来るよう長く長く打たれた。
重量は僅か壱貫(約3キロ)西方の言い方でオリハルコンと言い、折れず曲がらず軽い特殊な金属であるが創世記に大量に発掘が進み現在は採り尽くされて手に入らない幻の金属となっている。
火の国ジパングで打たれし破邪の剣ラグナロク、またの名をクサナギノツルギ――後の世にイザナミ=アヤノが受け継ぎ、現在はその弟子が使用しているらしいのだが。
今日はトロンリネージュの収穫祭、葡萄の収穫を祝う夜のパレード、市民は笑顔で歌い踊り、飲み食べる。だがどんなに魔法光の輝く街並みも、一寸先は闇である。
人の寄りつかない路地があった。
暗い暗い路地の突き当たりは壁であり、誰も寄りつかず、物乞い達の噂では人が消える王都の闇と呼ばれる場所で、華やかなパレード用の仮面を、持っていたお小遣いで初めて買った彼女達、アンリエッタ=トロンリネージュと、シーラ=アテンヌアレーは出逢う。
同じく仮面で素顔を隠した身の丈程もある剣を持つ剣士と、闇に生きる執事の兄弟に。
それは運命に導かれた出逢い。
執事カルヴィン、王都の闇と呼ばれる暗殺部隊での名はサギという男は焦っていた。無能な主ヴィクトル=デイオール、彼が隠し子であるシャルロットを祭りに連れ出したのがそもそもの間違いだったのだ。思い出して舌打ちするが目撃者が更に増えてしまった今の状況が好転するわけでもない――騒ぎにならないよう迅速でかつ静かに殺すしかない。「剣士の方は自分が、兄さんはあの娘達をお願いします」そう、いつものように視線で兄に語りかける。が、兄はこちらを見ていなかった。
幼い頃より共に訓練と時間を重ねてきたゆえ、本当の兄弟じゃないにしろ兄の行動は手に乗るように解る。こういう状況ならば即目撃者を始末しようとするはずだ。いや――いつもの兄なら既にシテいるはずだ。なのに――
(笑っているのか……兄さんは)
彼の兄トキは、現れた灰色髪の剣士が自分に向けて抜き放っている剣を見て歓喜する。あの長剣、ラグナロクと呼ばれるツルギを持つものは自分が生まれるずっと前から都市伝説となっている”魔人殺し”の所有物であるから。大陸を縦断して倒した魔人は100を超えるとされ、三百年以上前からある古い噂であるから。
だからトキは歓喜しているのだ。数百年前から生きているだろう――自分がこうなった丁度百年そこそこ前に噂になった竜の騎士、またの名を魔人殺し。トキは笑う、それは長年待ち焦がれていた恋人に出逢ったかが如く愉悦。慶び、喜び、悦び、欣びを心に秘めて。
「ウフフ……蒼炎達に感づかれているようです。こちらに到着するまで後3分という所、しかし今日は面白い出逢いの多い夜ですねぇ」
「元暗部のあのジジイがここに? 兄さんもう一刻の猶予もない、手早く殺さないと」
「サギよ焦ってはイケマセン。こういう時こそ兄との秘め事でも思い出して落ち着きなさい」
「な!? にににに兄さん! 何で今そんな事を!?」
サギ、本名をカルヴィン=クラインというデイオール家の執事の顔が真っ赤に染まる。(仮面を被っているのだが)
(そういう関係なのか……やれやれ)
どうやら特殊な関係であるらしい兄弟を冷めた眼で流しながら。
「怪我はないかお嬢ちゃん、抱えてる友達は無事か」
ユウィン=リバーエンドは長剣を片手に相手を牽制しながら車椅子の少女に話し掛けた。
「うんありがとう! エッタちゃん気を失ってるだけみたい」
大きな剣だねぇ~とか言いながら幼い少女、シーラ=アテンヌアレー姫は仮面越しにニッコリ微笑む。
「変わった娘だ。怖くはなかったのか」
「う~ん?」
ユウィンは不思議そうに首を傾げなている少女に苦笑しながら、再び怪しげな兄弟に意識を向けた。
「先程”トキ”という名を出したなお前ら……俺はブルスケッタで売春男を惨殺した犯人を探している」
素顔を仮面で覆った執事服の男ともう一人、真っ白で上品なブラウスと糊の効いたパリッとしたスラックスを着込んだ男が関心したように顎に手を当てる。非常にワザトラシイ芝居がかった気配の為真意は掴みにくい、そして全ての人間を小馬鹿にしているような印象の悪い男だった。
「ほぅ……私の足取りと名を洗い出せる人間がいるとは驚きましたねぇ」
「に、兄さん?」
なぜ正直に応えるの!? どうやら弟らしいサギこと執事カルヴィンは兄の顔色を伺っているように見える。が、当の兄、トキと呼ばれる男はさして気にはしていないようだ。
「そうか執事ではなくお前だったか、危うく人違いするところだった……まぁどっちもどっちな感じではあるがな」
今は亡き恋人マリィが務めていた経緯により、特別贔屓にしている街の昔馴染み、色街ブルスケッタ影の頭取カルアママの情報では、犯人はデイオール家の執事だと言う話だった。彼女直属のホスト20名が殺され、ユウィンはバウンティハント、犯人を捕まえるよう依頼を受け今に至る。
殺された男達の有様は酷いという言葉では表すのは生ぬるく、人間の欲を食い物とする裏社会のボスですら吐き気を催すような”悪行”であったそうだ。
「友達よ……私は多くの名を持っていますがトキは紛れも無くです私の有する名の1つです。そしてあながち間違いではありません、あの時は弟の面を被ってましたからね。顔を自由に変えられる私にとって本来仮面など不要なんです」
トキはパレード用の仮面を無造作に外して投げ捨てた。そこにあらわれたのは整い過ぎていて逆に不自然な面、鋭そうに見えて糸のような眼、尖りすぎていて鼻に見えない鼻、薄く纏り過ぎて傷のような口、まるで仮面の下に仮面をしていたような”絵”のような顔だった。
「成程顔を変えられるのか、アンタ趣味も素顔も悪いんだな」
「それじゃあ自分の素顔忘れちゃいそうだねぇ~」
ユウィン後方で待機するシーラ姫は呑気にも拍手しながら微笑んでいる。が、同じくトキの後方で待機していたサギはシーラとは対照的に敵意を剥き出しにして殺意を放っていた。
「ケチな賞金稼ぎ如きがぁ兄さんを侮辱したなぁぁぁ!」
細い路地裏にあっという間に広がった殺気が乱れ飛び、気温が急激に下がってきていた。
こと近接戦闘に置いて直情的な行動に出る者は三流以下である。しかし、カルヴィンが展開したそれは武装気と氷魔法言語の混合技――急激に下がった空気は対象の感覚器官を内部から鈍らせ、オーラによって強化された殺気は無理矢理にユウィンの警戒本能を刺激して冷静さを削りとろうとしていた。そして本当に怒っているようだが飛びかかってくる様子はなく、鼻息を荒げながら兄の許可を待っているような雰囲気だ。
(弟の方もデキる。只のブラコンではなさそうだ……厄介だな)
後方に待機するDとシーラ姫を動かすわけにはいかなかった。敵対象2人の能力が不明の為、下手に動けば今夜のパレードで大勢集まっている表道りの通行人に被害が出るかもしれないからだ。
「生け捕りにしろとの事だったのだが……難しそうだ」
ガキン……ユウィンが鉛で覆っている刃渡り1.5メートルの剣の鞘を外し右手で構え、左手に魔力を集中していた。鞘を外され現れた黄金色の刀身を舐めるように眺めるトキの能面が歪む、よもやそれは亀裂が入ったような笑顔で。
「ウフフ……貴方の事は知っていますよ。約300年程前から噂になっているオリハルコンの長剣を持つ剣士……付いた通名は”魔人殺し”じゃなかったでしょうか」
「300年ね……人違いだろうさ」
普通に考えてそんな昔の人間が生きている訳がないだろう。
「いえいえ違わないでしょう? 何も不自然ではありませんよ”不死人”ならばね」
ピシッ! 5人以外誰も居ないはずの路地に亀裂が疾走ったように空気が変わる。
『……マスター』
「D……黙ってろ」
ユウィン=リバーエンドに動揺はなかったがDの表情には少なからず焦りがあった。主人の正体に気付いている謎の敵に。
「……お前は何を知っている」
「お逢いできて光栄です。貴方も私と同じ方法で不死になったのでしょうか? お教え頂きたいですね……あぁしかし失礼? 時間も押し詰まっているようですので少し遊びながら語らいましょう――か!」
ユウィンはトキの言葉と気配で相手の力量を予測する。
先程から感じていた目の前の男、トキとは違うもう1つのプレッシャー。恐らくもう1人、コイツと同等、錆びた釘クラスの人間がこちらに向かって来ている気配があった。時間を気にしている所を見るとコイツもそれに気付いている。気付いていると言う事は敵も武装気の使い手、そして接近中のもう一方はこの兄弟の味方では無いのだろう。その一点には安心を覚えるが――。
(来る! そしてやはり――強い)
一足飛びで踏み込んできたトキの高速の手刀をユウィンはラグナロクで受け止めけた。剣で斬りつけて無傷の所をみると、やはりかなりの硬化気技量が伺える。
感心するも束の間に時間差で弟カルヴィンは既に間合い内から魔法の氷柱を射出――それを剣を握る反対の拳に炎を宿らせ弾き、同時にカミーユに蹴りを放って間合いを離した。しかし蹴りを受けた当人はダメージを物ともせずに笑っている。
「貴方も無限の時間を手に入れたのでしょう! 永遠の美しい肌、体を手に入れたのでしょう! 誰に教わったのでしょうか! 私と同じあのマッドサイエンティストですか!?」
離した筈の間合いは直ぐ様トキにより侵食され、再び激しい打ち合いが繰り広げられる。兄の攻撃の合間を上手く狙って弟が氷の魔法を打ち込む二体で一体の獣のような凄まじい連撃にユウィンの剣幕が圧されていく。
(コイツは厄介だ……なんとか一対一に持ち込みたいがDを参加させるとあの娘達が危険だしな)
一瞬視線をDと車椅子の少女に向け嘆息した。
「兄さん今だ!」
「良い見切りです弟よ」
視線を外した隙を突いてトキは腕を大きく振り被る――が、ユウィンの他所見はフェイク。相手がこの隙を付いて来るのを予想してのカウンターを打ち込もうと左手で背中の小太刀を抜き放っていた。
「ははは良いですよ! 闘争も美しくなくては」
「――交叉魔人剣!」
ガィン! ユウィンは右手のラグナロクで、打ち込んできたトキの手刀を受け止め左手の小太刀で攻撃を受け止めているラグナロクの腹に更に斬撃を叩き込む! 交差した2本の刃の威力はヨキの手刀に宿らせていた武装気の硬度を上回った。
「くおぉぉ! き、期待以上です……剣術も達人級とは」
「に、兄さぁぁぁん!」
右手どころか肘関節まで十文字に切り裂かれた兄にカルヴィンが駆け寄る。
「兄さん! あぁ兄さんの綺麗な手が……今、今、回復を」
「優しい弟よ冷静になりなさい……こちらが愛していても相手も愛してくれるとは限らないものです」
「え?」
カルヴィンにはトキの言った意味が解らなかったが、異常に高まった魔法粒子の収束に兄の言葉を少し遅れで理解した。
(ま、魔法? それもこの出力は古代魔法だと!? 駄目だ今からでは躱せない――)
弟は内心で己の慢心を叱咤する。油断していた、剣の力量がマスタークラスなら魔法を使えるはずがないと――愛しの兄の腕を切り裂いた男は、剣を使う高位魔道士だったのだ。そして敵に回復する間など一切与えるつもりは無い――呪文の詠唱を完了させ解き放とうとしている。
『Lv4砂塵消滅地獄サイモンカーター!』
世界最高クラスの魔法使いであるユウィン=リバーエンドの指先から射出されたのは召喚魔法。地獄第一階層に住むと言われる米粒程の生物”粉餓鬼”――食料の乏しい地獄から召喚された鬼は生物、無機物関係なく貪り食らう。一陣の風となって現れる彼らが通り過ぎた後には塵一つ残らぬ修羅の術である。
Lv4古代魔法の直撃に耐えられる人間は存在しない。躱すか同じレベルの魔法で防ぐしか無いが、レベル4迄の魔法言語が使える人間は今や10万人に1人、高位魔法線において詠唱を先行されることは即、死に直結する。
(始めから生け捕りのつもりならやられていたのはこっちだったかもな……まぁ何にせよ)
兄弟に纏わり付いた球状の砂嵐を確認してからユウィンはシーラ姫に向き直った。
「嫌なものを見せてすまなかった、送っていこうかお嬢ちゃん」
しかしその言葉に笑顔で答えたシーラ姫の反応は、ユウィンにもDにも予想だにしない一言だった。
「うんありがとう……でもまだだよ?」
スバッ! 煉瓦で出来た路地裏の建物に亀裂が入った。いや良く見たらそれは亀裂ではなく斬傷である。同時にユウィンの発した魔法、球状の砂嵐は縦に切り裂かれ四散する。
「何だと!?」
人類が到達出来るとされる最上位、Lv4古代魔法言語が破られる理由は基本2つしか無いとされる――同等のレベルの防御魔法で防ぐか、相手が魔法の源流(同能力を持つ象徴たる霊子体、魔人や神族を指す)以上の存在であるかの2つに1つ。相手は防御魔法を展開した様子すらなかったが。
「素晴らしい威力の魔法言語でした。”失楽右翼”が間に合わなければ喰われていたでしょうねぇウフフ」
「変わった能力だな……特型か」
異常な光景だった。
ユウィンの魔人剣で切り裂かれた血の滴る片腕は輝く糸によって縫合されているのだ。見ている側から縫合は進み、まるで鞣し革と丈夫な糸でブーツを作るように、チクチクブスブス皮膚を縫い合わせ縫合されていく。
男の背中から出現した輝く糸、紫の気流は形を成し、その姿は片翼を持つ人間、天使というよりもその禍々しさから悪魔を思わせた。
魔法もこの翼で防いだのだろうか。
「よくご存知で、この翼は私の特型武装気”失楽の園”です」
「武装気で古代魔法言語が破れるとは初耳だ」
「魔法は絶対では無い。固定観念は身を滅ぼします魔法因子持ちの悪い所ですね」
「……確かにな」
過去ゼノンで相まみえ敗北した満腹姫を思い出して苦笑する。
「しかし残念ながら我が弟には堪えたようですね。威力は殺したのですが無防備過ぎたため気を失ってしまったようです……魔法粒子の放出のみでカルヴィンを気絶させるとは、いくら古代魔法とはいえこれ程の威力を出せる魔法使いはそうはいません、流石と言っておきましょう」
「狩る対象に褒められてもピンとこないが……弟を無様に倒されて怒るのかと思ったが意外と冷静のようだ」
ユウィンの挑発にもトキは暖簾に腕押しニヤリと笑い、横抱きにしている弟に優しい視線を送った。
「この男は孤児でしてね……小さな頃に拾って私が育てました。甲斐あってかなかってか随分甘えん坊に育ってしまいましたが、私の数多く育てた弟の中では一番のお気に入りなんです」
(数多く? 本当の弟では無いのか……そして奴の腕が治りかけている。不死身がどうだとか戯れ言かと思っていたがコイツは……)
「しかしながら少々嫉妬深いもので、気を失ってくれて良かったですよ」
「……?」
訝るユウィンに視線を送る。
トキは完全に気を失ったらしいカルヴィンを地面に優しく横にしながら囁くように。
「知っていますか? 今日のパレードの起源となった仮面婦人セシリア=マクシミリアーナの逸話には暗い話が多いのですが、その実貧しい市民のの救世主だったんです。貧困に苦しむ家族に大金をを叩いて買い取っていたのですから……その家の嫡男達をね」
綺麗過ぎる故の能面男は天を仰いで両手を広げる。何処までも芝居がかったその調子で。
「彼女は多くの人間を救いました、救い救い救い救い掬い巣食いました、幼気な少年達を……しかし悲しいことに彼女の救いは僅かな少年達にしか理解されず、1人、また1人と減っていきます死んでいきます消えていきます。その度彼女は思ったのです……”あぁそうだ私が幸せを知らないから彼らに理解されないんだ”……とね」
「まるで見てきたかのような言い草だな……それで?」
ユウィンは思い出していた。この”理論”と”気配”は過去に感じた事があったから。だが違和感を感じる――コイツの言葉は不愉快過ぎる。
「ウフフ……だから自分と同じ不死人を探しだそうと思い至ったそうです。自身を理解してくれるだろう、永遠を添い遂げてくれるであろう同じ超越者を……」
右肩に輝く紫の翼を大きく羽ばたかせながらパキパキと音を立てながら拳を握る。既にトキの切り裂かれた右腕は復元しているようだ。
「終焉の剣ラグナロクを持つ”魔人殺し”よ! 私は貴方を探していました出逢える事を夢見ていました! あぁ今日は何て良い夜なんだ運命の人よ!」
「生憎俺はノーマルでな」
ガキィィン! 口を開くと同時に打ち込まれたラグナロクの斬撃をトキは掴んで防いだ――素手の拳で。
「あぁやっと伝える事が出来た心に秘めた想いを! 想い人に想いを伝える! これぞ女として生を受けた者の至福! そして――」
女だと? ユウィンは胸中で訝りながら相手の腕に蹴りを入れて掴まれている剣を外し飛び退いた。
「朽ちない身体! 永遠の命! 貴方はどう思っているのですか友達よ!」
――ヴン! 目に見えない何か。がユウィンの右足のあった空間を凪いだ。直感で上空に飛んで躱しながら武装気を展開する。
「俺には記憶が無くてな。アンタはどうなんだ!」
ガガガン! 空中で見えない何かを右手のラグナロクで防ぎながら左手の小太刀で衝撃波を放った。
「未来永劫の存在! 人でも魔人でもエルフでもない超常的な者! 誰しもがそう有りたいと願うモノでしょう!」
しかしユウィンの放った衝撃波――魔人剣流波はカミーユに直撃する前に何かに弾かれて消えてしまう。
「下らん。そんな事が何になる」
「手に入れてしまえば確かに下らない……しかし私は超えたのではないか? そう思ったんですよ!」
ガキィィン! ラグナロク、村雨の2刀と、トキの両の手刀が交差する。いつの間にか輝く糸によって縫合されたカミーユの拳は彼の背中から流れ出る輝く紫の気流で覆われていた。
「”プレイヤー”と呼ばれる守り手達に! 未だ見ぬ3人の皇達にですよ!」
ガガガガッガガ!
「くっ! プレイヤー? 何だそれは」
相手の言葉に後方でシーラを守るように立っていたDの表情が歪む。
『か、彼はまさか……』
「竜のお姫様1つお願いしてい~い?」
Dはシーラの言葉に振り返った。人型に転身した自分を竜の姫と言った少女に。
「エッタちゃんが目を覚ましそうなの。だから剣士さんを助けてあげて? シーラ達はここで良い子にしてるから」
「貴方……なぜDの事を」
「あの人とエッタちゃんを引き合わすのは危険な気がするの……お願いドラゴンのお姫様」
何故彼女が自分の正体を知っているのか?何故車椅子の少女が抱えるもう一人の少女が目を覚ますのが危険なのか? 疑問があったが、Dは少女達から振り返り主人が交戦する一番の疑問、”トキ”と呼ばれる謎の敵を睨みつけ術式を解き放った。
『術式展開――マスター合わせて下さい』
Dの長い黒髪が大きく揺れ、体は掻き消えるように輝く粒子を纏い消えていく。
『竜魔融合……16乗倍術式ファイナルオーバークロック!』
黒髪の竜姫の姿は光となって弾けた。
ユウィン=リバーエンドは思い出していた。過去、ゼノンで対峙した上位霊子体、天使と呼ばれる存在の事を。彼ら天使は地上に這いつくばるゴミ虫の如き人間を、道路で轢かれてひしゃげている犬を見るかのような視点で向き合っていた。野兎が視界を横切れば捉えて食うか愛でるかの二つに一つ、美しい声で鳴く野鳥が居れば、次泣くまで待つか殺すかの二つに一つ、相手を救うも殺すも己の掌に乗った猿を見た時の気分1つ。――天使はそのような存在、己の為に他者を愛で、救い、罰を与える者なのだ。
だがユウィンが違和感「コイツは何か違う」奴の背中から漏れる禍々しい紫の光は悪魔を思わせるし、高位霊子体が持つと言われる多重防御結界も感じない。それどころか自分と同じ気配を感じさせ、言葉には凄まじい不快感を覚える。
「しかしながら永遠の時間を1人で歩むのは些かうら寂しいものです。私は、私達が世界の中心と思えるこの高揚感を分かち合いたいのです友達よ……優越感を、役得を分かち合って永遠に愛して差し上げたいのですよ」
ガガガガガン! 能面男カミーユ=クライン、暗部での名をトキと呼ばれる男は両の腕と背中の糸が結重なった翼を駆使してユウィン=リバーエンドに合計3本の手刀を乱れ撃つ。
「お前は天使なのか!?」
「天使? 馬鹿を言ってはイケません。私は少々長生きな只の人間ですよ」
ギギギギッギ……トキの攻撃を二刀の剣で受け止め鍔迫り合いながら。
「じゃあお前は……どうやって不死を手に入れた」
それは先程自分に問いかけられた一言、この体になった時の記憶を持たないユウィンの抜け落ちた虚空の時。
「記憶が無いとおしゃいましたね良いでしょう……方法を示したのはランスロットとかいうケチな女でしたよ。興味があるのでしたら私を受け入れて下されば寝室でゆっくり教えて差し上げますが」
「やれやれ……そいつは残念だが難しいな」
舐めるような視線を送っていた男はブルリと体を震わせ、月光すべてを受け止めるが如く天を仰いだ。
「あぁっ実に良い!」
キュギィィィィィィ――ピシッ! トキの拳を受け止めている2刀が悲鳴を上げる。世界最高硬度を誇るオリハルコンの剣が。
(馬鹿なラグナロクに亀裂が……こ、こいつは)
「ウッフフフ恋は悲恋から始まり時間を掛けて燃えるもの! 永遠に届かない想いこそ永久の恋愛! そしてフラれた私は喜劇のヒロインといった所でしょうか!?」
高揚したトキの体にゆらりと透明な火が灯る。
(しまった――浸透系武装気!?)
「炎熱激絶杭アドバンスト・スティンガー!」
ラグナロクで受け止めていた筈の手刀が振動している。そして次の瞬間、強烈な衝撃がユウィンの身体を突き抜けた。
「ぐぁ……は」
この技は密着状態から生物の内部を破壊する死殺技――魔人すらも防御結界ごと破壊する事の出来る魔法と気を同時に発動させる武装気の上位スキル、弟カルヴィンも使用していた”魔装技”という技である。
ボトボトボタ……貫通したユウィンの腹部ら大量の血が煉瓦で出来た地面に吸い込まれていく。
「傷口を魔法で焼き切りました。貴方がいくら高位魔道士だとしても一瞬で回復は不可能でしょう……私達は普通なら即死する攻撃でも気が狂うはずの激痛を感じながらも生きなければならない……さぁ教えて下さいどんな気分ですか?」
血を吐きつつユウィンは2、3歩後退しながら。
「っ……全く良く喋る奴だ。そんなに不死が嬉しいか」
対してトキは4歩前進する。
「人の業、人の理を超えし者、誰にも支配されず。犯されず。朽ちない。守らず逃げず振り返らない。そんな美しい境地です。世界広しといえど私達2人と数人だけ! この出逢いは運命! 嬉しくない筈はありません優越を感じないはずがありません普通の人生に戻りたい筈があるはずがない!――さぁ答えなさいなっ!」
既にトキはユウィンの顔、鼻と鼻が後数ミリで触れるかという所迄接近していた。そして大げさに両腕を広げてこう言った。
「不死の人生とは美しいでしょう?」
舞台の中央でスポットライトを浴びる喜劇の役者にでもなったかのように自己陶酔を続ける男を、ユウィン=リバーエンドは掠れる視界で捉えながら思い出していた。自分のこの身が不死となった時の事を――不死に生まれた我が身を忌み嫌っていた師匠、アヤノ=マクスウェルの事を。
マクスウェルさんは言った。
『ワタシが何故そんなに強いかだと? ふんっ……同じ1人の人間なのにオカシナ話だが……ワタシの代りにアヤノが泣いてくれたからな。アイツが過去900年で泣いて泣いて泣き続けてくれた。だから強い、曲がらない、泣かない……それがアヤノが望んだ人格、マクスウェルという女だから』
アヤノさんは言った。
『ユウ君……ワタシには永遠の時を一人きりで生きる強さはなかったの。だから遠い昔に1人の男性に恋をした。でもそれは間違いで、頑張っても頑張っても手に入らなくて、間違えて、その人と一緒にワタシは全てを失くしちゃった……だから1人で此処にいるの……ず~~~っと独りで此処に居るって決めたの。何もしないで……神様を恨みながら』
塵芥に散った頭蓋の奥底に微かに残った記憶、恐らく自分を誕生させたであろうあの男は言った。
『この世界におけるユウィン=リバーエンド……その全てを御前に託す。どうかマリィを……情けない俺に代わってあいつの仇をとってくれ。 俺は、また……』
何処かに消えたあの男はきっと諦めたのだろう――そうだ、きっとそうだろう。恨む事を諦めたんだろう。
だから俺は思う。
恐らくあの男は不死になる前の俺、俺から感情と記憶を奪っていったもう一人のユウィン=リバーエンド。
諦めたのだろうきっと――。
(――何がって?)
マリィの仇を討つことをさ。
(だから――)
あの時、アヤノさんが大事にしていた。
(あぁそうか……紅い結晶球、魔人核を持ちだしたのだろう)
あの男は自分の力で復讐する事を破棄したのさ。
(――何を言っている)
あの男もお前も……同じ人間なのに。
一瞬視界がぐらりと揺れる。こんな時に何を考えている……だが誰だって考えたくない事があるはず、覚えていても思い出したくない事があるはず。自分がもう一人いるなんて感覚なんて馬鹿な事考えたくはない筈。そうだろう。
しかし何なんださっきから……腹がフツフツと湧くようなこの感覚は。
(あぁ成程、コイツは俺に……)
腹部に走る激痛よりも優先される感情があった――それは 嘲笑。不死を褒め称える目の前の男と自分が酷く滑稽に思えたのだ。
「く、はは、笑えるぜ友達よ。こんな笑える気分になったのは満腹姫の時依頼だ」
「?……笑いどころがありましたか?」
解らないんだか馬鹿にしているんだか、不死身の男は何処までも芝居がかった調子でこっちを見ている。そいつを見ながら思い出していたんだ。
アヤノさんはあの時悲しそうに呟いた。不死に生まれたその身を恨み、天を恨み、数百年の努力をしてそれでも報われなくて1人で居る事を選んだ。
「不死の人生が美しいだと?……朽ちない体に優越感だと?……クククッ。これが笑わずにいられるか」
ユウィンは俯きながら声高らかに笑う。よもやそれは彼に残った最後の感情が爆発したかのように。
「ハハハハッ! お前は認めて欲しいだけさ、お前は頑張ったよ、お前は凄えよ大した奴だってなぁクククッ全く滑稽だ! 俺もお前も! どおりで同じ臭いがする筈だ。不快に思う筈だ……俺とお前は似ているんだから」
「私が普通の人間臭い、安い感情に依存していると――」
「じゃあ何故俺に聞いたんだ不死の人生は素晴らしいだろうと……お前は永遠の独りが寂しいんだろう、寂しい寂しい寂しい寂しい誰かボクを構ってくれ愛してくれ、興味を持ってくれ、欲しい欲しい欲しい欲しい……玩具をねだる子供じゃあるまいしよ」
今迄亀裂のように笑顔に歪んでいた能面顔に色が無くなっていく。
「俺の師匠は数百年もの間努力を重ねて、それでも報われず誰にも頼らず誰にも迷惑をかけないようにたった独りで生きていた! 俺やお前はどうだ? 魔人核や他者の手を借りて簡単に不死身の肉体を手に入れた――違うか!」
トキは決して油断をしていた訳ではなかった。
なのにアンリエッタを介抱するシーラの前に立っていたDの姿が気配もなく消えた事と、自分の体の異変にようやく気づき始める。
「っ……か、体が言う事を……魔法陣!? これはまさか」
空間魔法――そしてユウィンの体から溢れ出る暗黒の衣は黒の炎竜Dと融合することにより自身の能力を16倍に引き上げる竜魔融合術式。肥大していく圧倒的魔法粒子は瞬時にユウィンの腹部を修復していく。
「俺はマリィの為じゃなくマリィのせいにして復讐者となった……お前は完璧だと思っていた人生を褒めてくれる相手がほしい。俺とお前に足りないもの……それは達成感。俺達は人の数倍の時間が与えられようと支える軸足のない只の子供――己が1つで何かを成し遂げた事も無いガキの分際で……全くどいつもこいつも勝手な事を言いやがる」
それは目の前の男とあの時のアイツに向けての言葉。
『竜魔融合術式展開完了、演算速度2.2倍速、マスター御存分に-――』
ユウィン=リバーエンドの内側からDの声が響く。竜王と融合する事によって倍速以上で展開された空間魔法言語は、路地に無数の光の線となり、更に大きさを増し、描かれ、肥大していく。
「空間に術式を画くとは!? これはアマテラス! やはり貴方も――」
トキはユウィン後方の少女に目をやった。未だ微動だにせずじっとこちらを見つめる車椅子の少女に目をやった。1日の内に2度も同じ術式を見るなんてことがあるだろうか? ある特定の因子を持たなくては走らせることが出来ない神、メインユーザーの1人天津 学の能力”権限の力”の模写術式を、月と箱庭と地球を繋ぐ”回帰プログラム”を。
暗部のトキ、またの名をカミーユ=クライン――彼の周囲に張り巡らせるは空間魔法陣。人皇であるユウィン=リバーエンドが有する”アマテラス”であり、指定空間を書き換え固定もしくは違う場所に転移する事が出来るオメガレベルと呼ばれる魔法の”言語”である
『初層十六転換収束完了……次層第八転換収束までカウント3秒――魔法因子核正常起動、行けますマスター!』
第一”座標位層”拾六転換
第二”干渉位層”第八転換
第三”分解位層”第四転換
第四”創造位層”第壱転換天照
最上第4位層迄あるアマテラス第2段階”干渉位層”――今迄の使用していた空間を曲る、転移する、十六転換天照の上位、空間に干渉し空間に穴を開け分断する事が出来る空間魔法である。
……天の鷹、地の皇、水底の蛇よ……我は嘆く、この身を捧げた醜さを。我は叫ぶ、愚かな過去の己の芯を。故に創造する。断然たる曲がらぬ己、望むは一つ永久不変! 伸ばせこの手を女神を掴め――。
ユウィンの右手に光るラグナロクが魔法陣を帯びた黒光に覆わる。膨大な魔力を消費するがこれは過去、天使との戦いで不覚を取った故開発した最大の奥の手、都市戦型対上位霊子体用魔装技――空間魔法と魔人剣の融合技、神殺しの刃”魔神剣”である。
「この刹那に自分を換えろ――”第八転換天照”!」
対して魔法陣に拘束されて身動きの取れないトキは――。
「あの車椅子の少女もアマテラスを、そして見たこともない重力を制御する気を使う彼女も無関係ではないでしょう恐らくは……」
(やはり彼がリィナ=ランスロットの言っていた人皇で間違いない……成程、今日の出逢いは運命としか思えませんねぇ)
そして車椅子の少女と、その腕に抱かれる弟に悠然と立ち向かった勇ましい小さな皇女を鋭く見据えた。
”アマテラス”を使える因子を持つ者は”プレイヤーとメインユーザー”のみ。この世界からいずれ元の世界へ戻る為に必要なプログラムであるからだ。彼ら以外で使える”人間”は存在しない。ならば車椅子の少女は”何”なのか? その結論はすぐに出る。
あぁ成程、生物ではないのか……と。
(そして勇ましかった幼き少女、恐らくアンリエッタ=トロンリネージュ、ウフフ……ともすれば|お前がノアに選ばれた人皇の”神の器”だったか……これは頂上、全ては我が舞台の装飾の為、貴方には踊ってもらいますよ姫殿下……)
だが眼前の不死の友達、ユウィン=リバーエンドの術式は完成しつつある。体は俄然動かない、魔法陣に拘束され空間ごと固定されているのだろう。
(ウフフ……LvΩの魔法言語を使える人間は貴方だけではありません)
トキは喜々として視線をえぐり込む、自分を叱ってくれた諭してくれた愛しの御敵、友達に。
「ならば私も示さねばなりませんね――我が力、我が貫く魔法の”言葉”を!」
背中の片翼が勢いを増して輝きを放つ。
……あぁ私は渇望した……誰にも嘲笑されぬ完全な美を。あぁ私は悲壮した、誰にも智見されぬ己の醜さに。だがそれは自明、私は暗星、醜い屑星、故に私はを渇望する、あの大月に手を伸ばして――
「護れ私を輝けよ……”絶対防御自己改変”!」
男は両手で自身を抱きしめる――空間魔法陣で拘束されているはずの体で。
周囲に張り巡らせている魔法陣と空間が激しくグニャリと歪み、よもやそれは世界が換わってしまうかのような不快さ、不自然さを思わせる光景だった。
『マ、マスター! 敵対象周囲に張り巡らせている座標位層空間が解けて……いやこれは自身を空間魔法に耐えられる何かに改変している!? アヤノ様が言っていたメインユーザーの力、やはり奴は天使族の――』
Dの声はもはやユウィンに聞こえていない。ツルギに込めた渇望を解き放った――
『LvΩ奥義八掛断空魔神剣――!』
(――素晴らしいぃぃ!)
迫る神殺しの剣”魔神剣”を前に男は歓喜した。いずれ自分のモノになるであろう男の力に、そして彼を想う。笑顔が見たい、抱きしめたい、口づけたい、いや駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ今すぐ”壊したい”――渇望、月に手を伸ばした醜い屑星の欲する不死の人間ユウィン=リバーエンド。いずれ来る聖戦の立役者――ルナティック=アンブラの生け贄を今すぐに!。
(未完の人皇よ見るが良いぃ! この世界は我を彩る渇望の舞台、私こそがこの暗黒劇に勝利するヒロインだという事を――)
『――LvΩ拾弐堕天翼因果消失!』
――――カッ!――――
月光の指す闇の路地で、人技を超えた2つの超越魔法が炸裂した。




